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2011年1月30日 (日)

シルクロードを走った男

冒険は、人間の本性に根ざすものらしい。

オギャーと生まれてこの方、誰だって冒険を続けてきている。

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初めての小学校や入学試験、就職にしても、

ドキドキと、大なり小なり新しい挑戦だったはずだ。

勿論仕事や日常生活でもそんな要素には始終遭遇するはずだ。

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そうして冒険が少なくなると言うことが、言うならば老化と言うことか?

掛川の景山淳さんは、8年間かけてシルクロードの、

14,471kmを自転車で走りきった。

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トルコからイランへ、そしてアフガン、タクラマカン砂漠を越えて、

はるばると北京に到着したのが昨年の夏だった。

アフガンに入った頃はアメリカのタリバン攻略の直後だった。

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最大の問題は命の保証なのだが、

結局あれこれとアフガン通過に3年を要している。

普通の人間ならこの危険地帯を避けようとするのだが、

登山家でもある彼の冒険精神はそれを許さなかった。

気温が55度もあるような乾燥地帯から崑崙山脈の低温地帯も抜け、

北京で待つ仲間達の前に無事な姿を現したのだ。

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彼にとってのこの8年の歳月は、

休日も返上で仕事に打ち込み、年に数ヶ月の休暇をとり、

シルクロードに戻ることで費やされてきた。

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当然ながら現地の言葉を覚え、マルコの辿った道を探し、

登山活動時代の各国の友人とのコンタクトも怠らなかった。

どんな障害でさえ乗り越えて目的を達成する。

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そして彼が手にしたものは、実に大きな人生の自信なのだ。

ちなみに東方見聞録で知られるマルコ・ポーロは、

1271年にベニスを発ってトルコを通り、

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上都に1275年に到着、フビライ・ハーンに謁見している。

当時は馬か徒歩だったろうが、途中病気をしたりして5年を要しているのだ。

彼の東方見聞録は、ヨーロッパにアジアと言うものを知らしめた。

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後の大航海時代への足ががりを提供したともいえる。

しかし見聞録は彼が書いたものではない。

牢獄でマルコの語った内容を記録したものなのだ。

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だがその内容は魅惑的であると同時に実に正確な紀行だった。

その記録に魅せられた男が、景山淳さんなのだ。

それに彼が最後に中国に入って見たもの、

それは数万機の風力発電のプロペラの群れ、

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150機以上の原子力発電施設が同時に建設されつつあること。

そうした驀進する中国内陸部の鼓動だった。

彼の話を伺いながら、

冒険には人間の心を揺さぶるような限りない魅力があると思った。

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