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2011年3月18日 (金)

嘘ばっかり

いや何、政府のことなら今更言うまでもない。

私達の慣習としての嘘のことだ。

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2007年の漢字が、確か「嘘」だったけれど、

考えてみると私達の社会は偽装だらけじゃないか。

結婚式では花嫁がどんなチンだって「綺麗ね」って言うし、

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TVじゃ、美味くもないのに「おいひ~」などとノタマっている。

人生に意味など無いのに、宗教家は悟りなどと偽善を語っている。

何処の葬式でも、腹の中とは裏腹に「欲しい人を亡くして」とか、

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お為ごかしに「お冥福をお祈り・・」なんて言うんだ。

お墓じゃ殊勝に手を合わせるけど、骨を拝んで何になる?

そう言やぁ、お墓も葬儀も儀礼の最たるものだ。

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「人は皆平等です」ってのも明らかな嘘だ。

末っ子に生まれりゃ親とは早く死別するし、

みんなお手て繋いで同じなら、誰も努力なんてしなくなる。

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人生は運とほんの少しの努力であって、不平等が当たり前さね。

それでもさ、俺達の嘘は優しいもんだぜ。

ガソリンの暫定税率廃止、高速無料化、子供一人2万6千円、

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年金国庫一元化、天下り廃止、国家公務員の給料大幅削減、

埋蔵金発掘で財源無限、国会議員の削減、最低でも県外、

政治主導・・・・etc。

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挙句の果てに、困ると責任は官僚に押し付ける。

それにしても、随分と沢山の嘘をついたもんだ。

しかしまあ、この震災対策をキチッとやるならその嘘も許そう。

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政治は、カダフィ大佐の金配りと殺戮同様では困るのだ。

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コメント

 嘘の分析

 今迄は余り、嘘ということを深く考えてきませんでした。
 山草人さんから、「慣習としての嘘」という言葉がありました。
 それで、「嘘」を私なりに分析してみました。

 基本的に「嘘」には、2種類あるように思います。
 「一つの嘘は、相手の幸せのために(祈って)つく嘘」です。
 その例が法華経で取り上げる方便品、「三車火宅」と理解しています。
 この嘘では一般的に、被害者はでません。
 幸せな者が増えるだけですから、これは許されると思います。

 「もう一つの嘘は、自分の幸せのためだけでつく嘘」です。
 一般に、巷に「嘘も方便」と言いふらされるところは、この「嘘」と思います。被害者も出るでしょう。最悪の場合は、自己満足だけが残ります。そして、幸せな者が減少しますから、これは避けるべきものです。(だいたいこの嘘はお里が知れますネ~)

 上記2種類の中間の「嘘」が考えられます。
 「一つは儀礼的な嘘」です。山草人さんが例示した、結婚式での挨拶でしょう。これは、「相手の幸せのためにつく嘘」の分類に入るのでしょうが、余りに不相応ですと、逆効果になります。挨拶をする以上、相手に相応しい「褒め言葉」を考えてあげたいものです。
 マニュアル化した定型的な挨拶文化から、日本は脱皮すべきではないでしょうか。若い人たちの工夫で、それは目前にあると思います。

 中間の他の嘘に「建前と本音を使い分ける日本文化の、建前部分」です。これが実に厄介です。私は「二枚舌を使う詭弁」に思ってしまうので、「建前」を使わないで済むよう、努力を重ねてきました。どうしても使う以外に逃げられない時には、「黙して通り過ぎる」方法を選びました。 平気で「建前と本音を使い分ける(分けられる)」人の気持が、今迄も今でも理解できません。

 「嘘」とならんで、「どちらが正しいか」という判断で気になることがあります。
 「立場でモノを言う」という慣習です。
 ある現場所長が、所内トラブルで本社部長に叱責を受けました。それを現場所長が「越権だ!」と憤慨しました。後日に、人事異動で全く状況が逆になった時に、本社部長は現場所長をより厳しく叱責しました。(後に両者は別の時期に常務になりましたが。)
 前に「越権だ!」という現場所長なら、後で本社部長になったら「穏便で妥当な方法をとるべき」である、というのが私の意見です。
 私は、「どちらの立場に立っても、正当と考えられる方法を追求する」努力をしてきたつもりです。「Both Side」です。

 それから、結果として嘘となる「嘘」と、最初から話す者が「嘘と分かってつく嘘」です。
 山草人さんは「結果として嘘ならば同じ嘘」と主張しているように推察しています。
 しかし、私は前者は許されることであるし、逆に前者を許されないとなると、いわゆるお役人的な「遅れず、休まず、仕事せず。」になり、かえって将来が心配です。
 また、この中には、山草人さんが批判する政府の「政策」も入っていると思います。この場合には、「政策が嘘か真か、つまり国民のためになるか否か」を議論することが重要になります。議論する場が「国民に代理権を与えられた議員による国会(間接民主主義)」です。更には、世論喚起という手段もあるでしょう。いずれにしても、論理的なリスク予測と意見交換が為されるべきであって、「誹謗中傷」に終始することは、何の価値も出てこないので絶対に避けるべきです。
 後者の「嘘」を許す気になりません。私は徹底的に、嘘をついた相手に理由を糾し、故意であることを突き止めます。その上で謝罪を求めます。謝罪すれば許します。過去を忘れ、元の信頼関係を取り戻すよう、気持を整理して努力するだけです。

投稿: 米山 | 2011年3月23日 (水) 09時25分

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