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2011年4月10日 (日)

金閣炎上

義満の造営した北山は、衣笠山の裾まで続く広大なものだった。

その大半を取り壊したのは息子の4代将軍だ。

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ともあれ金閣・銀閣が作られた時代には、仏教も儒教も混然となっていた。

五山文学が大成された頃は、

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むしろ儒教の色彩が濃かったかもしれない。

五山では当時、死とはすなわち魂魄の分離だと教えられた。

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言うまでもなく、魂とは精神であり魄とは肉体のことだ。

死者の魂を呼び戻す儀礼が祖先崇拝となり、やがて「孝」の教えとなる。

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その学問所の一つが鹿苑寺(通商金閣寺)だ。

その金閣が、昭和25年7月に学生僧の林養賢に放火されて全焼する。

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足利義満の木像も運慶の三尊像も灰燼に帰した。

彼は「こんなものは、禅宗とは何の関わりもない」と叫んで火をつけたと言う。

当時の新聞は「学生僧は異常性格か?」とか

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「住職への逆恨みか」などと報じたという。

養賢が逮捕された翌日、丹後から彼の母親が面会に来た。

が養賢は面会を拒否し、母親はその夜列車の連結から投身自殺している。

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そのまさにノンフィクションを克明に描いたのが水上の金閣炎上だ。

何故彼が放火に至ったのか、

そして27歳で彼が死ぬまでが書かれている。

そこには憎しみと絶望に心が破壊されていく養賢がいる。

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寺小僧として育った水上ならではの思い入れで、

彼の心の遍歴と人のはかない一生を辿っていくのだ。

金閣消失から5年後、今日の金閣が建てられている。

古図によって材も昔のままに復元されたというから、

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義満が酒池肉林の夜を過ごしたそのままの姿が私達の前にある。

天上天下、唯我独尊・・・金閣は、そんなそれぞれの人生を見てきた。

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