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2013年2月 8日 (金)

トントンとんからりの・・

・・となり組ってのは、辛うじて葬式に名残を止めるだけになっている。

昭和20年代のNHKラジオ等では「向こう三軒両隣」とか「バス通り裏」などが流され、

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ご近所同士の付き合いがごく当たり前だった。

味噌や醤油の貸し借りはもとより、仕事でも毎日顔を合わせて暮らしていた。

家族の絆も強かったし、地域の互助も当たり前だった。

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逆に言えば、それでなければ生きられなかったのだ。

その時代から半世紀、経済の成長は人々の繋がりを必要としなくした。

冠婚葬祭や火事も、育児や介護も、すべからく外部化されたからだ。

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だから隣に誰が住んでいるか知らなくったって、生きていられる時代になった。

だけど今、高齢者がどんどん増えて、もう25%を越えそうな勢いだ。

団塊の世代の高齢化とともに、超超高齢社会が目前に迫っている。

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当然ながら、介護にしても医療にしても膨れ上がってしまう。

そして、それを支えるだけの経済を維持できる保証もない。

既に、一部には老人漂流社会が出始めている。

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「地域福祉」が必要になる所以だ。

とは言え、誰がその地域福祉を担うのか、その姿は見えてこない。

戦後の誤った民主主義(自己本位主義)で育った人々が大半だからだ。

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彼らは、人のために働こうなんてことをしない。

しかし、行政には既に全てを支えていく力なんぞない。

地域が地域の事をやるしかないのだ。

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ここは、現代版の「ご近所の再構築」が必要だと言う。

地域福祉の担い手をどのように組織化すれば良いのか…悩ましい。

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コメント

先日朝、娘がお腹を押さえて泣き叫んでる声に起こされた私は、戸惑う妻を見て直ぐに救急車を呼んだ。
妻を同乗させて私は会社を休んで家で待機した。大事に至らず娘達を市民病院に迎えに行った。
可笑しな話しだが、このことを世間で話すなと妻たちが言う。
だがしかし、隣の人が理由を尋ねて来た。
またその隣のお年寄りは電話して来た。
私は家族に言った。
この田舎には互助の精神が残るよ。
我が家に醤油なければ、隣の家で貸してくれるだろう。
プライバシーがないと思えばやったかいかも知れない。
互助の精神とは何か有れば助けを求める事も気持ちが必要だと思う。
それがないと機能し難い。
超高齢化&超少子化社会。仲間で住み合う生き方もあると聞く。
昔のように三世代が住めたら素晴らしい。
病院に迎えにに行った際に、私と同じくど近眼の娘のメガネを忘れず持って行ったのは娘には好評ではあったが、ともあれ大事に成らなくて良かった。
娘には家族の有り難さも分かる機会に成ったようだ。
このところ娘がやけに私に優しく成ったからだ。
助けあい、家族が基本だがそれさえも薄れてる日本のようだ。
効率優先の社会は家族も変えてしまってる。
夜勤や毎日の出勤時間の違い。家族と言えども食事の時間もバラバラ。
夫婦の夜の営みも時間が会わない。面倒くさい。
超少子化になる分けだね~。

投稿: ひろ | 2013年2月 8日 (金) 21時12分

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