お~い雲よ
人間、出来ればあくせくせずにおおらかに生きたい。
ところが近頃はキレルとかで、簡単に頭に血を上らせる風潮がある。
要するに単細胞なだけなんだが、それすら分別できない輩が多い。
自侭な自分に甘いだけの人間なのだ。
人は稔に従って、自分の感情との付き合いが上手くなる。
大体において、怒り心頭なんて状態では何も考えることは出来ない。
そんな時ゃ、とりあえずジッとして動かないことが肝要だ。
短期は損気以外の何物でもないのだから。
「おうい雲よ ゆうゆうと 呑気さうぢゃないか」(暮鳥)てな具合でね。
ところで、秋の雲はコスモスの花のようだ。
あの夏のエネルギッシュな入道雲とは比べようも無く涼やかだ。
夕暮れ時の巻雲、巻層雲、そうしてうろこ雲などは、
それぞれが秋の深まりを感じさせている。
その下で、人もまた春夏秋冬を過ごしている。
雲は大地を潤す仕事をし、人は人の成すべき事をする。
雲の形が一つとして同じでない様に、人の生き方も様々だ。
そして「年々歳々 花相ヒ似タリ 歳々年々 人同ジカラズ」なんだな。
この世にゃ変わらないものなど一つも無い。
過去に見とれていたとて仕方あるまい。
そんな分別のつもりで、
時に「お~い雲よ」と叫んでみる。
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