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2012年7月28日 (土)

ホーラント

奇跡と言えば奇跡で、それは歴史の稀な現象だったろう。

江戸期を通じてこの国にとっての外国とはオランダでしか無かった。

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しかも、長崎の出島の10人前後のオランダ人から世界の情報を得ていた。

幕末に咸臨丸で渡米した福沢らが目にしたものは、

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初めてのものが多かったにしろ、それは既に知識として書物から学んでいたものだった。

蘭学を通じて世界と言うものを既に熟知していたのだ。

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杉田玄白が小塚原で女死刑囚を解剖したのは1771年のことで、

彼らは蘭書ターヘル・アルタミアの正確無比にショックを受ける。

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結果として、前野良沢らとの解体新書の訳業となり、

後の蘭学事始につながっていく。

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すべからく、その淵源はオランダと言う国にあった。

今日の我々からすれば、ネーデルと呼ばれる低地に住む、

たかだか千五百万人足らずの欧州の田舎の国に過ぎない。

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知られていることと言えば、風車にチューリップ、

それにレンブラントにゴーダチーズくらいだろうか。

紀元1600年、この国は東洋に向かって5隻の探検船を出発させた。

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そのうちの一隻、

三浦安針やヤン・ヨースティン〔八重洲の由来の人〕らを乗せたデ・リーフデ号だけが、

奇跡的にもこの日本列島に到達したのだ。

この偶然が、長年にわたる日本と蘭国との特別な関係の始まりになる。

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そうして、その蘭学が基礎となって明治維新が成り立つ。

いま、芝居のようなオリンピック開会式の中継を見ながらこのブログを書いている。

日本はもう朝だろう。

私は二時間ほど前、雨のアムステルダムに到着したばかりだ。

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この国の土を踏むのは初めてのことで、これから何が見えてくるのかとワクワクしている。

ところで、私の投宿しているのはホテル・オークラである。

この宿には、あの司馬遼太郎さんが何度も投宿している。

彼の「オランダ紀行」にも何度か登場しているのだから。

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