« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月31日 (金)

淡々えんとして静かに

「つれづれなるままに 日暮らし パソコンに向かひて

心に移りゆくよしなし事を そこはかとなく書きつくれば・・」

Cimg2651

既に大晦日になってしまった。

振り返れば良い事ばかりと言う訳には行かない。

殊に政治の世界は軽薄な舵取りが続き、

Cimg2654

この国の先行きが更に不安になった。

この国最大の無駄は、政治と言ってもよいだろう。

Cimg2640

されど我々庶民にとつて、これは如何ともし難い。

せめて一票をもつて報いるのみである。

北朝鮮だの尖閣だのと天下の多難を他所に、

Cimg2641

私は今年も走って書いて、作って会ってと忙しく過ごしてきた。

畢竟、失敗もこれからの糧にするなら悔いる事もない。

ただ、持ち時間を一年分費消したことを肝に記そう。

Cimg2642

今、大晦日の冷たい空気を臍下丹田にためて、

ゆっくりと吐いている。

Cimg2649

よし来年は、腹を据えて恥をかこうぜよ。

ともあれ今年は、蘆花のように「天下多事多難 

されど我家事無く 債鬼無く また余財無く

Cimg2639

淡々えんとして 年は静かに暮れ行く」だな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月30日 (木)

20万のアクセス

この山草人のモノローグへのアクセスが、

累計で20万回を超えようとしている。

Cimg2501

この1700日、毎日勝手に書き続けてきた。

自分じゃ、モノローグ(独り言)だからと気侭に書いてきた。

Cimg2548

勝手放題を書いて、それでコメント頂いても返事もしないのだから、

アクセス諸氏には申し訳ない限りだ。

そんな我侭なブログに20万回も訪れて頂き、

Cimg2549

無言のエールを送って頂いた皆様に深く感謝している。

独り言と言っても、所詮、人に聞いてもらうための独白なのだ。

Cimg2557

そもそも書くという作業は、自分のためだと思ってきた。

だから褒められようが叱られようが、どうってことはない。

Cimg2543

それでもたまに、「あれは、参考になったよ!」などと言われると、

もう有頂天になってしまう。

話は一転するが「人間の理想的な生き方」が

Cimg2541

バラモンのマス法典に書かれている。

それによると、人生は学生期、家長期、林住期、遊行期を辿れと言う。

ひたすら学んで育ち、稼ぐだけ稼ぐ時期を過ぎたら、

Cimg2540

林住期を過ごせと言うのだ。

林住とは、好きなことをやってみろと言うことらしい。

隠遁ではなくて、人間として羽ばたいてみろと言うことだ。

そしてそれも終わったら、その後は遊行で、死ぬまで楽しめと教えている。

この手前勝手なブログも、つまりその林住のつもりだ。

Cimg2533

そしてここに書いていることが、私の気付きであり私の見る目なのだ。

もとより大成などは程遠く、はたまた「壮年老い易く 楽成り難し」なのだ。

人間楽になったらお仕舞いだから、勿論これからも書き続けるつもりだ.

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年12月29日 (水)

坂の上

目標に向かってひたすら進んだ、あの頃は良かったと思う。

高度経済成長の頃は、給料だって目に見えて上がった。

Cimg2512

高速道路が伸びて、高層ビルも林立していった。

人手不足が続いて、就職に困るなんてことも無かった。

一番良かったのは、向かう坂の上が明るく見えたことだった。

Cimg2519

今、この国が元気がないのは、峠の向こうの下り坂が心配だからだ。

今年、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が注目された。

この国の青春時代が描かれているからだろう。

Cimg2351

思えば、何一つ失うものとて無かった時代から、

ここまで登って来たのだ。

「さて、これからどうする」ってのが、当面している事態だ。

Cimg2534

ところで、私達団塊の世代の生き様も同じ様なものだ。

競い合って生きて来て、この国の経済の拡大にも大いに関ってきた。

それで今、峠から来し方を振り返り、行く先を思案している。

Cimg2559

実は未だに、坂をトボトボと下る気になれないのだ。

と言って、登り続けることも留まることもかなうまい。

ならば、林に踏み入って別の道を探そうか。

Cimg2561

沢沿いに下りれば、川魚や珍しい木の実に巡り会うかもしれない。

それどころか、思わぬ桃源郷が広がっているかも知れぬ。

人は登るにしても下るにしても、発見があればそれで良い。

要は、青雲の志を忘れないことだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月28日 (火)

孤独な時間

人はあれこれ忙しく過ごしていると、つい孤独ということを忘れてしまう。

だけど、人間は本来孤独なものなのだ。

Cimg1984

孤独だからこそ友を求め、ファミリーを育てる。

それに、孤独でなければ本気で考えることをしないだろう。

今日の情報社会は、ともすればその貴重な孤独な時間を減らしてしまっている。

Cimg2065

TVや携帯、インターネットが孤独を隠してしまうのだ。

そして何時の間にかバーチャルな世界を浮遊するようになる。

バーチャルから覚醒した塗炭、自身の深刻な空虚に気付くのだ。

Cimg2066

さうして「人生を終わりにしたかった・・・」などと言う輩が出てくる。

引きこもりも孤独からの逃避ではないか。

孤独と真正面に対峙する精神力を喪失した結果だ。

Cimg2368

ともあれ、孤独を恐れる必要はない。

前向きでありさえすれば、

その寂寥感の中から工夫や次の行動が生まれてくる。

Cimg2387

肝心なのは他人に依存することでなく、

前向きに生きることなのだ。

本当の孤独は人の心の中にある。

Cimg2412

「幾山河 さすらうよりも かなしきは 都大路を 独り行くこと」なのだ。

孤独の中で友の理解にあえば、

Cimg2514

懐かしさと切なさが胸にしみるではないか。

孤独な時間を大切にしてみようと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月27日 (月)

新村十分考

地域のコミュニティについて考えている。

村十分とは、かつての村のコミュニティの要素のことだ。

Cimg1171

具体的には、火事に葬式、子育てと結婚・出産、

病気、新改築、災害、それに年忌法要と旅行らしい。

その昔、伊勢講のような旅に出る場合にも、

Cimg1697

旅費やら留守やらを村の衆が全部面倒を見た。

日々の生活から余暇まで一切が村のサイクルで動いていた。

だから、村八分にされたら生きていくことすら難しくなった。

Cimg2097

だけど今、その殆どを「関係ないじゃん」と言って生活できる。

つまり火事は消防署があるし、葬式は葬儀屋で間に合う。

出産には助産婦の必要も無くなったし、急病なら救急車が来る。

Cimg2098

子育ても結婚もどうと言うことはない。

残る一分は災害だけだが、それだって自分とは関係ないと思っている。

村の存在価値は激減したが、それでも町内会の会費は徴収される。

Cimg2116

その会費の分、機能してもらわなくては成るまい。

これからは高齢化と税収減で自治体に依存できなくなる時代だ。

地域のことは、地域の人々が協働でやる時代になっている。

Cimg2398

つまり、新しい村十分を作ることが必要なのだ。

①子供見守り ②自衛消防 ③自主防災

④子育てサロン ⑤高齢者サロン ⑥婚活支援

Cimg2401

⑦地域防犯 ⑧敬老 ⑨年忌法要 ⑩葬儀・・・だ。

いずれにしても新しい村十分が無くては自治会費の意味はない。

Cimg2628

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月26日 (日)

キムチ作りに挑戦Ⅱ

白菜は、苦労の末にともかく育った。

それでおっとり刀で、制作に取り掛かったのである。

Cimg2643

先ずは白菜を刻み、千切りした人参と大根にニラとセルリーを混ぜる。

それにニンニクとリンゴを摩り下ろして入れる。

勿論、唐辛子とキムチの元、それに塩辛を忘れない。

Cimg2644

白菜2個も刻んだし大根やらで、一山の野菜が出来てしまった。

そこまでは良かったのだが、

そこに大量の塩を入れたのがいけなかった。

Cimg2645

翌日、大ボールを包み込んだ袋をあけると、

ニンニクの臭いが部屋に立ち込める。

美味そうな塩梅ではあった。

Cimg2646

が、その塩梅が問題だった。

口に入れると、顔が斜になるほど塩辛いのだ。

えらいこっちゃ、山のように作ったキムチが食べられんぞな!

Cimg2647

一晩考えた末に、一計を講ずることにした。

塩なしで白菜と大根を追加することにした。

もちろん、リンゴを二個も追加した。

Cimg2648

お陰でキムチの量は倍になってしまったが、

兎も角も口に出来るキムチになったのだ。

次は、この失敗を生かして美味いキムチを作るぞ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月25日 (土)

キムチ作りに挑戦Ⅰ

何故か、キムチを作ろうと思い立った。

かつてソウルで、キムチ名人の手ほどきを受けたことがある。

Cimg2485

彼女のキムチは、アワビやら海老、朝鮮人参なども入って、

大変豪勢なキムチだった。

Cimg2486

ともかく韓国のキムチは、単なる白菜漬けではないのだ。

私も彼女にあやかって、少しだけ拘ることにした。

Cimg2487

先ずは10月中旬に白菜の種を播いた。

農薬を一切使わない栽培にすることにした。

Cimg2494

防虫網で苗を覆って大切に育てた。

定植した畑にも大枚を叩いて、下は黒マルチ、上は前面被覆である。

これで完璧だとほくそ笑んで半月、

Cimg2488

ふと見ると葉のあちこちが穴だらけになっている。

「一体何物の仕業か?」と防虫網を点検しても異常はない。

Cimg2495

さてはと気付いて夜の見回りをすることにした。

夜八時過ぎに畑に行くと、やはり大きな夜盗虫が這い回っていた。

それで防虫網をはずして、その虫を一匹ずつ踏み潰していく。

Cimg2489

やつらは土の中に潜んでいて、夜に出てきて白菜を食べている。

それで毎夜のその作業が一ヶ月も続いた。

やがて、葉が茂って一杯になった。

Cimg2490

それで防虫網を外したら、今度はモンシロチョウが卵を産み付けていく。

これは毎朝見回って、青虫を捕獲する。

さても無農薬は難しいのだが、

それでも苦労の末に、立派な白菜が育ったのだ。エヘン!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月24日 (金)

比べればなお

子供の頃、お袋に「上を見りゃ限りがない。

下を見たって限りがない。それより、自分だよ」って言われた。

Cimg1062

でも人は馬鹿なもので、他人と自分をやたらと比較したがる。

ほんの少し昇進が早かったからって、自尊心を安んじ、

Cimg1153

それが逆なら激しい嫉妬に苛まされる。

所得や才能の多寡ですら嫉妬の対象になる。

Cimg1604

ガキの成績を自慢したりして、

それで、これで勝ったなどと溜飲を下げたりする。

Cimg2075

浅ましいものだが、誰だって人に負けたかぁない。

だからこそ世の中は進歩もするのだが、

Cimg2105

争いの種が尽きないという次第にもなる。

いわんやこれが年配に成ると、この嫉妬は手に負えなくなってくる。

Cimg2160

逆転の機会が減る分、感情の収めようがなくなるのだろう。

ところで、その激しい競争をしてきた団塊の世代があらかた一線を退く。

はて職場から地域へ帰って、桃源郷を築くことが出来るのかどうか。

他人の影などどうでも良かろう。

Cimg2416

そうは思うのだが・・・・。

どうせあの世へは一人で行くんだろう。

そう思えば、みんなで力を合わせられるんだが・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月23日 (木)

快排のすすめ

私達は、日々新陳代謝を繰り返しながら生きている。

新たな素材を食べ物として取り入れ、不要なものを排泄する。

Cimg2335

大便はもとより汗や唾まで、

それらは体を離れた瞬間に汚物になる。

Cimg2360

ところが唯一、汚いと感じない排泄物がある。

それが涙だ。

Cimg2397

涙は単なる悲しみだけでなく、

時には荘厳な感動を伴う場合に湧き出す。

Cimg2225

誠に不思議な排泄物なのだ。

ところで私は結構涙もろくて、感激するとやたらと涙が出る。

Cimg2226

本を読んでも映画を見ても、そしてマラソンでも涙する。

最初に100kmを走った八ヶ岳では、

Cimg2262

ゴールした午後7時はもう真っ暗だった。

煌々とライトに照らされたそのゴールに向かって走るのだが、

Cimg2408

体の痛みは既に忘れ、ただただ涙が溢れて前が見えなかった。

しかし悲しみの涙は、めったに流すことはない。

Cimg2409

涙よりも道理とか必然を優先させるようだ。

ともあれ排泄は、人間に不可欠な整理だ。

ならば、快便・快汗・感涙の人生でありたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月22日 (水)

陽光

今日は冬至だ。

朝の旗振りもすっかり建物の日陰になってしまった。

Cimg2114

背中の陽ざしの温もりもなくなったが、子供達は明日から冬休みだ。

冬の陽ざしは、誠に福音そのものだ。

Cimg2165

小笠山でも、走り終わった後は陽だまりを求めて移動し、

北風を避けながらしばしの日向ぼっこをする。

Cimg2379

汗をかいた後のこの一時は、気分として洋々とする。

その精気は、おそらくこの陽光から受け取っているのだろう。

Cimg2395

そう、私達は太陽の輝きを全身に浴びて覚醒し、

西に日輪が没すると共に休息するのだ。

Cimg2626

太陽の荘厳なる運行は、私たち生きるものの全ての根源なのだ。

この国では、冬になると火を焚く行事があちこちで行われる。

京都八坂の祇園に火縄を求める「おけら詣り」、

Cimg2622

鞍馬や秩父の火祭りなどだ。

陽光の復活を願っての慣わしである。

さて一陽来復、今日を境に陽ざしが少しずつ増していく。

Cimg2407

私の葡萄の木々も新しい芽を成熟させ始める。

そんな事を思いながら、剪定作業に取り掛かっている。

年々歳々、季節の移ろいは心の新陳代謝をも促す。

私も、心に新芽を膨らませねばなるまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月21日 (火)

非真面目

私は、堅物でくそ真面目であり過ぎたと思っている。

馬鹿話をしても、それは何時の間にか堅い話になったり、

Cimg2550

冗談のつもりが真に受けられっちまう事だってあった。

近頃じゃ諦めているが、それでも真面目すぎるのは駄目だと思う。

Cimg2604

それで、非真面目になってやれと考えている。

そもそも真面目とは、建前で生きようとすることではないだろうか?

Cimg2605  

それに、情に流されるようなイメージもある。

対して、不真面目は字面の通りふざけることだ。

Cimg2603

人生、ふざけてたんじゃ仕様があるまい。

それで、敢えて角の立つのもかまわずに情に棹差して生きる。

Cimg2583

実人生は実人生と割り切って、一度限りの自分の人生を探してみる。

家族は不満でも、俺の人生は俺のものでたった一度きりなのだ。

Cimg2580

世の中には色々な事情もあるけれど、

事情に拘りすぎていては何も出来まい。

Cimg2544

真面目ってのは、あてがい扶持で生きることだ。

当然チャレンジなんてしなくなる。

結果、平穏な人生を過ごすことができるだろう。

しかし、それで幸せかどうか? 

むしろ、結果の吉凶を考えて真面目で通すよりも、

少しはやけっぱちで興味本位の方が面白いかもしれない。

人生のドラマに少しだけ脚色したってよかろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月20日 (月)

舞太鼓

いつか沖縄で、エイサーの乱舞に感激したことがある。

それと同じ感激を和太鼓で味わった。

Cimg2602

隆々とした筋肉が正に躍動している。

きびきびとしたその動きの度に、音の波が全身に打ち寄せる。

Cimg2601

時に速く、時にリズミカルに、時には狂ったように。

和太鼓は、集落の寄り合いの合図であったり、

Cimg2600

時には陣太鼓でもあった。

いつもその音によって、私達は何がしかの動きをしてきたのだ。

Cimg2598

そんな遺伝子の記憶が残っているのかもしれない。

しかしその和太鼓も、今では祭り太鼓の他は劇団のものになった。

Cimg2597

世界でも例のないこの和太鼓を伝承するには、他に方法がないのだろう。

その劇団の一つ、奈良に拠点を置く「あすか組」の演奏に接した。

Cimg2596

一糸乱れぬその組太鼓を堪能したのだが、

組長の大五郎氏を除けば、演者はいずれも20代の若者だ。

Cimg2595

良く鍛えられた彼らの体からは汗が飛び散っている。

好きな道と言えばそれまでだが、彼らのその意気を壮としたい。

Cimg2594

人間、人に感動を与えられるんならそれに優るものはあるまい。

戦国の昔は、開戦に当たって戦陣を鼓舞する太鼓もあったろう。

Cimg2593

その打ち手は、果たして武者達だったのかどうか?

その鼓舞に乗って勇躍した人々もいたに違いない。

Cimg2591

和太鼓は、日本人の精神風土に深く根を下ろしていると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月19日 (日)

三風五雨

ふと目にしたこの言葉は、誰の言葉だったろうか。

人生の日々の三割りは風の日、五割は雨の降る日と思えという。

Cimg2624

全くの晴れの日は、残りの二割しかない。

雨風の強い暴風にだって遭遇する。

Cimg2611

その三風五雨の人生を私達はひた走っている。

マラソン大会と同じで、ちゃあ~んと制限時間もある。

Cimg2606

だからと言って焦って走れば、息が上がって途中で落伍しかねない。

ここは雨風を乗り越えて、

Cimg2607

一歩一歩をマイペースで着実に進む他ない。

持ち時間には大きな個人差なんてない。

Cimg2613

たけど、その深さにはかなりの差が出来る。

恐らく、その深さを決めているのが三風五雨なのだ。

Cimg2576

艱難汝を玉にするという訳だ。

つまりは、人生は深く生きてこそ何ぼではないか。

Cimg2571

だから暴風にだってあえて向かっていこう。

結果はやってみてのことだ。

Cimg2570

人生、深く生きられた時間こそが財産だからね。

それに、どうせこの世をおさらばする時ゃこの身一つだ。

人は、前に進むためにこそ走るのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月18日 (土)

忘年ラン

浜名湖半周35kmを走って、今年の走り納めをしよう。

それが今日の趣旨で、

Cimg2609

千葉県や東京も含めて各地から40名の仲間が集まった。

Cimg2610

朝9:30にJR弁天島駅前をスタートして、

Cimg2612

左回りに湖畔をなめるように辿っていく。

Cimg2615

舘山寺からはフェリーで湖西側のハマナコスタに渡る。

今朝は薄氷が張るほど冷えて、西風の強かった。

Cimg2618

浜名湖の東岸には西風で湖水の飛沫が吹き付けていた。

でも寒さなんて、走り出せはどうと言うことはない。

Cimg2619

思えば今年も、随分とあちこちを走ってきた。

一部レースで途中挫折もあったけど、

Cimg2620

それは長い一生にとっては貴重な教訓だろう。

失敗こそが、次の成果を生み出す基だねだからね。

Cimg2623

それもこれも含めて全てが楽しい思い出になっている。

舘山寺には11時には到着、みんなで11:45の船に乗る。

Cimg2625

それがこの師走の船だから、私達仲間の貸切になった。

よく晴れ上がった湖上の風は冷たくて、

Cimg2630

サマーランと打って変わって全員が室内に留まった。

それでもビールを少し頂いて、

Cimg2631

私はすっかり寝込んでしまった。

目が覚めたのは、礫島の近くだ。

Cimg2632

ついでだがこの礫島、琵琶湖の土で富士山を作ったという

あのダイダラボッチが作ったと伝えられる。

モッコを担いで来て湖西の山に腰を下ろして弁当を食べた。

Cimg2633

その弁当に小石が混じっていて、それをフッと吹き飛ばした。

その飛ばされた石がこの礫島なのだそうだ。

ともあれゴールの新居には3時には皆さん到着した。

Cimg2634

それからが、本番の忘年会が始まる。

屈託のない仲間の忘年会は、

Cimg2635

それはそれは晴れ晴れとして、気持ちは外の湖面に広がっていく。

呼びかけ人の萩田さん、今年もお世話になりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月17日 (金)

仮免許の政治主導

「政治主導」の言葉だけはこの一年随分使われた。

だけど、流行語の端にも加わらなかった。

Cimg2301

さも可能であるかのように甘言を世間に振り撒いて、

混迷の世界に引きずり込んだに過ぎなかった。

Cimg2302

やはり、実力の無い政治ごっこ屋のやっかみに過ぎなかったのだ。

それに、あれほど声高だった「無駄削減」も聞こえなくなった。

Cimg2303

いくら叫んでも金が出てこないことが分かったからだ。

普天間は、日米関係の波乱と沖縄の混乱を引き起こした。

Cimg2304

公務員の賃金を減らすとも言ってたが、

賃金削減には人事院勧告が邪魔だから廃止する。

Cimg2353

そうしてスト権を与え、労資折衝で決めるらしい。

しかし、その交渉の方がはるかに困難じゃないの?

Cimg2362

農家の戸別所得補償で小さな農家を守るって宣言してた。

だけどTPPだから大型農家育成に転換するんだって。

Cimg2366

高速道路も全部無料にするはずが、・・・・・・?

起死回生とばかりに諫早湾の開門と言っちゃった。

Cimg2370

それやるんなら、当面の防災対策だけで680億円は必要だ。

さあて、無駄な公共事業と言ってた御仁が新たな公共事業だ。

これって、政治主導の無駄づくりそのものなんじゃない。

Cimg2375

頼みのバラマキもいよいよ底が見えちゃって、

チキンレースになって来た。

年金の国庫負担率も子供手当ての財源も、さあ~て弱ったな~。

要するに秩序を壊しただけで、支離滅裂なのだ。

こんな政治主導は、絶対要らない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月16日 (木)

非日常へのトライ

何事も、初体験というのは緊張を強いられる。

私達は、その緊張を幾つも乗り越えながら今日に至っている。

Cimg1709

そうして何時の間にか、緊張そのものを忌避するようになってくる。

難なく同じリズムで暮したほうが楽だからだ。

Cimg2072

「だって、知らない人達の前で話すのって嫌でしょ!」ってね。

人は、そうやって老化していくんでしょうね。

Cimg2287

老という字を分解すると、「土ノヒ」になる。

仮にこれを土曜日と読めば、「もう休み」になるという次第だ。

Cimg2297

あの日野原さんの様に100歳近くなっても矍鑠としている人は違う。

次々と新たな挑戦をしていく。

Cimg2310

その原動力は一体何かと思うほどだが、やはり好奇心なんだろうな。

非日常も直ぐに日常化していく。

Cimg2356

だから好奇心を持ち続けて次々と発展発展させることが必要だ。

そうして怠けがちな脳みそに、常に新しい情報を送り続けるのだ。

Cimg2380

毎日同じ道を歩くことは止めて、違う道を選ぶ。

そんな些細なことだって、新しい発見に繫がったりする。

Cimg2391

それが未知の国への旅ならもっと良い。

敢えて新しい一歩を踏み出してみよう。

同じ道を歩くな!

Cimg2509

自分を固定せずに化ける事を考えたい。

古い上着を脱ぎ捨ててみよう!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月15日 (水)

哲学の仏教

色即是空 空即是色

最澄や空海の東大寺の時代には、

Cimg2518

仏教は救世主でありその哲学だったろう。

仏教以前の日本の神々は、目に見えない存在だった。

Cimg2535

人々は、自然界の森羅万象を恐れつつ、

心の支えの無いままに不安定な生活を余儀なくされていた。

Cimg2536

それが仏教によって、仏というものが形を伴って顕れてきた。

しかも僧侶の教えは、精神生活のみならず医学にまで及んだ。

Cimg2537

今日の自然・社会科学の役割を仏教が荷っていたのだろう。

当時の仏教は葬儀とは無縁だったし、

Cimg2538

もちろん現在の葬式仏教とは隔世の感がある。

それに東大寺は華厳経の学理研究の大本だった。

Cimg2542

華厳とは「虚妄一心」に尽きるといわれる。

人も世の中も早回しのDVDのように移ろっていく。

Cimg2502

ただその中で、輪廻転生移ろうことの無い心理がある。

所業無常の常住の世界にあって、その心理こそが悟りなのだろう。

Cimg2503

私達は、その哲学の存在を思うからこそ安心していられるのだ。

二月堂のお水取りは、千二百年この方絶えることなく続いている。

Cimg2513

戦国の戦乱も天災をも乗り越えて続けられてきた。

2月20日からほぼ一ヶ月間、昼夜を分かたず

五体倒置や火と水の修法を繰り返すのだ。

Cimg2515

そして若水は、生命を甦生させる聖水である。

そのことの意味を問うても詮無い。

何があっても変わらないもの、だからこそ続けなくてはなるまい。

東大寺南大門には、運慶・快慶の阿形像・吽形像が、

煩悩を打ち砕くという金剛杖を握って立っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月14日 (火)

大仏さんに再会

奈良の東大寺を訪ねた。

大仏さんを見上げるのは、中学校の修学旅行以来だ。

Cimg2522

あの頃は、この国の成り立ちにもさほどの思いも無くて、

ただ巨大な造形物として14mの大仏を見上げたような気がする。

Cimg2520

あれから既に、50年近くの時が流れている。

それでも大仏さんは、微動もせずにそこに鎮座していた。

Cimg2527

変わったのは、そう! 私だけなのだ。

そもそもこの大仏造営は、

Cimg2528

仏教伝来200年を記念する一大国家プロジェクトだった。

平城京の盛期である聖武天皇・光明皇后の時代である。

Cimg2529

おそらく天平人の苦心の結晶だったはずだが、その後二度も焼け落ちている。

一度は治承4年(1180)の平重衡による焼き討ちであり、

Cimg2530

二度目は永禄十年(1567)の松永久秀による兵火だった。

大仏を焼いて何の得も無かろうと思うのだが、

時の勢いというのは何を仕出かすか分からない。

Cimg2531

ともあれ現代の大仏は、江戸時代の元禄5年(1692)に再建されたものだ。

生きることの儚さが、不滅の巨大大仏を作らしめたのだろうか。

その不滅をも破壊した松永久秀は何を考えたのだろうか。

Cimg2532

ただ単に、東大寺の寺領が狙いだったのかどうか?

宇宙的存在である大仏は、

Cimg2517

天下泰平・万民豊楽を願う三世十方の教主である。

その広やかさは、私たちの永遠の願いだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月13日 (月)

人生の成幸

成功の話ではない。

人生の「幸」とはなんじゃいと考えてみたいのだ。

Cimg2382

俗に「平凡に生きられれば、それが幸せよ」などと言う。

しかし平凡が幸せなら、幸せが国中に溢れているはずだ。

Cimg2377

はたまた、ビル・ゲイツのように一代で大富豪になる。

それこそが幸せだという。

Cimg2376

しかしこれまた事業の成功とは裏腹に、

心中に大きな虚無を抱いているのかも知れない。

Cimg2373

一見中睦ましく見える夫婦だって、実は巧妙な演技かもしれない。

人間誰だって、多少は化け続けて自分を創っているからね。

それに幸せは主観的なものだから、

Cimg2371

自分が幸せって思えるか否かが肝心だ。

人間は目標に向かってひた走っている時は、

Cimg2384

例えそれが苦しくても充実しているだろう。

そういう意味では、「成幸」はそのひた走る時間の長さではなかろうか。

Cimg2364

それに人生最大の喜びは、人と人の出合ではないだろうか。

見ず知らずの個性が出会って、

それがお互いに肝胆相照らす関係に成るなんて、

Cimg2363

それは得難い幸せだろう。

かつて私達は、物や経済的な豊かこそ幸せだと思っていた。

だけどそれは、ある水準までのことだった。

物では満たされないものがある。

Cimg2361

つまり私達は、「私の幸せ」を一度見詰める必要があるのだ。

そうして終着駅に着いたとき、自らの成幸を思えばよい。

人生は、その目的は成幸を探すことなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月12日 (日)

阿弥陀が峰

京都は、南側に口を開けてはいるが、

ぐるりと丘陵に囲まれた盆地だ。

Cimg2563

中でも東山は神社仏閣や陵墓が多く、

都の人々の心の置き所でもある峰々だった。

Cimg2566

今年も、その東山三十六峰を走り抜けてきた。

北部の宝ヶ池から走り始めて大文字山へ、

Cimg2567

右下に京都市街を見下ろしながら阿弥陀が峰へ、

そして最後は将軍塚から伏見に抜けるのである。

Cimg2568

宝ヶ池の近くの町家を抜けると、

その後は山の尾根や谷をずっと走っていく。

Cimg2569

途中で朝鮮学校や銀閣寺の傍らを抜け、

東山トレイルコースを辿るのだ。

Cimg2572

殊に大文字山までの登りがきついのだが、

Cimg2574

そこから見下ろす眺望は千年を見晴るかすかのようである。

この山頂からは林間のそま道を辿るのだが、

Cimg2577

分厚く積もった落ち葉が白く眩しい。

やがて阿弥陀が峰にいたる。

Cimg2578

そう、ここは豊臣秀吉が気に入って、

自分が死んだらここに葬るべしと遺言していた。

Cimg2579

慶長三年8月18日、

大阪城の奥から密かに運び出された彼の遺骸は、

この阿弥陀が峰に運ばれて、ほんの数人で密かに埋葬されたのだ。

今、その阿弥陀が峰の山裾には、

Cimg2582

正室の寧々が晩年を送った高台寺がある。

まさに「露と落ち 露と消えにし 我が身かな

難波の露も 夢のまた夢」かな!

Cimg2581

京都は、私たちの歴史の故郷でもある。

秀吉が京都を慕ったように、

日本人には大なり小なりの思い入れがある。

Cimg2586

毎年、この峰々を走りながら、その古に思いをはせている。

時に、時空を超えて東山の空を飛んでいるのだ。

伏見稲荷まで4時間16分の旅であった。

ともあれ、みんなで乾杯してこの一日を締めくくった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月11日 (土)

ああ舞台芸術

静岡県には、専属の劇団と劇場が在る。

自治体の劇団は諸外国では珍しくない。

Cimg2459

だがこの日本ではオーケストラはあっても、

劇団は静岡の他に一例あるだけだ。

つまり税金で文化を育てるという感覚に乏しい。

静岡の劇団は、世界的に著名なSPACだ。

Cimg2138

日本平の中腹の稽古場で独特の舞台芸術を育んでいる。

演劇のレベルは世界有数なのだが、

TVの軽いトーク番組などに馴らされた我々には、

彼らの舞台を相当に重々しく感じてしまうようだ。

Cimg2340

先日「しんしゃく源氏物語」の一幕を観せていただいた。

光源氏の惚れた唯一の不美人・末摘花の物語だ。

ひたむきに光源氏を待ち焦がれる末摘花の儚さが際立つ。

不器用で醜い姫ゆえの一途な夢、

Cimg2341

そして日々の生活における現実が描かれていく。

或いは、末摘花は紫式部の分身なのかもしれない。

ともあれ、私達の日々の心の一部を覗くような気にもなる。

Cimg2354

そして、なるほど演劇とはこういうものなのだと納得させられる。

それでSPACは、中高生を対象に公開講演をやっている。

既にこの「しんしゃく源氏物語」を数万人の学生が観ている。

Cimg2359

TV演技に馴らされた彼らは、果たしてどう受け止めているのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月10日 (金)

息白し

今朝は、少し冬らしくなった。

子供達を待って街頭に立ちながら、

Cimg2497

朝の冷気に広がる自分の白い息を新鮮に感じた。

リンと澄んだ冷気は、気持ちまですっきりとさせてくれる。

Cimg2499

遠望すれば、富士山の輪郭も白くすっきりとしている。

田圃の稲株の二番穂は寒さに震えている。

Cimg2498

だけど80人の子供達は、今日も元気だ。

先日の防災訓練会場で、

Cimg2500

「アッ、旗振りのおじさんだッ」と叫んだお嬢さんもいる。

修学旅行も合宿訓練も終わって、そう!もう直ぐ冬休みなのだ。

Cimg2504

子供達を見送るようになってから、そろそろ一年になろうとしている。

頼りなげだった一年生も、スッスッと歩くようになった。

Cimg2496

六年生は、もう中学生の顔になっている。

あにはからんや私は、少しも進歩してはいない。

そう、彼らの一年は私の数倍の速さなのだ。

Cimg2505

しこうして、この日 この空の下に この私がいる。

「子供らの 元気な顔に 息白し」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 9日 (木)

多文化の国へ

私の住む町には、7,000人ほどの外国人が住んでいる。

リーマン以降、

Cimg2332

3,000人位が帰国したり仕事を求めて他所へ移っていった。

かつての彼らは、出稼ぎ者に徹していた。

とにかく昼も夜も働いて、稼ぐだけ稼いだら帰国するつもりだった。

Cimg2331

だから日本語も覚えようとしないし、地域との交流も絶ってきた。

人材派遣業が、そういう生活を組み立てたのだ。

余分なことを覚えない方が、派兼業からすれば好都合だったのだ。

Cimg2330

だから生活習慣の違いとも相俟って、色々とトラブルも起こしてきた。

文句を言っても、分かっているのかすら定かでなかった。

正直なところ、地域では持て余していたのではないか。

Cimg2329

ところがリーマンショツクで多くの外国人が仕事を失った。

そこで彼らは大きく認識を改めるようになった。

日本語を覚え、この国に定住しようという流れだ。

Cimg2328

もちろん彼らの子供達のことも背景にある。

言葉の通じない彼らとは交流の余地も無かったが、

いくら国際性の乏しい日本人でも、

Cimg2327

会話の出来る相手なら臆することは無くなるだろう。

大いに胸襟を開こうではないか。

Cimg2326

とは言え、多文化共生の動きはまだまだ始まったばかりである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 8日 (水)

マイタリマイタリ

はて、どんな意味なのか経文にして不明である。

江戸の昔から、村には「庚申様」と呼ばれる行事がある。

Cimg2472

今では年に数回、公会堂に組内の人々が集まって宴を張るのだが、

私の子供の頃までは、毎月開催されていたような気がする。

当時は公会堂は無かったから、お膳一式が各戸を巡ってきた。

当番になった家は大変で、朝から芋や魚を煮て準備する。

Cimg2471

暗くなる頃には家中の襖を取り払って宴が始まる。

当然ながら、組内でも貧富の差があったし家族構成も違う。

そんな事はお構い無しで庚申様は回ってきた。

その庚申様のお陰で、その家の嫁さんやら子供まで全部分かった。

Cimg2473

だから近所の子供が悪さをすれば、「こらッ」と叱るのも当然だった。

公会堂で開くようになって、寄り合いの延長になってしまったようだ。

プライバシーとやらが幅を利かせて、

今では隣人を玄関から上げることすら稀だ。

Cimg2474

個人情報保護法まで作っているが、その保護と孤独は裏腹なのだ。

結果として村も「我、関せず」が普通になってしまった。

庚申様のはじめに、和尚さんが般若心経他を読経する。

その経の最後に「マイタリマイタリ庚申会」の文言が来る。

Cimg2477

経の後に、庚申様に向かって二礼二拍一礼して、お供えのご飯を押し頂く。

それからみんなで乾杯となる習わしだ。

さて独断だが、マイタリとは「播いたり」ではなかろうか?

人と人の間に和の種を播くのだ。

Cimg2311

そう思えば、庚申様もありがたくなる。

どうせ人は、つながりの中で生きて死んでゆくんだからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 7日 (火)

無縁社会

便利さと裏腹にへんてこな時世になったものだと思う。

確かに百人百様の価値観があって、

Cimg2462

中国での様なデモはこの国では成立しない。

結婚もせず一人で暮す人も多い。

Cimg2463

近所にコンビニさえ在れば、誰とも話すことなく生活できる。

一方で、若い母親や老人の孤独は悲劇的ですらある。

Cimg2464

それなのに老人会も青年団も婦人会も、どんどん解散してしまう。

勝手放題し確かに自由だが、際限の無い孤独社会へと入ってしまう。

Cimg2465

まさに地域コミュニティの崩壊だ。

その昔、村八分というのは究極のイジメだった。

Cimg2466

それが今では、十分が十分が無くたってどうということも無い。

つまり火事は消防署、葬式は葬儀屋がやってくれる。

Cimg2467

元服(成人式)も結婚も出産も、村とはお構いなしの事になった。

病気になれば救急車、住宅だって茅を葺き替える訳じゃない。

年季法要も旅行も勝手にやればよい。

Cimg2468

となると村(地域社会)何ぞ二お世話になる必要が無い。

只一つ残った一分が、災害時の助け合いだ。

地震や風水害では、地域で助け合うしか仕方が無くなる。

巨大地震ともなれば、外からの救援には相当の時間がかかるだろう。

近所の助け合いが無い限り、支社は限りなく増えるだろう。

Cimg2470

そのいざという時の為に、防災やら防犯、地域福祉で最低限のコミュニティは保ちたい。

望むらくは、新しい村(地域社会)を構築したいものだ。

そんな事を、メダカの学校で考えていた。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年12月 6日 (月)

防災訓練の吐息

過去500年を遡ると、1498年の明応地震から、

慶長、宝永、安政と5度の大地震がこの地域を襲っている。

Cimg2479

そして直近が昭和19年(1944)の東南海地震だ。

つまり100年に一度の割で災害がやってくることになる。

その東南海地震から数えても、もう70年近くが経過している。

Cimg2480

それに東海地震は、1954年の安政地震以降沈黙したままだ。

駿河湾を震源とする巨大地震は、既に150年以上も起こっていない。

地震に限ってもう止めたなんてことはない筈だから、

Cimg2481

恐らくもう直に起こるのだろう。

昨日、例年のように防災訓練が行われた。

私の地区でも250名余が参加して、避難所運営などの訓練をやった。

Cimg2482

しかしながら、またしても工夫の余地が無かったかと溜息が出る。

訓練への参加自体が訓練なのだが、

それだけでは大地震への備えには不十分だ。

Cimg2483

水も電気も長期間止まるだろうから、

避難生活を想定してという訳だが、俄かにはその気になれない。

三角巾の使い方だって、直ぐに忘れてしまう。

Cimg2484

来年の訓練では、阪神・淡路地震の記録映画でも見たほうが良いか?

とにかく工夫が必要だが、地域防災会の無力化が甚だしい。  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 5日 (日)

落ち葉

週末の小笠山にも街の並木道にも、枯葉が絶え間なく降っている。

山のそま道には落ち葉が重なって、走るとサッサッと音がする。

Cimg2325

歩道の縁石にも、風に吹き寄せられて積もっている。

彼らは一年の活動を終え、次に備える腐植になっていく。

Cimg2437

もちろん落ち葉の影を棲みかにする生き物も数多い。

この植物の営みが、多様な生態系を育んでいるのだ。

Cimg2436

否、生態系だけではあるまい。

年々歳々、文学や絵画、

Cimg2369

そして私達の精神にも大きな気を送っている。

メリハリのある日本の四季は、世界でも希だといわれる。

Cimg2247

低緯度に住む人々は、年中暑さの中で暮している。

ロシアや北欧の夏は、ほんの僅かな期間でしかない。

Cimg2438

寒さに絶える暮らしが大半なのだ。

乾燥地帯の一年は、私たちの想像しがたい土色の世界だ。

Cimg2365

緑に囲まれて、しかも落葉樹から常緑樹へと刻々と景色を変えていく。

そんな環境が131種類もの日本列島固有種を育んできた。

Cimg2336

私達は、この世界有数の固有種と共に生きているのだ。

そしてこの落ち葉は、やがて来春の新緑へと生き返る。

Cimg2308

これを豊かと言わずして何と言おうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年12月 4日 (土)

四季新鮮

今夜は、この国の自然と食について書こう。

この日本列島はアジアのモンスーン気候の中にあって、

Cimg2458

四季が鮮明で水にも恵まれた森と泉の国だ。

それに寒流と暖流の交わる海もあって、

Cimg2451

古くから稲作漁労文明を育んできた。

私達は、世界でも稀有な豊かな自然に恵まれていることに、

案外気付いていない。

Cimg2452

世界の70億の人達の多くは、

暑かったり寒かったり、或いは乾燥地だったり、

Cimg2448

相当に過酷な環境下で生きているのだ。

しかるにこの日本には、願っても無い環境がある。

Cimg2450

ことに静岡県は恵まれている。

だから産出される特産品も多くて、

Cimg2453

様々な野菜類を始めサクラエビや金目タイなどの海産物、

メロンやお茶など全国一のバラエティーを見せている。

Cimg2454

その食の素材は、これまでは大抵が大消費地向けに送られていた。

そいつをもっと静岡の地で食べてもらおう。

Cimg2455

そうして大都市の人々に静岡に来てもらおう。

その演出者が、先日静岡県から選ばれた「食の都づくり仕事人」だ。

選ばれた200人の料理人は、

Cimg2456

みんな地元の食材を上手く生かしている。

私も、その仕事人の技の幾つかを堪能させていただいた。

ともあれこの試みは、これからの成熟社会ならではのものだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 3日 (金)

仲間の忘年会

もうはや忘年会の季節である。

それで今年も、走る仲間(小笠山RC)の忘年会が開かれた。

Cimg2424

毎週顔を合わせ、共に汗をかいている仲間だ。

Cimg2425

それに付き合いだって20年近くになっているから、

まさに気の置けない飲み会になる。

Cimg2426

話題は、専らこれから挑戦するレースと失敗談だ。

活の失敗を生かして、

Cimg2427

次のレースでお互いに競い合う前向きな話だ。

忘年会にも職場の懇親やらコミュニティやらと色々あるが、

Cimg2428

自ずと自分の立位置があって、そんなに自由にはなれない。

Cimg2429

ところがこの走る仲間には、そんな面倒な仕切りは一切無い。

速いか遅いかも関係ない。

Cimg2431

如何に楽しんで自分に挑戦するかだけなのだ。

と言う訳で、飲み会は深夜に及ぶのだ。

Cimg2433

さて来年だが、

私は2つの100kmレースを完走せずはなるまい。

Cimg2434

そのためには今から周到なステップアップが必要になる。

年明けから徐々に走行距離を伸ばして、

Cimg2432

4月には月間400kmに持っていきたい。

ただ問題なのは、次々と出てくる物理的障害だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 2日 (木)

遠州の小京都

小国神社や森の石松の大洞院、治郎柿の原産地で知られる森町。

かつては瓦や鋳物、焼物の町でもあった。

Cimg2440

それに太田川上流部からの通行などもあった頃は、

蔵や寺社が立ち並ぶ小京都を思わせる風情を漂わせていた。

Cimg2441

しかし時代の風は容赦なく吹き付ける。

かつての商店街はさびれ、

Cimg2446

小京都の誇りの故に市町合併にも失敗した。

その町で今、「蔵と町並美術展」が開かれている。

Cimg2442

文芸大学などと連携して、

古い町並みと蔵を舞台に町を見直そうというのだ。

Cimg2443

今回も秋の一時をゆったり過ごす人々が三々五々楽しんでいた。

揚げたてのコロッケや甘酒を頂いて、新鮮なレタスを買って・・・。

Cimg2445

その半ばで一つの土蔵に足を踏み入れた。

蔵の中には小さな梵鐘一つと古文書が並んでいた。

何の展示かと眺めると、

Cimg2444

江戸時代の鋳物師の元締め金谷七郎左兵衛に関するものだった。

彼は天正15年に、家康から遠州駿河一円の鋳物師の

総元締めとしての朱印状を貰っている。

Cimg2447

149人の鋳物工を束ねる朱印状が、その蔵に展示されていた。

そしてその隣の古文書を見て驚いた。

そこには、京都の方広寺の梵鐘を鋳造したとあるではないか。

あの鐘銘事件のもとになった梵鐘である。

家康は梵鐘に刻まれた文言のうちの「国家安康」に難癖を付け、

大阪冬の陣へと強引に誘導し、とうとう豊臣家を滅ぼしてしまう。

その鐘は、実はこの森町で鋳造されていたのだ。

京の方広寺には、今日でもこの鐘が保存されている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 1日 (水)

スカイツリー

東京のスカイツリーが、今日で511mまで伸びた。

634mまではまだ少し間があるが、随分広範囲から臨むことが出来る。

Cimg2419

中でも浅草からの眺めは、時間や空間の落差が加わって面白い。

仲見世の雑踏の中からふと見上げるとツリーの先端が見えるし、

Cimg2418

浅草橋からの眺望もなかなかのものだ。

ビール会社の金斗雲のような泡の象形とも併せ、

Cimg2414

その景色を求めて多くの人々が集まってきていた。

私達人類は、より遠くへ・より高く・より速く・より大きくと、

Cimg2404

その人間活動の領域を広げてきた。

中でも「鳥と馬鹿は高い所が・・」と言われながらも、

Cimg2415

高さは人々の夢ではなかったか。

だから高山の頂は神の領域とされたし、

Cimg2389

教会には尖塔を高く聳えさせて来た。

かつて私達は、アメリカのエンパイアステートビルに羨望の眼差しを向けた。

Cimg2385

彼の国の高度な技術と繁栄の象徴でもあったからだ。

ライト兄弟にしても江戸時代の鳥人浮田幸吉も、

高所を鳥のように飛ぶことを夢見た。

Cimg2383

言うまでもなくこのスカイツリーは、電波塔として世界一の高さになる。

建造物としてもブルジュ・ハリファの828mに次ぐ高さだ。

あの女仕分け人が「何故、世界一でなくっちゃならないのか」と詰問したが、

そりゃ「何故、金メダルでなきゃ駄目なの?」と同義だ。

東京は、またも新たな名所を作った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »