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2011年6月17日 (金)

時は流れて

終戦から間もなく、父が復員してきて私が生まれた。

だから私の少年期は、この国の戦後復興期と重なる。

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着るものも食べるものも無かったあの時代から、真逆の今日までを見てきた。

小学三年生の孫を見ていると、

この子の頃に家事一切を負かされていたのかと不思議にすら思う。

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ヘッツイで稲わらを丸めてご飯を炊き、みそ汁を作って親の帰りを待った。

妹二人の面倒も長男の私が見ていた。

ある時小学校の授業で、昨日の出来事を話すことになった。

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それでそのことを話すと、教師は嘘を言うなと私をきつく叱った。

教師も信じられなかったのだろうが、それを任せていた親もすごいと思う。

・・・と言うよりも、両親も生きるのに必死だったのだ。

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おそらく日本中の農村は貧しくて、押しなべてそんな具合だったのだ。

時は流れて飽食の今日、そんな話は子も孫も知らぬ顔の半兵衛だ。

あの時の学校の先生同様、そんなことは想像だに出来ないだろう。

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それに何よりも業腹なのは、

苦節幾十年の私をペットの犬より粗略に扱う細君だろう。

飽食の挙句、緊張感も薄れ愛情は希薄化するのが道理か。

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そりゃ~人生は曲がりくねった道だから、それも人それぞれだよな。

いずれにしても、時は流れたのである。

而して今日は、尻のつっかい棒にもならない話になっちゃったな。

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コメント

山草人さま、行動は、あの戦前の道徳本に書いて有ってもいい話ですね。
 私の父親も、学校へ行く前に朝、草草履を編み出掛けたそうである。
 兄弟が、9人兄弟の三番目で、貧乏で土地の少ない百姓の祖父は、日雇い人足仕事仕事で、父達を育てたらしい。
 我が家の居間には、当時まだ生きて居た、祖父母の写真と起業の際にお世話に成った方や親孝行でも有名な渡辺崋山の自画像とうが、かもいに掛かって居た。
 立派な、父と母だったが、父母の葬儀には、2000人は、居たと思う。
 父親の話してくれた道徳や歴史は、どこで覚えたのかと大きくなって疑問に思ったが、それは、昭和初期の尋常小学校の道徳本に全て書かれていた。
 あのアメリカに取り上げられ、黒く塗りつぶされたあの本とは、少し編集が違うのだが、大切な事が、書かれていた。
 先日、知り合いの家で、子供の学校の時間割りを見たら、道徳の時間がなく、英会話に変わって居た。

投稿: ひろ | 2011年6月17日 (金) 23時57分

 山草人さん、ひろさんへ

 山草人さんのブログとひろさんのコメントを見ていたら、フッと下記のメセッセージを思い出し、再読しました。

 http://www.hayaoki-seikatsu.com/users/bisc/daily/20110426
 
 震災で卒業式を中止した立教新座高校で、入学式に渡辺憲司校長が送ったメッセージです。
松尾芭蕉の「野ざらし日記」からの一句「命二つの中に活きたる桜かな」を引用しています。
以下は、メッセージの一部です。

[  命は一つで生きていくことはできません。自分にかけがえのない命は、相手にとってもかけがえのない命なのです。・・・〈命二つ〉と、考えることは、相手の心に近づき、自分の身を相手に重ねることです。お互いに命の尊厳を認め合うということです。 ]・・・

・・・[ 今年ほど桜の下の命の大切さを思わない春はありません。
 被災地の方々の辛苦は言語表現の及ぶ範囲ではありません。
 深い悲しみの中で、入学式を前にした君たちと同じ年代の少年の笑顔がテレビに映し出されました。誰もが悲しみを胸に秘めています。私にも不安があります。悲しみがあります。しかし、私はその少年の笑顔を見た時、勇気づけられている自分に気づきました。少しでも被災地の方を勇気づけなければならないと考えていた自分が勇気づけられたのです。そのパラドックスに戸惑いながらも私は今それを素直に謙虚に受け止めたいと思います。何げない日常がいかにかけがえのない尊いものであるかを、少年の笑顔が、私の惰眠を覚醒したのです。 ]

 前段は、主体的に「自分の身を相手に重ねること」であって「相手が自分の身に重なってくれる」要求ではありません。山草人さんのブログを見ていたら、後者を期待しているようで心配になりました。

 私が山草人さんと会ったのは一度です。飯山市の鍋倉山で金色の芽吹き風景を期待したツアーでした。私は山草人さんが書いた「スローな気分で生きてみたら」を読んでいたので、山頂に山草人さんを見つけてラッキーと自己紹介しました。山草人さんは奥さんと肩を並べて仲睦まじく昼食をとっていました。その後ろ姿からは「充実した日常を感じとり」見てるだけの私も幸せな気分になったものです。これが只一度の印象です。
 山草人さんのブログを見たら、かって印象に残った「何げない日常がいかにかけがえのない尊いものであるか」を忘れて、外にばかり目がいってるようで、正直に心配になりました。それでは、手元にあった大切な「青い鳥」も逃げてしまうでしょう。
 私の取越し苦労・思い違いであって欲しいと願っています。

投稿: | 2011年6月23日 (木) 07時24分

 直前に送ったコメントは米山の投稿です。
 3日間、推敲を重ねました。朝見たら修正箇所もなく、大丈夫と送ったら、記名を失念しました。お詫びします。 ご容赦ください。

投稿: 米山 | 2011年6月23日 (木) 07時35分

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