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2012年6月13日 (水)

金糸雀

先日、私の関係する高校の文化祭を訪れた。

文芸部の部屋を覗くと、真新しい冊子が並んでいた。

その冊子の名が金糸雀だった。

恥ずかしながらカナリアって読めなくって、「これ、何て読むの?」って聞いてしまった。

すると聡明そうな女生徒が「一冊どうぞ」と差し出した。

たかが高校生の落書きだろう・・・程度に思ったが、いただいて帰った。

だけどこれを読んでみて、私の認識は改めることを余儀なくされたのだ。

私は学生の頃生意気にも「出来れば創造的人間でありたい」と思っていた。

それで高校の頃だったか、文筆家になろうと小説を書き始めたことがある。

テーマはもう忘れたけど、一カ月ほども悪戦苦闘して大学ノートに半分ほど書いた。

だけど物語が続かなくなったことと、その文章の稚拙さに呆れて放棄した。

しかしこの子達は、あの頃の私と同じ年頃だ。

それが、幾分稚拙さが残るとはいえ、立派な短編を書いている。

文芸春秋に載せたって可笑しくないような作品もある。

そう言えば、近年の文学賞はおっそろしく若い人が受賞している。

無から有を生み出す創造性ってやつは、実は若さの特権なのかもしれない。

今の私に、フィクションを書くなんて力はとてもない。

とは言え、残りの人生の物語をどうするか?

それは馬齢の故に創造性こそ乏しくなったが、

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それは私自身がキチッと完結させなければならない。

望むらくは、残り物だけに福多い物語にしたいものである。

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