待つこと
当てがあって待つのは、それは実に楽しいことだ。
葡萄の剪定を終えて、切り落とした枝やら落葉を片付けている。
やがて温室の中を綺麗に掃き清めて、
新芽の膨らむのをジッと待つのだ。
と言っても毎朝見回って、その兆しを探しているのだから、
ジッとは、気分としてのジッとなのだ。
そうして彼らの微かな動きが見えると、その芽生えがもう楽しくてたまらない。
旅行計画や遠来の客を待つのも同じだ。
その日の為にあれこれと準備してジッと待つ.
その待つと言う感覚が精神の機微として何ともいえない。
若い頃、果たして私はこんなに気長だったのかどうか?
思えば、仕事上で困った出来事にアタフタばかりしてきたような気がする。
それが何時の頃からか、時を待つことを覚えた。
すると解決が困難と思われた事態も、
不思議なことに自然と打開の糸口が見えてくるのだ。
仮に諍いが起こったとしても、
後になってみれば、何故あんなに怒ったのかと思われるはずだ。
焦ったりいらだったりすることの多い毎日なのだが、
実は人生の極意は、楽しく待つことこそ要諦なのではないか。
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コメント
本格的な大きなハウスですね。羨ましい。
土を作り、作物を育てる事は地味ですが、楽しみがありますね。成長を思い浮かべ、苗を植え手入れをする。花が咲けば、お礼肥、葉が出ればお礼肥…等と言ったりして木々は手入れしたりしますよね。成長を見るのは、わくわくします。木々の成長を待つのは、家族を作り出し育て行くのと似てる気がします。。躾る、誉める、意見を言う、待つ、耐える、感謝する、導く。信じる。心配する。地味地で手間も居る。
…共通点…『育てる心』…
山草人さんには、楽しみ一杯ですね。
投稿: ひろ | 2011年1月27日 (木) 23時00分