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2012年10月18日 (木)

親父の立日

「ふるさとは遠きにありて思うもの」か・・!!

親父が逝って、今日で5年になる。

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自分の役割を終えて、当然のごとく枯れてこの世を去った。

父の死は、そんな自然の流れと言う印象があった。

15歳で母を亡くし、家ではずっと炊事洗濯までやっていた。

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その次男だった父が、兄の戦死で俄かにこの農家を継ぐことになる。

間もなく召集礼状が来て、急遽嫁をとって出征する。

この家が困るからだ。

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中支や北支那を転戦して、大病しながらも昭和21年生きて帰還する。

そうして生まれたのが私だ。

老父と嫁が守っていた家は、東海地震(昭和19年)もあって荒れ果てていた。

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父は、その赤貧の水飲百勝を立て直さなければならなかった。

牛を飼って役牛にすることから、やがてテーラー耕耘に変わっていく。

昭和30年、その稲作に見切りをつけると

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スリークオーターの温室を建てて施設園芸を始める。

そして、そのトマトやキュウリの選別出荷作業は子供の私の仕事にもなった。

やがて作物はマスクメロンへと変わって、次々とハウスを増棟して行った。

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私達兄弟は、父の作るそのメロンによって育てられた。

子供達が独り立ちするようになると、父は議会に駆り出されるようになる。

議長を最後に引退して老人会長などをやるんだが…

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議会を止める頃からかつての精気を失い始めていた。

やがてボケ気味になって、入退院を繰り返すようになる。

私は、そんな何時も忙しく働いている父の背中を見て育った。

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ただ一度だけ、その父と取っ組み合いの喧嘩をしたことがある。

原因は忘れたが、ほろ苦く父の体温の懐かしい記憶が残る。

思えば父は、赤貧の一家を背負って三人の子供を育て、

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社会的にも十分な奉仕をしてこの世を去った。

翻ってその愚息は、父の足元にも及びそうにない。

時代の波に助けられて、かろうじて今日があるだけだ。

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父と同様な動乱の時代に生きたなら、果たして生きていられたかどうか?

享年83歳、私に残された時間は18年である。

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コメント

兄貴、昭和の戦前・戦後を生き抜いた人達のパワーの源は、何なのでしょうね。
 家族の為・地域の為・国の為とは、父親から教わった言葉です。
 更には、我が父は沢山の兄弟姉妹の為に働いた、父母に報いる為に志を立てたのだと言ってました。
 大正七年生まれですから私の父の方が少しだけ上でしょうか?
兄貴の父上も素晴らしい方ですね。
尋常小学校しか出て無いお世辞にも頭の良い父ではないと認識が有りますが、だだ学歴が無いだけで、生涯勉強をし続けたボケない人でしたね。
 そして父の教えを最近気づいたのですが、戦前の修身に書いてある事ばかりでした。
 経済学者福沢諭吉がアメリカ人の経済本から真似て日本の教育者を育てる為に考えた、『終身学』教育者を育てる為に作り学問は変遷し『終身』モラルトレニングセオリーは、国民の困難の時代を生き抜く源だったと思います。
 (あくまで大正・昭和初期の修身です。)

 ところで立ち日が極めて近いですね。
もう20年が過ぎましたが、最初はお墓に行けませんでしたね。
 時期が来る色々な思いに成りますね。
 代わりに妻が、毎月行ってくれたのを思い出します。
 妻に感謝です。
 そして兄貴のブログにも感謝です。

投稿: ひろ | 2012年10月18日 (木) 20時26分

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