龍馬の死
坂本龍馬が幕末の歴史に参加していくのは、
沢村惣之丞と共に朽木峠を越えて脱藩したのは28歳の時だ。
それから33歳で中岡慎太郎と共に刺客に殺されるまで6年間に過ぎない。
如何に時代の回転が速かったとは言え、
交通通信の限られた江戸時代である。
攘夷が時代のエネルギーであった中で、
この国の本当の未来を考えていた数少ない一人だろう。
しかし、その志も幕末の権力闘争の中で終焉を迎える。
京都近江屋の二階に二人を襲ったのは誰なのか。
薩摩説、新撰組説、見回組説など諸説あるが、
いずれにしても、龍馬はこの日から忘れられる存在だった。
それが日露戦争の最中、
バルチック艦隊の来航を前にした不安と共にこの世に再来する。
明治皇后の夢枕に立って連合艦隊の勝利を予告したと言うのだ。
恐らくは薩長閥の跋扈する政界への土佐の政略だったろう。
桂浜を望む高台に坂本龍馬記念館がある。
龍馬の姉の乙女宛の書簡などが豊富に展示されていて面白い。
「そもそも人間の一生などは分からないのが当然で・・
・・・私などは運が強くて、死ぬような場所に行っても死なない。
・・ですから、四十歳になる頃までは、
国のため、天下のために力を尽くします。」
「大きい仕事をする者は、時期を見てやることだ。
腫れ物も十分腫れるまで待たないと膿は出てきません。・・」などと書いている。
その記念館に、龍馬終焉の近江屋の部屋が復元されている。
そこには血痕の付着した屏風もある。
この部屋に座って、昨今のTPP=偽開国騒動を思った。
誰の扇動かは知らないが、付和雷同の人達がいる。
龍馬なら今日の馬鹿騒ぎを、慎太郎にどう語りかけているだろうか。
やはり大政奉還かな?
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