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2011年2月15日 (火)

三度笠

TVが一般に普及したのは東京オリンピックからだ。

それ以前のメディアは専らラジオで、

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しきりにあの独特の節回しの浪曲が流れていた。

だから広沢虎造の名調子が今でも耳に残っている。

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「旅ィ~行けばァ~ァ、駿河の道に~ィ、茶の香りィ~、街道一の・・」

「飲みねぇ、食いねぇ、江戸っ子だってねぇ・・」ってな具合だ。

そう、清水次郎長とその第一の子分大政、そして石松は、

今日のTVのアンパンマンに匹敵する存在だった。

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それで先日、清水の次郎長の旧家に忽然と大政が現れた。

「おひけぇなすって、憚りながら拙者生まれは愛知県は桶狭間・・」

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と名乗る。

三度笠に雨合羽を翻して、清水から日本平、

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そして久能から清水港へと走るのだ。

大政を追いかけながら思った。

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こりゃぁ、この格好で日本平マラソンを走ったら受けるぞってことだ。

ともあれ次郎長はヤクザの親分だったが、

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山岡鉄舟との付合いが始まってから足を洗った。

それからと言うもの、

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慈善事業やら茶園開墾やらと随分罪滅ぼしをした。

戊辰戦争の折、

駿河沖で沈没した幕艦の水死者を埋葬したのも次郎長だ。

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浪曲と言う日本の文化は、既に過去のものになりつつある。

それと同時に次郎長も忘れられつつあるのだが、

山岡と西郷隆盛の会談にも、

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白蝶はヤクザなりのなかなかの働きをしている。

そう! 官軍に追われていた鉄舟を清水港に出迎え、

大勢の子分ともども、

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駿府に駐留していた西郷のもとに導いたのは次郎長だ。

彼ら一家の幕末ドラマは、決して古くはないと思うのだ。

来年の清水マラニックは、28名揃いの三度笠で走ろうか!

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コメント

 山草人様、確かに次郎長は、清水の為に良き行いもして居ますが、凄いヤクザです。
 沢山の人殺しもしている。
その道の者には、怖がられていた。
見方も多いが敵も多い。


 でも立派な町人として生まれ育ちも良かったと聞きますが、何故にヤクザな道に入ったのでしようね。
 養父は海運業を営む家柄、気の荒い父親だった事でしょう。想像ですが・・。
 でも彼は、気付いたのでしょう。
『義を見てせざるは勇無きなり』・・・。

 やはり、博徒の世界にも幕末は、孔子様の登場だったのでしょう。
 でも大事な教えを捻じ曲げちゃってますが・・。

 今と成っては、浪曲やテレビや映画でヒーローに成っていた時代もありました。
 私も子供の頃憧れました。
 博徒の旅烏・・渡世人・・。

 清水いいとこマラニックを 来年28人衆で走ったら絶対新聞ネタに成りそうです兄様・・。
 

 出来たら私は、森の石松やりたいですが・・。
 ホントに出来たら凄い!!
ゴミ拾いでもしながら走らねば!!

 あ~マラニック名前から変えなきゃ

投稿: ひろ | 2011年2月15日 (火) 22時42分

来年の清水マラニックは、28名揃いの三度笠で走ろうか!

面白そう・・・
やってみましょうか。

名前は???
清水いいとこマラニックin次郎長
清水次郎長マラニック・・・とか

ご協力をお願いします。

投稿: ヒロボー | 2011年2月16日 (水) 00時18分

 次郎長一家の最盛期には、子分が1,000人もいたらしいのです。それだけの人間を食わせるには、いろいろと悪事もやったんでしょうね。

 しかし、次郎長には侠気があった。人を許容して包み込む力ですね。中国の漢帝国の皇祖劉邦だって、もともとは杯と言う街の教養も無いヤクザでしたよね。

 人間なんてそんなもので、結果が全てなんでしょうね。最近、人生の帳尻って辻褄が合っているな~って思うのです。
             山草人

投稿: 山草人 | 2011年2月16日 (水) 20時01分

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