セシウム余波
政治家として、島田市長の姿勢は認めるべきだろう。
彼は岩手県の震災瓦礫を体を張って受け入れた。
ヒステリックな反対派市民のリコールの声にも敢然と立っていた。
それにしても、静岡県のセシウム汚染度と全く同じ程度の岩手県の瓦礫に、
これ程過敏な反応をさせたのは、騒ぎを起こしたいグループのオルグと、
風評被害への恐怖だろう。
根っ子が風評だけに、これは何処に何ほどの影響を与えるのか予測できない。
県下の多くの首長は、その補償が保証されないことを言い訳に瓦礫焼却を拒否してきた。
しかし、その言い訳もそろそろ限界に来たようだ。
それでやっと、静岡と浜松市長が動きを見せ始めた。
被災地の復興を願うなら、国民等しく幾ばくかの犠牲を払うべきなのだ。
セシウムの亡霊は、科学的ではなくて明らかに心の問題でしかない。
ところで今日は、NPO食茶の会の総会があった。
お茶の有用成分を活かすなら丸ごと食べるのが一番良い。
そのことを、この十年間運動として進めてきた。
それが、このセシウム騒動である。
消費者は、この自然界に存在する放射線以下の食品を要求する。
そんなものは、この地球上に(検出せずはあっても)有る筈もないのだが、
それが消費者の心理なのだろう。
厚生省が100ベクレル以下は食べても可と言ったところで、
茶は健康食品であり嗜好品なのだ。
福島原発は、私達のこれまでの努力をぶち壊してしまった。
しかしながら、岩手県の瓦礫拒否と同じで、
余りにもヒステリックな反応に過ぎるのではないか。
かつてのゴビ砂漠での中国の核実験の汚染の方がはるかに大きくはないか。
あのセシウムは毎年黄砂と共に降ってくる。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント