関
出入国時の通関は、昔なら関所だろう。
この夏イルクーツクでは、ソ連時代から続く役人の悪弊に呆れた。
普通の旅行者の旅券(通行手形)を何時までも眺めている。
プロなら瞬時にチェツクなど出来るはずなのだが、
本人はもっともらしく時間をつぶしている。
この点ヨーロッパでは、EUの登場と共に通関すら無くなっている。
だがその昔は、何処の国にも至る所に関所があって、
旅人は厳しい通関手続きを強いられていた。
江戸時代には徳川幕府が全国に53ヶ所もの関所を設けていた。
そしてその関所も、明治2年に廃止されていずれも取り壊されしたのだが、
その53箇所の関所のうち、当時の建物がそのまま残っている所がある。
浜名湖西岸の新居(今切)関所だ。
ここだけは、現在も往時の姿を止めている。
建物が一時は学校として使われ、
その後も新居町役場として活用されていたからだ。
この建物は安政2年(1855)年に建てられたもので、
当時は渡船場に接続する形になっていた。
その様子は発掘された渡船場の石積みで見て取れる。
したがって、この関所から東は浜名湖だったことになる。
明治期に随分と埋め立てられて、現在は街中になってしまっている。
東海道の難所の一つだったはずの今切の渡しも、
今では幾つかの橋梁で陸続きになっている。
関所跡には葵のご紋が下がっている。
しかし幕府直轄だったのは最初の100年間だけで、
その後の170年は地元の吉田藩の管理になっていた。
国と国との関係だって、いずれは関所が無くなっていくのだろう。
| 固定リンク
コメント