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2010年9月17日 (金)

レーニンの眼光

ウランウデとは、赤(ウラン)いウデ川の街と言う意味だ。

ちなみにモンゴルの首都ウランバートルは、「赤い勇士」になる。

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いずれもソ連時代に付けられた名称で、

今では赤とは何の関係も無い。

ただ街の名と同様に、社会主義時代の残照はあちこちに残っている。

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政府庁舎の真ん前に、巨大なレーニンの頭部像がある。

実はこの像は、

かつてモントリオールだったかの万国博覧会を飾ったものだ。

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既に社会主義の失敗が明らかになりつつあった時期だ。

博覧会が終わって引き取り手を探したのだが、

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当然ながら容易にはそれが見つからなかった。

そんな折、このブリャートの政府が

「恐れながら私目が・・」とモスクワに申し出た。

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中央にゴマをすったのだが、流石に国民には不評だったようだ。

それはともかく、広場は今では市民の憩いの場だ。

9月1日は、「教育の日」でこの国の祝日である。

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広場には親子や若者のグループ、カップルなどが集まっていた。

レーニンの顔を隠すように舞台が作られて、

歌やトークショウやらが続いていた。

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それを立ったまま参加して楽しんでいる。

私も時々「ダァー、ダァー」と合いの手を入れて楽しませてもらった。

みんな陽気である。

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イルクーツクのレーニンは右手を上げて立つ銅像だった。

それを市民は「多分、タクシーを止めてるんだろ!

だけど誰も止まってくんないんで、何時までも上げてんだ!」と言っていた。

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かつての社会主義の英雄レーニンも哀れなものだが、

それにしても、ただのモニュメントにしては目立ちすぎるのだ。

だが一面、モンゴルの人々にとっては、

レーニンは救いの神だったのかも知れない。

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清朝崩壊前後の混乱期には、

中華民国の軍隊に陵辱され続けていたからだ。

中国服を着る様に強制され、略奪や強姦が常習的に行われた。

その中国のくびきから逃れるには、ロシアに頼る他なかったのだ。

時代は移り、今ここではそんなことを誰も気にしていないかのようだ。

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