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2012年4月29日 (日)

遠州大名行列

東海道は見付宿、その大祭りのメインイベントが遠州大名行列だ。

今年で12回目を迎えたが、その行列には毎回異なった物語が加わっている。

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単なる行列ではないと言うことだ。

確か一昨年は、駒ケ根市生まれの犬のしっ平太郎がテーマだった。

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そして今年は、お江とその娘和子との出会い、そして北斎の富岳絵だ。

実は、私もその行列に遠州藩侯をそば近くで護衛する目付の役で参加した。

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その装束も本格的なもので、一時間ほどかけて係の女性がしっかりと着付けてくれる。

春の陽気に、これ程かと思うほどの着付けである。

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ともあれ、見付宿の西はずれにある西光寺と言う寺が発駕式の場である。

そしてその西光寺には、

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お江の息女で天皇家に嫁した東福門院和子(まさこ)の寄進した日限地蔵尊がある。

寺の表門は、家康の滞在した中泉別荘の門が移築されたものだ。

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そこで北斎が転寝をし、お江と和子の出会いを夢見る設定から行列は始まる。

北斎が住職に起こされて正気になったところから駕が出発するのだ。

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下にぃ~下にの声に合わせて、半歩また半歩ずつ行列は進む。

だがこの半歩が大変なのだ。

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右に左に半歩ずつ前進しなくてはならない。

それに足の長さで歩幅が違うから当然間が空いてしまう。

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そうして慣れない歩き方だし、しっかり着込んでいるから汗びっしょりである。

見物はともかく出演は初めてで、こんなに疲れるものとは思わなかった。

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見付宿に入ると宿役人の出迎えがあって、

本陣では遠州侯(市長)のもとに北斎が呼び出される。

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そこに浜松城代(川勝知事)が訪れるのだが、

北斎はこの場で見付宿から見た富士を書くのだ。

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その折、この絵を門外不出とする約束が交わされるのだ。

後に北斎の富嶽三十六景がヒットするのだが、

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どういう訳か見付宿からの富士だけが含まれていない。

それがこの見付宿での藩侯との約束だったという次第だ。

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行列は本陣を離れ、東木戸に向かって進むのだが、

途中、産婆さんが急ぐあまり行列を横切ると言うハプニングを交えながら、

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最後は宿役人(各自治会長)に見送られて宿場を離れ、

東海道を東に見付天神の坂を登っていく。

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ここまでが4時間余の大名行列のドラマだ。

この歩き方の練習や振り付けに3日間を要した。

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奴っこの中学生などはこの一か月間稽古してきた。

見付は宿場として古い歴史を刻んできている。Cimg6628

そもそも見付とは、西から進んできた旅人が初めて富士を見付けることに由来する。

しかるに富嶽三十六景に何故見付が含まれていないのか?

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そんな疑問を題材に今日の行列を演じたのだ。

暑い一日でござったが、ご同輩衆ご苦労でござった !!

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コメント

うわー!大変。
でも同じ阿呆なら、、、というわけで参加しなければ本当の面白さは味わえないですよね。
浜名湖、参加しますよ。
よろしくお願いいたします。

投稿: かわい | 2012年4月30日 (月) 00時55分

 かわいさん。そうです。やってみなきゃホントのところは分からんのです。

 と言う訳で、いよいよ100kに挑戦ですね。
私は主催者側と言うことでエイドに回りますが、皆さんか悔いなく走れるよう精一杯応援しますよ。

 かわいさん、人生は一度っきりなんだもんね。お互いに思いっきり生きましょうよ。
                山草人

投稿: 山草人 | 2012年4月30日 (月) 19時12分

 各位
 このブログの前日にある「生贄」にコメントしようとしたのですが、何故かコメント欄が削除されていました。止むを得ずに、このブログのコメント欄を利用します。恐れ入りますが、前日のブログを参照して頂けますようにお願い申し上げます。

 山草人様

 「北川元天竜林業高校長の冤罪事件」を山草人さんのブログで知ってから、支援したいものだ、と考えてきました。「第三回勉強会」にも参加したかったのですが、私が監事を務めているNPOの理事長が低血糖症で倒れたので、その緊急対応があって機会を逸しました。
 しかし、山草人さんが参加されて、状況報告をしてくださったので、概要を知る事ができました。大変にありがたかったのです。ここに厚く御礼申し上げます。

 私は、校長が担当教諭に「なんとかならないか?!」といった言葉が大きな意味をもった、と感じています。
 山草人さんは「仮に担任の教諭のさじ加減が加わったとしても、そもそも校長の出張る性質のものなのかどうか?」ということで、校長の関与を否定しています。しかし、評価される者は評価する者に対して弱いものです。だから評価される者は「何とかしようとする」努力があっても当然です。これが世間常識です。ですから山草人さんの論法では、検察によるこの世間常識に基づくシナリオが妥当になってしまうのではないでしょうか? これが心配です。
 私は「なんとかならないか?!」という発言は校長として不適切なのかどうかを考えてみたいのです。まず、私が知る「何とかならないかを考えて、何とかした例」を記します。
 
 第一例は、現在も行われているか否かは分かりませんが、昔に聞いた話です。「米大学では、入試試験に落ちた者であっても、教授が自己判断で入学させることがある。ただし、その学生に関してはその教授が責任をもって指導する」 私は、さすが米国と感心しました。教育指導者の真髄は学生を社会に役立つ人間に育てる、という社会的責任だけを問われるべきと考えているので、正当な行為と結論しました。しかも、救われたのは日本人留学生に多かったようです。教授は語学力のハンディはあるが優れた才能を認めて伸ばしたかったのでしょう。

 第二例は、最近の週刊ポスト5月18日号の連載にあった情報です。「狂った牙(第2回)」に元検事総長であった馬場義続氏の生立ちがあります。家が貧しくて私立中学の夜学で学んでいた馬場が、私立中学から旧制公立中学への転入が認められない制度があったにも拘らず、成績優秀で勉学熱心な馬場に目をかけて、転入を実現させた者がいたのです。旧制田川中学の田中常憲校長だそうです。しかも、地元銀行頭取に掛け合って、学費援助の約束まで取り付けたそうです。先程の米大学の話を髣髴とさせます。
 しかし、現在の日本では田中常憲校長と同じ行動をとれば、北川校長と同じように「ルール違反で社会から抹殺される」ようで心配です。

 第三例は、私の手元に「心のさけびを行動に ~私の歩んだ道~」という近藤俊朗先生(医師 川崎いのちの電話理事長)の講演記録(2011年7月16日)があります。ある人がギリギリの局面に直面した際に、その人(農業高校の場合には生徒)の役に立つとは、こういうことのように思えてなりません。綺麗ごとではありません。解決するには、生々しい現実に則した覚悟があるのです。一部抜粋します。
 「山形あたりの豪農では、三年子どもができないと奥さんは離婚されてたんですね。ところが、亭主を呼んでみたら、精子がないんですよ。それで僕は怒ってね、お前何言ってるんだ。三人も四人も女房をかえるってのはおかしいんじゃないか。ということで、あるとき子どもをもらってあげて、その奥さんをこちらで1年間預かりました。で、帯をだんだん巻いてお腹を大きくし十ヶ月で帰して、今すごく栄えているうちがあります。昔は男が悪いなんてあまり考えてなかった、医者はね。たまたま僕は偶然にそういうことを経験しました。」

 これ等事例を参考にすれば、校長が担任教諭に「何とかならないか?!」と言うのは、対象とする生徒の才能と日本農業の将来を考えて当然の責務といえましょう。それならば、担任教諭はどのような行動をとるべきだったのでしょうか? 私が思うに、「東京農業大学に赴いて、その生徒の才能と本性が大学とその後の社会に役立つことを説明し尽くす」ことなのです。それなのに担任教諭は内申書を改ざんする、という姑息な形で安易に法律違反を犯してしまった、と事態を解すべきではないでしょうか。
 この解釈法は「貿易戦争とナショナリズム(4月11日)」に4月29日にコメントさせて頂いた、「ローマ法という狭い解釈でなく、ゲルマン法体系の広い視野に立つ」ことの有効性を示唆しているように思うのですがいかがでしょうか? 検察は手馴れたローマ法体系で争ってくるでしょう。それならば、世界に通じるゲルマン法体系の思想に基づいて、争点・視野を広げることも考えて欲しいものです。司法界の弱いところを突くことだけが、我々素人集団にとって勝利への道と考えています。それが検察の机上の空論から民衆の生きている知恵・価値体系に取り戻す唯一の道であり、未来への夢も同時に育むと期待しています。


 同世代の暇人様
 5月9日に「貿易戦争とナショナリズム(4月11日)」コメント頂いた件についてお答えします。
 「主催者を脇においてブログ読者間でのやり取りはイレギュラーだ」とのご意見には賛成です。ですから、以前に「(ブログに掲載すべきでない詳細な議論をするために)メール交信をしたいので、山草人さんを介添えにしてアドレス交換したい」と申し出ました。ところが、拒否されました。止むを得ない措置としてブログにコメントを続けてきました。可能なら是非ともアドレスをお知らせ頂きたいのです。そうしましたら、今回頂戴しましたTPPコメントについて、私の意見をメールすることができます。仲介役に個人情報の厳しい守秘義務を課す必要があれば、弁護士に依頼するのがもっとも安全とご提案申し上げます。
 「(異論は)問題意識としてご自身の中に持っていて欲しい。」という発言には同意しかねます。それは「民主主義の根幹である相手を尊重した異論」さえも否定するからです。
 私が留意していることは、「異論を投稿する場合にはある程度のインターバルを置かないと、花園荒らしになってしまう」と考えて、一ヶ月に一度に制限しています。
 そして、私が異論を唱え続けているのは「山草人さんのブログ」に、更なる発展と広がりに期待をもっているからです。
 また敢えて言うならば、「思想信条が同一の集団は、想定外の外圧に脆い」ものです。そのような有事には、我々のように異論を唱えうる者が(論理的に)支えることが多いと認識しています。
「いざとなると味方は居なくなり、敵と思っていた者が支えてくれる」のではないでしょうか。
 言葉を変えれば、「格好良く言えば、毒性を弱めたワクチンです。卑下して言えば、(無菌室に居た人の体力は衰えて戦えません。)健康な身体には適当なバイキンが必要」なのです。
 つまり、私は「山草人さんのモノローグ」の支援者のつもりでいます。現在では、お互いにメール交換していませんが、それは特に必要ないのでオープンなコメントを利用することで充足しているだけと考えています。必要ならいつでもメール交換できるのです。これはリスク管理の一つです。

投稿: 米山 | 2012年5月30日 (水) 09時55分

米山様
「貿易戦争とナショナリズム」で5月9日に小生が最後にコメントしたのは「(本を読んで)貴兄が感じた疑問点は問題意識としてご自身の中に持っていて欲しい。」ということであり、勝手に、「異論」と断定して、同意しかねると言われても困惑します。疑問を感じたらご自分で調べるなり人に聞くなりすることも出来ると思います。「この場を借りて皆で議論したい」と書いてありましたので人のブログでそれはやるべきではないと申しあげた次第です。
「思想信条が同一の集団は、想定外の外圧に脆い」とご心配のようですが、以前の「山草人氏が独裁に陥ったら」の発言と同一線上のものだと感じています。
そんなことを貴兄に心配してもらうほど山草人氏は弱いと思いませんし、バランスを欠いているとも思っていません。「無菌室に居たら体力がなくなるので毒性の弱いワクチンになってあげる」という意味の発言について、小生が山草人氏の立場なら貴兄に「大きなお世話」だと言うと思いますよ。

投稿: 同世代の暇人 | 2012年6月 1日 (金) 16時58分

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