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2011年9月20日 (火)

丹後の夕日

右足の屈伸がままならないが、大分体力は回復している。

だが、精神的にはいまだアドレナリンが出続けていて、少し興奮状態にある。

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それで今夜も、丹後の思い出を書こうと思っている。

丹後の久美浜に夕日が浦という景勝地がある。

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小天橋から少し走って網野に入る、

スタートから30km地点の少し苦しくなり始めるあたりだ。

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勿論早朝のことで夕日なんて見られないけど、

何時か誰かと二人で夕日を・・・と思ったりする所だ。

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この浦から七竜峠を越えると、体調を含めてその日の清算が見えてくる。

走ると言うことは、二本の足を交互に動かす単純な動作だけど、

その単調な動作が、体も心も何処までも運んで行ってくれる。

私は走るということがもともと得意だった訳じゃない。Dscf2254

40才を過ぎてから一念発起して始めたことだ。

それがもう20年以上になる。

そうして得意でなかった筈のランニングが何時の間にか趣味の範疇に入っている。

はるばる100kmもの距離を「楽しんで」走ることが出来るのだ。Dscf2261

私は、この走り続けることによって自分の惰弱な心を鍛えてきた。

挫けそうになった時、あの棒のようになった足の痛みを思い出す。

そうして、足を引きずってゴールに達した時の感激を呼び起こしてきた。Dscf2263

思えば色々あった。

完走した直後に風呂に入って震えていて、それが肺炎だったこと。

野辺山の70km地点で「歳を考えて」リタイアを決断した時のこと。Dscf2268

スタートラインにも立つことなく、家に引き返したあの時のこと。

100kmレースは、今となっては私の人生と共にある。

丹後の90kmあたりの西日は差すような日差しだった。Dscf2270

疲れた体に、これでもかとそそいでくる。

その西日に向かって敢然と走る自分が好きだ。

「今を生きている」そう思いながら走っている。

人生大抵の事は何とかなる。Dscf2273

でもこのレースは、お前がその気にならなきゃ何ともならんのだ。

やがてレースは終焉を迎える。

定宿の茂座衛門の亭主が今年も迎えに出ている。

彼は自分は走らないくせに、我々が走るときには興奮状態なる。

今年は奥さんにトラブルがあって、宿は変わったのだが応援は例年通りだ。

人というのは、心意気に感じるものなのだ。

思想信条は違っても、単なる口舌の人とは訳が違う。

山陰のジオパークに沈む夕日と共に、今年は歓呼の声に迎えられた。

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コメント

今夜は歓喜の雄叫びだぁ~。
アドレナリンとは、凄いホルモンですね~。
不可能を可能に導く脳内ホルモンですかね。
達成感に満ちた今夜の言葉は心地よいです。

投稿: ひろ | 2011年9月20日 (火) 21時37分

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