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2013年4月18日 (木)

人生の退屈

退屈なのは、当然ながら何もしないからだ。

毎日が日常であって、その中に埋没して暮らしていたらそうなる。

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昔は、刺激(情報)も少なくって、大抵の人が近回りの土地を耕して暮らしていた。

毎年同じことを繰り返して、そうして50歳ほどで自然に朽ちていった。

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畦道のペンペン草とそれ程変わらない一生だったと言える。

喋ることだって、田圃の出来や猥談くらいで、そんな毎日ではなかったか。

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ところが今日、情報は溢れ返っているし、行動範囲だって無限になっている。

その気になれば、幾つもの物語を生きることが出来る。

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草木や生き物の名前、或いは生態に触れて感動するのだって感受性如何だ。

スポーツをやったり観戦するのだって、それも一つのドラマさ。

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書物の中にだって、未知の世界が一杯広がっている。

旅に出て異なった文化に接するのも、これまた素晴らしいことだ。

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こうやってブログを書くことにだって、毎日それなりの発見がある。

とてものこと、退屈している暇なんぞ無い。

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・・・・と思うのだが、現実の世の中には退屈が溢れている。

新聞を読んでもTVを見ても、人と会っても退屈なのだ。

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それは物を考えないと言うか、感受性のスイッチをオフにしているからだ。

オンに切り替えれば、面白いことがあちこちに見えてくる。

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そうして人間は、死ぬまで括目して生きるべしだと思うのだ。

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