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2013年6月30日 (日)

富士のごとき

6月22日、プノンペンで富士山の世界文化遺産登録が決まった。

私達が各国の世界遺産を訪ねるように、観光入れ込みが増えるだろう。Dscf7800

そんな思惑もあって、関係の地には一寸した高揚感がある。

登録されようがされまいが、富士は富士であって少しも変わりない。

その富士には、もう二十数回も登っている。Dscf7710

最初に登ったのは高校二年の時で、初めての山登りでもあり感激の連続だった。

8合目の山小屋では互い違いになって寝て、翌朝真っ暗な中で御来光を待った。

雨合羽を着ていたが寒くって、震えながらその荘厳な日の出を仰いだ。

下山は須走を駆け下りて河口湖の宿に泊まった。Dscf7721

その宿から見上げる富士は、夕空に青く輝いていた。

自然のダイナミズムの絶対的な大きさに圧倒される思いであった。

正に私も、青雲の志を抱きつつある青年だったのだ。Dscf7709

近年は例の山頂往復マラニックのために、一年に二度は登ってきた。

田子の浦の海抜ゼロメートルから山頂へ、そして海岸まで返るタフなマラニックだ。

しかし昨年は、流石に体力の限界を感じさせられた。Dscf7730

それで今年はレースには参加せず、ゆっくりと登ってみようかと考えている。

それもアプローチの最も長い御殿場ルートがどうかと思案している。

ともあれ富士山は、確かに南アルプスなどの山とは違う。Dscf7716

単純で変化が少ないから、登山家にすれば面白くないかもしれない。

だが六根清浄・・・気持ちの山なんだ。

山頂の噴火口を一時間かけて巡ってみれば、自ずと自分の人生と対峙する。Dscf7713

馬齢とは言え、六十幾余年この富士の頂を目指して走ってきたことを思う。

今年も、そんな一時を持ちたいと思っている。

そして、お鉢の傍らで一句捻ろうかとも・・!!

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2013年6月29日 (土)

方面隊

この27日、県の第四次地震被害想定が発表された。

最大クラスの地震想定では、これまでよりも格段に大きな被害を見込まれていた。

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例えば我が街では、最大で水深2m以上の所が30㎢、全壊焼失棟数27,000棟、

人的被害に至っては1,900人の死者が出ると予測されている。

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勿論レベル2でM9クラスの南海トラフ巨大地震の場合だから、

その発生の確率は極めて低いだろう。

しかし、東日本で起こったことがこの地域で起こらない保証はない。

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しかも富士山の噴火で宝永山が出来た宝永大地震は1707年、

それから147年後の1854年には安政の大地震がこの地を襲っている。

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それから既に160年、この空白期間をどう考えるべきなのか。

少しでも地域防災力を高めて減災をと考えるのが当然だろう。

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しかし大きな不安がある一方で、「みんな一緒に死ぬんなら仕方ない…」などと、

意図的に考えることを回避している方も多い。

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ともあれそんな折、奇しくも昨夜、我が町の消防団の演習披露会があった。

仕事を終えて集まった団員達は、9分団毎に訓練礼式にそって、

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ポンプ車操法、倒壊家屋救出法、小型ポンプ操法をキビキビと披露してくれた。

いわゆる訓練の型だから、実際と違うのは当然だが、

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イザと言う時にはその「型」が活きてくる。

それにしても、近頃では消防団への入り手がないと言われる。

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仕事を終わってからの日毎の訓練や、軍隊式調練を忌避するのだろう。

確かに常設消防がかなりをカバーし、自衛消防の影は薄くなっている。

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しかし東日本でもそうであったように、地に足を付けている消防団は実際の力だ。

夜だって、サイレン一つで飛び出していく。

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ともすれば自衛消防への理解を欠きがちなご時世だが、

自治会と密接に連携しながら「地域の安全は地域で守る」その力を育てねばなるまい。

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2013年6月28日 (金)

なりたい自分

毎朝、大人顔負けの挨拶をする小学一年生がいる。

どういう育て方をすれば、こんな素直で丁寧な挨拶が出来るのかと感嘆する程だ。

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今日は、地元小学校の学校協議会である。

一年から六年まで順繰りに28程の教室を見て回った。

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そこには、またまだ幼稚園の気分の抜けない一年生から、

もう立派な中学生と言った風の六年生まで、変身を遂げつつある子供達がいた。

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勿論、毎朝顔を見ている子供さんとは自然と目が合ってしまう。

それはともかく、学校の重点目標の一つに『「なりたい自分」に向かう』とある。

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自分で考えて目標を決めて、それをやり抜くことの出来る子供を育てようと言うのだ。

それで、「なりたい自分」とは何かと考えてみた。

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それは子供の事だから、挨拶の出来る子とか、毎朝起きられる子、好き嫌いのない子、

宿題をちゃんとやる子、走りっこの早い子などと・・・・無限に有るだろう。

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それを自分で決めて頑張る積み重ねができりゃ、そりゃ素晴らしいことだと思った。

一つが出来ればそれが自信になって自己肯定に繋がっていく。

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是非とも、そんな子供の自信を育んでほしいものである。

子供の事はさておき、私達の「なりたい自分」はどうだろうか。

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呆けずに健康な古希を目指すとか、孫達の好々爺でありたいとか、

社会の役に立ち続けたい、はたまた新たな事業を目指す人だっているだろう。

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いやいや現役でclimb the corporate ladderを目指している人もいるかも知れない。

ともあれ、中味は別にして『なりたい』自分がイメージできるか否かが肝心さ。

人生は、まだまだ長いぜ。

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Walks never gets old.

元気な子供達に目を細めながら、ついつい自分のことを考えてしまった。

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2013年6月27日 (木)

熟年の甲斐性

自分は年相応なのかどうか・・・と、時に思うことがある。

還暦はとうに過ぎて、古希に近づこうとしているのに、

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毎日していることは50代の頃と変わらないし、むしろ活動は広がっている。

体力だって右肩上がりと言う訳には行かないが、落ちたと言う実感に乏しい。

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レースには赤い靴を履いて、カラフルな帽子を冠って走る。

とてものこと「年相応」なんて言っている場合ではない。

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世の中を見渡せば、財界や企業経営者には古希を過ぎた人がゴロゴロしている。

一方庶民はと言えば、60才の定年で爺捨山行きと言うのは不公平だが、

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定年と共にめっきり老け込むのも共通の性だ。

これは人間の個体差なのかというと、そんな馬鹿なことはない。

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単に、ゴール地点設定の違いに過ぎないのだと思う。

例えば、フルマラソンを走る場合と、ウルトラレースを走るのとの違いだ。

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42.195kmが最終ゴールと言い聞かせて疾走すれば、そこでもうヘロヘロだ。

しかし100kを走るランナーにすれば、フルの距離は只の通過点に過ぎない。

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要するに人間なんて、気持ち次第なんだ。

「これにて、もうお終い。後は楽して・・」と思えば、それっきりと言うことさ。

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それにあれだね。

この国は、未だ老成した人間の生かし方を知らない。

ホテルの玄関番だろうが給仕長だろうが、はたまた福祉要員としてだって、

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創り出せば幾らでも役割はあるだろう。

仕組みも制度も、成熟高齢化社会に即して作り直すべきだな。

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勿論私達も、ゴールはもう少し先だってことを自覚しないとね。

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2013年6月26日 (水)

活動拠点が欲しい

今日は午前・午後、そして晩と三つの会合があった。

何れも地域活動に関する会議だが、夜の会合は活動拠点を創る話だ。

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かつて公民館運動と言うのがあって、私の街はその全国モデルだったところだ。

旧市部では中学校区くらいの地区毎に11の「公民館」があって、

館長以下の職員が配置されていて「社会教育」を中心とした活動をしている。Dscf7740

○×教室や▽○学級、演芸会や体育会などだ。

高齢化社会にあっては「今日 行く」所を作ることが必要だと言っている私からすれば、

旧市の公民館の存在はまことに羨ましい限りであった。Dscf7741

しかし難点もあって、縦割り省庁の社会教育法の範疇に止まっていることだ。

時代はどんどん移り変わっていて、世はまさに成熟社会である。

地域福祉活動や自治活動はどんどんその範囲を広げつつある。Dscf7742

具体的には高齢者や要援護者への支援活動、子育て支援、防犯・防災活動、

・・・・・要するに住民に密着した日々のボランティア活動だ。

しかるに「公民館」では、こうした活動は法律で制約されてしまっている。

もっと自由に地区活動の拠点になるところが欲しい・・・と思っていた。

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そんな折、市長の肝いりで将来を見据えた拠点づくりの検討が始まった。

夜の会合は、その第一回検討会である。

地域活動と言うソフトとそのベースとなるハードを一体化させることが出来れば、

あとは地域力を競い合えばよい。

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上から目線の公民館から、民主主義を育てる活動拠点への転換だ。

その運営だって、地域に任せりゃ良かろう。

もっとも私の住む旧郡部は、その公民館施設とて中途半端だったから、

これはこれで新たな発想のもとで歩調を合わせられるようにしていきたい。

少々固い話を書いてしまったが、

これからの時代に合った地域活動拠点の模索が始まったのだ。

是非、一歩前進させたいと思っている。

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2013年6月25日 (火)

家の思い出

かつての私の家は、茅葺屋根に覆われた縁側のある平屋だった。

縁側に沿って雨戸があって、朝晩の開けたては子供の私の仕事になっていた。

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戸板を隅っこの戸袋にガタゴトと収納するのだが、動きが悪くって何時も骨が折れた。

そう、子供の頃は純田舎風の障子の家に住んでいたんだ。

それも昭和19年の東南海地震で幾分歪んでいたから、ガタピシは尚更だったのだ。

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その家には広い土間があって、デコボコと無数の小さな山が出来ていた。

土足で野良と行き来するんで、外の土が入り込んでそんな独特な地面になったのだ。

平らじゃないから掃き掃除も大変だったけど、これも私の仕事だった。

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夜には、この土間は菰や俵、すがいを作る夜なべ仕事の場になった。

キュウリやトマトの調整もこの土間が作業場だった。

学校から帰るとハウスから収穫したキュウリを集めて来て材木のように山にする。

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それを親父が、長さ別に選別しパラフィンで巻いて木箱に詰めるのである。

当時、冬場のキュウリは貴重品で東京で高く売れたのだ。

土間には玄関とも言うべき大戸があった。

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世間との結界で、敷居の外には鬼がいると心していた。

伊勢湾台風の襲来した夜には、かつて無い大変な風が吹いた。

それでこの土間の大戸が、内側にしなって何度も飛ばされそうになった。

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大戸が外れれば家が吹き飛ぶと、家族全員で必死に支えていた。

家族全員がまさに運命共同体だった。

一夜明けると辺り一面に瓦が散乱していて、改めて無事を安堵した。

ともあれ、南と北側に縁側があって、

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布団を干したり寝そべったり、来客も腰掛けて時間を潰していった。

やがて北側の縁は改造し、私の個室として使った。

私の育ったあの懐かしい家を改築してから、もう半世紀になった。

隠岐の島の佐々木家を訪れた折り、説明を伺いながらあの我が家を思い出していた。

そして時々、あの生まれ育った家の夢を見る。

貧しかったけど、温もりと味わいの家だった。

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2013年6月24日 (月)

季節に生きる

夏には凍て付く冬の寒さを忘れ、冬には夏の暑さを思わない。

私達は、何時も季節の中に生きている。

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今年は幾分季節が前倒しで進んでいて、梅雨の鬱陶しさも幾分少ない。

だけど、その季節には季節の花が咲き、作物の稔りも巡ってくる。

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ナスもキュウリも、順調な稔りを見せている。

それに可愛がっている葡萄達もすこぶる順調だ。

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赤い葡萄は日に日に赤さを増し、黒い葡萄はこれ見よがしに黒くなっていく。

水峰は黄緑に実を膨らませ、ピオーネはポッと色を付け始めている。

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小粒のデラウェアはもう食べられる。

時間があれば何時も彼女らを見回って、ケアーに余念のない毎日だ。

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そうだなぁ~、あと20日、7月中旬からは収穫を始められるだろう。

やがて毎日、あの朝の清新な空気の中でオクラと葡萄の収穫をするのだ。

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山の中を走りつつ草花を愛で、仲間との語らいを楽しむ。

毎日子供達の顔を見、やらなければならないこともある。Dscf7726_2

この自然の中での営みと、この地域社会への幾分の働き掛けが私の毎日である。

「晩秋の稔り」とも言えるこの日々を、それなりに納得している。

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巡りくる季節を味わい、その季節と共に生きる。

そして何時か、私が育まれたこの郷土の土になれば良い。

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だからこの郷土を荒廃させる何事にも、私は敢然として戦うだろう。

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2013年6月23日 (日)

若草会

私の住む町は、かつて(半世紀前)ガチャマンの街と言われた。

織布(別珍コールテン)の町で、門毎に鋸屋根の工場があって、

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その織機がガチャンと音を立てる毎に万札が転がり込むと言うのだ。

私の小学校の頃で、百姓の小僧の私からも桁違いの羽振り良さが見て取れた。

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東北から大勢の若い職工が来ていて、お手伝いのいる家も多かった。

俄然生活も派手になって、子供に与える小遣も多かったんだろう。

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ところが56年前、繊維不況というのがやってくる。

それまで独占的産地だったのに、諸外国で織布が始まったのだ。

それで町工場の倒産が相次いで、一気に町全体が沈んでいく。

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すると俄かに中学校が荒れだした。

タンマリ与えられていた子供達の小遣が激減したからだ。

万引きや恐喝・暴力が激増して、学校もお手上げ状態になった。

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その荒んだ子供達を何とか健全に育てようと発足したのが若草会だ。

町長を会長に、その号令の下で各町内毎に組織された支部も良く動いた。

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その地域全体の大運動によって、やがて平穏な町が復活する。

それから50年、会長、理事会、専門委員、47支部長の組織は延々と続いてきた。

広域合併によって町長はいなくなって、会長の号令も迫力が無くなった。

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それに第一、47人の支部長ですら「若草会」とは何かも承知していない。

昨年中学校が荒れた時だって、肝心の若草会は何もできなかった。

当然ながら、何の為の若草会だと言う声が出てくる。

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という訳で今回、組織も規約も全面的に見直して、マンネリを打破しようと言うことになった。

それで今日は、支部長を一堂に集めての研修会を行った。

親が子供を叱れないような時代である。

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それに地域で見守ろうったって、隣の小僧の顔も分からないようなご時世だ。

しかし、諦めてしまっては地域の未来は無いだろう。

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少子化は当たり前だから、地域ぐるみで子供達の健全育成を進める時代だ。

子供を含めたコミュニティーをどう作るか・・・それがこれからの課題だ。

人の心は見えないが、心遣いなら見える。

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2013年6月22日 (土)

ゴール貫徹

ウルトラランナーは、押しなべてレースを走り切るために何ヶ月間も練習を続ける。

それでも、ウルトラレースはその努力と忍耐だけでは完走できない。

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その時の体調や天候〔雪や雨、寒さetc〕に影響されるし、

それに100kは想像以上に遠くって、途中で何が起こるか分からない。

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心の起伏だって大きくって、途中にゃ「止めよう」って誘惑が次々と現れる。

だから完走に不可欠なのは、「絶対完走する」って言う強い目的意識だ。

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これがグラグラしてると、どんなに練習したって駄目さ。

現代の普通の人は、30Kまでは走れたとしても、その後は大抵動けなくなる。

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それ程に柔になっちゃってる訳だが、本来の人間の体はその機能を発揮したがっている。

太古の昔にゃ獲物を追って、はたまた獣に追われて、

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ひねもす走り回っていたんじゃないか。

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それが近代文明の故に、歩くことすら間々ならなくなった。

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この退化〔?〕は、足の筋肉だけじゃなくって頭だって同じだ。

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頭だって時には感動が欲しくなる。

それでドラマを観たり、本を読んだり音楽を聴いたりするんだ。

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本当は、人間はじっとしてる方が大変なんだろうと思う。

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ともあれ、あのウルトラレースを走り終えたときの嬉しさは、誰だって格別なものだ。

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何故って、自分の意志で様々な困難を乗り越えた結果だからだ。

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それに、UMを走り切るなんてことは誰にでも出来ることじゃないでしょ。

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完走かリタイアか、それは第三者にすればどうでも良いことだけど、

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ランナーにとっては、まさに人生の重要問題なんだ。

そして、クリアーした困難が大きな程人生の励みになる。

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It's challenging but I enjoy go through with Run.

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2013年6月21日 (金)

地域防災力

今夜は、自治会・防災会長研修会である。

あの3.11から、もう2年3ヵ月が経過している。

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しかし、今日に至るも31万人が避難したままであり、

そのうち11万人が仮設住宅暮らしだ。

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今更ながら、被害の甚大さを憂うるばかりだ。

昨年6月、岩手県の大槻町と山田町を訪れてその惨状をつぶさにした。

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殊に町長以下多くの職員も亡くなった山田町の三階建て役場の前では、

自然の圧倒的な力の前に人間の無力を感じない訳にはいかなかった。

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しかし同時に、私の地域に同様な災害が起こったらどうするかを考えた。

それで、自治会連合会として早急に取り組むアクションプログラムを策定した。

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家庭防災の日設定、防災教育、市・県への強力な働きかけなど5本の柱からなっている。

今年の3.11には全戸にチェックシートを配布して、家庭での取り組みをお願いした。

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釜石の奇跡に学ぶべく教育委員会と連携し、子供達の防災意識を高める努力も始まった。

着々とアクションしている訳だが、地域防災力の強化も大きな柱の一つだ。

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私の街には317の自主防災会があるが、現実には形ばかりで無力な組織も多い。

それをイザと言う時、少しでも被害を少なくする為に役立てたい。

それには、まず兼任の防災会長には専任になってもらって、

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単年度でころころ変わるんじゃなくって複数年やって専門家になってもらおう。

改めて防災組織を整える事から取り組んでいる。

いずれにしても巨大地震はやがてやってくる。

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1707年には富士山の噴火したあの宝永地震があり、

その147年後の1854年には安政地震が起こっている。

その安政地震から、既に160年が経過しているのだから。

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2013年6月20日 (木)

泥棒のこと

振り込み詐欺〔母さん・・・〕が一向に減らない。

対策もモグラ叩きで、奴等も知恵の限りを尽くしているんだろう。

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どうせ頭を使うんなら、もっとマシな使い方すりゃ良かろうと思うのだが・・。

それに近頃、空き巣も多いんだそうだ。

キャッシュカードの時代だし、忍び込んで金が得られるのかと思うのだが、

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空き巣が絶えないってことは、低金利故に箪笥預金が有るのかも知れない。

正に石川五右衛門の「浜の真砂は  尽きるとも 世に盗人の種は  尽きまじ」だ。

ところで、白浪五人男の一人日本左衛門は、我が郷土の泥棒だ。

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最盛期には、子分20数人を率いて遠州や三河を荒らし回ったという。

中々頭の良いヤツで、藩領と旗本領の境目〔県境〕で取締りの薄いところを狙ったらしい。

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それもこそこそじゃなくって、子分を道の両側に並ばせてどうどう〔?〕と押し入った。

狙いは当然ながら大地主や大店だ。

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庶民にすりゃ、そりゃ貧乏人の僻みで「ざまぁー見ろ !」ってなもんかな?

ともあれ旗本や小さな藩では手に負えなくなって、江戸の火付け盗賊改めが乗り出す。

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それで、この国初の「全国指名手配」となったのがこの男だ。

全国を逃げ回って、とうとう京の奉行所に自首して出る。

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番所で「お前は誰だ」と問われて、「知らざぁ~ 言って聞かせやしょう・・・」と見得を切る。

とどのつまり、故郷の見附宿に連れ戻され、

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宿場はずれの刑場「鈴ヶ森」で斬首となった。

その日本左衛門の墓が見付の見性寺に残されている。

川原石のような粗末な墓石だが、先般その側に謂れ書がつくられた。

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泥棒の歴史は、まさにその時代の世相を映すものらしい。

今日の振り込め知能犯も空巣も、時代の隙が生み出しているんだろうな。

だけど、お前らの墓にゃ「謂れ書き」なんかできっこねぇぞ~。

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2013年6月19日 (水)

富士の高根

富士山が、まもなく世界文化遺産に登録される。

それで登山客が増えるだろうから、入山料を取って規制するらしい。

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登録されようがされまいが関係なかろうと思うのだが、

日本人のミーハー精神もバカにならないらしい。Dscf7405

昔からこの国の人々は、殊更富士山が好きだ。

明治の論客横井小楠だって「男子の境涯、寄せて芙蓉の第一峰にあり」と言っている。

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目指すべきは、富士の頂だと言うのだ。

その小楠が富士山に本当に登ったのかどうかは知らない。

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明治2年に暗殺されてしまったから、多分登ってはいないだろう。

かく言うように、富士山は多分に仰ぎ見る心の山なのだろう。

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ともあれ私は、高校2年の初登山以来もう随分登ってきた。

近年では「富士山頂往復マラニック」の関係で年に二度は登ってきた。Cimg9768

しかし昨年は、田子の浦から夜を徹して登って行って、

7合目付近で片目が見えなくなって驚いた。

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寝不足と過労の結果だったろうか、翌朝目覚めたら何の障害もなくなっていた。

しかしながら、富士山とて舐めたらいかんとつくづく思った。

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それで今年は、このマラニックへの参戦を見送っている。

唐突かも知れないが、話はこの国の経済である。

戦後、アメリカ的な豊かさと言う頂を目指して登り続け、Cimg0417

消費は美徳とばかりの浪費社会まで作り出してしまった。

頂きに立ってみて突然目覚めたのが、平成2年のバブル崩壊とも言える。

「来てみれば さほどでもなし 富士の山」と、醒めてしまったのだ。Cimg9744

以来ず~っとデフレと言う下山の道を歩いてきた。

そして今、日本再興なんだが・・・

「今又目指す 頂は 何処にありや 蓬莱山」かな!!

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2013年6月18日 (火)

この国の人々

明治維新の原動力は、「攘夷」と言うことではなかったか。

外の世界からの脅威に対する「心配」が攘夷の根本だったろう。

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そしてそれが又、一気に国論として沸騰した。

結果として、明治維新と言う革命を成立させたのだが、

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明治政府は、その国論を意図も簡単に捨ててしまう。

一部不満武士の反乱はあったにしても、国論は富国強兵へと急転することになる。

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誠に、熱し易く流され易い国民と言うべきだろうか。

時代は進んで帝国主義時代になると、

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我も植民地をと損得の深慮もなく満州国の設立にと突き進む。

挙句の果ては、多くの国民の血を流した上に国を滅ぼすまでに至った。

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それで戦後は、今度は従順なミーイズムの世界に住むようになる。

それでも東西冷戦のお陰もあって、戦後の経済が拡大に次ぐ拡大を遂げた。

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結果としてそんな利己主義も許容されたのだが、それで慢心してしまった。

成功体験が、戦後の仕組みや枠組みをフレキシブルに変えようとさせなかったのだろう。

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今、参議院選挙を前に憲法を巡る議論がある。

今日の憲法は、この国を今日の発展に導いた大元だ。

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しかし世界の力関係はどんどん変わっているし、

誰も予想だにしなかった成熟社会が到来しようとしている。

本当の民主主義をちゃんと育てる必要も、地方自治の確立も必要だ。

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考えてみれば、現在の憲法は占領下にあって、その監視下で下付されたものだ。

当時の国民はおしなべて食うや食わずで、

有楽町のガード下あたりにはアメリカ兵相手の慰安婦がうろうろしていた。

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当時のこの国の人達が、この憲法制定にどれ程の関心を持ち得ただろうか。

然して今日、尖閣や竹島、北方領土と回りの国から恫喝を受けても、

それに正面向かって対処することが出来ない国になっている。

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そういう意味では、世界の国々と同等の普通の国としての憲法を持つべきだろう。

戦前に、何度かの護憲運動と言うのがあった。

当時は国民の権利を擁護する意味での「護憲」だったと思う。

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それで私達は護憲=正義と思い込んでいる節がある。

党利党略ではなく、選挙を機におおいに憲法議論をするべきだと思うのだ。

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2013年6月17日 (月)

隠岐の島巡り

江戸時代までの隠岐の島は、北前航路の寄港地(風待ち港)として殷賑を極めていた。

西郷港を一望するだけで、さもありなんと納得できるだろう。

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ところで隠岐の島と言ってもそういう島は存在しない。

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韓国に占拠されている竹島を含めた180余島の総称なのだ。

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勿論、その中での中心は東後である。

飛行機の便までの時間調整で、午前中島巡りをした。

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進み行くうちに、どの集落にも土俵のあるのが分かる。

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映画「渾身」で知られるように、隠岐は古典相撲の地なのだ。

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と言っても日常的に相撲大会がある訳ではなく、

島のお祝いごとの度に大会が開かれる。

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前回は隠岐水産高校の100周年記念の大会だったとか。

それも人情相撲と言われて、同じ取り組みが二番あって一番は真剣勝負、Dscf7655

二番目は勝った方がわざと負ける人情相撲なんだそうだ。

それに相撲は奉納大会で夜を徹して行われる。Dscf7662

私達が訪れた水若酢神社にも立派な土俵があった。

ところで隠岐の島町はジオパークの指定を目指している。Dscf7669

自然と歴史、そして人間との調和がテーマなんだそうだ。

島で最古級の建物「佐々木家住宅」を訪れた。Dscf7658

1836年の建物で国の重要文化財に指定されている。

子孫は源平合戦の折のあの佐々木信綱だと言う。Dscf7659

ともあれ隠岐と言うところは海運の要衝で、それ程に栄えていたともいえる。

幕末の隠岐騒動もその繁栄をバックに起こったと考えれば合点がいく。Dscf7689

数千人が決起し松江藩の役人を追い出し、人民政府を樹立した騒動だ。

今は日本海航路も無くなって、静かな漁村に過ぎなくなっている。Dscf7693

それでもそこここに嘗ての歴史の匂いを漂わせている。

帰りの便は、川内選手と同じ飛行機になった。

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2013年6月16日 (日)

隠岐100kの旅

朝5時、隠岐港近くの路上は昨年よりも随分多いランナーで溢れた。

曇っていて気温は思ったよりも涼しい感じだ。

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快調に飛び出したと書きたいが、実は体が重くって少しもスピードが出ない。

それに昨年は感じなかったのに、上り下りの斜面がやたらと多い。

それで30k過ぎから、登りは歩くことに決めた。Dscf7615

従って48kのサービスステーションに着いた時には、既に11時を回っていた。

完走が心配になる時間が迫っていた。Dscf7627

それに50kのランナーがここから11:30にスタートする。

猛烈にダッシュする50kの選手たちが見えて、Dscf7634

私は53k地点で、例の川内選手に抜かれてしまった。

ともあれ私はあくまでもマイペースで、のどかな里山の続く隠岐を味わいながら走った。Dscf7636

と言うのも、この隠岐では集落ごとに趣向を凝らした応援隊が待っている。

焼肉や魚、スイカなどを準備してくれている所、仮装しての応援もある。Dscf7637

それにあちこちに張られた横断幕が楽しい。

この応援の皆さんと触れ合いながら走ったということだ。Dscf7629

途中で飛行機で隣り合わせた東京都のA美さんに会った。

Hさんは、何と素足にサンダルで走っているのである。Dscf7631

この方が素足の湾曲が活きて快適なんだそうだ。???

橋の下を覗くと、船の上からもエールを送っていた。Dscf7647

応援隊は、ゴールが近づくほど密になって、ゴール間じかでは大勢が小躍りしている。

「100k良くやった。えらい。おめでとう、良くがんばった」などと熱烈に叫んでいる。Dscf7645

それで走っている私も、胸の奥からこみ上げてくるものがある。

今日は午後から雲が消えて、猛烈な熱暑になった。Dscf7646

給水所ごとにコップ2杯の水を取るのだが、たちまちにして汗になってしまう。

今回も何度となく「止めよう」と思った。Dscf7648

途中で止める理由は幾つだってある。

でも走り続けるのは、完走を目指す意思力だけが頼りなのだ。

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ともあれ13時間45分、制限時間まで45分残してのゴールとなった。

それにしても、隠岐マラソンも中々の難コースだと改めて思った。

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2013年6月15日 (土)

exiledの島へ

伊丹から空路1時間、隠岐島諸島の島後に来ている。

歴史上、配流の島として知られるあの隠岐だ。

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だから人は、岩ばかりの岩礁でどんなに厳しい所かと想像しがちだ。

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だけど本当は、入り組んだ幾つもの入り江を含め、のどかで人情味の厚い所だ。

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そんなお人良しの故かどうか、隠岐諸島一つである竹島は韓国に占拠されたままだ。

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それに隠岐諸島は、あの日露戦争のクライマックス、日本海海戦の舞台でもある。

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民宿から前夜祭の会場〔レインボーアリーナ〕に行く途中の墓地に、

日本海海戦の折流れ着いてロシア軍人が祭られていた。

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あの大西洋から回航したバルチック艦隊は、この海域でほぼ全滅したのである。

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ともあれ、明日の隠岐100kmウルトラマラソンの前夜祭である。

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今年は千人近くの参加者を得て、会場は超満員である。

それでも特産の岩牡蠣が山盛りで出ていた。

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3年物だろうか、この岩牡蠣がとびっきり美味いのだ。

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島の名物町長がこの8年間のウルトラの歴史をしみじみと語った。

相撲甚句を歌う個性派の町長である。

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当然ながらあの川内選手も登場して、世界陸上への決意を語った。

引き続いて、島のバンド「せな」がUltra Songs「ガッツポーズ」を歌う。

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コミカルだけどしんみりとウルトラランナーの心情を歌っていて、私もほろりとしてしまった。

8回目の大会とあって、七色のメダルを獲得したランナーも何人かいて、

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それにこの大会が縁で結ばれたカップルが二組もいた。

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いずれにしても、この島のスタッフが前夜祭からアットホームな雰囲気を醸し出している。

隠岐は素晴らしい島なんだ。

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よしゃ、明日は自分で納得できる走りをしてみよう。

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2013年6月14日 (金)

人口減の虚実

世界の人口は大幅な増加を続けている。

それで現在の72億人が、2050年までに96億人になるんだそうだ。

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一方この日本では少子化が続いて、じわじわと人口が減り始めている。

元々日本の人口は、明治維新の頃には3千万人に過ぎなかった。

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それが終戦直後には8千万人になって、ピーク時には1億2千万人と6割方増えた。

バブル崩壊前後から少子化が顕著になって、合計特殊出生率が1.32まで下回って、

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それで日本の人口は、今世紀中に6,700万人位に減るんだそうだ。

政府も国民も、折からの経済不調と相俟って、これは大変だとなった。

誰もが、人口減=国力の衰退と考えたからだ。

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「人口が減れば消費も生産力もが減って、この国の産業・経済が駄目になる。」と言うのだ。

だけど本当だろうか?

確かに現役世代の過重な年金負担とか、学校の入学者が減るとか・・・、

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人口増加を前提に作られてきたインフラは大きな課題を抱える。

Sサイズの人がLの服を着なきゃならないってイメージだ。

しかし人口が減ることでのメリットだってある。

土地もゆったり使えるし、学校だって希望校で勉強できるチャンスは増える。

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消費市場だって世界の人口が増えてるんだから、そこに売れば良かろう。

要は生産性を高めて産業競争力を上げれば良いのだ。

少子化こそ豊かな社会を作る契機と考えるべきではなかったか。

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それを政府は、少子化担当大臣まで設置して・・・・

挙句前政権にあっては、莫大な子供手当をぶら下げて選挙に勝った。

だけど、少子化及び人口減は社会の成熟の証ではないのか。

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そのスピードこそは問題だとしても、少子化はむしろ結構なんじゃないか。

中国じゃ、それを国策として進めているくらいだ。

年金が減るとすれば、高齢者だってそれなりの働き(役割分担)をすりゃ良いんだ。

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そうすりゃ、呆けも病人も減るがな。

私達は、大いなる勘違いをしてたんじゃなかろうか。

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2013年6月13日 (木)

Good for you !!

お世辞なのかどうか、ある方から「あなたは、昔とちっとも変らないね」と言われた。

次いで「同じように歳をとってきてるのに、何時も若々しい」と仰る。Dscf7581

前々から書いているように、「若さは、何をやろうとしているか」だと思う。

目標を持つことなく閉塞して暮らしたら、忽ちにして老け込むのは請け合いだ。

それに「過去に生きる」のは禁物だと思っている。

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だから過去の職域の会などには、出来るだけ出席しないでいる。

集まって過去の追憶に耽ったところで、何も産まれはしないからだ。

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人間は、何時も「只今この時」が全てであって、

その連続が人生の時間になっているにすぎない。

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過去にタイムスリップしたところで、現在の状況は微動だにしない。

とは言え、過去を振り返らない訳ではない。

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思えば私の場合、ずぅ~っと走り続けてきたような気がする。

脇目も振らずに走ってきて、今も走り続けている。

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だから「変わらない」のだろう。

最後まで走り続けりゃ良かろうと思っているし、

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そんな頑張る自分に、Good foy you !!と叱咤したい気分でもある。

人間は、歳をとるほどキョウヨウやキョウイクが必要だと言われる。

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否、教養と教育は既に十分だろうから、

「今日の用」と「今日行く」所が無いと、もう死を待つ存在になるってことさ。

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まあそれも多過ぎるのは考え物だが、some downtimeを含めて、

その人なりの人生の役割を果たすことだろう。

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2013年6月12日 (水)

葡萄近況

空梅雨が続いてきたが、台風7号のお陰で久しぶりに雨が降った。

カラカラの畑に水を得て、小さな雑草が今こそと一斉に芽生えている。

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そして可愛がっている私の葡萄は、例年より前倒しで生育している。

各品種とも、肥大の最終局面にある。

殊に早生のサマーブラックやデェラウエアは、早くも着色が始まっている。

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依然として、毎朝の側枝の除去と玉抜き作業は欠かせないが、

それに加えて、実はこの時期の水管理が一番難しいのだ。

葡萄の粒の肥大には十分な潅水が必要だ。

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ところが肥大期から成熟期に移ってもなお潅水を続けると、パチパチと裂果してしまう。

裂果すればそこから腐敗が始まって、忽ちにして全滅と言うことになりかねない。

かと言って、水を掛けなきゃ大きくならない。

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と言う訳で、果実の硬さを確認しつつ慎重な潅水作業をしている。

それで、もう直ぐ一切の潅水を断つ時期を迎えつつあるんだ。

だけど、そんな私の細心のケアーがあったにしても、

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梅雨末期の豪雨ともなれば如何ともし難い。

葡萄の根は当然ハウスの外にまで伸びていて、吸水阻止は不可能だ。

当然ながら「梅雨と共に爆ぜぬ」となって、爆ぜた葡萄の摘出に大わらわになってしまう。

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チュンチュンとハウスの中で鳴き声がする。

変だなと思って確認すると、ブドウの房の肩の部分が食べられている。

色付きを見計らって試食にやってきたのだ。

それで今朝は、大慌てで色付いた房に新聞紙の傘を掛けた。

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これからは、この作業が当分続く。

まあ、そんな訳でブドウ栽培には難儀続きの時期なんだ。

苦労して作る私の葡萄は、当然ながら飛びっきり美味である。

ところが私の家族は、しきりに勧める私を尻目に、誰一人見向きもしない。Dscf7575

何と孫娘などは「チョコの方がいい。」などと言う。

全くけしからんことに、近頃の女房子供は人工菓子に毒された憐れな連中なのだ。

仕方なく私も「葡萄食べたら、チョコあげるから・・・」などと惨めなものだ。Dscf7576

ともあれ、この国ではミカンもリンゴも押並べて果物の消費が激減している。

葡萄は天然自然で、最高の菓子だと思うんだけどな~。

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2013年6月11日 (火)

Differrent Walks of Life

どんな環境の下に生まれ、どんな女性と巡り合い、どんな仕事をしたか。

それで人生のあらかたは決まってしまう。

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それも惚れて一緒になった女は大抵駄目だね。

それから、長年の仕事が人を一定の型に作りあげてしまう。

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だから仕事によって、伸びる人もいれば閉塞する人もいる。

だが、どんなに恵まれた環境下で育ったとしても、それが裏目に出ることだってある。

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子供の家庭内暴力で塗炭の苦しみを味わう人、

逆に身体障害の子供が生まれても、むしろ温かな家庭を育む人もいる。

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財産に恵まれたとしても、心さみしく孤独な人生を強いられることだってある。

上を見れば限がないし、下を見たって際限もない。

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とどのつまりは、人生色々なのである。

「人生いろいろ」と発言して物議をかもした首相がいたけど、正に現実なんだよね。

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夫婦共に優秀で可愛がってきた子供に半殺しの目に合うことだってある。

学校の成績は駄目だったけど、心優しい子供に巡り合う人もいる。

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何が幸せかって、それはどんな環境でもめげないで生きることさ。

毎日のように、色々な会合で様々な方と顔を合わせている。

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誰だって、人に言えない悩みもあるし苦労もある。

それでも、それぞれ役割を背負って健気に生きている。

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人生は、辛いことの方が多いのだ。

だけれども、それを乗り越えた喜びの方がさらに深いのさ。

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2013年6月10日 (月)

ふくっぱ

大田川の河口には、福田漁港がある。

シラスや河豚などの水揚げが多く、釜揚げシラスが特産になっている。

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この漁港を活用して地域の賑わいが作り出せないかが当面の地域課題だ。

それで大きな魚の形をした魚市場の整備に続いて、

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「ふくっぱ」という砂広場〔ビーチバレー場〕やら、

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その日に獲れた魚を使った海鮮丼やシラス丼を提供する「どんぶり屋」が作られた。

昨日、そのふくっぱ祭りが開催された。

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水防訓練から押っ取り刀で駈け付けたのだが、それはそれは大勢で賑わっていて、

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どんぶり屋の丼はすべて完売で、13時には閉店と言う始末である。

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ともあれこの催事にマラニックの一行も駈け付けて、シラス丼を賞味。

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JR磐田駅から走ってきてここは中間点なのだが、

シートを広げて丸くなって寛いでいる。

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そこで私も、海鮮丼を頂くことにした。

磐田市のユルキャラのしっぺい君も愛嬌を振りまいて、

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接岸した海上自衛隊(Maritime Self Defense Force)の輸送艇にも行列が出来ていた。

それに砂広場では親子砂の造形大会が開かれ、

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その傍らには砂像学会による巨大なしっぺい像が作られていた。

3.11の津波以来海岸は嫌われる傾向が続いていたけど、

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改めて「海は広いな大きいな」と思う。

この国の都市は、すべからくこの海に面して発展してきた。

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海の防災と活用は、この国が最も力を注ぐべき事柄だろう。

このふくっぱ祭りも、一過性のイベントに終わらせてはなるまい。

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2013年6月 9日 (日)

堤防を守れ!

私の家は、太田川の造った沖積平野の自然堤防上に建っている。

その太田川堤防の喫水まで水が増えることがあって、

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子供の頃から何度となく水防団と共に水嵩を見守ったことがある。

最も危険を感じたのは、七夕豪雨の時だったか。

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あの時は、堤防が決壊しなかったが、それでも相当の水が押し寄せた。

何しろ私の地区は、海抜2mでしかないのだ。Dscf7533

それから後、上流にダムが出来たりして、最近では増水の頻度はかなり減っている。

とは言え、災害は忘れたころにやって来るらしいから油断はできない。Dscf7538

と云う訳で、本格的な梅雨・台風の季節を前にして、

今日は関係の水防団などによる水防演習が行われた。Dscf7539

堤防を守るにもシート張り工・せき板工・月の輪工などと様々なやり方があって、

土嚢づくりから築堤までその技術を復習する。

その技術は、資材こそ新しくなったが、古くから伝承されてきたものなのだ。Dscf7540

ともあれ多くの関係者の見守る中で、防災ヘリも飛来し、きびきびと演習が進んだ。

いざと言う時、堤防を守るには恐らく人海戦術しかない。Dscf7542

風雨の中で弱くなった堤防を補強する作業は、命がけのことだ。

無いに越したことはないが、一昨年の和歌山のゲリラ豪雨などを考えると、

やはり真剣な訓練が必要になる。Dscf7543

それに多くの人々は、水防などは自治体の仕事だと考えている。

だけど実際には、消防団や日赤奉仕団などを含め多くの人達に支えられている。Dscf7545

大自然(水の威力)の前には人間の力は細やかでしかないが、それが大切なのだ。

関係者に深く感謝しつつ会場を後にした。

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2013年6月 8日 (土)

天平の甍

奈良時代(741年)、聖武天皇の詔で、60余りの国ごとに国分寺と国分尼寺が建てられた。

ここ磐田市は、その遠江の国の国府の所在地(御殿)であり、

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東海道と姫街道が合流し、海運の拠点でもあったことから国分寺と尼寺が建てられた。

何れも仏教の力で国を治めようとする聖武帝の意図に沿って、

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金堂を中心に講堂や七重の搭を配し回廊で囲った豪壮なものだった。

中でも圧巻は、高さ70m余の七重の搭だったろう。

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仮に再建するとしても、木造での建築技術は失われて今は無いと言う。

藁ぶきの掘立小屋で暮らしていただろう当時の庶民にすれば、

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蒼や朱に振られた伽藍は、正にオッタマゲる豪華さではなかったか。

未知の仏教文化を形で示すことによって、聖武帝の意図は十分伝わったのではないか。

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当時の仏教は、伝来の教養を学ぶ大学的な役割を持っていた。

国分寺に配置された僧侶は、勿論土地の貴族だったろうし、

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修業を終えた後には国府の役人に任命されたのではないか。

この国分寺は、819年の火災によって焼失し、以後再建された形跡がない。

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たかだか70年の歴史だったことになるが、

果たして仏教に国を治める力は無かったようだ。

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ともあれ今日、その史跡公園で8回目の国分寺まつりが開催された。

軽トラ市やコンサート、ゲーム大会など多彩なイベントがあって、

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市内の各高校生も琴の演奏や茶席などで活躍していた。

それに我が校のサッカー部員は蹴鞠の再現で登場した。

戒律厳しい国分寺で蹴鞠が行われた筈もないが、それはそれ天平の文化である。

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蹴鞠は中国から伝わって、貴族の遊びとして珍重される。

まあ、今でいえばサッカーと言うことになる。

ともかくサッカー部員なら、蹴鞠などお手(足?)のものである。

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平安の昔を偲ぶ一時、この郷土の1300年も前の人々の暮らしに思いをはせた。

そこに、私の遠い先祖も生きていた筈なのだ。

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2013年6月 7日 (金)

凡庸の弁

「中庸」というやや難しい概念がある。

この儒教の中心思想を編んだのは、孔子の孫の子思とされている。

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不偏不奇、過不及などが柱になっていて、中庸であれば世の中は丸く収まるとされる。

それで、両極端を足して二で割れば良いとか、調和や中和と理解されがちでもある

この国は聖徳太子の「和をもって貴しとなす」国だから、それは受け入れ易かろう。

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例えば私だって、凡庸にして平均人だから中庸の道を歩いていると思い込んでいた。

大食いでもなく、かと言って特別に少食と言う訳でもない。

酒だって某さん達のような酒豪ではないし、だがまったく飲まない訳でもないからだ。

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だがそれは中庸とは何の関係も無くって、只の「普通」と言うことらしい。

兎に角、平凡が中庸ならこの世の中苦労することはない。

すべからく無関心で平凡に生きることが正しい訳じゃない。

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前向きに取り組もうとすれば、幾ばくかの障害が必ず起こる。

事なかれ主義は決して中庸の道ではないと思うのだ。

とまれこの国の政党の様に我田引水してたんじゃ、

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とてものこと進歩は望めない。

尖閣や竹島も結局は、何らかの力でしか解決できないだろう。

一頃流行った「自己責任」だって、とどのつまりは弱肉強食と紙一重だった。

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かく言うように、実際には中庸の道を探そうとしても容易ではないのだ。

だけどどうだろうか?

誰もが「自分こそ正(中庸)しい」のだと思って生きているのではないか。

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だからこそ対立も起こるのだが、一面で中庸は作られるものだと思う。

これこそ正しいのだと言う道を示して、大向こうの納得を得られればそれが中庸だ。

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つまり中庸の道とて、自ら切り拓く道なのだ。

自分の歩み行く道を確かめつつ、一歩一歩着実に進むことだ。

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「中庸」は、我が中学・高校の校訓である。

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2013年6月 6日 (木)

男の色気

私の様に平々凡々と生きてきた人間には無縁の事だが、

男が惚れる男と言うか、世の中には自分にない魅力を持った男がいる。

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それは運動能力だったり、目の輝き、言動と行動力だったりする。

その身のこなしが羨ましくって、真似ようと心掛けたことがある。

しかし所詮はぼんくら、果たせぬ真似ごとになった。

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しかし、色気は形式美から生まれると感じた。

立居振舞には、それなりの方式があってバシッとそれが決まればサマになる。

小笠原流礼式とか、古来の礼式もその流れである。

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茶席でも取って付けたようなお点前は簡単に露見する。

そもそも不自然だ。

例えば通夜や葬式の席でも、その人間性が現れる。

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お焼香の姿だって、すごく様になっている人とふにゃふにゃな人がいる。

切れの良い身のこなしは見ていても清々しい。

要は、その型を自分のものに出来ているか否かだろうか。

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私も馬齢とは言え、随分長いこと人間をやってきた。

それなりに培った私なりの形を、オドオドせずに自信を持って表現すべきと思っている。

それは人の前に立った時のトークであったり、人あしらいであったり、

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取りも直さず日々の生活そのものに色気を付与することだ。

長い間隠忍自重、ひたすら自分を抑えながら生きてきた。

色気とは無縁な道だったろう。

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しかしもうそろそろ、人間性の一部を露出させても良いんじゃなかろうか。

その方が、人間本来の有り方なのかも知れない。

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2013年6月 5日 (水)

ササユリの気持ち

新緑の後の、この梅雨の晴れ間が私の一生一大の晴舞台さ。

笹の中に、正に笹の花の様に咲いて見せるのが私達の技さね。

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どぉ~、涼やかな風情でしょ。

この梅雨の晴れ間の一時、10日程の花の命さ。

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実は隠忍自重、種がこぼれてから花を咲かせるまで彼是五年、

笹の根元でずぅ~っと力を蓄えていた。

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何で笹の中かって、それは笹の中の方が安全だからさ。

まさか笹の根元を穿るタヌキは居ないだろう。

明らかにユリと分かりゃ、私の貯蔵庫(球根)を掘って食べられちまう。

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だから、笹に守ってもらってるのさ。

だけどこの小笠山にも仲間は随分少なくなった。

江戸の昔にゃ小笠山は「ユリの山」って呼ばれてたんだけどね。

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薪炭需要が無くなって、この山に入る人間がぐぅ~んと少なくなった。

それで私達の住める半日蔭が減っちゃったんだよ。

それで今、林道脇のほんの僅かな所で懸命に咲いている私達だけになった。

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懸命って言ったけど、この花を咲かせなきゃユリって気付いて貰えないでしょ

何も見て貰うために咲いてんじゃないけど、笹を刈り取って貰わんと、

私達の生きる所が無くなっちゃうからな~。

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でもさぁ~、こんな山ん中に咲いてるでしょ、

だから誰にも見られずに萎んじゃう花も多いんだ。

あなたに会えて本当に良かった!!

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来年も頑張って咲くから、あんたも元気で走ってな。

それで聞きたいけど、あんたの人生って私とどう違う?

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2013年6月 4日 (火)

心ひとつに

人間は、共通の目標があると団結できるものである。

そして今日は、東陵祭の運動版と言うべき体育大会であった。

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梅雨の晴れ間の学校には、朝から何時もと違った空気が漂っている。

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各クラスそれぞれ揃いのTシャツを着ているんだけど、良く見るとびっくりする。

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クラス全員のイニシャルや通称を染め込んだシャツを着ていたりする。

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兎に角リレーを中心にプログラムは進んで行くのだが、全体としてクラス対抗戦だ。

だからクラスがトップにでもなろうものなら、一気に若いエネルギーが爆発する。

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そのリレーも予選から決勝になって、・・・こちらもどうしても力が入ってしまう。

まとまりの良いチームをどうしても応援してしまうのだ。

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私の学校には呼び物が二つある。

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この演技を見物に、多くの父兄も集まってくるのだ。

その一つが高校女子のダンス「HIGA XILE」だ。

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これは本校卒業のXILEのあきらが母校のために振り付けしたダンスだ。

もう一つが大会のとりを飾る高校男子の集団演技「エッサッサ」だ。

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エクザエルは女子の優しさを感じさせるが、

エッサッサは正に男の集団示威ともいえる雄叫びである。

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獅子が月明かりの夜に天空に向かって吠えるその姿を約500人で表現する。

このエッサッサは、もう既に四半世紀にわたって演じられてきている。

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今年の出来も、素晴らしいものだった。

男子諸君、男を上げたな。

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2013年6月 3日 (月)

ボタンホール

背広の襟に開いているあの穴のことである。

そもそもあの穴は、かつて右の襟の裏にボタンが付いていて、

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寒い時に襟を立ててボタンをはめた名残だ。

しかし今じゃそんなボタンは無いんだから、只の飾り?に過ぎなくなっている。

その孔にバッジを付けようなんて考えたのは一体誰だったのか?

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それはともかく、羽織の紋の伝統の故かどうか、日本人はバッジが好きだ。

議員の先生を始めとして、実に沢山の人が何らかのバッジをつけている。

〔ちなみに西欧じゃ国会議員にもバッジなんてものはない。〕

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私も就職以来バッジと共に毎日を過ごしてきて、

そいつがずぅ~っと私の背広のボタンホールに光っていた。

一種の帰属の安心感でもあり、プライドや自負心の象徴でもあった。

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それが退職によってボタンホールが空になった。

襟が俄かに軽くなったような気がして、

その空虚感に暫くは浪人の悲哀をさえ感じさせられたものだ。

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今では襟の軽さに、かえって気ままな自由を感じてさえいるのだが、

ここにきて幾つかのバッジをTPOに応じて付ける様になっている。

一つは青少年健全育成の挨拶バッジであり、市のユルキャラ「しっぺい君」、

地産地消の「笑味チャン」、その他にも幾つかあるのだが・・・・。

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インパクトはあんまりないが、何とか体面を繕い得ている。

いっそバラの花でも刺して歩いた方がが気が利いているだろうが、

今のところその勇気はない。

頼りなげではあるが、このバッジで幾ばくかの帰属を示すことにしているのだ。

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定年と共に激変したのがネクタイだ。

これも大量処分したのも束の間で、今又少しずつ復活しつつある。

それにどうせ締めるなら、定年後は遠慮なくど派手なヤツをと思っていたのだが、

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こいつも長年の習性が災いしてそれを許さない。

ともあれ、男にとってボタンホールは只の穴ではないのだ。

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2013年6月 2日 (日)

誰も見てなきゃ・・

残念ながら、日本人の公徳心も成り下がったものである。

今日は朝から河川一斉クリーンナップの日である。

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太田川と防僧川の堤防に沿って、かれこれ700人程に出て頂いた。

結果約一時間の間に、何とトラック15台分もの不燃物が集まった。

その多くが車上からの投げ捨てである。

どういう気持ちでほかすのか知らないが、気儘に外に放り投げて行く。

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「自分だけ快適なら、後は知ったことか」そんな薄っぺらな輩だ。

ポイ捨てする所にゴモが散乱してりゃ罪の意識が希薄になるのか、目を覆う状況になる。

空き缶一つ、家に帰って不燃物に出す・・・・そんな簡単なことが出来ない。

そう言えば人の迷惑を承知で、このブログにゴミの様な書き込みをする男がいる。

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自分勝手なことしかできない輩で、多分奴も誰も見てなきゃ何をするか分からん男だろう。

兎に角毎年の事とは言え、多くの人々の手で幾ばくかの美化が出来た。

それにこの清掃活動に参加することで、誰もが「何で・・」と考える。

地域の事は地域でやっていく自治の気持ちと同時に、

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何がこの社会を底辺で支えてるかってことも分かるよね。

清掃活動を終えて、午後はある地区の安心安全地域づくり協議会総会に招かれた。

防犯や防災も、一人一人が地域とどうかかわっていくかと言うことでは環境美化と同じだ。

自分の出来ることを少しずつやる努力に尽きる。

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昨年ある地区で「自治会には色々な役員がいますが、

一年経って何にもせずに終わっちゃったなんてことの無いようにしましょう。」と話した。

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すると早速、その翌日から街頭に立って子供の見守り活動始めた防犯委員がいた。

今彼は、毎朝のその辻立ちを日課とするようになっている。

無理をせずに少しずつ、自分の出来ることをやれば良いのだ。

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そうすりゃ、あのポイ捨て野郎も減っていくさ。

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2013年6月 1日 (土)

青春の一時

私の高校時代は、今の人達よりも暗かった。

何故だろうかと考えると、それは団塊の世代と言う異常なかたまりの故だ。

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鮨詰め教室に受験地獄、言うならば同級生はみんな敵だった。

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それに高等学校は、大学受験の予備校みたいなもんだった。

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そんな訳で青春の一時(3年間)を、くら~ぁく過ごしたと言う次第だ。

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翻って今の高校生には、欲をかかなきゃ大学なんて幾らでもある。

それに大学が就職を保証してくれるものでもないって分かっている。

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この時代、自分の裁量(個性)次第で生きられる時代になっている。

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ともあれ今日は、我が中学・高校の学園祭(東陵祭)である。

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各部活やクラスがそれぞれ相談工夫の出し物を準備している。

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それに加えて、たこ焼きや焼きそば、ホットドック、焼き肉などのバザーだってある。

英会話部は洋画を流していたし、ロボ競技部は軽くピンボールで遊ばせていた。

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そうそう、腕相撲大会なんてのもあったな。

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中学生は、各クラス対抗の合唱コンクールだ。

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揃いのTシャツを着てみんなで汗をかいている。

まあ、一人一人自分の出来ることをやるって感じかな。

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終われば揃って記念撮影しているクラスもあって、私の思いでにない風景だ。

それに卒業生が大勢やって来るってのも、私の頃と違うところだ。

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青春の「青」は、まだまだ熟れてないって意味なんだろうか?

確かに熟れてなんていないけど、彼らは今を生きている。

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たこ焼き作りにかいた汗だって、決して無駄じゃない。

この学校生活の思い出の一時をしっかりと刻み込んだろう。

そうさ!!、私達の頃よりも彼らの方が性強く生きている。

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今日ばかりは、広いグランドも閑古鳥が鳴いていた。

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