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2013年4月 8日 (月)

どうせ符丁なれど

今日からは、ぴかぴかの一年生が通学班に加わった。

何人かの父兄同伴もあったりして、今朝は少々雰囲気が違った。

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やがて半月もすれば、自然に日常になっていくのだ。

ところで卒業式や入学式に出席して驚くのは、少子化の進展ばかりではない。

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その名前が私達の頃とはまったく違っていることだ。

私たちは、女なら○×子、男なら△□男とか夫などが普通だった。

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ところが今日では「子」や「男」は探しても中々見つけられない。

とてものこと振り仮名が無かったら読めない字が多いし、

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それに男か女かの見分けすらつかない名が多い。

時の流行と言えばそれまでだが、僅か半世紀で随分と変わったものである。

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とは言え、そもそも上代にあっては蘇我馬子とか小野妹子のように、

「子」は貴族の男女に付けられた名だった。

それが平安時代には、もっぱら貴族の女性に使われたと言う。

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それが明治以降の文明開化で、大いに流行するようになったらしいのだ。

ところでちなみに今日の「野衛」「航希」「颯希」「天音」「澪響」などは、どう読めるだろうか?

やはり戦後の私達の世代は、子とか男・一・夫などと画一的で陳腐だった。

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また時代がそんな画一性を求めていたのかもしれない。

翻って今日、名前にも親御さんの思い入れが篭っているし、押しなべて個性的な名だ。

かつて「名は体を表わす」などとも言われたが、

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私などは随分安っぽい名前で、何時も悪餓鬼に虐めの対象にされた。

それで「自分の名には負けまい」と何度となく思ったものだ。

所詮符丁と分かってはいても、名前はやはり自分そのものなのだ。

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