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2013年6月17日 (月)

隠岐の島巡り

江戸時代までの隠岐の島は、北前航路の寄港地(風待ち港)として殷賑を極めていた。

西郷港を一望するだけで、さもありなんと納得できるだろう。

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ところで隠岐の島と言ってもそういう島は存在しない。

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韓国に占拠されている竹島を含めた180余島の総称なのだ。

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勿論、その中での中心は東後である。

飛行機の便までの時間調整で、午前中島巡りをした。

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進み行くうちに、どの集落にも土俵のあるのが分かる。

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映画「渾身」で知られるように、隠岐は古典相撲の地なのだ。

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と言っても日常的に相撲大会がある訳ではなく、

島のお祝いごとの度に大会が開かれる。

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前回は隠岐水産高校の100周年記念の大会だったとか。

それも人情相撲と言われて、同じ取り組みが二番あって一番は真剣勝負、Dscf7655

二番目は勝った方がわざと負ける人情相撲なんだそうだ。

それに相撲は奉納大会で夜を徹して行われる。Dscf7662

私達が訪れた水若酢神社にも立派な土俵があった。

ところで隠岐の島町はジオパークの指定を目指している。Dscf7669

自然と歴史、そして人間との調和がテーマなんだそうだ。

島で最古級の建物「佐々木家住宅」を訪れた。Dscf7658

1836年の建物で国の重要文化財に指定されている。

子孫は源平合戦の折のあの佐々木信綱だと言う。Dscf7659

ともあれ隠岐と言うところは海運の要衝で、それ程に栄えていたともいえる。

幕末の隠岐騒動もその繁栄をバックに起こったと考えれば合点がいく。Dscf7689

数千人が決起し松江藩の役人を追い出し、人民政府を樹立した騒動だ。

今は日本海航路も無くなって、静かな漁村に過ぎなくなっている。Dscf7693

それでもそこここに嘗ての歴史の匂いを漂わせている。

帰りの便は、川内選手と同じ飛行機になった。

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