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2013年6月 8日 (土)

天平の甍

奈良時代(741年)、聖武天皇の詔で、60余りの国ごとに国分寺と国分尼寺が建てられた。

ここ磐田市は、その遠江の国の国府の所在地(御殿)であり、

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東海道と姫街道が合流し、海運の拠点でもあったことから国分寺と尼寺が建てられた。

何れも仏教の力で国を治めようとする聖武帝の意図に沿って、

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金堂を中心に講堂や七重の搭を配し回廊で囲った豪壮なものだった。

中でも圧巻は、高さ70m余の七重の搭だったろう。

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仮に再建するとしても、木造での建築技術は失われて今は無いと言う。

藁ぶきの掘立小屋で暮らしていただろう当時の庶民にすれば、

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蒼や朱に振られた伽藍は、正にオッタマゲる豪華さではなかったか。

未知の仏教文化を形で示すことによって、聖武帝の意図は十分伝わったのではないか。

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当時の仏教は、伝来の教養を学ぶ大学的な役割を持っていた。

国分寺に配置された僧侶は、勿論土地の貴族だったろうし、

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修業を終えた後には国府の役人に任命されたのではないか。

この国分寺は、819年の火災によって焼失し、以後再建された形跡がない。

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たかだか70年の歴史だったことになるが、

果たして仏教に国を治める力は無かったようだ。

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ともあれ今日、その史跡公園で8回目の国分寺まつりが開催された。

軽トラ市やコンサート、ゲーム大会など多彩なイベントがあって、

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市内の各高校生も琴の演奏や茶席などで活躍していた。

それに我が校のサッカー部員は蹴鞠の再現で登場した。

戒律厳しい国分寺で蹴鞠が行われた筈もないが、それはそれ天平の文化である。

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蹴鞠は中国から伝わって、貴族の遊びとして珍重される。

まあ、今でいえばサッカーと言うことになる。

ともかくサッカー部員なら、蹴鞠などお手(足?)のものである。

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平安の昔を偲ぶ一時、この郷土の1300年も前の人々の暮らしに思いをはせた。

そこに、私の遠い先祖も生きていた筈なのだ。

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