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2012年3月 2日 (金)

桶狭間

言うまでもなく桶狭間は、2万5千の兵を3千の寡兵で破った歴史転換の地である。

この地は尾張だが、かねてから両勢力がせめぎ合う接点の地だった。

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桶狭間の西5km程にある大高城は今川方の城であり、

信長はこの城の北側500m程の所に鷲津砦と丸根砦を築いて対抗していた。

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義元は、そんな小競り合いを一挙に解消し、

出来れば清州を覆滅すべく出陣したのだろう。

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義元が沓掛城に入った17日には、先遣部隊は既に二つの砦に向かっていた。

19日、義元は沓掛城から5kmほど離れた桶狭間に向かう。

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同時に先遣部隊の砦攻撃が始まっている。

そしてこの日の昼前には、この二つの砦は全滅して陥落。

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義元はその報告を桶狭間で受けるのである。

彼にすれば、すべて順調に事が運んでいるとの認識だったろう。

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だがこの時信長は、砦の燃える煙を見ながら、

砦の北3km程の所を桶狭間に近づいていた。

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二つの砦は、信長とっては囮の位置付けだったかもしれない。

いずれにしろ12時30分頃、雷雨を突いて義元の本陣に突撃。

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義元は桶狭間山の南麓に退却しつつ深田に追い込まれ、

遂に毛利伸介に討たれてしまう。

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その場所が現在の古戦場公園だ。

今ここには、信長と義元の像が仲良く並んで建てられている。

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公園近くには、今川勢に酒食を供して持て成したと伝わる長福寺がある。

またこの寺は、信長が義元の同朋の林阿弥に首実検させた所としても知られる。

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いずれにしても450年前、

この十キロ四方の地で起こった事件がこの国の歴史を変えたのである。

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この機会に、その諸々の遺跡を自分の足で踏査してみようと考えた。

先ずは桶狭間南麓の古戦場公園に向かった。

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あちこち見回っていると、突然地元の方に呼び止められて、

「実はこの地は南北朝以来・・・」と20分余歴史講義を聴かせていただいた。

ともあれ遅れを取り戻すべく、急ぎ首塚のある長福寺へ。

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そこから長躯して丸根砦跡と鷲頭砦跡に。

この二つの砦の守兵は全滅したと記されているが、

規模はさしたるものではなく、千余の兵に囲まれれば守りは難しい。

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あくまでも砦であって、ここに兵を込めておいたのは信長の戦略だろうか?

向かい合った南側に大高城跡がある。

こちらは天守台を含めて城郭の形がそのまま残っていて、規模もかなりのものだ。

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記録では戦いの前夜、この城に松平元康(家康)が「兵糧入れ」したことになっている。

ともあれ織田信長26歳の折であり、突如出陣した彼に勝算があったのかどうか。

「人生五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごときなり、

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ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきや」と幸若を舞って駈け出している。

史跡はあくまでもひっそりと佇んでいた。

この日の史跡巡りは、走行距離約20km、4時間の行程だった。

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コメント

お疲れさまでした。桶狭間史跡めぐり楽しかったです400年も500年もの昔4時間で廻るには歴史の重みを感じましたでもしっかりと密かにも守られているんで安心しました。今私達がいること昔があってからこそだと感じてます

投稿: うっちゃん | 2012年3月 3日 (土) 06時19分

自分の足で歴史を遡ってみると、何がしか歴史の真実が、少しずつ見えてくるような気がします。

 かつて関ヶ原の陣地を一人で巡ったことがありました。やはり一人よりも相棒がいた方が格段に良いですね。

 一人じゃ心細いとこにだって、どんどん入っていけるからね。

 ともあれ、何かと有難うございました。

投稿: 山草人 | 2012年3月 3日 (土) 20時21分

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