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2011年10月31日 (月)

ランニング雑記

私が走るようになって、もう二十年余になる。

最初は、体を動かすことで気分転換をしようとしていた。

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それがあちこちの大会に出たりして、次第に意味合いを変えていく。

走ること自体が目的にもなった。

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そしてそれはもう、気分転換どころか私の生き方すらも変えてきた。

どんなに苦しい時でも、アレ(ウルトラ)を乗り越えてきたんだと言う自信は大きい。

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「こんなことで、挫けるはずがない」と思っている。

もとより引っ込み思案で内気な私が、

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ここまで来れたのは実はランニングのお陰だ。

それに走る仲間の存在も貴重なものだ。

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お互いに仕事も家庭環境も違ったって、ツーカーの気心になれる。

そして時にはライバルであり、励ましあう人生の友なのだ。

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しばらく顔を見なけりゃ「あいつ、どうかしたんじゃないか」と心配する。

言うならば、お互いに元気を分け合っている間柄だ。

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そしてその輪は、今では全国に広がっている。

みい~んな、素晴らしい個性とガッツの持ち主だ。

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2011年10月30日 (日)

今を走る

寒くもなく暑くもなく、そして雨も降らず、絶好のマラソン日和である。

そのエコパスタジアムを1,085人がグランドを一巡して外に飛び出していく。

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フルマラソンは4月の掛川以来で久しぶりだけど、

まったく以て体が軽く、すいすいとスピードが出る。

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何時にない快調な走りなのだ。

で、最初の十キロを50分でクリアーしてしまった。

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ただ何時まで続くか不安もあったが、疲れの兆しは一向に現れない。

25kmを過ぎても私の周りには、ゼッケンNOの若い人ばかりだ。

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つまり私が一番年上ということで、それでも若いNOを次々と追い抜いて行く。

その時「今を生きる」という言葉が頭をよぎった。

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「俺は今、この時を生きているんだ」そんな実感であった。

普段の生活では感じられない特殊な感慨と言うべきか。

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袋井メロンマラソンは、最後の10kmが上り坂できつい。

その上り坂も「なんだ坂・こんな坂」と漕ぎ上がって、スタジアムに飛び込んだ。

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大きくせり上がったスタンドが目にまぶしく、

そのコーヒー色のグランドをしっかりとした足取りで踏みしめていく。

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そしてゴールは、何と3時間56分であった。

約10年ぶりに4時間を切ったのだ。

60才以上の部門順位は20位となっていた。

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夢のまた夢になったと思っていた4時間の壁を突き破ったのだ。

もう今日は、あの瞬間を生きただけで幸せである。

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2011年10月29日 (土)

ラクビートップリーグ開幕

天高く、スポーツの秋である。

今日は、ジュビロ VS NTTコムの開幕戦を観戦した。

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昨年は下位に低迷し、復活戦でやっとリーグに残ったジュビロだ。

そのジュビロに最右翼の清宮監督を迎えての初戦である。

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いやはや昨年のチームとは様変わりの感があった。

ラクビーのルールには疎いが、陣取り合戦と考えれば良いだろう。

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そう思って見ていると自ずと力が入ってしまう。

身長2mもあるような男たちがズシッとぶち当たって、潰しあいながら前進する。

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そのディフェンスを突き抜けての快走が何とも爽快である。

今日はべンジャミンレイや田中渉汰がそれをやってくれた。

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五郎丸の9本のキックも特筆すべきだろうか。

それで何と結果は、55対18で圧勝したのだ。

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ともあれ今日の試合に、9,500人余の観衆は満足していたようだ。

そしてこの私は、明日はクラウンメロンマラソンである。

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久しぶりのフルだ。

このマラソンを皮切りにジュビロマラソン、小笠山トレイル、東山36峰と続く。

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年末に向けて、もう一気に走り込むのみだ。

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2011年10月28日 (金)

ALPS

超過密スケジュールの反動で、この3日ばかりは余裕がある。

それに天気も良いから、正に晴耕(雨読)を実践している。

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お天道様の下で、マイペースで畑を耕す。

「急ぐなよ!」と言い聞かせながら、ゆっくりゆっくり耕を楽しんでいる。

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耕した後には、整然と畝が出来て野菜の苗が並ぶ。

キャベツを植えると同時にモンシロチョウが集まってきて、

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良い景色なんだが、実は奴らは卵を産み付けに集まるのだ。

そのチョウを昆虫採集の網を片手に追いかける。

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大の大人が・・・と笑うかもしれないが、

これを一頭でも減らさないとキャベツを穴だらけにされてしまうのだ。

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ところで私ごとなのだが、ALPSと言う雑誌の10月号に私のことが載っている。

ライフプラン情報誌ALPSは、何でも発行部数200万部程らしいが、

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何故か私に白羽の矢を立ててきて、何か書けと言う。

それで止む無く、40才から自分生き方を徐々に変えてきたことを書いた。

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その中身は、この2,000日間のブログにも時折書いてきたことだ。

それでこのところ、ALPSの読者と思しきアクセスも散見されるようになった。

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誰もが、セカンドライフを真剣に考えんといかん時代だからねェ~。

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2011年10月27日 (木)

光陰2000日

このブログを書き始めて、今夜で2000日になった。

5年6か月の間、毎日ほぼこの時間帯にパソコンに向かっていたことになる。

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帰宅が遅くなって未明の書き込みになったこともあるが、ともかく毎日書いてきた。

この5年余と言うのは、私の人生にとってとても大きな転換点だった。

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最も重い責任を担った2年間に続いて、退職後の模索が続いた。

会う人も語る言葉も変わって、そんな戸惑いを書き込んだこともあった。

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そうしてここ一二年は、人生について書くことが多くなったようだ。

先日ある方に「パターンが決まってきたね」と言われた。

そうかも知れない。

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2000日を逐一振り返ることはしてないが、結構切り口が同じなのかもしれない。

ただその私だって、何がしかの進歩はあるような気がしている。

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だって、ブログを書くことで私の日々の行動だって変化してるんだからね。

ブログを書くというある種の緊張感だってある。

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でもまあ、思いの丈を書き込んで明日のエネルギーにしてきた。

山本常朝の「葉隠」に

「五十ばかりより、そろそろ仕上げたるが良きなり」という言葉がある。

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江戸時代よりもずうっと寿命が延びてるから、六十ばかりより・・・でも良かろう。

人生の仕上げの年頃になったと言うことだ。

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幾ばくかの人生経験も積み、多少の辛酸も嘗めてきた。

能力は相変わらずだけど、幾分は人柄だって角が取れてきただろう。

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そんな頃合いの日々を書いてきたのが、この2000日だと思うからだ。

それにしても光陰矢のごとし、アッと言う間の2000日ではあった。

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と言うことで、これからが仕上げだからね。

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2011年10月26日 (水)

コスモス

コスモスの花が田んぼ一面に咲いている。

花は実に見事なものだが、休耕で耕すことが出来なくて仕方なくコスモスなのだ。

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TPPでデューティ・フリーにしたら、全国の農村が花畑になる?

それならまだ少しは救われるが、恐らくそれすらも放棄せざるを得なくなるだろう。

だって、そこに住んで働く人がいればこその花だからだ。

確実に、この国の景色は荒廃の列島へと様変わりするだろう。

それは今日の荒れ果てた山林と同じことなのだ。Cimg4978

昭和30年代に木材の関税をゼロにした。

結果、平坦地で栽培する外国の木材が大量に輸入されて、

今では林業で働く人もいなくなり、山村は超過疎で荒れ果てている。Cimg4977

一部の御用学者は、「国を閉鎖して栄えた国はない」と叫んでいる。

食料の7割を輸入し、海外の資源を買い漁っているこの国が、

鎖国状態にあると主張しているのだから、学者とは名ばかりのえせ学者だ。

政府は、選挙前の公約の小さな農業を守る戸別所得補償?から一転、Cimg4975

経営規模を拡大すれば競争に勝てると言い始めた。

既に60ha余の水田のある私の村に、実質的な農業経営は2戸だ。

それぞれ100枚以上の水田を飛び回って悪戦苦闘している。

20haを上回る経営規模だが、現実は農機の償却にもあえいでいる。

これで、オーストラリアや米国の千ha単位の農業とどうやって戦うのか? Cimg4974

今朝の新聞に、屋山某という軽薄評論家の論評が乗っていた。

農業の規模拡大を農地法が妨げているとの主張だ。

既に農地を買う人などなく、ほとんど貸し借りだ。

しかも、その借り手を探すのも難渋しているのが現実だ。

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既の昔に、農地法など有名無実になっている。

この評論家は、この国のどこを見て駄文を金にしているのだろうか?

この国は、政治主導で狂い始めている。

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2011年10月25日 (火)

本当の国際化

私の住む町(市)には、38ケ国の外国籍を持つ人々が住んでいる。

大都会でもない地方都市にしては、少し多いという印象だ。

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人口17万人に対して、リーマン以降大幅に減ったが、それでも7,050人、

人口の4.1%が外国籍だ。

ブラジル人が68%、次いでフィリピンと中国が続き、インドネシア人も230人、

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ペルー人だって190人が暮らしている。

毎朝登校する児童の中にも、肌の色の違う子供さんがちらほら混じっている。

小学校にも中学校にも外国人の会話ティチャーが控えている。

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そういう意味では、この国も国籍とか民族に関係なく上手くやってるじゃないかと思う。

しかし、その文化の違いの壁は中々に乗り越えられない。

日々の生活習慣がその文化になっている訳だから、変えろって言ったって簡単じゃない。

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お互いにその文化の違いを認め合って暮らしていく他ない。

それには、どう違っているのか知ることが必要だ。

と言う訳で、今夜は外国人居住者と自治会長の情報交換会を開いた。

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FMハローのパーソナリティーを務める宮田リカルドさんも駆けつけてくれて、

かなり今夜は実のある会になった。

実は私の地区にはブラジル国籍の自治会長もいて、彼も苦労している。

ガソリンスタンドに行けば、何時も「元気ですか?」と聞かれる。

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最近やっと「現金ですか?」と分かった。

切り餅を石鹸と間違えて使っていたこと、

毎日食べていたツナ缶がキャットフードだったことなどが、言葉の壁の中にあった。

居酒屋に行ってみたいんだけど、メニュが分からなくて怖いからいけない。

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「外国人だからと差別されるんじゃないか。」それで一歩踏み出せないという。

これはさ、私達日本人にそっくり当てはまるよね。

交流は外国人だからって敬遠しないで、何とか糸口を作ることから始まる。

小さな田舎町の国際化なのだ。

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2011年10月24日 (月)

子供の心

子供の心には、まだ色に染まらない無限の可能性がある。

だからどんな憎まれ口を言ったとて、可愛さが印象に残る。Cimg4943

それに子供の言葉は、本当に何が大切かを教えてくれる。

毎朝、私に「オスッ!」と挨拶していく小学二年の女の子がいる。

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その子の家庭環境は知らないが、私に興味津々なのだろう。

私も笑顔のその「オスッ」に心が癒されている。

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子供は何事も、大人のように固定した観念の中に住んでいない。

常にフレキシブルなのだ。

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「おとなは、だれも、はじめは子供だった。

しかし、そのことを忘れずにいる大人は、いくらもいない」

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とサン=テグジュペリは言っている。

その失くした感性というは、身の回りの出来事に驚いたり興味を抱くみずみずしさだ。

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特定のイディオムに染まって人を攻撃したり、

偏狭な政治に差配される大人のバカさ加減というべきだろう。

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本当は、この国の出来事を子供の目線で゜驚いてみることが大切だ。

TPPでこの国にどんな得があるの?

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米国とオーストラリアは、何で日本にTPP加入を熱心に勧めるの?

本当にそれで輸出が伸びて雇用が増えるの?

この国の借金は誰が返すの?・・・ってね。

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感性の枯れ果てた大人たちは、そういうことに気付きもしないのだから。

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2011年10月23日 (日)

本音の福祉

人間の社会も、基本的には弱肉強食なんだろう。

福祉には総論では反対しないけど、具体的に事には与しない。

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それが大方の日本人の態度だろう。

若い人の中には、福祉そのものに異論を持つ人も多い。

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人によって「ハンディキャップ」があるのが当然だろうと言う訳だ。

人は誰でも自分の体温を基準にその温かさを感じる。

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健常者にすれば、不自由な体の人や高齢者のことなど構っていられない。

それは行政機関の仕事だろうと考えている。

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今日は私の街の「ふれあいまつり」があった。

社会福祉協議会や民生委員、保健委員、老人会などの主催する集いだ。

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さても、バザーなどで沢山の人が集まるのは結構だ。

そこにかかわって活動すれば一定の達成感も得られるだろう。

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だが一方で、「これで何が実現できるのだろうか?」とも考えていた。

既に四人に一人が65歳以上の時代に突入している。

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これから誰もが元気な高齢者でいられるとは限らない。

高齢者サロンなどで精一杯元気に切磋琢磨してもらう他ない。

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でもそれとて、支援の手が必要になる。

誰もが、弱者をサポートし合う優しい社会こそが必要なのだ。

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TPPのように、弱者を作り出す政策に与してはなるまい。

建前の福祉など、何の役にも立たないのだ。

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2011年10月22日 (土)

人生の表現

動物は、自分を何がしかの形で表現せずにはいられないようだ。

それは猿だってライオンだって同じことで、

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いわんや人間においては自己顕示なくしては生きられない。

どういう方法で自分の生き様を表現するのか、それを一生かけて模索していく。

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その表現手段に辿り着いた人は幸せだ。

だって大多数の人は、自分を表現することもできずに埋もれていくからだ。

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ともあれ今日は、it rained、だけど横須賀の「ちっちゃな文化展」に出かけた。

ここでは13年前から古い町並みを生かして、街ぐるみの文化展を開催している。

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会場はそれぞれの民家だ。

その90余の民家に各地からアーティストが集まってくる。

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絵画や陶芸は勿論のこと、影絵や折り紙、ガラス細工やまくらめ。

でも、こうして自分を表現できる人は素晴らしい。

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私なぞ、楽器も弾けないし絵も苦手だ。

かろうじて弾けるのが「布団」くらいかな?

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蕎麦打ちで自己表現している人達もいた。

売り上げを全て東日本震災への義捐金に充てるという。

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そう、ちっちゃくて大きな文化展の主役たちは輝いている。

それは、彼らが今を生きているからだ。

理屈も議論も何もいらない。

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汗をかいて体のままに人生を表現する。

私もあやかって、世のため人のため生きるぞ !

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2011年10月21日 (金)

小学校にて

夫婦の子供は二人以下が常識になりつつある。

出生動向基本調査の結果、1.96と初めて2人を下回った。

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結婚しない男女が多いのに、カップルの産子数が経るのだから、

この国の人口は予測よりももっとハイスピードで減るのだろう。

ともあれ今日は、小学校に足を向けた。

子供の親は、参観日はともかくめったに学校に行くことなどない。Cimg4919

小学校に送り出せば一安心しているのが本当だ。

それで、日常の子供達を見てもらおうと学校公開日が設けられるようになった。

とは言え、公開日に学校にやってくる親は少ない。Cimg4917

今日もほんの数組の姿を見ただけだ。

案内するという校長を振り切って校内を見て回った。

丁度昼下がりの一時で、子供達は三々五々飛び回っていた。Cimg4916

その何人かが私を見つけて、「アッ・・・」と手を振る。

もう3年近く毎朝道に立っているんで、「あのオジサンだ!」という訳だ。

毎朝「お早う」を連呼している。Cimg4915

その連呼に「お早うございます」と返してくる子供の目はキラキラと輝いている。

そんな躍動する子供達の姿が好きで、彼らに元気を分けてもらっている。

私の小学校時代はかなり陰鬱で、晩生の田舎の子がジッと我慢していた記憶しかない。Cimg4914

やっと自分を発見したのは中学に入ってからだ。

でも今の子供達は、みい~んな元気なように見える。

だけど「この子達が膨大な借金を返すんだよな・・」ってなことも思っていた。Cimg4913

彼らは、私達の世代の借金のことは何も知らない。

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2011年10月20日 (木)

人それぞれ

地域社会に腰を据えて4か月、様々な人たちと日々顔を合わせている。

そうして、そのみい~んな個性的で行動パターンが違うのだ。

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縦社会でなくて横社会だから、それは当然なのだが、

その行動や思考のバターンは、やはり過去の職業に由来している。

或いは、その人のこれまでの身の処し方がにじみ出ているといってよい。

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かなりの部分、人は職業によって作られてしまうようだ。

習い性となった過去の経験から、自分の脈拍とか体温を作っている。

その判断基準で早い遅いとか寒暖を判断するようになる。

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自分の脈拍よりハイテンポが速いのであり、体温より高いのが暑いとなる。

ともあれ、その様々が集まってコミュニティーが出来上がっている。

だから原発や復興財源とまで言わなくても、地域での意思決定はかなり難しくなる。

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本当は多少の間違いがあっても前に出なくてはならないのだが、

何時までも同じところで逡巡することになる。

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それはこの国も同じで、リーダーシップが問われる所以なのだ。

さて、リーダーシップの多くはその会の会長の資質に負うところが大きい。

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さても、人それぞれだってことを肝に命じて、今日も一歩前に進めよう。

それにしても、人によって随分と差が出るものだ。

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2011年10月19日 (水)

ざゞんざの松

浜松の中心部に平野美術館がある。

そこで遠州の浮世絵展をやっていると言うので、

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やおら思い立って出かけてみた。

小さな美術館と思っていたのだが、思いの外すごい収蔵品だ。

今回の遠州の浮世絵だって広重を中心に71点も展示されていた。

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浮世絵はやはり往時の風俗を上手くとらえている。

それにまた江戸時代というのは、蓮台渡しにしろ馬にしろ、

はたまた大名行列に歌舞伎などと格好の画材を提供している。

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それぞれ各地の風俗も景色も変化に富んでいたのだ。

浮世絵を見て、その変化を楽しみに旅に出る。

大井川の渡しなど、盛時には600人余の人足がいたという。

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たかだか200年前の古き良き時代の景色なのだ。

東海道53次のうち22の宿場がこの静岡県にあった。

それだけ、山あり川ありと変化に富んでいたのである。

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浜松を描いた絵に「ざゞんざの松」がある。

浜松の空っ風に吹かれる松を表現したのだが、

これは室町の将軍足利義教が富士遊覧の折、

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風にざわめく浜の松を「浜松の音はざゞんざ」と詠ったことに由来する。

しばし、江戸時代の人々の浮き立つ心に思いをはせることができた。

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2011年10月18日 (火)

新型熟年

団塊の世代が、今年から年金受給年齢になりつつある。

熟年と表現しようがしまいが、それはもうオールドの仲間入りである。

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ただ、単なるオールドになってしまってはなるまいと思っている。

団塊の世代は戦後の時代潮流の波頭を生きてきた世代だ。

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ベビーブームに始まって、寿司詰め教室に受験戦争、全共闘などの大学紛争、

はたまた猛烈社員に高度経済成長、窓際族ってのもこの世代特有かもしれない。

なにしろ、男の手料理も得意な独立心旺盛な世代なのだ。

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そうしてニューミドルだったこの世代が、人生最後のステージを迎えようとしている。

問題は、この世代が若い世代の厄介者として過ごすのかどうかだ。

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「世のため人のためもう一肌脱ごう」と介護や防犯、

はたまた生活困難者の支援に動き始めている人達もいる。

金々で追い立てられてきた世代が俄かにボランティアに転身する訳だが、Cimg4572

そもそも年金はその代償だと考えればよかろう。

それも充実したボランテアができるのは、この10年前後だろう。

若い世代にとって重たい存在と思われているこの団塊の世代が、Cimg4523

負担を軽くする人の群れに変わったら、それはこの国の皆にとってハッピーだ。

様々な困難を乗り越えて新しい潮流を作ってきた団塊の皆さん、

この国を明るくするための最後の風を起こそうよ。

ショボンと縮こまっている場合じゃないぞ団塊の諸君。

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2011年10月17日 (月)

 子供達がやって来て

天高く空が秋になって、野も山も稔りの季節を迎えている。

この時期、幼稚園児が芋掘りにやってくる。

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蔓をさしてから二度ほど草取りに来たが、マルチなど管理は私だ。

毎年の事なのでもう当たり前になっている行事だ。

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子供達は親子でやってきて、軍手をはめて芋を探す。

何ともはや、それは農家の収穫と違ってママゴトなのだが、

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親子共に真剣な作業なのだ。

私には母親の露わになった腰回りが気がかりなのだが、

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とにかく母子は夢中で芋を掘っている。

今では少子化という言葉すら聞かれないほど、それが当たり前になった。

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何処でも子供が減って、幼稚園の維持が難しくなっている。

統廃合が時代の趨勢である。

ところで私は団塊の世代の頭で、急に数が増えたんで幼稚園にも入れてもらえなかった。

小学校に入った時、集団生活に馴れない田舎の子を意識されせられた記憶がある。

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今では義務教育でもない幼稚園を選ぶ時代だ。

幼稚園がどんなメニューを用意しているか、その要素に我が家の農園がある。

ともあれ私の地区には5つの幼稚園があるが、これを一本化する必要に迫られている。

老朽化や少子化、またまた震災対策も加わる。

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母親にすれば、幼稚園は近くにあるにこしたことはない。

しかし、そうばかりは言っていられない。

早くから集団の中で育てた方が、子供にとってはよりハッピーだと思う。

だが大きな幼稚園になったら、我が家に来ることもなくなるかな !

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2011年10月16日 (日)

海鳴り

私は、遠州灘海岸から5kmほどの所に住んでいる。

本来なら「我は海の子 白波の~」でもおかしくないのだが、

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普段海を意識することはほとんどない。

台風が近づいて海鳴りが聞こえると、「ああ、海が近いんだ」って思う程度だ。

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だけど3月11日以降、海に対する認識は一変した。

海には水が一杯あって、それがエネルギーさえあれば襲ってくるってことだ。

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今日は海岸一斉清掃の日で、多くの皆さんに参加して頂いた。

昔よりも狭くなったとは言え、砂浜はとてつもなく広い。

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500人や1,000人では、とても海岸全体のゴミを集めることはできない。

昔は自然物しかなかったから自然治癒したんだろうが、

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今はプラスチックのように消滅しないゴミで一杯なのだ。

ゴミ集めに汗を流しながら、来年は「住民海の日」にしようと思った。

秋の一日を海で過ごしてもらって、もちろんゴミも集めるけど、

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みんなで津波や防潮堤についても考えてもらう日にしたらどうかと言うことだ。

海を日常的なものにして海の子になって、その怖さも知ってもらうことだ。

この国は四囲海に囲まれていて、そのことによる海運や漁業、気象などの恩恵を享受している。

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当然ながら高波や津波のような負の恩恵もあるだろう。

そう言うことを丸ごと承知しておくべきなのだ。

緊急避難ビルを探して幾つか指定はしたのだけど、それでもいざという時に収容できる人数は知れている。

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この地域を1707年の宝永なみの地震が襲ったら、恐らくひとたまりもないだろう。

それが分かっていても、この地に住む他ないんだからね。

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2011年10月15日 (土)

今への視線

昨夜に続いて青臭いことを書こうと思っている。

自分で自分の現在をどう見るべきなのかということである。

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もちろん私くらいの年齢になれば、親の介護に明け暮れている人もあろうし、

自分の事業運営に四苦八苦している人、はたまた悠々自適な人もいるだろう。

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幸か不幸か私はそのいずれでもなくて、今こそが青春だと思っている。

かつてほど組織に制約される訳でもなく、家庭を担う重圧もない。

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要するに、多忙ではあるが心の自由を謳歌できる位置にいる。

かつてこれ程に自由であったことがあったろうか。

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僅かに学生時代の一時を思ったりするが、あの時は将来への大きな不安を抱えていた。

それから茫々と時が過ぎて、樹海や胸突き八丁を経て遥々とここまで登ってきた。

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見渡せば雲海の彼方から朝日が昇り始めている。

はてさて、これを青春と言わずして何と言おうか。

畑を耕し葡萄の枝を選定しながら、葉っぱを大きく広げた白菜やキャベツを見ながら、

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今この時こそが青春ではないかと深く思うのだ。

過ぎてしまった日々は、既に夢のまた夢になっている。

永遠の今という一瞬を味わい尽くすことが出来るなら、

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それはそれは素晴らしいことではないか !

過去にどんなキャリアを積んだとか、どんな資格があるなんて何の意味もない。

そんなことに拘泥するんじゃなくて、今を直視することに努めたい。

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「秋深き 隣は何を する人ぞ」(芭蕉)

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2011年10月14日 (金)

新たな物語へ

人生という物語である。

人はそれぞれ自分の物語を作りながら生きている。

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そうして、その物語には幾つかのステージがある。

生まれてから成人するまでの物語。

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仕事に就いて家庭を作り、正に働き蜂として過ごす時代の物語。

やがて管理職となって子離れもし、社会的にも様々な影響力を持つ頃の物語。

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そして最後の物語は、企業人ではなくて一人の人間として自立する物語だ。

それはずっと繋がってはいるけど、改めて振り返るとそれぞれ独立した物語でもある。

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子供の頃勉強しなかったからって、それですべてが決まってしまう訳でもない。

その人のそのステージでの努力や時の運によって、

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大化け小化けして行って、同じ人間でありながらどう変化するか分からない。

そういう可能性に満ちているからこそ、人生が面白いのだろう。

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ところで私もそろそろ最後の傑作を編む時期を迎えている。

登場人物も起こる出来事もこれまでとは全く異なっている。

これはやはり、これまでとは別の新しい物語なのだ。

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過去を引きづってうじうじとしていたら、新しい物語は進展しっこない。

果敢に新たな物語に挑戦すべきなのだ。

人間は、歳と共に乳ばなれ、子ばなれ、そして会社ばなれして行かなくっちゃならない。

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そして今度こそ自由な自分の物語を生きるのだ。

何だか、面白いことが一杯ありそうな気がするのだ。

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2011年10月13日 (木)

「今」の意識

今週は、殊更過密なスケジュールの中にいる。

昨夜も愚痴ったけど、今日はまだ2,700歩しか歩けていない。

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それだけ拘束されていたと言うことなのだ。

しかしまあ真剣勝負の一日で、そのこと自体を不幸だと思っている訳ではない。

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先日、親しい友人から「人生のどんな時が一番の幸せか?」と問われた。

ちょっと考えても、なかなか答えが出てこない。

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それに何時も幸せだったような気もするし、何時も不幸だったとも思う。

幸不幸は表裏一体なのだろう。

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そして人生は、その瞬間の積み重ねでしかない。

今が充実していなかったら、一日・一年が幸せであるはずはない。

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だから、幸せは今を懸命に生きることから始まると思っている。

それには、今のこの瞬間を意識することだ。

地球の外から、この自分という生き物を観察しているような感じだ。

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そういう意味で、私達は一人一人その人生の演出者なのだ。

こいつの生き様を、とくと眺めてやろうと思っている。

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2011年10月12日 (水)

俺の時間

一日の時間をどう使うか・・それが自由になる。

そう思ってワクワクしていたのだが、相変わらず時間に流されている。

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思えばオギャーと生まれて以来、ずう~っとタイムテーブルの上に乗せられてきた。

幼稚園の次が小学校・中学校・高校と・・・、

長じては会社の歯車として回り続けてきた。

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そいつが一気に無くなって、

定年と同時に時間のベルトコンベアから降りられると思っていた。

一日一年を自分の思うままに使って、残りの人生を謳歌しよう。

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そうも考えていたのだが、そうは問屋が卸しそうもない。

老齢年金の支給年齢もやがては70歳になりそうな勢いだし、

高齢者も高齢者なりの働きをしないと食べていけそうにない。

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それに長年の習いで、何もしないで過ごすのは心苦しい。

結局のところ、あれにもこれにも手を染めて、

既に手帳はスケジュールで一杯である。

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どうもこれまで同様に時間に使われ始めている。

その証拠に、今日は4,200歩しか歩いていない。

明日はもっと少なくなりそうだ。

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自分の体を動かして汗をかいて、自分で考えて行動する。

意識して俺の時間を取り戻さんといかんな~。

ともあれ、最小限自分が時間の主人でありたいと思っている。

なのに、今日も会議から今帰ったばかりだ。

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2011年10月11日 (火)

魂の在処

人間と生まれて最も大切なもの、それはコミュニケーション能力ではないか。

分身であるはずの母と子だって、長じてもどこまで分かり合っているかどうか。

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況や生まれも育ちも違う人と人が分かり合うためには、

そのコミュニケーション能力もさることながら、かなりの努力を必要とする。

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人生の幸せは、その人と人の心が通じ合えた時に生まれるのではないか。

否それは、意見の一致を見た時と言っているのではない。

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例え意見が違っていたって、相手を思いやる心があればコミュニケーションは豊かになる。

そしてやがて、お互いに生きる姿勢というか、魂のありかが分かるようになる。

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つまりnot acceptablesと言うより、I'm not very happy about・・の方がベターだと言うことだ。

この国も随分と国際化してきて、

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子供達だって日常的に肌の違う人とも接するようになった。

多文化共生と言われて久しいのだが、それはコミュニケーションの無い所には育たない。

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言葉さえ通じて心の在処が分かれば、それは全て解決すると思うのだ。

もっとも、言葉が通じても心が通じない場合が多いから不幸がある。

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それは、人が何時の間にか虚栄や攻撃性というものを育ててしまうからだろう。

だから時には目を閉じて、来し方行く末を制約なく考えようと心がけている。

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2011年10月10日 (月)

不時開花

我が家の河津桜、それに梨が花を咲かせている。

9月の時ならぬ冷え込みと台風15号での落葉で、

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もはや冬を過ぎて春来るらしと感じたらしいのだ。

これを狂い咲きとも不時現象とも呼ぶ。

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今日はその狂い咲きの桜の下で、せっせとキャベツの畝を作った。

キャベツの苗を買うと一本80円ほどする。

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シーズンのキャベツが一個100円程だから、肥料や病虫害を考えればコストに合わない。

それで種から育てることにして、今日は300本ほどを鉢上げした。

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それもこれも重労働である。

大体において、野菜の値段が安価過ぎるのだ。

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畑仕事をしながらcrisisと言うことを考えていた。

自分をその属性において固定してしまうと、自由な創造性を失うという危機だ。

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自由な発想を失えば、それは老化というcrisisに陥る。

つまり、夏の後のあの程度の低温でも冬を感じてしまうのだ。

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脳というのは不思議なもので、何時も揉みほぐしていないと固まってしまう。

あの日出原さんなどは、フレキシビリティーのお手本のようなもので、

間違っても狂い咲きではない。

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やはり桜は春に咲いてこその花だし、梨も実を稔らせてこそ価値がある。

秋空は底抜けに明るく、どんな発想だって許容している。

天高く馬肥える秋なのだ。

務めてsinpletonにはなりたくないと考えていた。

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2011年10月 9日 (日)

横浜ラブソディー

今日は、甥の結婚式で横浜に出かけた。

披露宴は今流で、音声と映像を中心に展開していく。

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参列者もほんの一部の親族と、大多数の友人・恩師・会社関係者だ。

都会的で粋な演出の舞台のスターは、もちろん新郎新婦である。

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その目出度い席に臨んで、やはり「人生の一日」を思った。

人には、生涯に忘れられない何日かがある。

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それは結婚式だけではなくて、人生の主役として表舞台に立つ日のことだ。

当然ながら、そんな晴舞台がそうそう有るものじゃない。

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こつこつと積み上げていって、その努力が形になって昇華する。

その舞台を築くのは、他ならぬ自分でしかない。

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人は自分一人で強がっていたって、実は多くの人に支えられて生きている。

どんなに孤独が好きでも、一人じゃ生きられっこないのだ。

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だから「愛」なんてものを希求する。

相思相愛の相手が現れれば、もうそれは華麗な狂想曲となる。

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始めっから、えにしなんて有る訳がない。

そのもとより有るか無いかの縁を、本当の縁にすること。

私達は、その「人生の一日」のために生きているのかも知れない。

お二人の未来に幸あれ !

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2011年10月 8日 (土)

祭囃子

祭囃子があちこちから聞こえてくる。

それで今夜は、何はともあれお祭りの話題だろう。

孫達は屋台に付きっきりで一日姿を見せない。

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私の子供の頃の祭りは村の鎮守の祭りで、

その小さな村祭りにも物売りの露店が並んだ。

学校も、早引けになったっけ!

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祭りは子供にとって、まさに非日常の最たるものだったろう。

餅撒きがあって甘酒やご馳走が配られた。

そんな風情は、今は名残だけになった。

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時代は祭りを農とは係わりを無くしていって、鎮守のお宮さんは名目だけのものになった。

つまり豊作祈願とは縁も所縁もないものになった訳だ。

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それでも笛太鼓が聞こえてくると、あの頃を思い出し、

今年も暑かった夏が終わったばかりだけど、もう秋だなとしみじみ思う。

実は、私は祭りそのものがあんまり好きではない。Cimg4848

中に入って行けないというか、大勢の中で異次元の空虚を感じてしまう。

それで「無我の境地というか、馬鹿になれればな~」と思ったことすらある。

祭りは、日常を離れなければ中に入っていけない。

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私には、自意識が過剰にあるのかも知れない。

とは言え、祭りの雰囲気そのものは嫌いではない。

そして、今年も祭りの夜は更け行く。

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2011年10月 7日 (金)

70億の地球市民

間もなく(20日程で)地球の人口が70億人になる。

60億人を記録したのは13年前のことだった。

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そしてやがて、2025年には80億人になるらしい。

人口の増加は、その人口収容力の結果だから慶賀すべきことだろう。

しかし70億人のうち、一日に100円以下で食つないでいる人が9億人いる。

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慢性的な飢餓に苦しむ地域も多い。

その一方で、人口の2%にも満たないのに世界中から食料を買いあさっているのが、

この私達の日本なのだ。

カロリーベースの食料自給率は41%に過ぎない。

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その低自給率を出鱈目だと論評する本さえ出版されていて、

もっともっと関税を下げて輸入を増やせと言っている。

だが、誰が何と言おうと世界最大の食料輸入国はこの日本なのだ。

その事実を事実と認めないあこぎな商売人がいるという証拠だろう。

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そして管内閣をそそのかしたその輩が、またぞろ動き初めている。

金権亡者たちは、この国を滅ぼしても自分たちの利益だけを追求するらしい。

あのTPPのバカ騒ぎを又しても始めようとしているのだ。

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そりゃ言い出しっぺの米国にすりゃ、

最大の輸出先の日本の参加しないTPPなんて何の意味もないからね。

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「おいっ、何とかしろよ!」って、せっついているんだろう。

ともあれ私達は、誰がそれを主導しているかをジッと見ておかねばなるまい。

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そいつが、この国を売って利を得ようとしている輩なのだ。

世界の平和を考えるんだったら、この国の有り様を反省することだ。

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2011年10月 6日 (木)

秋色

最も秋を感じさせるのは、あのパンパースの抽苔だ。

白いフォックスディールの様なふさふさを秋空になびかせる。

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ススキの穂には一抹の寂しさを感じるが、パンパースにはそれが無い。

そして、堂々と秋空に佇立している。

その黄昏にも微動だにしないような主張が好きだ。

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ともあれ金木犀がしきりに香りを漂わせて、いやがおうにも秋を自覚する。

香りを表現する言葉があれば、金木犀の香りは何と表現されるのだろうか。

「そこはか」とでも言うような穏やかな香りだ。

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パンパースも金木犀も、一年に一度この時期に花を咲かせる。

ずう~っと生きていて、この時期に思い出したように花を咲かせる。

それでその花も、この季節に良くマッチした控え目な花だ。

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彼らは年々歳々この花を咲かせるために生きている。

ところで人間の致死率は100%で、誰でも確実に死ぬことになっている。

それまでの間、せっせと米を作ったり、料理を作ったり、

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はたまた工場で働いたりしている。

でも気になるのは、その秋に咲かせる花だ。

あなたはずう~っと人生やってきて、どんな花を咲かせられるの?

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今日は久しぶりに床屋に行った。

そうして、やおら対面した老けた男に驚いた。

可哀そうなほど髪の毛が薄くなっている。

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床屋の親父は「いや、細くなったんですよ」と言う。

そうか! 身も心も細ったけど、髪の毛まで細ったのか。

これじゃパンパースにもなれなんな~と、ひときわ秋色の深まりを感じたのだ。

で、アデランスにでも相談しようかしら…・・・?

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2011年10月 5日 (水)

国の仕組み

どの角度から見てもこの国は瀬戸際に追い込まれつつあるのだが、

今日は健康保険制度について考えている。

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と言うのは、半年分の夫婦二人の保険料を26万円余請求されたことがきっかけだ。

あんまり高額なんで、無保険を選択しようとしたくらいだ。

私個人の話はともかく、皆保険が始まったのは昭和36年のことだ。

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そう !、スーダラ節や銀座の恋の物語なんて歌がはやった頃だ。

この国の高度経済成長がまさに始まろうとしていた。

当時の平均寿命は男で66歳、65才以上の人口は5.8%に過ぎなかった。

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それが今は男の平均寿命80才、65才以上の人口は22.9%だ。

この間、1兆円程だった国民医療費は年間36兆円にもなって、

国民所得の10.6%にも達している。

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高齢化と保険料収納率の低下でその財源の自己負担と保険料も年々減って、

不足分(37.5%)を税金で補てんせざるを得なくなっている。

それも国債という借金でまかなっているのだから、どこかで破綻する。

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年金と合わせて、将来はどうなるのかとの不安が高まるのも当然だろう。

ちなみに「国民生活に対する世論調査」でも、

老後の生活設計への不安が最も多くを占めるようになっている。

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時代が変わったのに、制度は若い時代のままなのだ。

それが故に、最少不幸どころか最大の不幸が襲ってきそうな気配なのだ。

健康保険は社会を安定させるための制度として、今日の長寿社会を実現させてきた。

しかしその財源が担保されない限り、近い将来この国の財政と同時に破綻することになる。

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世界の経済が「静かな恐慌」に陥ろうとしている今日、

子供手当などとバラマキにうつつをぬかしている時ではない。

顔色を変えて、財政と制度の再構築をすべきなのだ。

はてさて、この古い革袋を如何せん。

 

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2011年10月 4日 (火)

日常を見つめる

何故このブログを書き続けているかということを書こうとしている。

休まずに書き続けてきて、あと一か月ほどで2000日になる。

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書き続けてこられたのは、他愛無くとも自分の日常を大切にしたいとの思いだ。

ゆく川の流れのように去っていく一日一日だけど、

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その日その時感じたこと考えたことを書き留めておかなければ、

私のその一瞬が永遠に消えて無くなってしまうと考えた。

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後で思い出そうったって、人生は一回性の連続だから、それは駄目だ。

やはり一生懸命に生きていて、その時々に感じたことを何かに残したい。

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そんな無意識の思いがある。

だからその時のエネルギーのままに、少々の緊張を持つつも勢いで書いている。

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結果として、読んでくださっている方の意に沿わないこともあるだろうし、

共感して下さることもあるだろう。

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そういう意味でのモノローグだし、What's 0n my mindなのだ。

という訳で、書くことのすべてを自分の趣向で決めているし、

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モラルに反しない限り、誰に制約されるものでも無いと思っている。

そうして肝心なことは、こうして書いている一瞬だということだ。

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書き留めたことは残るけど、私のその一瞬は既に過去のものになっている。

つまり一日一日を生きた印に、杭棒を打っているようなものなのだ。

今、その二千本近いぼっくいの列を眺めつつ、

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「ああ、これが私の人生なのだ」と実感している。

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2011年10月 3日 (月)

老いてなお

私達の人生では、何時も自分が主役だ。

そうして、人生を自分の意思でいつも進行させることを夢見ている。

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ところで動物というのは、一生涯に鼓動する心臓の回数は一定なのだそうだ。

心臓が15億回打つと大抵死ぬのだそうだ。

この脈拍数は体重の1/4乗に比例していて、

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人間なら一分間に60回、ハツカネズミは600回、馬は30回、クジラなら5回となる。

そして鼓動が速いほど、寿命は短くなる。

この15億回の法則通りなら、人間は50才位で死ぬことになる。

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長らく人生50年と言われてきた所以だ。

ところが栄養や医療がこの環境を変えてしまって、今では90才位まで生きるようになった。

「おまけの人生」がどんどん増えたという次第だ。

一昨日高校の支部総会を開催した。

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私の卒業した高校は来年創立90周年を迎えるのだから先輩は無尽蔵だ。

それで92才の方が2名出席してくださった。

お昼頃、そのうちの一人から私の家に電話があって、その方の家に来いと言う。

近頃書き下ろした本を進呈したいが重くて持てないから取に来いと・・・。

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押っ取り刀で駆け付けたのだが、奥さんが「申し訳ありません。益々頑固になって・・」と詫びる。

ともあれタクシーで会場までお連れしたのだが、

私の挨拶の後、来賓祝辞が終わって乾杯をする段になった。

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と92才のご老体が、やおら「何故、俺にしゃべらせないのか?」と大声を出した。

「俺を黙らせようったって、そうはさせんぞ!」と言う。

彼には恒例(高齢)によって、乾杯の音頭をお願いすることになっていたのだが、

それでは承知できないとおっしゃる。

もちろん、そんな矍鑠とした大先輩をたしなめる人は誰もいない。

と言う訳で、同窓会が又しても彼の会になってしまった。

しかしまあ、老いてなお意気軒昂は素晴らしいのだが、

このおまけとも言える自己中心の老害を如何せん。

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2011年10月 2日 (日)

今週も快走

今日は、ぐるっと浜名湖一周マラニックである。

JR新居駅をスタートして、

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反時計回りに浜名湖の縁を縫うように走る。

だから総延長は85km程になる。

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7:30がスタートなのだが、なかなか17;00までにはゴールできない。

それで時差スタートする人が多くて、

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最も早かったKさんは3:30のスタートだった。

私は一部ワープを決めていて、定刻のスタートである。

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途中ガーデンパークに寄り道することにもしていた。

ガーデンパークでは丁度駅伝大会が開催されていてDscf2384

100余のチームがテントを張ったりして蟠踞していた。

グループというものは、こんな大会でこそその真価を発揮する。

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おそらく仲間って良いものだな~って実感させてくれる。

殊に駅伝は、そのチームが力を合わせて精一杯汗を流すのだ。

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ともあれ私達は一匹狼の群れだから、ガーデンパークを一周して本来のコースに戻る。

そこからは舘山寺~細江~三ヶ日~瀬戸~鷲津~新居と走っていく。

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湖西の知波田あたりでは少々顎が出かかっていた。

そこに、Y女氏がお孫さんと一緒に私設エイドを出してくれていた。

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やはり彼女もランナーで、最もへばった頃を良く心得ているのだ。

この予期せぬエイドで思いっきり元気を付けてもらった。

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それから後の15kmほどは、再び快調な走りに戻ったのだ。

で、16:20に新居弁天の旅館にゴールした。

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私の走行距離は62km、歩数は66,000歩であった。

ゴールすると、そこでは既に宴会が始まっていて一斉に拍手が沸き起こる。

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まあ風呂に入って、それからが本番なのだがこの人達は待ちきれないのだ。

何時もの宴会が始まってしばらくすると、今度は新居名物の手筒花火である。

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今日も最高の盛り上がりをみせて終焉となったのだ。

実はこの大会は今年が最後で、来年からは100kmマラソンに衣替えすることになっている。

よし、来年は100kmを完走するぞっ!

秋の一日、浜名湖にはヨットやサイクリング、ドッグ競技会、釣りなど様々なグループが集まっていた。

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2011年10月 1日 (土)

邪気もなし

邪気ということを考えている。

簡単に言うと、邪気とはバイ菌マンのようなものだろうか?

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幼児期にはおよそ邪気とは無縁なのだが、長ずるに従って悪意を含むようになる。

そしてその根っこには、怨嗟とか嫉妬、はたまた慢心なんて心がある。

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私の知人に、およそ邪気を感じない人がいる。

何時も朗らかで、しかもどっしりとした芯がある。

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ランナー仲間の一人なのだが、実に活動的で人をそらすことがない。

怒った顔を見たこともないし、悪口を吐くこともない。

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童心そのままで、近くにいると不思議な安堵感がある。

おそらく、邪気を育てることの無い家庭に育ったのだろう。

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「三つ子の魂100までも」と言われるように、物心というものには邪気を含むのだろう。

例えば私なども、引っ込み思案で臆病で、劣等感の塊で邪気以前なのだが、

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そんな本質は少しも変わっていないように思うのだ。

でもまあ、歳と共にあんまり邪気をマスクするようにはなっている。

今日は孫の幼稚園の運動会に引っ張り出された。

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無邪気な童心を眺めながら、私は幼稚園には行けなかったが、

泥だらけになって生きていた自分を、その中のどこかに探していた。

今の子供は、父母どころか両方の爺婆にも囲まれて、

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無邪気な中にほんの少しの自意識をチラつかせていた。

強い子、弱い子、器用な子、小さい子大きい子、みんな違っている。

でもさ、人生ってのはね、やってみないと分からないんだよ。

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