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2010年11月24日 (水)

出入国時の通関は、昔なら関所だろう。

この夏イルクーツクでは、ソ連時代から続く役人の悪弊に呆れた。

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普通の旅行者の旅券(通行手形)を何時までも眺めている。

プロなら瞬時にチェツクなど出来るはずなのだが、

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本人はもっともらしく時間をつぶしている。

この点ヨーロッパでは、EUの登場と共に通関すら無くなっている。

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だがその昔は、何処の国にも至る所に関所があって、

旅人は厳しい通関手続きを強いられていた。

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江戸時代には徳川幕府が全国に53ヶ所もの関所を設けていた。

そしてその関所も、明治2年に廃止されていずれも取り壊されしたのだが、

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その53箇所の関所のうち、当時の建物がそのまま残っている所がある。

浜名湖西岸の新居(今切)関所だ。

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ここだけは、現在も往時の姿を止めている。

建物が一時は学校として使われ、

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その後も新居町役場として活用されていたからだ。

この建物は安政2年(1855)年に建てられたもので、

当時は渡船場に接続する形になっていた。

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その様子は発掘された渡船場の石積みで見て取れる。

したがって、この関所から東は浜名湖だったことになる。

明治期に随分と埋め立てられて、現在は街中になってしまっている。

東海道の難所の一つだったはずの今切の渡しも、

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今では幾つかの橋梁で陸続きになっている。

関所跡には葵のご紋が下がっている。

しかし幕府直轄だったのは最初の100年間だけで、

その後の170年は地元の吉田藩の管理になっていた。

国と国との関係だって、いずれは関所が無くなっていくのだろう。

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