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2011年3月21日 (月)

大福寺

1207年、土御門天皇の勅願下賜で大福寺となったと伝わる。

それにしても大福の寺とは良い名だ。

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仏教はこの日本の国の精神的風土でもあるのだが、

その実は果たして何かとなると、甚だとりとめもない。

奈良の昔、大陸の文化は途方も無く高貴なものだった。

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建築も文物も、そして仏教もとにかく貴重な物として受け入れた。

数多くの留学僧が大陸に渡り、多くの仏典を持ち帰った。

しかしその多くは、サンスクリット語や中国語の難語だった。

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幕末にも蘭学が隆盛を極めるのだが、

この国に役立ったのは造船や医学の一部だけだった。

恐らく持ち帰った仏典から得られた哲学は殆ど未消化のままだったろう。

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希に道元の正方眼臓のように仏教を伝えたものもある。

だがまあ、儒教や朱子学なども取り混ぜて、

日本仏教というもののアウトラインが出来上がっていく。

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そういう意味では、分かった様な顔だけしていた仏教者は偽善だ。

多分誰も悟りなど開いていなかったろうし、そのことも自覚していた筈だ。

この国の仏教は、長い間政治の具であったし、

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江戸時代に入ってからは葬式によって成り立ってきた。

そんな目でこの大福寺眺めた時、少し違うかもしれないと思った。

山椒の効いたあの大福寺(浜名)納豆は、この大福寺の伝製だ。

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兎の糞のようなあの納豆は、遠州地域では古くから良くされてきた。

私の子供の頃には、納豆とはあのコロコロした物と思い込んでいた。

まあそれにしても、三ケ日の田舎に立派な寺がある。

仁王門から始まって鐘楼、護摩堂、弘法大師堂、本堂、

それに六角堂やら宝蔵、滝を備えた庭園まで揃っているのだ。

納豆の利上げも既に無く、地域の喜捨が無くては維持できまい。

仏教がファージなものだとしても、私達は寺に何を求めてきたのだろう。

この古刹を訪ね歩きながら、人間というものを思っていた。

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コメント

罰当たりな山草人さま
「恐らく持ち帰った仏典から得られた哲学は殆ど未消化のままだったろう。」
「多分誰も悟りなど開いていなかったろうし、そのことも自覚していた筈だ。
この国の仏教は、長い間政治の具であったし」云々は、現在の宗派の開祖にちょっと失礼ではないかと思うよ。
飛鳥・奈良時代の仏教は貴族の学問仏教であったが、平安時代には、天才空海や最澄が中国で修行し、帰国後布教に努めた。
鎌倉時代には仏教を武士や一般民衆に広め、法然、親鸞、道元、日蓮、一遍など仏経界のスーパースターが誕生し、現在に至っている。
とことん仏典を研究し、真理探究の結果がこの宗派の多さではないのか。
親鸞や日蓮は時の権力から弾圧されている。鎌倉時代まではまじめに勉強して悟りを開いたと思ってやりなさいよ。
しかし、日本人は確固たる宗教は持てないと思う。今や、宗教は、葬式というセレモニーのためだけにある。
温帯モンスーンのような地域では自然界に八百万の神が宿っている。神は一つでなくてもいいし、豊かな自然のあちこちに神の存在を感じることができる。
一神教が生まれた地域は、過酷な気候のところで、神は唯一絶対の存在でなければならない。
友人がアメリカ人に「自分は無宗教だ」と言ったら「お前の価値判断の尺度はなんだ」と言われたそうである。
欧米人にとってキリスト教とはどのようなものであるかが解ったような気がしたと言っていた。日本人の思想的なフレームワークはどのように形作られるのでしょうかね。


投稿: 同世代の暇人 | 2011年3月21日 (月) 20時14分

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