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2011年8月16日 (火)

ちゃんと歳とれるか?

「ちゃんと歳をとれているのだろうか」そう自問自答している。

どんなに生き急いでも、或いはノンビリ暮らしていても、

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地球の回転は留めようもなく宇宙の法則通りに動いていく。

歳をとるということは、若さと引き換えに何かを得ることだと昨日書いた。

ならば一日経ったら、その一日で私は何を失い何を得ただろうか。

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小笠山の中を走りながら、またしても詰まらぬ禅問答に入ってしまった。

昔高校生の時、エネルギー不変の法則ってやつを学んだ。

授業の後教師に「今、この椅子を持ち上げて、それで静かに床に下す。」

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「この椅子の位置のエネルギーはどこに行ったんですか?」と聞いた。

教師は「・・・・・」と絶句したまま私を見つめていた。

そんなことを思い出すほど、その「ちゃんと・・」は難しいのだ。

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しかし、足掛かりはある。

そりゃ~、未完の自分を完成させていくことだ。

足らざるを補い探していた自分を創っていくことだ。

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今走っていることだって、「何を無駄なことを・・」と人は思うかもしれない。

だけど私は、幾つかの目的を持って走っている。

それは丹後100kmの完走や体力維持だったりする。

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時にビールを旨く飲む為だったりもするが、いずれにしても無駄なことはやっていない。

心の襞に様々な出来事や過程を織り込みながら、人は生きていく。

その結果が、今の自分になっていくのだ。

だから、ちゃんと歳をとるという覚悟こそ必要なのだと思う。

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コメント

 禅問答と「エネルギー不変の法則」は関係ないと思います。理由は山草人さんの設問には解答があると考えるからです。(ところで、「エネルギー不変の法則」は「エネルギー保存則」という言葉が物理用語として一般的のようです。)
 「今、この椅子を持ち上げて、それで静かに床に下す。この椅子の位置のエネルギーはどこに行ったんですか?」の設問に対する解答は「熱エネルギーに変った。」ではないでしょうか。

 高校で、最初に教わるのが重力による落下と記憶します。
 「物体の落下中は任意の高さで、位置のエネルギーと運動のエネルギーを加えた値は同じになります。これはエネルギー保存則の一例です」これを知っていると便利な場合があります。だから勉強するのです。
 卑近な例ですが、人間がタックルする速度はたかだか10m/sでしょう。どの位の高さから飛び降りれば着地速度が9.8m/sになるでしょうか。エネルギー保存則から4.9mの高さになります。だから3階以上から飛び降りるのは、大変に危険と理解できるのです。

 自然現象は色々な自然法則の集合体ですから複雑です。勉強するには単純化して考えると便利で分かり易くなります。物理の場合は「孤立系」として、対象物を他から切り離します。例えば、上記の物体の落下であれば、対象物体を他から切り離します。ところが、山草人さんの設問のように、人間が介在すると非常に厄介です。人間の動作自身が色々な化学物理現象の複合体だからです。従って、単純化の物理モデルが必要です。

 この場合に「水を8割程度溜めた風呂に椅子を2m上から落とした場合には、椅子の位置のエネルギーはどこに行くか」という設問に変えると分かり易くなります。「位置のエネルギーは水との衝突の直前に運動のエネルギーに変ります。次にその運動のエネルギーは水の渦や波に変り、渦や波も減衰して全てが熱エネルギーに変換」されます。
 水が無く地面ならば、衝突した地面と机自身で熱エネルギーなって、逸散することになります。
 ここに熱エネルギーという概念が出てきました。エネルギー保存則には「熱エネルギー」も入ります。高校で最初に教わるのは、「熱エネルギー」を無視できる場合を扱っただけです。

 山草人さんの設問であれば「人間の果した役割は、自由落下させればエネルギーを使用しないで済むものを、わざわざ自らの(食物を起源とする)エネルギーを浪費して静かに下ろすので、物理的には馬鹿な行動」といえるでしょう。しかし、机を自由落下させれば壊れるでしょうから、物を大切にする行動原理からすれば妥当といえます。

 高校の物理では熱エネルギーに関して少ししか語っていないと思います。多くは大学で教わることになります。それで、高校の先生は解答に窮したのかもしれませんね。
 ここまで考えても「そんなことを思い出すほど、その『ちゃんと・・』は難しいのだ。」という山草人さんのご発言の意味・意図が分かりません。教えてください。いずれにしても、「エネルギー保存則」とは関係ないと思っていますが…。 物理好きだった私にとって、とても気になります。

投稿: 米山 | 2011年8月20日 (土) 09時28分

 米山さん、人生は面白いですね。禍福は糾える縄のごとしとか言いますが、波動のような浮き沈みも確かにありますね。

 人間、歳と共に丸くなるって言いますよネ。色々なことが見えてきて、極論ができなくなるんでしようね。

 人生をエネルギーに例えるのは、いささか無理がありましたが、(これまでの)位置エネルギーを成熟のエネルギーに確実に変換する心意気こそ、先達の道ですよネ。

 答えになりませんでしょうね。
           山草人

投稿: 山草人 | 2011年8月21日 (日) 21時19分

 早速の、コメントに対するご回答をありがとうございました。

 ご回答頂いた通りで、人間のエネルギー(知力・体力)に関する人生観を物理のエネルギー保存則を利用して説明するのは無理があります。
 このブログ愛読者は、優しい人の集まりです(笑)から良いのですが、よそでは気をつけた方が良いと思います。このように明らかな筋違いの引用は陰口の根拠となり、それを故意に広げる人も多いようです。

 先達の道が「位置エネルギーを成熟のエネルギーに確実に変換する心意気」というのは難解です。おそらく「知力・体力(位置のエネルギー)が最高の幸福な段階で、人として何を為すべきか」という、物理でなく倫理面で真っ当な問題提起でしょう。この「何を為すべきか」を論ずる場合に、「目的対象が誰の為か」が最重要と考えています。  目的対象が、一般社会か、地域社会か、特殊集団か、第三者か、家族か、はたまた自分の(名誉の)為なのかが問われることになります。
 これを明示して頂かないと、「成熟のエネルギー」という甘い印象だけが残る絵空事の議論に思えてなりません。

 ここまで分析・要求するとなると、自らの考えを示さねばなりません。
 私が目的対象としているのは、「若者達の為」です。人間の営みは「世代間のツナギ」と思っています。「年寄世代から若者世代へのツナギ」であって逆はありません。私の具体例を求められれば、恥ずかしながら手前味噌でも回答せざるをえないと覚悟しています。
 また、高校時代に物理の先生を質問攻めした、苦い経験も共有しています。先生がもう少し勉強してくれたなら・・・、とも思いますが、悔悟の念を禁じ得ません。

投稿: 米山 | 2011年8月22日 (月) 18時56分

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