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2013年5月31日 (金)

人生の素顔

先日アクティブ・シニアネットで、私のアクティブ・ライフについてお話させて頂いた。

話終わった後の懇談で、「健康管理はどうしているの?」と質問があった。

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その瞬間「私の生活、そのものが健康管理でしょ!」と叫びたかったのだが、

そこはグッと抑えて「継続的に運動してるし・・・」などと答えていた。

そもそも、健康管理なんてものは不健康な人間のすることだ。

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規則正しい生活をして「適度」な運動をして、そしてアクティブな姿勢を保てば、

自己管理能力が疑われるような不必要な脂肪なんてつかないし、

健全で必要かつ十分な筋肉が育つ。

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その100kマラソンさえ物ともしない健康体に向かって、健康管理もくそもなかろう。

ともあれ、日本人の平均寿命は少々延び過ぎたようだ。

何故って、それはあくまで平均寿命であって健康寿命じゃないからだ。

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今日の日本人の健康寿命は、平均寿命より男で9年、女では13年も短いのだそうだ。

早い話が、その間の年数は寝たきり〔もしくは呆けたまま〕の暮らしが続くのである。

如何ともし難い、これはもう拷問ではないかと思う程だ。

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動物の寿命は、細胞分裂の度に短くなるテロメアが支配している。

テロメアが一定程度まで短くなると、もう細胞分裂できなくなって寿命が尽きる。

そしてそのテロメアの短縮は、不規則な生活と運動不足が起こすんだ。

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だからほら、犬や猫だって外で飛び回ってるじゃないか!

尤も彼らは、先祖のトラや狼と同様に食い物のために走り回ってるのかもしれないが・・。

近頃じゃその犬や猫を家の中で飼って飽食させている。

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彼らは苦労もせずに飯にありつけるから、のんべんだらりと暮らすようになる。

結果は、ランドレースと見まごうごとき肥満姿態が出来上がるのだ。

楽して気ままに行動してりゃ、人間だってそうなるさね。

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本来の人生の素顔は、餌を求めて頭と体を駆使するところから生まれる。

今日は学校の帰りに山に寄って、爽快に走ってきた。

今日もすこぶる快調である。

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2013年5月30日 (木)

田舎なれど

未だ五月なのに、空はすっかり梅雨である。

その晴れ間に保育園児のためのサツマイモの畝を作った。

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堆肥と化成肥料を施して、息を切らせて鍬で耕していく。

急いての作業も梅雨の到来が早くなったためだ。

どうも今年の季節は、春先から前倒しで進んでいるようである。

ともあれ作業しながら、往時茫々とした思いになった。

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昔の農作業は、三本鍬一本でその多くを人間の肉体労働に依存していた。

田畑だって今日のように整然と升目になっているはずも無く、

道も畔も、えも言われぬ曲線で繋がっていた。

その畦道で遊んだのは何歳までだったか、

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やがてトロッコの線路が作られて耕地整理が始まった。

田も堀もひっくり返して整然と作りかえられていった。

村中が「換地」で大騒ぎになっていた。

みんな我田引水で自分の田が最高だと思っていたのに、他所に移れと言う。

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すわ死活問題とばかりに、両親も毎日その話をしていた。

今は当時の耕地整理のお陰で随分と耕作も人々の移動も便利になった。

だがどうだろう、あのトンデモナイ田舎らしさは消えてなくなった。

その後の近代農法の農薬の故にドジョッコもフナッコもいなくなった。

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子供の頃、親父の煙草を溶かしてウナギを捕まえたあの場所も今は無い。

あれほど固執した田圃だって、今じゃ数百ヘクタールを数人で管理している。

田舎は田舎なりに精一杯の変貌を遂げてきたのだ。

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そこに新たなTPPの試練が始まろうとしている。

ヘッジが無ければ、この数百ヘクタールの稲門も広大な荒れ地に変わるだろう。

田舎は管理されていてこそ美しい田舎でありうる。

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「国が栄えて山河なし」で本当に良いんだろうか。

田舎は、本当にこの国のお荷物なんだろうか?

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2013年5月29日 (水)

何んで、走るの ?

子供の頃の駆けっこは、苦しいばっかりで大嫌いだった。

高校では、一年に一度のマラソン大会があった。

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15k近くを走らされたんだろうが、これも苦しかった思いしか残っていない。

多分、日常的に走る習慣も無いのに無理矢理走らされたからだろう。

走るために必要な筋肉もなしに無理に走ればダメージが残って当たり前だ。

ともあれ運動神経に自信のない私には、あの体育の時間そのものが鬱陶しかった。

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特に球技〔野球〕は苦手で、学校を休みたかったくらいだ。

それが40才を過ぎてから、健康と足腰〔ゴルフ〕を鍛えるために走り始める。

小笠山での走る仲間との出会いもあって、

それから四半世紀、走ることは私の日課になった。

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そして今では、ウルトラマラソンを一年に5大会も走っている。

周りからは、ややクレイジーと思われているようだが、本人達はいたって普通だ。

そりゃ~、最初にウルトラを走った時は大変だったさ。

八ヶ岳・野辺山高原UMだったけど、暑い山中を40kほど走ってヘロヘロになった。

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丁度そこには稲子湯エイドがあって、楽になりたい一心でその温泉に入った。

湯から出てから足にたっぷりとサロンメチールを塗って、坂を下っていった。

下り坂はそれでも良かったが、平らになると途端に体が重くなって、

そこからの50kは関門時間に追われるし、正に苦行の連続だった。

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只、「人が出来る〔走れる〕ことを、自分が出来ないはずはない」

その思いだけで、ひたすら必死で這うような速度で進んでいた。

そして辛うじてゴール閉鎖10秒前に倒れこむようにしてレースを終えた。

この時のダメージは、宿の階段を這って登るほど大変なものだった。

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それ以降は体がウルトラを覚えていて、持続して走る体になった。 

ともあれ私が走るのは、走ることを楽しめる体になったお陰だ。

走るのに必要な筋肉があるから、楽しんで走ることが出来る。

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走れば、その土地の匂いや人々の生活までが体の中に入ってくる。

レースの達成感と喜びは、その困難に比例して大きなものだ。

ランニングを始めてから、そりゃ~私の生き方だって大きく変わったさ。

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走ることによって、自分の可能性が広がったし人生も随分と楽しくなった。

だから、走ってるのさ。

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2013年5月28日 (火)

古い皮袋

村や町の昔からの習慣や国の制度の事である。

日進月歩で時代は変わっていても、旧弊はそのままと言うことが多い。

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一度作られた仕組みは兎角前年踏襲と言うことで、不必要に続いていく。

国で言えば、例えば農業委員会制度だ。

終戦直後の農地開放(農地委員会)の制度が今日も生き残っていて、

農業委員が選出(公選)されて、定期的に委員会が開かれている。

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もちろん税金が使われているんだけど、既に形骸化も甚だしい。

社会教育法に縛られている「公民館」もその部類かも知れない。

社会教育に拘るあまり地域全体を見渡せないでいる。

だから低調な公民館は閑古鳥が鳴いている一方、

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地区社協や地区自治会など地域活動はその拠点すら無くて困っている。

その地域活動だが、自治会からは交通委員や福祉委員、防犯委員、防災委員、

土木委員、民生委員、児童委員、子供会、

青少年健全育成委員etcと様々な役員を設けている。

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それがそれぞれ組織化されていて行政の一部を下請けている訳だ。

だがそれとて、幾重にも守備範囲は重なって、同じ様なことをやっている。

要するに必要のつど仕組みが作られたのだろうが、

全体としては制度疲労を起こしている。

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ところが、その仕組みを変えるとなると、

そこには役員を始め多くの人や予算が関わっていて、にっちもさっちもいかない。

沢山の人が少しずつ関わってんだから良かろうと言う意見もあるが、

それ自体が既に機能していない仕組みになっている。

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例えば交通安全会を例にとっても、一年に一度キャンペーンをやったとしても、

それが果たしていかなる意味を持つものか?

そのキャンペーンだって一部役員のマスターベーションじゃなかろうか?

そんな事は皆わかっていても、誰もが前年踏襲で変えようとはしない。

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変えるための大きなエネルギーを嫌って見て見ぬ振りをしている。

事勿れ主義が横行(自分にゃ関係ない)しているのだ。

さてこそ、誰かが汗をかかなきゃね。

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2013年5月27日 (月)

自然と人為

郷土資料の展示室を覗いたら、文久年間(1861年)の地図があった。

良く見ると現在の地形とは随分と異なっている。

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たかだか150年の間に、随分と人為によって改変されたと言うことだ。

昔は小笠山などを源流に弁財天がと言う大きな川が流れ、

下流部には浅瀬が広がっていた。

その弁財天川を現在の太田川に合流させ、弁財天川の流域を干拓した。

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現在水田が広がる「旧浅羽町」だ。

浅羽とは浅い場所の意味だったのだろう。

もっと昔を辿れば、小笠山(標高264m)は大井川の作った三角州で、

およそ30万年前に北側が大きく隆起してできた丘陵だ。

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人間はその大自然の作った自然を少しずつ改変しながら、生活の領域を広げてきた。

実は今日は朝から自治会連合会の会合があって、

ゴミ問題やら防災、民生委員選任など様々な課題での議論をしてきた。

それ自体は、一つ一つはチマチマとした行為に過ぎないが、

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実はそんな小さな行為も連綿と積み上がって、やがて歴史になっていく。

同じ資料館に庚申の軸が飾られていた。

人間の体内には三尺の虫がいて寝ている時、干支の庚申の夜に体から抜け出し、

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天帝に告げ口に出掛けるのだと言う。

天帝は寿命を司っている神様で、その告げ口によって寿命を減らすのだと言う。

それで庚申の夜は、村で寝ずの祝宴を開く伝統が伝わる。

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少し余談になったが、私達の寿命とて、自然と人為が連綿と続いている中の、

一本の線の上の点に過ぎないのだろう。

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2013年5月26日 (日)

初夏の畑

もうすっかり夏のような日差しになっている。

お陰でブドウは順調に成長しているが、作業が又しても追付かない。

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ジベ処理を終えて、作業はヤゴ(無駄な枝)欠きと玉抜きなんだが、

この結実したピオーネの房から余計な玉を切除するのに骨が折れる。

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ほおっておくと、玉と玉が押しつぶし合って、拉げた弁当のようになってしまう。

それに第一、ブドウの粒があっちを向いたりこっちを向いたりじゃ格好が悪かろう。

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やはり整然とした房を作らんことにゃ、園主の節操が問われるじゃないか。

と言う訳で、一房一房よそを向いている粒を切除していく。

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手を挙げての作業だし、直ぐに投げ出したくなるのだが…・

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そんなこんなで、外の作業が大幅に遅れている。

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それでもナスは順調に活着したし、キュウリとピーマンもやっと植えることが出来た。

これから、大量に栽培した玉葱と馬鈴薯の収穫である。

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この収穫を終え次第、今度はオクラの定植と保育園用のサツマイモ挿しが控えている。

今日も午前中は総会が二つ。

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中々畑に手が回らないのだ。

しかしながら急がないと、季節は待ってはくれない。

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ここでも、淡々と前進するのみだ。

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2013年5月25日 (土)

蜘蛛の糸

蜘蛛の糸とは、か細い物の代名詞だ。

子供の頃、あの芥川龍之介の蜘蛛の糸をを読んだ時だって、

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幾ら地獄の血の池とは言え、蜘蛛の糸なんかにどうしてぶらさがれるんだッて思った。

先日の私のUMは、正にか細い蜘蛛の糸に縋って完走できたと思っている。

その糸は実は何本かあったが、やはり何と言ってもA・N子さんの強いリードだった。

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彼女は不思議な力を持っていて、一切の弱気を見せない。

私に対しても躊躇なく「大丈夫、間に合う。」それしか言わなかった。

絶対無理だと思いつつも、

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何時の間にか、彼女の確信に満ちて言うこの蜘蛛の糸に賭けてみようと思っていた。

もう一つの要素が、先月の富士五湖で82kmでリタイアしたことだ。

ここで又挫折したら、「もうウルトラを走れなくなる」って思いがちらついていた。

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更にもう一つの要素が、ASN(アクティブ・シニア・ネット)での講話の約束だった。

実は今日がその講和の日で、私のUMやマラニックの体験談をお話ししてきた。

とてものこと、リタイア続きでは胸を張って話すのは無理だろう。

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そんなこんな、蜘蛛の糸が糾って奇跡的な完走に繋がったと思っている。

ところで蜘蛛の糸の強さについて伺ったのは、15年程前大妻女子大の先生からだった。

お茶の機能性についての話が、何故か蜘蛛の糸の話になった。Dscf7348

蜘蛛の道糸は、あれは軽くて強いんだよね。

あれを蜘蛛は、苦も無く(洒落)作っちゃうんだよね・・・・。

私はその時だって「学者ってのは、そんなことを考えるんだッ」と少し感心しただけだった。

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だけど先日、慶大VBが蜘蛛の糸を実際に人工合成して繊維にしてしまった。

そして自動車部品や医療素材に大いに可能性があるんだとか。

そりゃそうだよね。

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蜘蛛の糸ってのは、鋼鉄よりも強度があってナイロンよりも伸縮性があるってんだから。

あの、あれだね。

芥川のあの小説も・・・・亡者が何人ぶら下がっても切れなくなりそうだね!!!

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2013年5月24日 (金)

目標と退化

幾ら冒険家とは言え、80歳で標高8,848mのエベレストに登頂するのは神業だ。

三浦雄一郎と言う男の生き様を見せてもらった思いだ。

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私は毎年、富士山頂往復マラニックに参加してきた。

海抜ゼロメートルの田子の浦から富士山頂に登って折り返し、

24時間以内に田子の浦にゴールするマラニックだ。

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かつてはそんなことは無かったんだが、近年では7合目付近で猛烈な高山病に襲われる。

田子の浦を午後六時にスタートして夜っぴて登っていく睡眠不足と疲労、

それが高山病を惹起するのだろう。

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五歩進んで10分休むような前進を続けたこともあるが駄目だった。

昨年は片目が見えなくなって、慌てて下山した。

80歳に比べればまだまだ若い私にして、その体たらくである。

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三浦さんは、70歳で登頂して以降目標を失って、自分が退化していくのを感じたと言う。

三浦さんならずとも、私達だって生きる目標も無しにのんべんだらりんと生活してたら、

考えることも陳腐化するし、体だって衰えていく。

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子供が一人前になって、自分も退職した途端に生きる意味が朦朧としてくる。

人間の生命が退化する兆しだろう。

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子育てや住宅ローンの返済は人生の通過点に過ぎない。

私達は、自分と言う個性の生きる意味をもっと追求すべきだ。

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人のために何をやったか、自分の為に何が出来るか?

自分と言う個体が生きたことで、何がしかの価値をこの世に残したい。

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そりゃ、花一本・ほんのささやかな野菜を育てることだって良い。

三浦さんの快挙程の真似は出来なくても、自分なりの目標を持とう。

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私も今、次の目標に向かって歩き始めている。

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2013年5月23日 (木)

防災地力

その昔、家事であれ洪水であれ、村の組織が力を合わせて守った。

私の家の近くにも、若宮様と言う祠が残っている。

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380年前、近くの河川の氾濫で水争いが起こって、その際に亡くなった方を祭っている。

村は自然堤防の上にあって、堤防が決壊すればその下流の稲が全滅するから、

村人総出で武装(弓矢や槍、鎌)して堤防を守ったのだ。

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それが今じゃ、火事は消防署、洪水なら消防団に市役所、

大規模災害なら自衛隊や警察ってことになっている。

イザ事が起こっても、自分は一市民として助けられる立場にあると思ってる。

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だがどうだろう、東日本大震災の様な災害が起こったら、当分は地域の力しか無いだろう。

広域災害じゃ、インフラの損壊もあって、本格的な支援はかなり遅れるだろう。

やはりここは、自分達の地域を守る力を育てる必要がある。

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かつて、東海地震説の発表を受けて、行政主導で「自主防災会」が作られた。

毎年度、その防災会の名簿を市に提出することになっている。

しかし、立派な名簿はあっても、防災会の実態は無いに等しい。

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防災訓練の時だけの組織が、果たして本当の防災力に成り得るものかどうか?

今回、自治会連合会と自主防災会連合会を一体化することにした。

これに併せて、本気で地域の防災力と言うことを考えようとしている。

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防災会役員の研修、日頃の活動の在り方、防災訓練、家庭防災啓発活動etcである。

はてさて防災会も、現状では火事があったとしても野次馬に過ぎない。

バケツ一つ持たずに駈け付けたって、何一つできるものでもない。

東日本の震災に学び、地域の防災力を育てるにはどうしたものか?

少しく悩んでいる。

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2013年5月22日 (水)

山のあなたに

長野県の松原湖畔まで、山また山を越えて静岡から5時間もかかってしまう。

中部横断道が出来れば2~3時間で繋がるのだが、

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例の「コンクリートから人へ」のブレーキも影響して、完成は何時になるかも定かでない。

それでも一昔前は、スキーやスケートにと内陸部に人が向かった。

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だけど平成に入って、内陸部は衰退の一途をたどっている。

ホテルや民宿、土産物屋、テニスコートなど、廃墟になっている所が目立つ。

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ひと頃若者が押しかけたあの清里だって、今じゃ人影もまばらだ。

松原湖畔でも、去年まで営業していた宿が今年は閉鎖されていた。

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この18年間、毎年必ず立ち寄る店がある。

高原の牛乳を使った小さなソフトクリーム屋だ。

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今年も健在で、私達の事を記憶していてくれた。

毎度、ここのアイスを食べてから野辺山の会場に乗り込むのだ。

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左様に、兎に角人が訪れなければ、山間部の活性化は覚束ない。

それには、その地の地形や気候・風土を生かして、

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マラソンであれ、自転車レースや歩き旅であれ、事を催すことだろう。

八ヶ岳の山麓に八峰の湯という温泉がある。

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UMの翌日は、八ヶ岳を眺めながらゆっくりと疲れを癒すのを習いとしている。

温泉の次は、山のパン屋さんを訪れる。

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今年はオヤキとアンパンマンのパンを求めてきた。

一年に一度のことだが、山を訪れて思うことも多い。

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国の土木事業で細々と暮らしている人達だっているんだ。

とまれ、この国を隅々まで再興するには如何にせん。

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2013年5月21日 (火)

俯瞰UM

八ヶ岳UMから二日、いまだにあのエキサイティングな気持ちが醒めない。

野辺山は原色の世界だ。

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八ヶ岳の純白の雪、唐松の絵の具の様な鮮やかな緑、

道すがらの赤や黄の花々、そしてランナーのウエアーだってカラフルだ。

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熊笹の続くその林道を延々とランナーの登っていく姿がある。

思えば、夢の様なその大自然の中を私達は走ってきたのだ。

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ウルトラマラソンは、自分の限界との瀬戸際を走る。

スタート直後からの体調異変もあって、その限界に挑戦する気持ちが揺らいでいた。

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多くの人に声を掛けられつつ、ドンドン後退して行く自分を見つめていた。

「しょうがないよ。今回だけは!」、そう自分を納得させようとする自分がいた。

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それでも自分への言い訳に、せめて60kまで行こうと思っていた。

かなりの距離を歩いて、やっと68kのエイドに着いたとき「これで終わった。」と思った。

例年ならここに11時半には着くのに、この日は既に12時45分を回っていた。

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「どうせ、間に合わない。ここで止めよう。」って、そう考えていた。

後続のランナーは数少なく、エイドにはもうお結びすら無くなっていた。

仕方なく残りの味噌汁を啜っていると、天から声が降りかかってきた。

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「お前、これで良いのか?  これがお前ってヤツなのか?

まだ、6時間も残ってるんだぞッ。行ける所まで行ってみろよ。」

天の声が、そう囁いていた。

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俄然目が覚めた気分になって、自分の呼吸を整えようと先ず思った。

人間の行動は「気持ち」が差配している。

そこからは、「復活するんだ」と言う気持ちに切り替わっていった。

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しかし、私の後ろに続くランナーは、もうほとんど見えない。

だけど僅かでもチャンスが残っているなら走り続けようと腹構えが出来た。

実は、その挫けそうになる心を支えてくれたのが、

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浜松から応援に駆け付けたA女子の「間に合う。大丈夫」の強い声援だった。

最大の難関の馬越峠を越えて87kのエイドに着いたのは17時15分。

残り13kをキロ8分で走れば間に合うと計算できた。

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しかし、残りはだらだらと登っていく坂道だ。

躊躇する余裕すらなく、ただ「淡々と・・・」と言い聞かせながら走り続ける。

少しでも歩いたら絶対間に合わない。

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やがてゴールまで5kになった地点で、キロ7分でないと間に合わなくなった。

「ここまで来たんだ。間に合わないかも・・でも最善を尽くせ。」もうそれだけだった。

動かない足が少しずつ歩幅を広げ、奇跡的に加速していく。

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雨に霞むゴールのアナウンスが、レース終了が近いことを伝えている。

もう、雲の上を飛んでいるような感覚だったろうか。

ゴールに飛び込むと、そこには雨に濡れて仲間が待っていた。

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人生は波瀾万丈だけど、人生自体にそれ程の意味がある訳じゃない。

人生に意味があるとすれば、それは自分なりの目標を成し遂げることじゃなかろうか。

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2013年5月20日 (月)

熟年よ 外に出よう!

一年の最大のイベントとも言える八ヶ岳野辺山100kUMが終わった。

この最も過酷と言われる大会に、

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今年でもう18年間通ってきたなんて信じられない思いだ。

随分と色々なドラマがあったが、その歳月が実は現実なのだ。

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ともかくも、今年も辛うじて完走できたことを喜びたい。

実はこの大会の100k出走者2,203人のうち、65歳以上は63人(2.8%)に過ぎなかった。

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熟年があまりにも少ない印象だ。

あのプロスキーヤーの三浦雄一郎さんが、

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この23日にはヒマラヤの8,000mに至ろうかと言う時代だ。

彼が述懐しているように、人は目標を失えば退化していく。

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その80歳の三浦さんが黙々とヒマラヤの山頂に向かって登っている。

彼の言うように「今日の還暦は80歳位が丁度良い」のかも知れない。

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野辺山から帰る途中、50人程のライダーに遭遇した。

顔を覗き込めば、皆オジンライダーであった。

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熟年が群れを作って国中を走り回る。

高齢熟年社会では、もっともっと熟年が活発に動き回るべきなのだ。

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TVの前の産業廃棄物に成り下がって閉塞してたんじゃ、この国に未来はない。

アクティブなシニアが明日を創るのだ。

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シニアよ、外に出て何がしかの役割を果たそうぜ。

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2013年5月19日 (日)

呼吸を整えろ!!

午前三時起床、朝食を済ませて会場へ。

例によって山梨学園のチアリーダーのエールで盛り上がり、

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坂本さんの合図で「完走するゾー」と拳を突き上げる。

何人かの知り合いに声をかけられて・・・実はウルトラでしか会わない人もいる。

午前五時、「オーッ」の地声と共に一斉にスタートしていく。

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雨かと思いきや、所どころに青空が見え、八ヶ岳の雄姿もちゃんと見える。

とにかく、八ヶ岳の1900m近くまで登っていく。

熊笹の下の雪は既に消えていた。

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随分温かなコンディションになった。

だがウルトラにドラマは付き物で、スタート直後にそのアクシデントが起こった。

初めてのことだが、スタート直後に胸が締め付けられるように苦しくなった。

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狭心症か?・・・ともかくペースをゆっくりにして様子を見ながら走る。

スタート直後からリタイアの文字が頭をよぎった。

息を思うように吸う事が出来なくって、アクアラングをやっているようなどぎまぎが続く。

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それでも5kmを過ぎるあたりから、胸の苦しさは消えていた。

苦しさは消えたが、さっぱりスピードが上がらない。

仲間にもどんどん追い越されていくし、次第に制限時間を意識するようになった。

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途中K女子の私設エイドで甘酒を四杯も頂いて、やっと元気を出した。

仲間のWさんが50kでリタイアすると言う。

私にも、しきりに「無理するな」と繰り返す。

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「もう、止めよう」と、そんな気になって58kのエイドで、ゆっくりと休んでいた。

そこに現れたのがデカフォレストにリーチが掛かけているM女子である。

彼女もここで止めるのかと思いきや、私に「あなたらしくしな!!!」と睨みつける。

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らしく・・・・そりゃ、やはり最後まで諦めないことだと悟らされた。

そこからの必死の苦行が始まったのだ。

まず呼吸を整えることからはじめた。

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とにかく息を目一杯吐くことから始めると、スースーはーはーと呼吸が整ってきた。

その呼吸に合わせて、足のほうも淡々と進めていく。

上り坂もとにかく歩くことをしない。

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次第にペースが出てきて、絶対に門限に間に合わないはずのハードルを次々とクリアーしていく。

17時過ぎからは雨になったのだけれど、怯んでいる暇は無い。

最後の5k mは、A女子の車での必死の声援もあって、ダッシュ状態になった。

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1kmを7分のペース、それでも間に合わないと最後の1kmは6分で走りきった。

雨の中に大きく光の輪が浮かんでいて、そのゴールに飛び込んだのはゴール閉鎖1分前だった。

何と、13時間59分での完走である。

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自分でも信じられない位の奇跡だが、M女子とA女子がいなかったら無理なことだった。

ともあれ我々の仲間のMさんが、新たなデカフォレストになった。

これを皆で祝いつつ、人生はチャレンジしてみなきゃ分からんと実感していた。

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2013年5月18日 (土)

八ヶ岳の麓

八ヶ岳の麓、松原湖畔に来ている。

静岡からここまでは、車で6時間近くの距離である。

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明日の八ヶ岳・野辺山100kUMには、もう今年で18年間通ってきている。

この間事情があって走れずに帰ったのが一度、リタイアが2度だから14回完走している。

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先ずは、野辺山の体育館で18回目の受付を済ませる。

会場では説明会が開かれていて、最後に坂本さんと共に「ガンバルゾー」と拳を突き上げる。

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いずれにしても、チャレンジはいよいよ明日になった。

今年の大会には、昨年より随分多い3,000人余がエントリーしている。

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受付を済ませて、松原湖畔の民宿へ移動、例年の通り湖畔を散策する。

マラソンに来る度にこの地に泊まってきたんだけど、やはり年とともに変わっていく。Dscf7286

自由数年お世話になった宿も廃業してしまったし、

湖畔にも幾つかの宿が閉鎖されている。

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かつてはスケートのメッカとして賑わった松原湖である。

今、スキーもスケートも、そんなに多くの人を動かすことは無くなった。

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この地域も、そんな時代の変化の波を大きく受けているのだ。

レタスやキャベツの高原野菜が重要な産業になっている。

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野辺山から松原湖までの道すがら、整然とマルチフィルムを張った畑が光っている。

標高が上がる度に唐松の緑が若緑に移り変わっていく。

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その八ヶ岳には、昨年よりも幾分残雪が多いようだ。

この山に向かって、明日は2,000m近くまで登っていくのだ。

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明日は、唯ひたすら足を進めるのみだ。

今夜は、仲間と共に完走を祈念して杯を交わそう。

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2013年5月17日 (金)

楽天家たらん

田植えが進んで、広い稲門(田園)の景色がどんどん変わっていく。

柿が実をつけ、ブドウも順調に成長を続けている。

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裏の竹(ハチコウ)藪にも、にょきにょきと筍が出ている。

暑さがあり寒さがあり、雨が降って嵐だってあるだろう。

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それでもお米や果物が稔り、それを美味しくいただくことが出来る。

運動習慣のお陰で、食事だって何時も美味しい。

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とは言え、低燃費に出来ていて粗食で十分に生きていける。

年齢の故か、いわゆるご馳走はあんまり食べたくはない。

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社会的には色々な場面で困難にも遭遇するが、それはそれで何とかなるものさ。

一つひとつを深刻に考えたって、何にも解決しないんだから。

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若い頃は将来への不安も含めて心配性の塊だったけど、

そんな耐性が随分備わってきた。

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要するに脳天気と言うか、鈍感力の為せる業である。

そう言やぁ、人間は生きている限り誰もが楽天家だ。

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仮に大地震が起こったとしても、俺だけは何とかなるって勝手に思ってる。

必要な備えはチャンとしなけりゃならんが、杞憂は願い下げだ。

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2013年5月16日 (木)

小康の一日

随分久方ぶりの予定のない一日である。

それで最後の調整にと、山に向かう。

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今年の連休は南の島に出掛けて、十分な走り込みが出来なかった。

帰ってから少しでも取り戻そうと走ってきて、その最後の仕上げのつもりだ。

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慣れ親しんだ山の道はきついけど、何時も私の心ごと受け入れてくれる。

アサギマダラが草の蜜を吸い、ササユリが成長を急ぐ。

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そのササユリの根を掘り返した跡がある。

恐らく狸の仕業で、ユリ根を食べているのだろう。

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山は、人と動植物の共生の場なのだ。

山から帰って、円安を確かめに銀行に出向いた。

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ホノルルマラソンの折の使い残しが千㌦程机の中に残っていたからだ。

確か78円で買った$だが、99.17円で両替してもらった。

幾分臍繰りが増えて得をしたような、為替のマジックである。

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残りの時間は、ブドウの整枝に費やすこととなった。

と言うのも、連休の付けが溜まっていて、ブドウは勝手な方向に枝や側枝を伸ばしている。

これを摘心と同時に側枝をすべて除去、併せて花房を一つずつ整えていく。

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夕方には、残っていた作業をあらかた終えて、身も心も小康を得た気分になった。

葡萄は、早生はもう粒を膨らめているし、ジベレリン処理中の品種もある。

だが、それぞれ基本的なスタンスは整ったと言ってよい。

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やれやれ、これで心置きなく野辺山に向かうことが出来そうである。

春先の気迷いか、このところあれこれと躊躇することが多かった。

しかし浮付きは徐々に沈静しつつある。

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野辺山の制覇に向けて、寂にして不動の形が出来たと感じている。

八ヶ岳でどんなドラマが待っているのか、楽しみですらある。

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2013年5月15日 (水)

順風一路?

人生は人それぞれで、波瀾万丈とまでは言わなくとも、

大波小波をくぐり抜けてゴール(墓場)に辿り着くものだ。

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私だって、随分人に恵まれ、時代やチャンスにも恵まれていたと思う。

団塊の世代の先頭で何時も鮨詰め教室、入試地獄・・・・

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だけど高度経済成長のお陰で、就職に苦労することも無かった。

職場では、素晴らしい先輩に次々と目をかけていただいた。

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とは言え挫折は数知れずあったし、その度にめげながらも立ち上がってきた。

思えば随分沢山の失敗劇も演じてきた。

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長い人生である。

どんな航海にだって、順風一路なんてことはあるまい。

そんなこんなで、人がどう思うか別にして、Dscf7167

たまたま今日ここに立っているのに過ぎない。

実は、先日も大きな失敗をやらかした。

市長以下を来賓に迎えた会合で挨拶に立ったのだが、Dscf7165

上気して通常の話が出来なくなって、

最後まで自分をコントロールできない状態が続いた。

このショツクはかなり大きくて、自信喪失状態に陥ってしまった。

よくよく理由を考えてみた。Dscf7162

準備不足?  否、昔からの上り癖?  否・・・

最後に思い至ったのは、あの憔悴しきった富士五湖の2日後だったことだ。

心身共に精力を使い果たして、回復もままならないまま人前に立った結果だった。Dscf7113

自分で自分をコントロールできない状態と言うのは、かなりの脅威だ。

不摂生の末とは言え、お集まりの皆さんには大変申し訳なかったと思っている。

ことほど左様に、右往左往しながら航海している。

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風に乗って人生を最適化しつつ航海する才人とは訳が違う。

でも失敗はしても、私なりに一日一日を大切に生きようと心している。

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2013年5月14日 (火)

歳々年々

春になれば花が咲き、鶯が鳴く。

夏が近づけはあのホトトギスが特許許可局と歌い、蝉の声が山全体に響く。

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そして月日は、川の流れ同様にとうとうと流れ、しかも元の月日にあらず。

私達は毎日、その流れの中でその日を夢中で生きている。

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外の景色がどう変わろうと、それすら意識することは無い。

例えば少子高齢化・独居化が進んで、コミバスを走らせる自治体が増えた。

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だが間もなく、それは空っぽの空気を運ぶバスに変わった。

交通弱者のニーズも決して一様ではなかったからだ。

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それでデマンド型のタクシーを走らせることにした。

自治体の経費は大幅に節減できたが・・・実態は何も変わり得ていない。

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近くにあったスーパーが撤退して、買い物難民が問題になった。

ボランティアが手を差し伸べるのも良いのだが、それとて限度がある。

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時代状況の変化に応じて、社会も形を変えなくてはならないのだ。

だがシチュエーションが変わっても、その変化への対応はずっと後になる。

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村の万屋がコンビニに変わっていくように、新しいシステムが必要なのだ。

人も年齢を重ねてやがてこの世を去り、一方で若い命が生まれる。

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私達は、その一部分を生きているのに過ぎない。

歳々年々、人も時代も同じならず。

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それを無常と感じるのか懐かしむのか。

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2013年5月13日 (月)

薫風のなかを

週末に八ヶ岳のウルトラレースを控えている。

足りない走行距離を補うため、仕事の後山に向かった。

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勿論山は、素晴らしい新緑で彩られている。

緑の目薬・・・そんな良薬を指してもらっているかの気分だ。

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殆どがウバメガシの緑のトンネルを走るのだが、

所々で下界を眺望することが出来る。

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隣の尾根には吹き上がるような新芽の息吹が見える。

遠州灘に向かって広がる谷地には、収穫を終えた茶園と集落の佇まいがある。

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あっ、途中にミカン園があって、甘いシトラスの香りが漂っていた。

もう、ミカンの花の咲く頃なのだ。

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アザミの花だって咲き始めている。

しかし、今年の天候はかなりの波乱に満ちている。

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札幌の桜は、昨日この60年で二番目に遅く開花したそうだ。

誰一人いない山中を黙々と走るのは、心細くはあるが・・・・・

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人生だって、基本的には孤独な旅だ。

時折タヌキやコジュケイ、それに最近じゃカモシカにだって出っくわす。

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彼らもそれぞれの運命を生きている。

だから山も人生も十分に退屈することは無い。

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薫風が、私の頬を気持ちよく撫でていく。

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2013年5月12日 (日)

木漏れ日

雨上がりの朝、何時もの山の尾根道を走る。

濡れた木の葉がてらてらと光るその緑道に、新鮮な光が挿しこんでいる。

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山は、もうすっかりと今年の緑に衣替えしている。

皐月の風はしっとりと新鮮で、体の中まで透き通っていく。

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思いは、週末の八ヶ岳野辺山100kUMに飛んでいく。

4/21の雪と雨の112k挫折からほぼ1カ月、週末も雨になりそうだ。

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八ヶ岳の唐松の新緑も冷たい雨に濡れているだろう。

されど、今回は粘りに粘ってゴールに辿り着くつもりさ !!

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ともあれ、花は移り咲き、光は初夏の兆しだ。

私の葡萄達は順次結実を始め、気の早い房は大きく実を膨らめ始めている。

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毎朝、その葡萄棚の下で、優しい木漏れ日を受けて彼女らのケアーをする。

それも、ちょっと目を離していると、側枝が大きく伸びて繁茂してしまう。

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日差しがこぼれる位に、ちゃあ~んと手を入れ続けなきゃならないんだ。

この作業は、毎日夜明けから朝食まで続く。

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やがて7月始め、彼女らは処女が顔を赤らめるようにポッと色付き始める。

今日の陽は、その日を心待ちさせるような日差しだ。

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2013年5月11日 (土)

人と絆

今夜は少し難しい話になりそうだ。

東北のあの震災で「絆」がひときわ強調された。

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誰が言い出したのかは別にして、あれは連帯と言いたかったのだと思う。

一定の意味はあるにしても、絆とは誠に漠として実態を伴ったかどうか。

支援金を出せば、「絆」であるかのような幻想さえ抱かせた。

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二年以上たっても、未だに仮設住宅で多くの人達が暮らしている。

阪神・淡路の際には、もうとっくに全ての仮設住宅が閉鎖されていた。

今、「東北に寄り添って」と言われている。

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復旧すらままならないのに、世間は既に震災を風化させつつあるからだ。

戦後の日本の国の現実は、ミーイズムが闊歩する国になっている。

困っている人が有ったって、見て見ぬ振りをして過ごそうとする。

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マザー・テレサが「無関心が一番怖い」と言っていたが、

「俺にゃ関係ない」がこの国の現実ではないか。

戦後、自由と言う言葉が独り歩きしてきた。

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この自由は、ひょとしたら「タコ糸の切れた凧」の自由ではないのか。

凧は、その糸に引っ張られているからこそ天高く上がることが出来る。

だけど「俺は、糸が無けりゃもっと大空へ」と錯覚したのではないか。

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世間の規範も倫理も、そして互助の精神すらも置き捨てて欲望を追求してきた。

その結果、地域のコミュニティーも、家族の団欒・会話すらなくなって、

残ったのは孤独だけだった。

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子供達だってすべてが与えられた結果、生きていく自力と智慧を失い、

自殺者3万人、引篭りやDVの多発をもたらしている。

戦後、何かが狂ったのだ。

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今日は青少年健全育成関係と地区社会福祉の二つの総会があった。

午前午後の会合の中で考えたことだが、

講師の龍谷寺住職、笛岡賢司さんのお話は考えさせるものがあった。

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2013年5月10日 (金)

夕日を追いかける

昨日、ある会合で「何時まで走るの?」と問い掛けられた。

どうも、私の年齢と100k走が結びつかない様子なのだ。

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何時まで走ることが出来るのかは、正直なところ自分でも分からない。

しかし、可能な限り走り続けようと思っている。

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実は、先日の南の島のマラニックには、78歳になる雲峰さんが参加されている。

勿論気持ちは私達と何も変わらないが、ただ走力は流石に弱くなっている。

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それで彼は、2日目のコースを自転車に乗って伴走したのである。

それも私たちを励ましつつ、とてつもなく愉快に島を堪能していた。

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人間、要は気持ち次第なんだ。

人間の脳も筋肉も使わなければ衰える。

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否、衰えるどころか錆付いて動かなくなってしまう。

怪我や病気で10日も拘束されただけで、筋肉はゲソッと無くなってしまうだろう。

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それを医学用語で廃用性萎縮と言うのだそうだが、なるほどと頷ける。

人は、とかく易きに流れやすい。

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困難を避けているつもりが、何時の間にか何もできない人になっていく。

認知症というのも、そうした流れの中にあるのではないか。

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何事も諦めないで敢えて挑戦を続けたい。

何だか、沈む夕日を追いかける少年のようだが、

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追いつく筈もないのは承知の上で、あえて目標に向かって走り続けようと思っている。

それが何歳まで出来るかなんて、考えても意味がない。

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2013年5月 9日 (木)

マラニックと友と

遊びの極め付きの様な南の島のマラニックは終わった。

マラニックとは、マラソン+ピクニックである。

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あちこちに自分の足で掛けて行って、見聞し触れ合い、そして仲間の輪を広げる。

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走路は、山であったり離島だったり、はたまた歴史の古道だったりもする。

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時に史跡を訪ね、山の中では「こんな所を昔の人は・・・」と感慨にふけったりする。

共に汗をかき走る仲間は、忽ちにして十年来の知己になる。

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そうして、私の走る仲間は全国に広がった。

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今回の最西端・最南端の島を走る旅でも、素晴らしい仲間と知り合った。

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それに与那国の駆けっこクラブや走ろう会の人達、波照間の中底さんに出会った。

走る仲間は、どうしてこんなに気が合うのだろうと不思議だ。

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マラニックの道すがら、お互いに持てる知識を披歴する。

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時に走る歴史だったり、食べ物や日頃の職場での話だったりもする。

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興が乗れば、カヌーにも馬にも乗る。

その土地の人と偶然触れ合えることだってある。

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みんなドラマチックだし、興味は様々な世界に広がっていく。

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殊に感動は一人よりも仲間と一緒が何よりだ。

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一つの岩を眺めたって、人はそれぞれ見方が違うんだ。

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時に飲んで食べて語って、愉快な仲間の輪が創られる。

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マラニックは、マラソン競技とは違って、決して過激ではない。

自分のペースで仲間を労わりながら走る。

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そのことで、新たな触れ合いが始まるのだ。

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私の交友は、マラソンよりもマラニックでより広がった。

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人と人が心開くとき、そこには笑顔が広がる。

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2013年5月 8日 (水)

おもろう

今回の西端・南端の旅では、単に端を訪ねたと言うことよりも、

その碧南の地に住む人々への思いが強く印象に残った。

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石垣空港に着いた際には新聞記者の取材もあって、

これからの初体験に気持ちも湧き立っていた。

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街の中心部は石垣離島港を中心に広がっていて、

宿の八重山荘は500m程の所にある。Dscf5772

民宿を少し大きくしたような簡素な昔ながらの宿である。

その宿では、シーサーと物静かな女主人が迎えてくれた。Dscf5788

だがその前に、港の「離島」が気になった。Dscf5789

石垣はちょっとした都会だが、敢えて「離島」を強調しているのは何故か。

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石垣を取り巻く離島のセンターとの意識なのか?

それとも、ここは離島だと自ら強調しているのか?

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港近くの十字路に730記念碑がある。

1978年に右側通行に替わった日を記念している。

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その前で写真を撮ろうとしていると、自転車の男が「私が撮りましょう」とやってきた。

なんと石垣市の市長と知って一同びっくりしたが、市長自ら歓迎を示してくれたのだ。

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翌日の与那国では、民宿「おもろ」に泊った。

今、そのおもろの女将さんの書いた「日本最西端の国へ 恋する旅人たち」を読んでいる。

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彼女は、この島での生活への戸惑いや情熱を書いている。

自分の人生をこの島で燃焼すべきかどうか惑いながら、そこに活路を見出していく。

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外間真奈美さんと言って、未だ五十代半ばのメリハリのある方である。

ランナーでもあって、私達を温かく迎えてくれた。

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その「おもろ」に山形から来た若いお手伝いさんがいた。

何としてもこの民宿に泊まりたくて、私達で満室の宿に、

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お手伝いとして割り込んできた女性だ。

彼女もランナーで、翌日は私達と行動を共にして、交流会にも加わってくれた。

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そう言えば、島に住む人々はみい~んな知り合いで、

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「おーい」って声を掛ければ、みんな集まってくるような、そんな良さを残している。

そんな中に、生き方を巡って対立があったりしながらも、誰もが真剣に生きている。

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島特産のサトウキビだって、TPPでデューティーフリーとなれば、霧消するだろう。

観光も水物で将来への確信とて持てない。

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それでも島人は島で生きていかなければならないのだ。

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民宿の名前「おもろ」は、沖縄の言葉で「おもろう」に由来する。

思ろう、考えようと言う意味らしい。

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2013年5月 7日 (火)

八重の自然と食

いよいよ今日は、午後の直行便で帰らなければならない。

午前の時間を有効に使おうと、島北のマングローブの川に向かった。

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カヌーで少し入ると、そこはヒルギやメヒルギの茂る異空間になった。

その川岸ではシオマネキが体ほどの大きな爪を振って求愛しているし、

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マングローブの種が岸辺に突き刺さる様さえ垣間見れる。

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マングローブ林に入ると、陸シャコの盛り上げた無数の山があった。

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そこに穴が開いていて、中に大きなシャコが入っているらしいのだ。

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Hさんが腕を突っ込んでみたが、どうも捕獲は出来なかった。

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1時間半ばかり、このマングローブの林を満喫したのだが、

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海中でも陸でも、それぞれの生物がうまぁ~く適応していると言うことだろう。

ところで、そこに住む人間はどうかと言うと、

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自然に逆らって生きられるはずもない。

強風にも耐えられる石の家を構えて、亜熱帯で育つ作物に囲まれて生活している。

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今朝の早朝ランでは、ドラゴンフルーツやパイナップルの畑、

それにこの地では良く使われる食用ヘチマの棚。

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石垣では珍しいマンゴーのハウスまであった。

サトウキビは畑は至る所にあって、黒糖や黒蜜が特産になっている。

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ところで波照間では山羊を特産にしようとしていた。

こちらでは山羊をよく食べる。

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山羊汁や刺身が一般的だが、その他にも色々と加工する。

大切なお客があると山羊を殺して振る舞う風習だって残っている。

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この山羊を東南アジアに輸出して、経済的自立の一助にしようというのだ。

宗教の禁忌があって牛や豚の食べられない国に山羊肉を供給する計画だ。

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例の長命草も「さこな」(粉末)にして用途を広げようとしている。

そう言えば、特産のパッシヨンフルーツを輪切りにして、黒糖粉末を入れ、

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これに泡盛をかけて頂いた。

これはまた独特な味で、かなり美味しく味わわせてもらった。

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とにかくこの7日間、たっぷりと南の島の人になった気分である。

そして、西と東の果てを自分の足でしかと確認できた。

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2013年5月 6日 (月)

石垣サイトシーイング

波照間島を出発するのに先立って、早朝ペー浜に出かけてみた。

あの美しいビーチを、女性が一人じっと眺めている。

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そう、吸い込まれるような色合いと静かな波がそうさせるのだろう。

9;40、いよいよ波照間を去って石垣に帰る。

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与那国にしても、波照間にしても、何故か分かれがたいような感傷が残る。

それぞれの島の持つ人を引き付けるものがそうさせるのだ。

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さても今日は、レンタカーでの島一周観光である。

石垣は人口4万8千余の「大都会」で、面積だって沖縄本島、西表島に次ぐ大きさだ。

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面積228平方キロ、一周しても140k程もあって、まさに八重山諸島の主島だ。

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先ずは金武岳麓、島中央部の玉取崎展望台による。

ここからの安良岳をサンゴ礁越しに見晴るかす景色が素晴らしい。

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さらに進んで石垣最北端の平久保崎灯台へ。

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その近くには大きな牧場が広がっていて、

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石垣牛と呼ばれる黒毛和牛を育てている。

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子牛はやがて松坂牛や神戸牛などになるのだそうだ。

それにしても、亜熱帯の気候が年中新鮮な牧草を育て、牛も伸び伸びと育つ。

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ここでしばらく海を眺め、今度は西海岸を南に向かう。

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途中、川平〔カビラ〕公園に立ち寄って、グラスボートに乗ることにした。

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川平湾の底には、様々な珊瑚が群生し、色とりどりの魚が泳ぐ

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上の植生と同じように改定にも珊瑚の林が広がっていた。

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大きな烏賊やナマコエボ鯛や熱帯魚etcを随分楽しませてもらった。

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石垣ならではの海と生物を堪能したのである。

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今夜は今回のマラニット最後の夜である。

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皆でマーケットに買出しに出かけ、仕入れた食材でのパーティーとなった。

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ピッタンガやモズク、パッションフルーツの泡盛仕立て、などと食材は多彩だ。

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しかもコック長の指示の元に一指乱れぬ支度、漸く19時パーティーが始まった。

今回のマラニックの感想を思い思いに語って、それも個性に溢れていた。

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人はどう生きるべきか・・・みいんな思い続けているんだな~。

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2013年5月 5日 (日)

果てのウルマ

今日は、波照間島をジョギングで2周する。

と言っても、周囲14.8km、面積も12平方キロに過ぎない島である。

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出発の前に宿の近くのート盛に登った。

こーと盛は珊瑚の岩を積み上げて作っ琉球王朝時代の火番所〔狼煙場〕である。

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午前9時、中学校前前に集まると、地元の中底さんが案内を買って出てくれた。

彼は、私達の来訪を伝える新聞を見てやってきたのである。

総勢21名、先ずは東端のフービ崎に向かって元気に走り始める。

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フクギの並木を抜けるとあますな〔サトウキビ〕の畑が続く。

モチキビの畑も所々にあって、既に収穫期を迎えた畑もある。

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途中、波照間空港の脇を抜けるのだが、この空港今は使われていない。

観光客があるとは言え、人口600人の島で空港が維持できるとは思えない。

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その綺麗なビーチを折り返して、日本最南端の地に向かう。

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波照間島からは南十字星が良く見える。

それでこの最南端の地に、星空観測タワーが出来ている。

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そのタワーを目指して海岸沿いを走り、やがて最南端の地に至る。

そこの岩場の上に、ささやかな最南端の碑があって、

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実はこの碑には物語がある。

1975年、千葉県の大学生が北海道の最北端からこの最南端まで自転車の旅をした。

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ところがここには何のモニュメントも無くって、彼は自分の度の記念に自費で碑を作った。

それに触発された青年団体が、ここに二匹の蛇を象った道を建設する。

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その蛇の背には、全国各県から集められた石が埋め込まれ、南を睨んでいる。

最南端から西に向かってベムチ浜を経由して南〔ペー〕浜に向かう。

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その南浜近くの浜辺に浜シダンの群落がある。

シダンはあのコクタン同様に金属のように硬いあの樹である。

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そこから北〔ニシ〕浜までは指呼の間で、この島で最も美しいビーチである。

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ここで何人かが、海の魅力に負けて海に飛び込んだ。

それで、数人の仲間がここでランニングはストップになった。

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だが私達は、勿論予定通り2周目に向かった。

途中、道を見失ってサトウキビの畑を横切るなんてことも…

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二周目の最初に、ぶりぶち公園に立ち寄った。

そこは珊瑚石に囲まれた古い古い城砦で、

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12世紀〔琉球王朝以前〕に栄えた下田原城跡であった。

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ガジュマルの根に覆われた城址は、アンコールのワットを思わせるものがあった。

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しかし、この史跡を荒れたまま放置しておくのは、いかにも勿体無くは無いか?

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次に向かったのは、シムスケー〔古井戸〕である。

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その昔、7ヶ月の間雨一滴も降らなくって、旱魃で難渋していた時、

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一頭の牛が湧水を見つけ、そこわ掘り下げて村人は命を繋いだと伝わる。

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今も真水が湧き出していた。

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そこからもう少し東に進むと、発電用の風車が2機立っている。

この風車、波照間流とかで、強風時には倒すことが出来るようになっている。

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強風の吹く波照間ならではの工夫なのだ。

そこからは、もう一気に7km余を走って、北浜に14:40に到着となった。

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何と、そこにはまだ泳いでいる仲間がいた。

私もそのまま海に引きずりこまれて、宿までの1kmは濡れ鼠で帰る羽目になった。

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だけど、エメラルドの海は願っても無い美しさで、海の中も心地よかったな~。

と言う訳で、今日の31kmプラスαは終了である。

ついでに書くには一寸気が引けるが、この島には不幸な歴史がある。

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終戦のドサクサもあったのか、この島にマラリアが流行した。

蚊の媒介する伝染病だが、当時の島民の1/3(約300人)もが亡くなったと言う。

波照間島とは、果てのウルマ〔サンゴ礁〕のことである。

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2013年5月 4日 (土)

離島の人々

昨夜は、地元走友会の人達と大交流会になった。

小峰代表や外間さん、安里さん達である。

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もともと彼らは、この島興しの一環として23年前に与那国一週マラソンを始めた方々だ。

最初は町も観光協会にも相手に去れず手弁当で開催した。

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しかし23回目を迎えた今日、島を挙げての大イベントに発展している。

しかしまあ、芸達者名人たちばかりでサンシンを奏で、私達の仲間が踊る。

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宴も次第に賑やかになって、

サンシンのテンポが速くなると、店も狭しの立ち踊りになった。

南国のリズムは体ごと陽気にさせてしまうようだ。

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そんな愉快な与那国の人達だが、今、深刻な対立の渦の中にいる。

人口も1,500ほどに減って、若い人達はどんどん離島していってしまう。

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高等学校も無いし、歯医者だって石垣まで2泊3日だ。

あの立派な墓だって、空墓になっていく。

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バブル崩壊以前のように多くの観光客が訪れることも無くなった。

それで商工会では、あの長命草と大型の蛾などを島興しの材料に頑張っている。

資生堂と提携した長命草の加工も進めているのだが、なかなか思い通りには行かない。Dscf7074

それでか、町長と議会が自衛隊の誘致に乗り出した。

このプロセスを巡って賛成派・反対派の真っ二つに島は割れている。

反対派は「自衛隊じゃ、島は自立はできん」と、島じゅうに反対の幟を掲げている。Dscf7075

自衛隊の誘致とて、この程度の小さな島にどれ程の経済効果が期待できるのか?

ともあれ、共に島の将来を憂えてのことではある。

それはともかく、今日は波照間島への移動日である。Dscf7076

その前にと、早朝から与那国の名物、海底遺跡の見学に向かった。

島の南側に広がる岩の造形というべきか、かつて巨大な神殿が在ったかのような

広場や階段、モニュメント? 排水路などが広がっている。

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腹ばいになってかなりの時間海底を眺めていた。

が・・・やはり、一人二人と船酔いが続出と言うことになってしまった。

港に帰って、今度は石垣港行きの船に乗り換える。Dscf7085

石垣までの160k余は約4時間である。

石垣から船を乗り換えて、今度は南に一直線の波照間に向かう。Dscf7086

果てるままでは、1時間余の船旅であった。

とは言え、今朝から7時間近く船に乗った訳で、流石の我々もぐったりである。

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2013年5月 3日 (金)

西の果てどなんを走る

与那国には牛や馬が良く似合う。

28平方キロ程の島の一周は約28kmだが、今日はあちこち寄りながら31kmを走る。

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午前9時、与那国ランナーズの小峰さんや安産さんらに見送られて、おもろを元気に出発。

先ずは昨日と同様に時計回りに浦野墓地群を抜けていく。

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地元のランナーに伺うと、このお墓は皆国有地に建てられているんだとか。

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それに1600人の人口も減りつつあって、空墓も多くなっているんだそうだ。

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ともあれ巨大な墓が累々と続いている。

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その海沿いにはパイナップルのように実をつけるアダンが群生していて、

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その傍らを談笑しつつゆっくりペースで進んでいく。

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あの東崎ではやはり野生の与那国馬がのんびりと草を食んでいる。

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道の傍らの畑には、所々に長命草〔ボタンボウフウ〕が栽培されている。

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与那国に自生する野草だが、ビタミンやカロチンが多くて、

近年では健康食として脚光を浴び、島の名産になっている。

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昨夜も刺身のつまで出てきたが、チーズケーキなど様々な加工品がある。

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立神岩を過ぎて南岸の比川浜に出ると、そこはDr.コトー診療所の撮影地である。

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セットもそのまま残っているのだが、この島にある実際の診療所は祖納に1箇所だけ。

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重病人が出た場合には、ヘリで石垣などに運ぶのだそうだ。

そのオープンセットの近くに与那国海塩の製造工場がある。

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そこの女性オーナーが、色々と私たちをもてなして下さって、

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結局ここで昼食となった。・・・未だ14k地点でしかない。

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気を取り直して、南海岸沿いを一路西端に向かう。

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やはり道すがらには草原が広がっていた、牛や馬が実にのどかに見えた。

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そこから1時間近く走って、やっと日本最西端の地に辿り着くことが出来た。

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位置関係を確認するとあの尖閣諸島よりも相当に西に来ている。

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やはり中国が領有を主張するのは無理があるのではないか。

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ともあれ、体の疲れを除けば美しい景色か続いている。

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久部良パリで名物のユキさんちのカレーをいただき、

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一路東へ、途中ダンフ浜、北牧場、タンナ浜を経由しつつ走る。

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途中には月桃花やノボタンが咲き、時折立ち止まっては島の風情を楽しむ。

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と言うことで、15:30には民宿オモロへの到着となった。

宿で八重山毎日を見ると大きく私達のマラニックを取り上げていた。

少し体を休めて、今夜は地元のランナーの皆さんとの交流会である。

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2013年5月 2日 (木)

渡南の島より

石垣から与那国まで空路30分である。

38人乗りのコミューターは私達でほぼ貸切状態である。

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与那国空港に着くと、建物の屋上に歓迎の横断幕を持った人達がいた。

与那国のランナーと宿の人達である。

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ともかく熱烈な歓迎をうけ、荷物を宿に送ってから、

空港内の食堂でうどんのような与那国そばを頂く。

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この与那国から台湾までは110kしかなく、ここから年に数回は島影が見えるのだと言う。

私たちのお世話になる民宿「おもろ」は、

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純沖縄風のいかにも島の宿と言った風情である。

それからは思い思いの〔泳ぐ人、サイクリング、乗馬、ドライブ〕行程になった。Dscf5805

とは言っても、予想に反して何故か与那国の海は寒い。

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私は自転車で島を半周することにした。

先ずはナンタ浜で泳ぐ人達を見送って、アシリ東崎に向かった。

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途中墓苑の中を通ったのだが、この墓が押しなべて巨大なものだ。

与那国では棺をこの墓に収めて6年後に洗骨する風習が残るのだと言う。

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先祖崇拝が根底にあるのだが、死してから住む所に配慮しているとも言える。

この墓苑から6kほど坂を登り下りして東崎に至る。

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岬には日本で最も体型が小さいという与那国馬が草を食んでいた。

海は何処までも青く、その向こう〔66k先〕に西表島がかすかに見えた。

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さらに島を時計回りに回っていくと、サンニヌ展望台、立神岩が見えてくる。

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与那国の海岸はどこも絶景と言っていいのだが、この辺が最も変化に富んでいる。

立神岩も荒波が作り出した造形だが、その壮大な姿には神々しささえ感じられる。

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一方南国の林の中に人面岩なんてのもあって、これもこれでなかなか面白い。

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さらに10kあまり西に走って、ティンダハナタに登った。

ティンダハナタは、民宿のある祖納集落の西側に聳える70mほどの崖である。

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かつて祖納の村を納めた女英雄〔酋長〕の墓がある。

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その墓よりもサンゴ礁が隆起して出来たと思われる崖全体がすごい。

サンゴ礁のしたの地層部分が削られて洞窟状態になっている。

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ここから祖納集落を眼下に見下ろすころには、既に日は西に傾きかけていた。

宿に戻って、全員揃ったところで、明日の島一周31kmのミーティングである。

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そしてその後は、もちろん賑やかな夕食となった。

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宿の女将さんも、随分と世慣れた挨拶をして、

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さらに二次会へとパーティーは続くのであった。

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石垣の朝ジョグ

石垣の朝は、西に偏っている分幾分遅い。

それでも6時には明るくなって、港に向かって走り出た。

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石垣港の南側に八重人工島があって全体が緑の公園になっている。

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人工島へは大きなサザンゲートブリッジが掛かっている。

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先ずはこの人工島を一周しようと言うのである。

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ハイビスカスやブーゲンビリアの並木を横目に快調な腹ごなしである。

で、橋の上で朝日を迎えた。

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島から引き返して、今度は昨日見落としたガジュマルの大木を見に向かう。

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枝張りは20mくらいだろうが、ハワイの巨木に比べると・・・

ともかく朝飯前の6kmほどのジョギングを済ませた。

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これから日本最西端の与那国島に向かうのだ。

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2013年5月 1日 (水)

南国勝地

南の果て、石垣島に来ている。

と言っても、中部国際から長駆3時間である。

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石垣空港は、この3月にオープンしたばかりなのだが、開港までに30年近く要したとかで、

ピカピカっといった気分は感じられない。

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ともあれ、初めて石垣島に降り立った。

今回は日本最南端〔波照間島〕と最西端〔与那国島〕をぐるっと走る旅である。

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今日の宿舎民宿八重山荘には15時に到着し、近回りを歩くことにした。

まず向かった先は宮良殿内〔メーラ ドゥヌズ〕と言って、首里王朝時代の頭職の屋敷だ。

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沖縄本島とは違って地上戦の無かった石垣には、こうした昔の家が数多く残っている。

台風から守るために周りを石垣がぐるりと囲み、屋根も漆喰で固められている。

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そして庭はサンゴ礁で造られているのだ。

さらに少し歩くと、南嶋民族資料館なるものがあった。

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米軍占領下の八重山諸島には、1946年に八重山民政府がおかれた。

沖縄は早期に米軍が上陸して降伏となったのだが、

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台湾の影響下にあった八重山の諸島は最後〔終戦〕まで抵抗した。

8月15日の前日まで、特攻攻撃をしたと記録が残っている。

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ともあれ、その元民政府知事が渡米して博物館の必要性を感じて設立したとある。

一見したところガラクタが累々としている感じだが、一品一品に意味がある。

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島の暮らしと言うものは、そうそう安易なものではなかったのである。

木の葉や貝殻を加工してつつましい暮らしをしていたのである。

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シーサーが様々な顔をして立ち、ガジュマルの樹では子供たちが遊んでいる。

どこも全国一律化してしまったこの国だけど、Dscf5774

店にはパッションフルーツやドラゴンフルーツが並ぶ。

それにモズクもここの特産だ。

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今日はやや涼しいけど、やはりここは南国なのだ。

夜は23名、全員そろって郷土料理の夕食である。

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昨年の小笠原でご一緒した方も多く、懐かしく和気藹々の一晩である。

酒はもちろん泡盛だ。

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さてこそ、暫くはこの南国からブログを書くことになる。

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