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2011年4月17日 (日)

泉涌寺と楊貴妃

東山連山の南端にある泉涌寺の界隈には天皇の御陵が多い。

13世紀以降、幕末の光明天皇までの大半の天皇家歴代の葬儀が、

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この泉涌寺で行われてきたことと関係があるのだろう。

この寺の奥手の山稜にも「月輪稜」がある。

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本坊横の御座所は、明治天皇が御所内の御殿を移築したものだそうだ。

御座所には玉座や随員のそれぞれの控えの間があって、

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古びたとはいえ往時の雅やかさの片鱗を感じさせる。

「せんにゅうじ」となかなか読めないが、

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東山の一峰、月輪山の山麓にあって湧水はもとより豊富だ。

それで泉涌寺なのだろう。

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それはともかく、この寺域の一角に楊貴妃観音堂がある。

言うまでもなく楊貴妃は、唐の玄宗皇帝の寵姫だ。

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楊貴妃を寵愛するあまり政治をみなくなり、安禄山のランが起こったとされる。

玄宗は反乱軍に追い詰められ、やむなく楊貴妃を殺す。

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乱が治まって、玄宗は無き楊貴妃を偲んで等身座像を彫らせた。

どういう経緯か、その像を1255年に湛海律師が持ち帰ったのだという。

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その絶世の美女の片鱗にあやかろうというのか、

この観音堂は美のパワースポットなのだそうだ。

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確かに、ふくよかで端正な顔立ちをしておられた。

だけど確か、美人薄命とはこの楊貴妃に因むのではなかったか。

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