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2010年10月16日 (土)

豪農の館

東北地方には、桁外れの豪農の館が幾つか残っている。

越後の伊藤家の館もその一つだが、

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その規模は唖然とする程のものだ。

屋敷の敷地が29,000㎡、建坪だって4,000㎡もある。

母屋の部屋数は65、そこに奉公人が60人も住んでいたらしい。

Cimg1940

邸内の茶室だって5ヶ所も、その一箇所は家が菱形に作られている。

土塁を築き濠をめぐらせて、

城館さながらの豪壮さに眼を見張る。

Cimg1942

明治40年頃には、4郡60ヶ村に田畑1,370haを有していたと言う。

そもそもこの伊藤家は、7代前に1ha余の自作農から始まったと言う。

百姓の傍ら藍の商売を営んでこれが繁盛した。

Cimg1899

それを元に二代目が雑穀商、質屋に倉庫業などと多角化した。

それが明治になって、五代目あたりから一気に支配面積を広げていく。

おそらくは税金の金納化と大きく関っているのだろう。

Cimg1906

五代目も「天朝の御一新、

この乱世に所有地を広げるのだ。」と言っていた。

明治25年からの10年間で、500haも所有地を増やすんだから乱世だ。

Cimg1907

昭和20年の敗戦で、農地開放が始まる。

この時の7代目の才覚が光っていた。

彼は直ちに財団法人を設立して、

Cimg1909

その財団の博物館にこの家屋敷を寄付してしまうのだ。

そこに進駐軍のライト中尉がやってくる。

旧日本軍の隠匿物資を土蔵に隠しているとの情報があったからだ。

Cimg1904

だがほどなく、7代目文吉がペンシルバニア大学卒で、

ライト中尉の先輩であることが判明する。

それでこの博物館は、進駐軍からも大いに支援されるに至るのだ。

伊藤家の八代目は、現在もこの館の館長である。

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