« 簡素 | トップページ | 田老の巨大堤防 »

2012年6月 7日 (木)

子供達の未来

今日は保育園の子供達が沢山我が家にやってきた。

例年のように、サツマイモと落花生を植えるのだ。Cimg6945

私は今日のためにほぼ半月がかりで畑を準備してきた。

畑を鍬一本で耕して、堆肥と肥料を施してマルチする。

Cimg6941
言うは易くして、これが結構骨の折れる作業なのだ。

ともあれ、子供達は畝に並んで一人4本の蔓を挿した。

Cimg6946

やがてこの蔓に芋が稔り、9月初旬には掘り取りにやってくる。

Cimg6947

作業が終わると子供達は、私のブドウ見物である。

ブドウはまだまだ青いが、一生懸命に膨らみつつあるところだ。

Cimg6949

そう、この子達よりも少し大きくて、小学高学年と言ったところかな。

Cimg6950

然して芋の収穫まで、熟れたブドウを残しておかねばなるまい。

小さな子供達はジッとしてはいない。

Cimg6951

土をいじったり、ダンゴ虫を捕まえたり、或いは泣き出す子だっている。

勿論いろんな性格の子供がいるんだろうが、未だ顔を見てもわからない。

それが小学3年位になると、面構えと言うか、顔に性格が浮かび上がってくる。Cimg6952

短気な子は短気な、呑気な子はのほほんとした顔になる。

そんな具合にずっと子供達を見てきて、

やはり考えることはこの子達の未来だな。Cimg6953

成長の階段を少しずつ登りながら、次々と脱皮していく子供達。

彼らに職が無いなんてことの無いように、

子供達の努力が少しでも報われるように、Cimg6954

国のやることは「子供手当」なんかじゃない。

必要なのは子供を見守る毎日の視線なのだ。

Cimg6956

私は今、保育園・幼稚園、小中高生の親父の様な気分でいる。

だから彼らのために、出来る限りのことをしようと思っている。

|

« 簡素 | トップページ | 田老の巨大堤防 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

育てると言う行為は、人生の基礎的な行為だと私は、思います。
 食べ物も生き物も子孫や会社や後輩や同僚や縁ある友達も「育てる」ってキーワードに当てはまる。
 その事が楽しい。嬉しい。
それが、生き甲斐だったら素晴らしい人生だとも思う。
 子供を見ると自分の鏡だったり、人の子供なら親が想像出来たり、地域の子供は、地域の宝物。
 兄貴も子供達の心に残ったら素晴らしいですね。いや既に素晴らしいです。

投稿: ひろ | 2012年6月 8日 (金) 20時57分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 子供達の未来:

« 簡素 | トップページ | 田老の巨大堤防 »