シルクロードを走った男
冒険は、人間の本性に根ざすものらしい。
オギャーと生まれてこの方、誰だって冒険を続けてきている。
初めての小学校や入学試験、就職にしても、
ドキドキと、大なり小なり新しい挑戦だったはずだ。
勿論仕事や日常生活でもそんな要素には始終遭遇するはずだ。
そうして冒険が少なくなると言うことが、言うならば老化と言うことか?
掛川の景山淳さんは、8年間かけてシルクロードの、
14,471kmを自転車で走りきった。
トルコからイランへ、そしてアフガン、タクラマカン砂漠を越えて、
はるばると北京に到着したのが昨年の夏だった。
アフガンに入った頃はアメリカのタリバン攻略の直後だった。
最大の問題は命の保証なのだが、
結局あれこれとアフガン通過に3年を要している。
普通の人間ならこの危険地帯を避けようとするのだが、
登山家でもある彼の冒険精神はそれを許さなかった。
気温が55度もあるような乾燥地帯から崑崙山脈の低温地帯も抜け、
北京で待つ仲間達の前に無事な姿を現したのだ。
彼にとってのこの8年の歳月は、
休日も返上で仕事に打ち込み、年に数ヶ月の休暇をとり、
シルクロードに戻ることで費やされてきた。
当然ながら現地の言葉を覚え、マルコの辿った道を探し、
登山活動時代の各国の友人とのコンタクトも怠らなかった。
どんな障害でさえ乗り越えて目的を達成する。
そして彼が手にしたものは、実に大きな人生の自信なのだ。
ちなみに東方見聞録で知られるマルコ・ポーロは、
1271年にベニスを発ってトルコを通り、
上都に1275年に到着、フビライ・ハーンに謁見している。
当時は馬か徒歩だったろうが、途中病気をしたりして5年を要しているのだ。
彼の東方見聞録は、ヨーロッパにアジアと言うものを知らしめた。
後の大航海時代への足ががりを提供したともいえる。
しかし見聞録は彼が書いたものではない。
牢獄でマルコの語った内容を記録したものなのだ。
だがその内容は魅惑的であると同時に実に正確な紀行だった。
その記録に魅せられた男が、景山淳さんなのだ。
それに彼が最後に中国に入って見たもの、
それは数万機の風力発電のプロペラの群れ、
150機以上の原子力発電施設が同時に建設されつつあること。
そうした驀進する中国内陸部の鼓動だった。
彼の話を伺いながら、
冒険には人間の心を揺さぶるような限りない魅力があると思った。
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