年齢の自覚
昨年末から、年金支払通知書なるものが届くようになった。
そういう意味では、お上公認のれっきとした老年なんだろう。
しかし本人にはからっきしその自覚は無く、毎日のように冷や水を楽しんでいる。
いや、いたずらに若ぶっている訳ではない。
そもそも、年齢が若けりゃ良いってもんじゃない。
この前の政権交代に前後して、若年の首長が次々と登場した。
だが、「あ~、若い首長で良かった。」なんて話はとんと聞かない。
そりゃ確かに、明治維新前後の志士たちは若かった。
だけど当時の平均寿命は50歳前後、今は100歳までも生きようかと言う時代だ。
体力だって、時と場合(例えば100kマラソン)によっては若い人に負けない。
それなら、経験豊富で知力に優れた熟年者の価値は上がるってもんだろ。
そういう意味じゃ、年齢は一つの勲章さね。
と息巻いては見たものの、ただ単に年齢を自覚できないだけかも知れない。
それとも、この先が無限じゃないって意識がそうさせるのか?
ダボハゼのように、あちこちの餌(目標)に飛び付こうとする自分がいる。
そう、70の声を聴くまでは暴走してやろうと思っている。
アレもやる、これもやる、そしてそれもやるのだ。
燃えて燃えて、使い残しているエネルギーを燃焼し尽くす。
それが、私の年齢の自覚なんだ。
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