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2012年2月 8日 (水)

黄粱一炊の夢

人生は結構長いんだけど、それでも過ぎてしまえば泡沫の夢だ。

その泡沫は思い出だろうか?

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仮に思い出が無いとしたら、それは悲しく寂しい人生だ。

ところで「男の顔」について考えている。

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女の顔でも良いんだが色気抜きで考えるため、あえて男にする。

男は40にして顔に責任を持てと言われたりする。

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そう、4~50年も生きていれば、その歩いた道筋が顔に現れる。

自信に満ちた顔、悲しげな顔、ずる賢そうな顔、卑しげな顔、ふくふくとした顔、

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人それぞれに色々な顔をぶら下げて歩いている。

そんな人の顔を見る目は肥えてきたが、自分の顔を見るのは苦手だ。

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「これが俺の人生か?」と、かなりの戸惑いを覚えるからだ。

とは言え、私にだっていろいろな顔がある。

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家の中での親父の顔、街頭に立って子供を見送るオジサンの顔、

会社の役員会での神妙な顔、自治会で発言を促す時の顔、

前に向かってひた走るときの顔、集会で挨拶する顔、それに困った時の顔。

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そんな色々な顔を使い分けながら生きている。

そうして、その色々な顔の集合体が鏡の前のお前なのだ。

・・・・とは思うのだが、なかなか納得がいかない昨今だ。

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黄粱一炊の夢だとすれば、この顔を作るために心胆を舐めてきたことになる。

これまでの莫大な思い出の集大成がこの顔なのかどうか。

やや角度を変えて眺めると、死んだ親父に似てきたようでもあり、

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半分は親の責任かと自分を慰めてもみる。

子供の頃、私は毎日ヘッツイで藁をくべてご飯を炊いていた。

例の「始めちょろちょろ中ぱっば 赤子泣いても蓋とるな」である。

時間にすれば、たかだか3~40分だろうか。

この「一炊の夢」の文字を見ると、たちまち戦後間もないあの頃のことを思い出す。

三つ子の魂百までもなんだろうな。

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