« 正義漢ぶる | トップページ | 男の孤高 »

2011年2月22日 (火)

頭の低き稲穂かな

「稔るほど 頭の低き 稲穂かな」

小さい頃から母親に聞かされてきた言葉だ。

Cimg2989

確かに稲穂は、隆々と稔に従ってその重さで穂首をたれる。

私の住む所は水田地帯だから、まことに説得力があった。

それで虚勢を張って威張る御仁と出会う度に、

Cimg3081

何時もこの言葉を噛み締める癖がついている。

そう、私の一番嫌いな人間が、その威張る奴なのだ。

威張る奴と言うのは、自分が中心でないと我慢の出来ない人間だ。

Cimg3082

中味が空っぽの癖に人の話を聞こうとする姿勢がない。

つまり成長しない人間ということだろう。

困ったことに、この手の人間が企業にも地域社会にもいる。

Cimg3136

つまらないことで自己主張して譲ることがない。

現役時代にも、そして今もそんな輩とすれ違うのだが、

幸いにも上司に戴いたことはない。

Cimg3137

仮にそんな上司と酒など飲んだら、そりゃ悲劇だね。

もっとも、その手の傲慢な人間は当然誰からも嫌われる訳で、

企業組織の中で出世など出来るはずも無い。

Cimg3138

ところが裏腹に、その腹いせなのか地域には色々な人が居る。

威張るってのは、その頭の軽さを見せて歩くようなものだ。

それが人間の哀しいところで、自分じゃ分からない。

皆さん、私も含めて稔りそこないな部分は隠しておきましょうよ!

|

« 正義漢ぶる | トップページ | 男の孤高 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

私も母親らから良く言われました。
出来の良い人ほど、頭が低いものだと言われたものです。
 見てみなさい。実りのよい稲穂程、垂れるものだと・・・。
 自分で身の回りの全てを行う事などあり得ない。他人様力がいる。
 上に立つ人ほど、頭は低いとものだと良く言われたものです。

 父からは、人の上に立ったらお願いする気持ちで、人を動かせと言われた。
 一人で大きな仕事は出来ない。
力を借り無ければ成らない。
 だからお願いする気持ちで人を動かせと・・・。

 リーダーに成るには、夢がいる。
やがて回りが憧れるような夢・・・。

 夢を人に伝えて行く事がリーダーシップの始まりだと・・・習いました。

 だから頭は、低くていい。
皆が自然と動くから・・。

投稿: ひろ | 2011年2月22日 (火) 21時40分

「夢を伝える」って、それが出来ればすごいね。そりゃぁ、若々しい感性を持ち続けていないと、出来ないな。

 それに自分の生きてる様が、その夢につながっていかないと、口先(近頃の政府のように)人間になっちゃうしね。

 走る世界だって、一つの夢の実現だよね。生きる表現形だ。

 人それぞれに色々な世界を切り開いて、そこに夢を作っていく。それが何時の日か、リーダーシップになるのかもしれないな。有難う。
            山草人

投稿: 山草人 | 2011年2月23日 (水) 22時59分

 「稔るほど 頭の低き 稲穂かな」と言われれば、日本人の私は、何となく成程と思ってしまう。
 それでも、山草人さんと、ひろさんの見方は、随分と違って見える。
 ひろさんの見方は自制的なのに対して、山草人さんの見方は他人評価基準に見える。
 私には、ひろさんの見方に同感で、ひろさんの見方が「親が子に教えたい(話したい)こと」のように思えてならない。山草人さんの見方は、正直言って冷たく感じる。

 nogaさんと寺島真一さんの文章を思い出して、「稔るほど 頭の低き 稲穂かな」を読むと不思議な気持になる。
 これを欧米人に話したら通じるのであろうか? 疑問になってくるから不思議だ。nogaさんのお蔭で知恵がついた気分になってきて嬉しい。

 「稔るほど 頭の低き 稲穂かな」で言いたいことは「人は誠実かつ謙虚であるべき。」という規範と思う。これならば、欧米人も納得して、「日本には良い規範が行き渡っている」と評価されよう。しかし、「深くオジギすることが礼儀」であるから、といって「稲穂を人の頭に置き換える」センスには、笑い飛ばされてしまいそうである。

 何故、「人は誠実かつ謙虚であるべき。」と簡潔に諭さないのであろうか?!
 逆に、「稔るほど 頭の低き 稲穂かな」は、「(稲穂のように)心にも無く頭が低いだけ、でも良い」ことになりかねない。そして残念ながら、「後から陰でせせら笑う風景」も散見する。
 欧米人が、このような裏表の風景を見れば、「日本人を理解できなくなるのは当然」であろう。

 ここまで考え、やはり思う。nogaさんのコメントで、私も知恵がついたもので感謝したい。

 山草人さんは、傲慢な人が嫌いのようである。「そう、私の一番嫌いな人間が、その威張る奴なのだ。威張る奴と言うのは、自分が中心でないと我慢の出来ない人間だ。」と言っているからだ。
 私とて、傲慢な人が好きなわけではない。しかし、色々な意味で陰口を叩かれている人の名を聞くと、直接にその人と話して確認したくなる癖がある。その経験から言うと、「個人として会ってみれば、(傲慢であっても)夫々の良さや色々と教わることが多い」ものだった。
 この経験から、傲慢だけで人を毛嫌いして会わないのは、個々人が社会的視野を広げる点で機会損失が大きく、避けるべきと考えている。

 さらに、自説だが、「性格の近い者がお互いを毛嫌いする傾向がある」とも推察している。
 例えば、「極左は極右に通ず」と言われている。学生時代に極左のボスであった者が、社会人になって右翼の大物になっていくケースである。古くは田中清玄がいた。(近くは渡辺恒夫と思っている。) 「極左は極右と激突し、相手を徹底的に非難する」が、元々は「その集団で格好良くボスになりたいだけという権力欲で共通する者」だと納得できる。 だから、お互いに嫌な面が見え過ぎるのであろう。
 だいたい(公でない個人の場で)、興味の持ち方が異なる時には、お互いに干渉・批判しないし、できないものではなかろうか。

投稿: 米山 | 2011年3月 3日 (木) 07時54分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 頭の低き稲穂かな:

« 正義漢ぶる | トップページ | 男の孤高 »