懸命に泣こう!
人も本来、懸命に泣くべきだと思う。
今日はアブラゼミに加えてツクヅホウシまで鳴き始めた。
これまでを生きて来て、懸命に異性を求めて鳴いている。
子供だって、泣く時は一生懸命だ。
何故って、目的を達成するために泣くのだから半端な泣き方じゃだめだ。
言葉を知らない幼児なら、泣き声が意思表示のすべてだ。
母親はその泣き声で空腹なのか、はたまたおしっこなのかを判断する。
その幼児性を引きずって泣き叫ぶのが子供だ。
今の子供は火の付いたように泣いて要求を通そうとする。
しかし私の子供の頃は、泣いても何も実現しなかった。
要するに、靴も洋服も食べるものすら満足に無かったのだから。
学校から帰ると無性に腹が減ってお櫃のコメを手づかみで食べた。
運が良けりゃ蒸かしたサツマイモとヤギの乳を口にできた。
ともあれ、韓国や中国では悲しい時には思いっきり泣くようだ。
親しい人との別離に号泣する方が自然だよね。
日本人は、嬉しい時、悲しい時、悔しい時ジッと我慢してしまう。
だけど泣くべきなんだ。笑うべきなんだ。
経済産業大臣だって思いっきり泣けばよかった。
泣けなければ、思いの丈をツクツクホウシの様に語るべきだった。
思わせ振りは止めよう。
震災の復興が進まないことに、私達は大きく怒るべきなのだ。
政治の無策に大きな声を出すべきなのだ。
私の子供の頃の様に何もないんじゃない。
今日の困窮は、すべからく人災なのだから怒って大きな声で泣こうじゃないか。
| 固定リンク
« 間違いの民主主義 | トップページ | 人生の今 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント