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2013年6月25日 (火)

家の思い出

かつての私の家は、茅葺屋根に覆われた縁側のある平屋だった。

縁側に沿って雨戸があって、朝晩の開けたては子供の私の仕事になっていた。

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戸板を隅っこの戸袋にガタゴトと収納するのだが、動きが悪くって何時も骨が折れた。

そう、子供の頃は純田舎風の障子の家に住んでいたんだ。

それも昭和19年の東南海地震で幾分歪んでいたから、ガタピシは尚更だったのだ。

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その家には広い土間があって、デコボコと無数の小さな山が出来ていた。

土足で野良と行き来するんで、外の土が入り込んでそんな独特な地面になったのだ。

平らじゃないから掃き掃除も大変だったけど、これも私の仕事だった。

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夜には、この土間は菰や俵、すがいを作る夜なべ仕事の場になった。

キュウリやトマトの調整もこの土間が作業場だった。

学校から帰るとハウスから収穫したキュウリを集めて来て材木のように山にする。

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それを親父が、長さ別に選別しパラフィンで巻いて木箱に詰めるのである。

当時、冬場のキュウリは貴重品で東京で高く売れたのだ。

土間には玄関とも言うべき大戸があった。

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世間との結界で、敷居の外には鬼がいると心していた。

伊勢湾台風の襲来した夜には、かつて無い大変な風が吹いた。

それでこの土間の大戸が、内側にしなって何度も飛ばされそうになった。

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大戸が外れれば家が吹き飛ぶと、家族全員で必死に支えていた。

家族全員がまさに運命共同体だった。

一夜明けると辺り一面に瓦が散乱していて、改めて無事を安堵した。

ともあれ、南と北側に縁側があって、

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布団を干したり寝そべったり、来客も腰掛けて時間を潰していった。

やがて北側の縁は改造し、私の個室として使った。

私の育ったあの懐かしい家を改築してから、もう半世紀になった。

隠岐の島の佐々木家を訪れた折り、説明を伺いながらあの我が家を思い出していた。

そして時々、あの生まれ育った家の夢を見る。

貧しかったけど、温もりと味わいの家だった。

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