走るってこと
世は、猫も杓子ものマラソンブームである。
飽食の果てに健康を得るためのいじましさの感もあるが、それも結構である。
だけど、一人黙々と走らなければならないマラソンは根気が要るし、
ただ苦しい走りをしていたんじゃ三日坊主が関の山だ。
スポーツと言う言葉は、競うとか鍛えるといったイメージが強いが、
もともと解放とか自由と言う意味が内包されているのだそうだ。
体を動かすことを楽しむことで、心身を解放するということだろう。
私がフルマラソンに始めて挑戦したのは、もう20数年前のことだ。
その頃は、楽しむなんてことは想像すら出来なかった。
相当な覚悟で望んだその小笠・掛川マラソンの結果は悲惨なものだった。
20k位までは快調に駆けたんだが、その後は歩くのも苦痛になった。
ドンドン追い抜かれていくし、制限時間は迫ってくる。
自分の体でありながら如何とも言うことを聞かない。
泣きたい様な気持と動かない体を引きずって、やっとのことで門限間際の5時間でゴール。
ゴールしてから帰宅するまでが、動くことも儘ならずまた大変だった。
あぁ~、マラソンとはこう言うものだったのかと、その時初めて知った。
それから四半世紀、その私が今ではウルトラマラソンを走っている。
しかも楽しんで走っている。
自分の心と体の対話を楽しんでいる。
殊にマラニックは出会いあり会話あり、そして観光ありで飛びっきりのレジャーだ。
マラソンは無心に体を動かし続ける単調なスポーツだけど、どのレースにもドラマがある。
無心に走るのは座禅にも似て、自分との奥深い所での対話でもある。
そしてどのレースだって、自分が主人公で無かったためしはない。
だからマラソンは、心と身の人生ゲームだと思う。
遥かかなたのゴールに向かって走り続ける生涯のゲームさ。
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