幸せの思い出
夏の終わりに、子供達の花火を見ながら考えたことだ。
貧しかった私の子供の頃には、こんな思い出は無かった。
その代わりに、大晦日の夜には真新しい下着が枕元にあった。
未だ暗いうちに起きて、そのすべすべとした下着に袖を通して初詣に向かう。
寒さに震えながらも、そのリンとした冷気と新鮮さに幸せを感じた。
勿論終戦直後の何も物のない時代の話だ。
小学校の何年だったろうか、我が家にもTVが入った。
それまでは、ラジオで赤胴鈴之助や笛吹童子に噛り付いていたっけ。
我が家に原動機付自転車が入ったのは何時の頃だったか?
要するに、私の前半生は次々と新しい物が増えていく時代だった。
それはそれは、家族と共に幸せを感じるドラマが続いたのだ。
ところが今日の人々は暖衣飽食どころか寒さもひもじさも知らない。
全てが整っているのが当たり前で、そのことへの感謝などからっきし感じない。
そうして、彼らは工夫とか努力の希薄な人生を送るような気がするのだ。
だって、誰もがそんな勉励をしなくても生きていけると考えるからだ。
次代を育てる両親からして、そんな境遇で育ってきている。
そこに「働かない人にも子供手当を上げます」って政府が出来た。
「若い時の苦労は買ってもしろ」なんて全くの死語になった。
「ありがとう」の言葉も最近の日本人は使わなくなった。
すべて当たり前だと思っているからだ。
しこうして、幸せを感じることの少ない不幸な世代が育つのだろう。
恐らく、この国の未来は危ういだろう。
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