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2010年9月11日 (土)

リストビアンカの日本人墓地

戦後、少なくとも64万人の日本人がロシアに抑留された。

過酷なシベリア開発に酷使され、

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そして、その不幸な人々の2割は帰国することが叶わなかった。

このイルクーツク周辺にも81箇所の収容所があった。

そうして分かっているだけで、

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33箇所の日本人墓地に約6,000人が眠っている。

バイカル湖畔のリストビアンカ墓地には、60人の名が刻まれていた。

墓は村の中程まで入った山の中腹にあって、

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墓地から湖面は見えない。

私達は、ここでは無言であった。

菊の花を手向け、緑茶を周辺に敷き詰めていった。

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おそらく、お茶なぞ飲むことは出来なかったろう。

そしてお茶のカップにはお湯を注ぎ入れた。

線香を手向ける傍らでは、松元上人の敬虔な読経が流れる。

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そばの墓標には「友よ、安らかに眠れ」とある。

安らかに眠れる筈などあるものか・・・・と思う。

やがて、誰からともなく歌い始めた。

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「♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川

・・・夢は今も巡りて、忘れ難き故郷・・♪

如何にいます父母・・・・」

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生前の彼らも、小さな声で口ずさんでいたのではないか。

私の目にも涙が溢れ、歌声はその涙にかすれていく。

冬には経過50度にもなるこの地で、

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彼らは故郷を希求しながら死んでいったのに違いない。

そうしてロシアは、未だにその謝罪どころか、事実すら認めていない。

国際法などまったく無視したやり口だったのだが・・・。

バイカル湖の岸には、日本海と同じような波が寄せては返していた。

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