如是
如是とは、仏教の言葉で知恵と言うほどの意味だ。
長岡駅の直ぐ南側に日本互尊社の森がある。
その森に入っていくと、如是蔵博物館と表札のある古ぼけた建物がある。
訪れる人も無いらしく鍵が掛かっていた。
暫くうろうろしていると、80歳くらいの老人が現れて開けてくれた。
木造三階建ての建物には、野本恭八郎(互尊)に関連した資料を中心に、
山本五十六、河合継之助、山本帯刀などの遺品が陳列されていた。
はて野本互尊とは、如何なる人物かは知らない。
ただ、この長岡の地に多い陽明学の徒である。
河合継之助も陽明学で生きていた。
陽明学は、朱子学とは違って言行一致を旨としていた。
継之助も常々「学問は、
実行しなくては何の役にも立たない」と言っていた。
そして、その通りの生涯を送った。
野本互尊は「内は独尊、外は互尊」を唱えた。
人は、只一人しかいない自分を確立することと、
多くの人々と調和して生きる互尊の精神が両方大切だと説いた。
この精神は、あの山本五十六にも大きな影響を与えたらしい。
それにしても、山本も河合も敗軍の将である。
それは偶然なのかどうか?
この博物館には、
山本五十六の日本海海戦の際の血染めの軍服などがある。
古色蒼然としたこの館の中にも、この国の歴史と人生があった。
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