夜の秋
外ではマツムシやコウロギが秋を語りかけている。
納涼花火大会を終わってきて、今PCに向かっている。
毎日の様な雷雲だしゲリラ豪雨も続く。
夏去りて秋来るにはまだ早いが、
だけど朝晩はかなり秋らしくなってきたようだ。
でもそれなりに多くの老若男女が太田川の河川敷に織敷いていた。
花火は、それ自体が人生と同じ儚さを持っている。
かつ消えかつ結ぶ泡沫と同じようなものだ。
たからこそ、その一瞬の美を様々な感慨と共に愛でるのだろう。
増して青春真っ盛りの若者たちが考えるはずもない。
この一年のたった一日を、年々歳々の感慨と共に生きていく。
様々なものが「シワケ」と共に消えていく世知辛い時代だが、
規模はともかく、誰かが時代を創って維持していかなきゃならんのだ。
私達は、失われて初めて気づかされることも多い。
だけど、一度火を消すと再び燃すのは容易ではない。
何が「無駄」かは、たかだか数人の仕分け人の裁量では無理なことだ。
政権交代以降、私達は幾つかの貴重なものを失ってきたような気がする。
この国の成熟の過程なのだろうが、この2年余り私達は実に多くのことを学んだ。
はてさて、これをどう生かせるのかどうか。
秋は、夜から入ってくるのだ。
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