城
人は石垣 人は城
城郭を見上げる度に、武田節のそんな一節を思い出す。
事実、城は形でしかあるまい。
武田節に歌われたように、信玄はさほど堅牢な城郭を築かなかったが、
中世における城郭は勿論重要な戦略拠点だった。
私達は、その城郭を単なる歴史遺産ではなく、
人の生き様を象徴する建造物として見ている様だ。
掛川城は、山内一豊の城だったことがある。
そして彼は、関ヶ原決戦を前にしてこの城地を投げ出すことで、
土佐24万石をゲットするのである。
言うならば、一生一代のゴマすりであった。
その城地献上の一言が、諸将を一気に東軍に加担させることになった。
歴史の転換点に大きな役割を果たしたのだ。
どうせゴマをするなら、徹底して擦れと言うことだろうか。
城に魅せられた男もいた。
バイエルンの王、ルートビッヒ二世だ。
彼は1886年に、あのノイシュバンシュタイン城を完成させている。
飛行機の飛ぶ19世紀に、
あの壮麗稀代の城を築いたのだ。
そして今、バイエルンの一大観光地として世界中の人々を引きつけてもいる。
ルートビッヒの浪費と夢想が、後世に意外なミュージアムを提供したのだ。
掛川城も篤志家と市民の寄付によって建設された。
そして今、この街のヘソになっている。
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