大原の宝泉院
腹の足しがあれば、心の足しがあっても良かろう。
それは読書であったり絵画であったりもする。
そして古刹を訪ねて物思うのも結構な心の足しになる。
京都大原の宝泉院の住職の言葉の中に、
「眠られない人に夜は長く、疲れた者には道遠い」とあった。
確かにその通りで、見る目聞く耳を持たない人には馬耳東風でしかない。
仏教を学問から宗教にしたその要素に声明というものがある。
最澄の弟子円仁がその体系を創始した。
音楽は人を感動させる、そしてその音楽を宗教の荘厳さに注入したのだ。
洛北は大原の奥まった所に「音無しの滝」がある。
円仁の声明が滝の音を消してしまったと伝わる。
ともあれ宝泉院である。
樹齢600年の五葉松が凛としてそびえ、額縁庭園からの庭が美しい。
寺の天上には、かつての伏見城の材が使われている。
関ヶ原の合戦を前にして、石田光成が伏見城を攻める。
その伏見城を家康の命で鳥居元忠らが守っていた。
その元忠ら数百名が自刃した場所の材を天井にしたのだという。
一見何の変哲もない天井に見えるが、
血塗られた材だと思えばまた趣向は変わって来る。
想像を巡らせば、1599年の歴史の転換点にタイムスリップだって出来るのだ。
声明の里を訪れてみれば、
「この寺の 竹の枝間を うちこして 吹き来る風の 音の清さよ」であった。
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