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2012年6月 9日 (土)

大槌町の悲劇

大槌町を訪れて、

人口16,000のこの町からすべてが失われているのを目の当たりにした。

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全半壊3,717棟、6千世帯余の町だから大部分の人々が家を失ったことになる。

それに町役場も消防署も警察も、行政機能のすべてが一瞬にして機能を失った 。

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町役場の職員130人のうち町長を含め40名が命を失っている。

町の人的被害は1,281名〔全人口の8.4%〕にのぼっている。

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大槌湾の6mの堤防は、12m余の津波には何の歯止めにもならなかった。

さらに津波は大槌川をはるか奥まで遡上して、市街地の大半をなめ尽くしたのだ。

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城山から見下ろすと、

半壊したビルの幾つかを残してすべてが礎石の跡だけを残している。

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その向こうの海側には一面の瓦礫の山だ。

町長に言わせると、人々は防潮堤の内側で何が起こっているかも知らず、

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渋滞している車の中にいて命を失った人も多いと。

そして津波は、玩具でも転がすようにその防潮堤を壊していった。

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復興計画は出来たが、被災して主のいなくなった土地の処分や瓦礫処理、

残ったローン、移転新築に必要な資金の調達など課題は山積している。

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既に人口も減り続けており、震災前に比べ2745人〔17%〕も減っている。

復興は時間との勝負でもあるのだ。

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町長が被災死して約半年間職務代理を勤めた平野さんは、

「役場職員の生き残りです」と切り出した。

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それもそのはず、あの時在庁していた40名のうち18名が目の前で亡くなっているのだ。

そして「自分の命は皆の為に守って欲しい。生きていれば何とかなる」、

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「否、何とかするのだ。すべて行政頼みではだめだ。」

「リーダーがいなくなれば、コミュニティーはガタガタになる。」と熱く語った。

彼は、町長とともにこの役場の前で対策本部を立ち上げていた。

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その彼の目に大きな壁が現れたと言う。

一瞬何か分からなかったそうだが、

数秒後には、ここに立っていた人々の生死は微妙に分かれることになった。

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私達は、その全壊した役場の前に献花し黙祷をささげた。

役場正面の時計はやはり午後3時28分で止まっていた。

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津波の破壊力の物凄さに唖然とする他なかった。

そして役場跡近くの「復興食堂」では、若い人たちがきびきびと働いていた。

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その殊更な明るさに、私にはかける言葉も無かった。

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コメント

 
巨大堤防と言えども、水圧の力モーメント計算が出来て居ない様に思えます。
 乗り越えたと言うより、破壊転倒していますよね。
 高さの問題以前のような気がします。
東海の起こりうる津波の到達時間は、早ければ、10分、まだ、本振の最中に一波は、やって来るとようやく言われ出しましたね。

 町職員の平野さんの話の通り、自治に明るい方が、必ずや生き残る必要が有りそうですね。
 想定が、変わったからには、マニアルも変える必要が有りますね。
 兄貴が地元に帰られて、見聞を話したとして、、、、思うに、またまた温度さを感じる事となるのかな~。
 今から心配に成りますが。。。。
 知っての通り、ラン友のとっちーさんも偶然にも、同じ時期に、昨日から遠野市を拠点に、大槌町の港で、ご夫婦親子で、瓦礫撤去のボランティア活動中です。
 
 先ずは、小さい自治体からも少しでも、多くの方が、今の東北を見て置く必要があると思いますよ。
 老若男女に至るまでね。。
 生き抜く為にも復興の為にも、新たな想定を理解する為にも。。

投稿: ひろ | 2012年6月 9日 (土) 23時27分

まったく奇遇ですね。
私も同じ頃、大槌町の吉里吉里漁港で瓦礫処理の作業を三日間行なってました。
土台だけを残し、まったく家がない状況には唖然としましたね。
テレビや写真で見るだけでなく、自分の目で見ることが大事だと改めて感じました。
山草人さんの目で、この状況を多くの人に伝えて欲しいですね

投稿: とっちー | 2012年6月11日 (月) 23時22分

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