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2013年9月30日 (月)

風姿の分目

過ごし易い季節になって、あちこちで○×まつりや大会が開かれている。

昨日は私の町でも「コミニティ文化まつり」が開かれた。

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地域で文化活動をしているグループの発表会と言ってもよい。

合唱や踊り、太鼓や三味線、二胡や吟詠、体操や吹奏楽、はたまた絵画や手芸etcだ。

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文化活動には違いないが、それ自体が生き甲斐やコミニティに繋がっている。

ローカルな人の輪をつなぐ媒体なんだ。

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文化とは、それが日常化して初めて文化たり得るもので、プロはその頂点に過ぎない。

ともあれ、昨日の文化まつりで感動した演目が三つあった。

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一つは、子供グループの組曲合唱で、「どうせ地球なんて・・」と、

私達の環境汚染と価値観について歌で訴えかけていた。

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歌に感じ易い私は、すっかり歌の力に魅了されてしまった。

二つ目の演目は、詩吟「書懐」を舞った若い女性の剣舞である。

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動きに一分の無駄も無く、力強いその動きを息を呑んで見詰めていた。

プロもこれ程の舞は出来なかろう、と思うほどの圧巻だったんだから。

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三つ目は、中学生の吹奏楽「風姿花伝」である。

風姿花伝は世阿弥の秘伝書だが、あの「秘すれば花なり」で知られる。

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正しくは、「秘すれば花、秘せねば花なるべからずとなり、この分目〔わけめ〕を知ること、

肝要の花なり」とあるのだが、なんとも難しい人生訓になっている。

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風姿とは風体〔ふうてい〕のことであり、こいつは歳によっても色々と変わっていく。

要するに、若い頃はひたすら先達を真似て精進し、

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やがて何時かは花〔人々の望み〕を知り、それに応えよということだろうか。

ともあれ、そのやや難しい吹奏楽を聴きながら、風姿花伝を思ったのである。

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何をって・・・・それは、人生ってのは「分け目」を見極めることかなってことさ。

歳と共に人それぞれの風体になっていくけれど、

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それは秘め〔蓄積し〕た中身の反映であって、一朝にして変えることは出来ない。

文化活動だって、まさに蓄積であって、人生の表現の一部なんだ。

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さすれば、私の蓄積してきたものは??ってね。

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2013年9月29日 (日)

人生のレール

私は稀代の小心者だと思っている。

だから小学校以来無遅刻だったし、休んだことだって記憶にない。

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就職してからも同様で、無欠勤は勿論、残業も申告せずに真面目に勤めてきた。

それで人は「あの人は堅いね」などと評したが、トンデモナイ目がね違いだ。

人と違ったことをして、目立つことは危険だと感じていた。

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それに折角見つけたレールを脱線したくなかったし、

とどのつまり、冒険の出来ない小心者だったのだ。

学生の頃、休学して世界一周の放浪に出掛けた奴がいた。

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凄いなとは思いつつ、内心は彼の将来を危ぶんでさえいたんだ。

道なき道を切り拓きつつ生きるなんて、とてものこと自分に出来るとは思えなかった。

そしてどこかで「レールに乗っかって上手くやってる人の真似をしよう」って考えていた。

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つまり、それなりの大学に行って、潰れそうもない企業で真面目に勤めるってことだ。

当然ながら管理される自分に甘んじなきゃならないが、

自己実現の早道は、その組織を自分のものにすりゃ良かろうと考えていた。

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それには、「ひたすら忍耐さ」ってね。

そうやって大冒険の無いレールに乗っかっての半世紀だった。

もし、その幾つかのレールに乗れなかったならと考えると、今でもぞっとする。

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恐らくは、この日本と言う国の庶民の典型の一人なんだろうと思う。

大勢に流され易い小心者の群れが、この国の国民だ。

ともあれ、あんまり面白くない人生をやってきた訳で、

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今頃になって少しだけ悔やんでいる。

今自由な身になったが、それは別に流転している訳でもない。

やはり過去のレールの延長線上にいるに過ぎない。

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しかしながら、臆病なくせに時に冒険してみたい気持ちが起こるのだ。

折角の一度きりの人生なのに、何か忘れちゃいませんかってね。

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2013年9月28日 (土)

老来

日常の生活が一挙にがらりと変わるるのは、私達の健康に最も良くないことだ。

先日も、山の仲間がジクジ〔軸耳?〕とかの変調で、体の平衡感覚に異常をきたした。

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案の定、早期退職に応じて2ヶ月後のことだった。

私のかつての職場でも、退職後半年ほどで亡くなる人が何人もいた。

しかも位人身を極める程でないにしても、大抵は激職を務め終えた人だった。Dscf8706

私もサラリーマンを辞めて、そろそろ六年になる。

当初、心にも体にも様々な変化が起きて、そいつを宥めるのに苦労した。

先ず、毎朝出勤する代わりに山に出掛けて走ることにした。

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しかし、世間の人達が出勤する方向と逆方向に向かう自分が無性に後ろめたかった。

服装だってネクタイが不要になったけど、やれやれとは成らなかった。

自分の制服が無くなったからって、ステテコの楽隠居もできまい。

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当面の自分の格好をどうしたものか困ったんだ。

それに当然ながら、職場の交友関係が途絶した。

現役にとってOBとの飲み会なんて、ただただ煙ったいだけだろうし

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呼んでもらえるのは年に一度のOBの集いでしかなくなった。

自分の家だって、長き不在の故に既に居場所は無きがごとき状態だった。

かと言って、行き付けの飲み屋がある訳でもなく、・・・

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でもまあ~私の場合、山の仲間の存在が大きな支えになった。

それからボランティアや自治会etcと関わるようになって、

今ではかつてとは別の社会を構築している。

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考えることも日々の動きも変わって、別の人生のステージを生きている。

これを老来のステージと考えるべきかどうか。

大分早くはあるが、定年後の様々な変化は正に老来そのものかも知れない。

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今日はサンクチュアリーの協力でアカウミガメの放流をした。

遠州灘海岸はウミガメの一大産卵地なんだが、四駆車両の進入や海浜の狭小化、

はたまた心無い人達の乱獲を防ぐために、人工孵化をするようになっている。

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子供達と共に、海に向かう子亀を見送りながら、

何だか玉手箱を開けた浦島太郎の様な気分なのである。

実在の浦氏は、大陸から稲作などの技術を持ち帰り、

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この列島の各地を伝道して歩いたのではなかったか。

言うならば、玉手箱(定年)以降はボランティアだったのだろう。

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2013年9月27日 (金)

夕陽吾が西に在り

秋分の日を過ぎたばかりだが、肌寒くさえ感じる風が吹いている。

空気の澄んだ初秋のひと時、この時期は気持ちも落ち着く。

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日暮れも早まって、少しばかり回想に誘われている。

もう少しで66歳の誕生日を迎える。

その66年と言う歳月は数字こそ途方も無いが、自分の感覚としては一瞬でしかない。

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正に、光陰矢の如く駆け足で過ごしてきた様な感がある。

「それでも、色々とあったよな~」と思いつつ、時代だって変わったんだと気づく。

私の生まれたのは、昭和二十二年である。

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終戦直後の、未だ混乱の収まりきらない頃だった。

食糧難の真っ盛りで、日本中が飢えていた。

ヤミ米を買わずにいた裁判官が餓死し、

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買出しの群集を満載した列車が転覆したのもこの年だった。

さらには、2.1ゼネストがGHQの命令で中止させられ、

新憲法が施行されて、社会党の片山内閣が登場した年でもある。

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そんな騒然とした世相の中で、人々は必死で米作りなどに精を出していた。

勿論私の記憶は、役牛から耕運機などへと少しずつ復興していく過程からだ。

それでも小学校から帰れば、牛と兎に餌をやり、ヤギ糞の掃除などと働いたし、

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掘り抜き井戸から水を運んで五右衛門風呂を沸かし、

ご飯を炊いて暗くなって田から帰る両親を待つのが日課だった。

小学生がそんなオシンの様なことをしていたなんて、今時想像すらもできまい。

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実際当時だって、教師すらが信じず小学4年の時「嘘を言うな!」と叱られた。

今もって、その教師の名〔政春〕と顔を忘れることが出来ないでいる。

ともあれ、そんなカンバル〔当時は当たり前〕経験があったればこそ、

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その後の私の軌跡があったのだろうと思っている。

ともかくも、それから六十六年、初秋の夕陽のさす書斎に一人座している。

今年の夏も、あっと言う間に過ぎてしまった。

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2013年9月26日 (木)

惰性を排す

歳をとると、月日の経過が加速度的に速くなると言う。

それは日々に堕して、生活に変化が少なくなるからだ。

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主体的な行動が減れば、平板な当たり前の世界だけが待っている。

朝起きて新聞を読んだとしても、「俺にゃ関係なかろう」と読み飛ばすことが多くなる。

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そうして物事は全て自動的に運ばれていき、やがて夜が来る。

刺激のない平和で安楽な日常生活を過ごすのだが、

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何時しか「俺は、何の為に生きているのか」などと、名状し難い不安に襲われる。

否、誰もがそうなのかどうか分からないが、少なくとも私は何もしないってのは不安だ。

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人間が今日の様な世界を創ってきたのは、

進歩への希求もさることながら、変化のないことへの不安が源泉ではなかったか。

例えば私が走り始めた頃、ハーフを走るってことは大変なことだったし、

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走り終えたときの感動は無類のものだった。

だがそれは何時の間にか当然になり、フルマラソンへ、やがてウルトラへ、

そしてトレイルへとエスカレートしていく。

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人間とは、どうしようもなく贅沢な生き物で平穏な日常を求めながらも、

何時の間にか変化と刺激を求めるようになる。

それで旅に出たくなったりするのだが、

それも、だんだんとより際立った非日常の空間を求めるようになる。

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この20日に宗谷岬を出発した日本縦断の12名は、今疲労の蓄積に苦しんでいる。

だがそれだって、毎日60k程度の距離を走ることが、やがて当たり前になるだろう。

1ヵ月もすれば、走らないことの方にエンプティな感覚を持つようになるんじゃなかろうか。

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当たり前でないことが、何時の間にか当たり前になっていくんだ。

人生は短いようで結構長い。

毎年の四季折々の変化の中に、どんな要素を組み込むか。

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そうした意欲を無くした時、人は老化と終末への道に向かうのだろう。

人生には、日常が大切なのと同様に挑戦が重要なのだと思う。

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2013年9月25日 (水)

エイド考

これまで、随分あちこちのウルトラマラソン大会を走ってきた。

ウルトラマラソンのような長距離走では、どうしても途中の補給が不可欠になる。

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大抵は2.5km毎に給水ポイント、20k毎には補給食のとれるステーションが設けられる。

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それでも気温が高かったりすると、給水ポイントまでの距離が随分遠く感じるのだ。

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疲れた体には、エイドのテントが見えるだけでホッとする。

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ランナーにとっては、このエイドの充実は何よりもうれしい。

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それにエイドと同様に沿道の応援があれば、萎れそうな気分も盛り返すことが出来る。

この点、やはり島ぐるみで応援してくれる隠岐島のウルトラは素晴らしい。

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大会が近くなると、島の中学生から手書きのメッセージが届く。

「応援してるから、島を楽しんで走ってほしい」と書かれている。

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実際に彼らの多くがエイドの担い手なのだ。

それに島の各集落が、それぞれ競って応援体制を組んでいる。

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テントを張って酒盛りをしながら選手を待ち受けている所だってある。

かなり手前に伝令が出ていて、ゼッケンを読み取って本部に連絡し、

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集落の応援場に来ると「○×県の△○さん、よお~来た。頑張れ!」などと声を掛けてくれる。

沿道のあちこちにはユニークなメッセージが出ていたりして、

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「この島に来てくれてありがとう」と、そんな温かな心使いを感じる。

実は今日、来月13日開催の浜名湖一周100kマラニックの最後の打ち合わせ会があった。

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私はエイド担当で、コース表示やら何やらで勿論走ることは出来ない。

100kもの間のエイドだから、必要な要員だって半端じゃない。

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それに手作りの大会だから、そんなに数多くのエイドを設けることも出来ない。

その分、皆で心のこもったお持て成しをしようと考えている。

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この点エイドを支えるのが皆ランナーなんだから、気持ちは十分分かっている。

望むらくは、良い天気になって、それも涼しい位の気温であってほしい。

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さすれば秋の浜名湖は、ランナーの皆さんをたっぷり楽しませてくれるだろう。

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2013年9月24日 (火)

歳に非ず

最近、幾ら頑張ってもスピードが出なくなった。

走り方が悪いのか、それとも歳ゆえの脚力の低下なのか?

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丹後の宿でH川さんから、「あなたは精神力だけで走っている。」と指摘された。

ウルトラを早く走るための筋肉がついていないと言うのだ。

あれ程山を走っているんだから…と思いつつ、合点が行く点があった。

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それは専らトレイルを走るばかりで、インターバルなどは皆無。

かつてはそれでもそこそこ走れたが、この期に及んではスピード練習が必要と言う訳だ。

それを努力もしないで「歳だろう」と半ば観念しかけていたんだ。

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マラソン殊にウルトラマラソンは、決して単純なスポーツではない。

力に任せてガンガン走るだけでは途中でつぶれてしまう。

自分の力とペースを勘案しながらレースを組み立てていく。

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体と心、そして蓄積した練習量をレースに結びつける繊細な競技た゜。

数時間先の自分の状態を想像できなければ、ウルトラは走れない。

だから、若ければウルトラを走れるって訳じゃないんだ。

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60歳よりも30歳の方が可能性はあるにしても、熟練の力は馬鹿にはならない。

人は絶えず挫折と妥協、そして忍耐の日常を過ごすと言われる。

思うに任せない結果も、「どおせ歳さ」と妥協してしまえばそれまでの事。

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「せめてここまで」と努力を続けるのも人生。

暑かったこの夏、スピード走が出来なかったのは仕方なしとしても、

残された今年の3か月は、少しずつインターバルに挑戦しようと思っている。

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その結果は、春一番の宮古島で実証してみせようぞ。

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2013年9月23日 (月)

峠の風

既に峠の存在すらが歴史的なものになっている。

国道にしても高速道路だって、今ではトンネルで峠らしきものは無い。

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それでもつい近世まで、私達の先祖は何処に出掛けるにも自分の足が頼りだった。

このマウンティアスな国では、峠を越えることなしに旅をすることは不可能だった。

そして大きな峠の前後には、それなりの宿場があった。

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思い立って、今日は薩唾峠を走ることにした。

由井と興津の間に連なる山の裾を渡る峠である。

この駿河湾に面した急斜面の下には、明治以降海を埋め立てJR線、国1バイパス、

東名高速道と国の幹線が走るようになった。

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天気が良ければ東に海越しの富士、

そして駿河湾の縁を走るこれらの幹線道が絶妙なコントラストを描く。

由井宿の東端に本陣跡があって、現在ここに広重美術館がある。

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展示品はあいにく木曽路に関連したものだったが、広重の版画はほぼ収蔵している。

彼もこの崖の上を伝って峠を歩いただろうし、

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そうしてあの富士の絵だって、一歩一歩この峠を踏みしめる中で構図を考えた筈だ。

ところで街道も街も激変してきた近世だが、宿場には古い時代の香りが残っている。

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往時をしのばせる家並みを保存するのは大変なことだが、

やはりそこを歩き走ると、何百年もの人々の往来の気配がしてくる。

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その街道を、昔と同じ海風が渡っていく。

由井の宿場は、海と山に挟まれて田畑とて乏しく、

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多くを海の幸や旅人を迎えることで営まれていたのではないか。

風光明媚で住めば都だが、決して住みよい所ではなかろう。

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でも人々は、これまでの歴史をしょって営々と暮らしを立てている。

峠は、誰にとっても越え難いものなのだ。

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2013年9月22日 (日)

秋の夜長に

学力テストの結果、静岡県の小学校が国語で全国最下位になったそうな。

それを知事が下位100校の校長名を公表するのなんのと騒ぐ一騒動があった。

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結果、上位の何校かの校長名が公表されて幕切れとなったが、

何故国語の出来が悪いのかは議論された形跡がない。

折から小中一貫教育で英語に注力すると鳴り物入りで進めている最中である。

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国語が出来なくって、英語もなにもあったもんでじゃないと思うのだが・・・。

それはさておき、国語力の衰退は本を読む習慣が無いからだ。

TV漫画とゲームで育った彼らには、学校の図書室は無縁なのだ。

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本とTVの違いは、自らの内面と言うか主体性を育めるか否かじゃなかろうか。

いくらTVを見ていても、感化されることがあっても内面は育たない。

私が本の面白さを知ったのは何時の頃だったか?

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定かではないが、かなり晩生で中学に入ってからの様な気がする。

本の中の世界は、正に創造性を膨らませる未知の世界だった。

その魅惑的な本の世界も、陰鬱な高校時代は縁遠かった。

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日常的に本に接するようになったのは、長じて40歳過ぎだたろうか。

司馬遼太郎を知ったのが契機であった。

やがて、彼の書いたものは全て読まねばなるまいと思うようになった。

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司馬さんは講演録なども含めて膨大な本を残しているが、

とにかく司馬と書かれた本は論評であれ何であれ、片っ端から読んだ。

かくして、司馬さんにかなり近い世界観を持つようになっている。

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さて、何時の間にか時は飛び去り、司馬さんを知ってから既に四半世紀。

物忘れ能力にも磨きがかかってきているによって、

改めて司馬さんを読み直してみようと思っている。

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とりあえず、「翔ぶがごとく」10巻を机の上に積み上げている。

司馬さんは文殊の知恵どころか、智慧の泉だと思う。

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2013年9月21日 (土)

不孝の源

世に不幸の種は尽きないが、交通事故の悲劇も辛い。

この6月、部活帰りの高校2年Tさんが撥ねられた。

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バスを降りて横断歩道を渡っていた彼女は、脇見運転の軽自動車に20mも跳ね飛ばされた。

運転していたのは近所に住む女性で、携帯電話を見ていたと言う。

Tさん一命こそ取り留めたが、2か月間全く意識が戻らなかった。

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このまま植物人間かと思われたが、若さの力は素晴らしい。

奇跡的に意識を回復し少しずつ機能を取戻しつつある。

彼女は吹奏楽部長も務める優秀な生徒で、将来だって嘱望されていたんだ。

運転していた女性は、その場で逮捕された。

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しかし撥ねられた生徒は勿論のこと、撥ねた方の人生も一転してしまった。

「あの時、電話がかかってこなきゃ」などと嘆いてみても、何の足しにもならない。

一生の悲劇を、同時に2つも生み出してしまっているのだから。

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交通事故ってやつには、誰だって巻き込まれる恐れがある。

事故を起こすのは、心配事を抱えていたりして無意識で運転している時、

そして関心が他に行ってしまっているゆだんの時だ。

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「俺にゃ関係ない」と思っていても、魔がさすってことだってある。

昨今、高齢者が事故の当事者になるケースが増えている。

自分の機能年齢に疑問を感じたら、勇気をもって免許を返上すべきだ。

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車は、時に凶器なんだから。

ところで、今日から秋の交通安全運動が始まっている。

登り旗を立てた所で事故が減る訳では無いが、何かを感じてもらえればそれで良かろう。

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毎朝の立哨でヒヤリとすることが時たまある。

横断歩道を児童が渡ろうとして、車が止まってくれる。

ところが、後ろから来た車でその止まった車を追い越していく馬鹿がいる。

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馬鹿は悲劇を考えずに無謀に先を急ぐ。

だが、子供達を悲劇の当事者にしてはなるまい。

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2013年9月20日 (金)

Challeng

世の中には、とんでもない豪傑がいる。

文芸春秋から出版された「マラソン中毒者」を読んで仰天してしまった。

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著者は国内外30社程の経営にかかわっているベンチャー投資家、小野祐史さんである。

多忙な事業の傍ら、2009年にマラソンを始めてから彼はクレイジーになった。

毎週のようにウルトラレースを走っているのだが、何と・・・

11年の6月には、ゴビ砂漠250kマラソン〔19位〕

その年の4か月後の10月には、サハラ砂漠250kマラソン〔8位〕Dscf8674

そして翌12年4月には、氷の上を走る北極点マラソン42,2k〔4位〕

その年の5月、富士山で開催されたUTMF156k〔107位〕

さらに11月には、何と南極100kマラソン〔9名中2位〕

13年3月には、南米チリのアカタマ〔標高3,000m〕砂漠250kマラソン〔チーム戦1位〕

と言った調子で、常人ではとてものこと尻込みするチャレンジを続けている。

彼の余暇は、命がけのレースなのだ。Dscf8597

氷点下50度の極地を走るって事がどう言うことか想像に余りある。

さらに空気の薄い標高3,000mの砂漠を荷物を背負って250k走るってことが、

どれ程困難なことか、100kを走る私にも想像を絶する世界だ。

しかも彼は忍者やペンギンのコスチュームで世界に話題を振りまいている。

私の走っている宮古島や丹後などでも、大根の格好やウサちゃん帽で走っている。

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だから、私も何度かすれ違っているはずである。

それにしてもたまげたと言うか、中毒を通り越してクレイジーと言う他ない。

この1974年生まれの実業家には、「不可能」の文字が無いようだ。

話は変わる。

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今朝6時、北海道北端の宗谷岬をスタートしたグループがある。

私の知人3名を含む12名が、鹿児島県佐多岬まで3,146kの走り旅に出発したのだ。

今日から59日間、雨の日も風の日も走り続け日本縦断を目指す。

彼らには、小野さんとは又違った59日間のドラマが待ち受けているだろう。

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長い旅の途中の安全と全員の完走を祈りつつ、

人間は挑戦を続ける生き物なんだと感嘆している。

走り旅の日々の情報は HP「日本縦断走り旅」を見ていただきたい。

望むらくは、私もその一員であったならと臍をかんでいる。

They can go through with Judan.            

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2013年9月19日 (木)

月見る月

台風が秋を連れてきたかの様に、一気に空も空気も澄み渡っている。

この秋空に誘われるように、秋を求めて山に向かった。

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丹後100kのダメージは未だ癒えないが、むしろリハビリを兼ねてだ。

山の台風被害は思いの外少なくって、むしろ雨を得てキノコが首を出している。

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かつて小笠山は赤松で覆われていて、松茸の山と言われていた。

しかし、人手が入らなくなって松は枯れ、今では食べられない菌茸が出るだけだ。

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今日は馬糞茸?やエイリアンの宇宙船の様な茸etcを見けながら走った。

あれ程暑く乾燥した夏だったのに、かれらは健気に季節を忘れてはいないのだ。

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山栗やムベ・アケビも、もうすぐ収穫期を迎えそうだ。

それに賑やかだった蝉の声が止んで、虫の声に変り始めていた。

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そう、今日は中秋なのである。

今、神々しく中秋の満月が登り始めている。

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地球上どこからみても同じ月のはずだが、アジアの一角ではこの月は特別なものだ。

そして、月を愛でる風流は、この国でより濃厚なのではないか。

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秋の花を活け月見団子を飾る。

いや飾らないとしても、月を肴に酒を汲み人生を思う。

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「長安 一片の月 秋風 吹いて尽きず すべて是れ 玉関の情 ・・」(李白)

外の虫の声はコオロギであろうか。

今宵も休むことなく鳴き通すのだろう。

中秋の名月の満月は、今夜を逃すと8年後まで無いのだ。

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私も少しばかりのお酒を頂き、今宵はしばし月を眺めん。

「月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」

 

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2013年9月18日 (水)

自己年齢考

私達は、当然ながら自分を基準に物を感じ考えている。

速さは、自分の心臓の鼓動が基準だから、それよりテンポの遅速で感じているんだ。

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熱い冷たいの温度だって、自分の体温が基準だ。

だから体温より暑くなりそうなら、大慌てで汗をかいて調整しようとする。

ところが、年齢はどうだろうか?

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今夜は高校の静岡支部総会があって、前支部長故に出かけてきた。

指定されたテーブルに着いて先ず思ったことは、

「随分年配の連中だな~」ってことだった。

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ところが、話が進むにつれ、何と私が最年長と分かったのだ。

私にすれば、会う人間すべからく先輩に見えるのにである。

これは明らかに体温や鼓動とは違う。

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別の40代のテーブルに行って、俺にはここが似合うと思った。

活き活きしているし、彼らは今を生きている。

かつての職場の後輩たちが「歳をとらないですね~」などと世辞を言う。

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それでいい気になって、先日の100kウルトラマラソンを語ったりする。

私の精神年齢が幼稚なんだろうが、まあ~それで良かろうと思っている。

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2013年9月17日 (火)

老を敬す

この時期、敬老の行事があちこちで開催されている。

先日私の地区でも、自治会が中心になって「敬老祭」が開催された。

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冒頭に祝辞を求められ、「老いと時間」について話をさせて頂いた。

貝原益軒は養生訓の中で「老いては 若き時より 月日の早きこと 十倍」と書いている。

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確かにそうだろうが、その理由を噛締めてみたい。

それは生活が単調になって、印象に残る事も少なくなるからじゃないか。

老いたからと言って遠慮することは無い。

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何にでも関心を持って、意欲的に行動するのが若さを保つ秘訣だと思う。

そんな訳で、私はマラソンを続けているんだが・・・。

無理はいけないけれど、出来る範囲で生き生きと活動して長生きしてほしい。

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まあ、概略そんな意味のことをお話した。

実は、今年88歳を迎えた私の母もその会場の中の一人であった。

めげない人で、今でも草取りやら花作りetcと何時も仕事を探している。

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勿論、朝晩のウォーキングも欠かさず、今日は何分だったと気にしている。

TVのニュースを見ているし、新聞2紙も目を通すし、日記も欠かさない。

そんな気丈な毎日を判で押したように過ごしている。

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まあ私は、そんな母親の気性を多分に受け継いでいるのだろう。

今、どういう形で米寿を祝うべきか思案中だ。

どちらが先かは別にしても、何時かは天国への旅立ちを見送らねばならないのである。

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生ある時にこそ、僅かばかりの宴であっても大切だと思うのだ。

「渭城の朝雨 軽塵をうるおし 

 客舎青青 柳色新らたなり

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 君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒 

 西のかた 陽関を出づれば 故人無からん」〔王維〕 

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2013年9月16日 (月)

25里も一歩から

丹後ウルトラ100kのスタートは、京丹後市の網野である。

浦嶋児(浦島太郎)の古里としても知られる。

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今朝は、その嶋子の像も強い風で潮を被っていた。

網野は丹後縮緬の産地として栄えたところで、

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今でもその元職布工場が立ち並んでいる。

とは言え、

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和服の衰退と共に縮緬は民芸的なものになり、機織の音はわずかしか聴かれない。

私達の定宿は、その一角の職布工場を民宿に改造したところだ。

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その民宿に泊まるメンバーはほぼ決まっていて、一年に一度ここで顔を合わせる。

「やあ、お元気で何よりです。今年もがんばりましょう。」で始まる会話も実に楽しい。

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激しかった昨日レースを終えて、今朝は何時もの様に「ばら寿司」を頂いて辞した。

しかしながら昨夜来の雨は、あちこちに大きな被害をもたらしていて、

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思っていたよりも遥かに難渋の岐路を強いられることになった。

まず網野から7k程南に下がると国道は水没して通行不能だった。

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やっと細い迂回路を探して水没地点を迂回し高速の入り口に達した。

するとその若狭舞鶴高速は土砂崩れのため全面不通だという。

止むを得ず琵琶湖の南側を迂回すべくさっき来た道を引き返した。

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しかし、これは未だ今日のほんの序の口だった。

与謝町を過ぎ福知山の入口で大きく迂回させられ、・・・・

とうとう、西へ西へと誘導されて播磨に出てしまった。

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そこからやっと高速道路に入るのだが、それがまた渋滞と「途絶」迂回・・・

それでも走行時間11時間、約450kの旅になった。

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随分長い一日になったが、昨日自分の足で走った100kと言う距離を改めて思う。

一歩一歩の14時間が、100kと言う距離になったのだ。

人間と言う奴は、昔からそうやって遠い所からやってきたんだ。

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一日一日の積み重ねも、同じだね。

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2013年9月15日 (日)

簫々と

外は猛烈な雨である。

この雨では、大会は中止になっていただろう。

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今朝3時にはまったく雨の兆しも無く、スタートの4:30頃になって小雨が降り始めた。

星明りも無く真っ暗なその中を2,100人余のランナーが走り始める。

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今年は60kを含めると3,300人を超えるランナーがエントリーしている。

昨年の酷暑と違って雨予報だから、私は極力飛ばさないよう心して歩を進める。

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七竜峠も慎重に越えていった。

そのせいか、かなり例年よりも遅いペースになった。

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それに一生懸命走ろうとしても、ちっともスピードに乗れない。

歩くよりも少し早い程度のスピードになっている。

台風18号由来の雨は、未だ小降りが続いていた。Dscf8602

30k過ぎでふと見ると、20歳過ぎの女性が裸足で抜いていく。

度肝を抜かれて、「これで最後まで・・」と聞くと、

未だ素足での100k完走はしていないと言う。

さらに「今回は、必ず完走します」と美人が笑った。Dscf8607

そして、瞬く間に素足の美人は視界から消えていった。

さらに小笠山のK藤さんが、「今日は遅いね」とか言いながら抜いていった。

ともあれ折り返しの七竜峠を歩くことなくゆっくりペースで進める。

50k過ぎの味わいの里には、11:10頃だった。Dscf8604

弥栄庁舎を抜けるといよいよ碇高原に向けての長い登りが始まる。

この登りも歩くことなく簫々とゆっくり走り続けた。

雨は冷たい風を伴って強くなっている。

それでも碇高原の門限を15分前にクリアーできた。Dscf8603

後の25kは時間との勝負である。

1k10分近くでラップを刻んでいく。

海からの風と雨が容赦なく体にたたきつけてくる。

しかし、ゆっくりながら簫々とした走りは続いている。Dscf8606

残り13kから、聖徳太子の母親の在所と言われる「間人〔かんど〕集落」に入る。

あちこちの家で玄関や雨戸を少しだけ開けて、雨を避けつつ応援している。

その一人が「よぉ~く頑張った。もう少しだ。負けるな」と叫んだ。

雨は樋から滝のように流れ落ちている。

そんな時「俺は何で、こんな苦・・・」と思った。Dscf8605

すると突然顔が歪んで、目から大粒の涙が溢れてきた。

口が振るえ、・・・否、いい年をした男が泣きながら走っていた。

足腰は鉛のように重く、足は既に棒のようになっていた。

顔にピシピシと雨が痛く当たる。

その中をゴールを目指して同じテンポで走っている。Dscf8609

遂に18時:20分、ゴール閉鎖まで10分残して、激しい雨の中のゴールとなった。

風呂につかりながら、豆だらけの足と真っ白にふやけ切った指先をみながら

「俺 負けなかったぜ」って一人呟いていた。

あっそれから、素足の女性は随分苦しんだようだけど、13時間59分59秒でゴール。

すごい根性だ。

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2013年9月14日 (土)

まだふみも見ぬ

丹後に来ている。

その宮津に日本三景の一つ、天の橋立がある。

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宮津湾に突き出て阿蘇海とを区切る細長い洲が橋立だ。

長さ3.7k、幅は10m弱の洲で、青い松が龍のように続いている。

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その洲の繋がる岬には智恩寺の文殊堂が偉容を誇っている。

山門の内には多宝塔やら鐘楼、方丈に庫裏、無相堂などが続いていて、

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いずれも堂々たるものだが、多宝塔は室町時代に作られている。

そして忘れてはならないのが文殊堂で文殊の知恵とはここから出ている。

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実は天の橋立は、天照大神が天空と行き来した梯子だと伝わる。

洲の向かい側に猿田彦神社などがあって、伊勢神宮の兄貴分に当たるのだとか。

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ともあれ天橋立を眺めて、丹後100kマラソンのスタート地点網野に向かう。

定宿にしている民宿「茂座衛門」では、七夕のようにここでしか一緒にならない仲間が集う。

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四方山話に花が咲き、お互いに明日の健闘を誓うのだ。

さてこそ、明日は雨になりそうである。

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どういう展開になるのか、今は誰も分からない。

ひたすら、自分の最善を尽くすのみだ。

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「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立」〔小式部内侍〕

京の都から宮津は遠い。

それに途中あの酒てん童子伝説のある大江山を抜けなければならない。

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丹後の守に嫁いだ母和泉式部からの「文」(助力)も見てないし、

橋立の地に「踏み」入ったことすらも無いと、

都の歌合せに臨んで娘の小式部が強調している歌である。

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天の橋立はかくも遠い。

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2013年9月13日 (金)

過客の如し

私の生まれた翌年〔1948〕、ロンドンでオリンピックが開催されている。

只、この大会には日本からの参加は戦争の後遺症から拒否されている。

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そしてアジアで最初に開催されたのが、1964年の東京オリンピックだった。

19歳のあの時の記憶は、TVに東海道新幹線、そして裸足のランナー・アベベ、

さらには東洋の魔女、三波春夫の「今日は♪今日は 世界の♪・・」etcだろうか。

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女子バレーの対ソビエト戦を、息を呑んで見詰めた記憶もある。

ロシアは嫌いな国の筆頭だったしね。

TVの普及率は80%位になっていて、田舎でも三種の神器が普及始めていた。

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あのオリンピックを境に、この国は猛烈な経済成長へとアクセルを踏み込む。

たかだか半世紀だが、この間の変化はすこぶる著しい。

私なぞも、その流れの中にどっぷり浸かって生きてきた。

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ともあれ、あんなに調子の良い時代が未来永劫続くはずも無い。

案の定この20年近く足踏みを続けてきて、ようやく先に何かを見付けかけているところだ。

私のこれからだって、さ迷いながらも道を見出しつつある。

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貝原益軒が養生訓の中で「老後は 若き時より 月日の早きこと 十倍」と書いている。

十倍はオーバーだとしても、何もしなければ、光陰は矢の如く過ぎ去るだろう。

2020年とて、あっと言う間にやってくるのではないか。

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当面、このオリンピックまでの間に何が出来るだろうか?

体力の衰えは兎も角、何事にも積極的に気を保たねばなるまい。

それに今度こそ、本番の会場に観戦に行こうと思う。

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人生もオリンピックも、これ過客の如しである。

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2013年9月12日 (木)

一葉天下の秋

秋風起って 白雲は飛び 草木黄落して 雁南へ帰る・・・(武帝)

庭の桜葉が落葉を始めて随分と薄くなった。

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葡萄の収穫も終わり、畑の立毛は秋仕様に衣替えつつある。

秋ナスへの枝の更新、ブロッコリーやキャベツの定植、大根の播種etcである。

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あっそれから、先日伏せた秋じゃがが今日は小さな芽を出している。

回りの水田ではコンバインが走り回って、収穫作業は佳境に入っている。

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そして、旺盛に成長していた作物が消えていくことに、幾ばくかの寂しさを感じている。

昨夜は、第2回浜名湖ウルトラマラニックの実行委員会であった。

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開催の10月12日まで残すところ一か月なのだ。

今年も全国の仲間たちに浜名湖の自然と私達の人間味を味わってもらいたい。

万端の準備をしてお迎えしようと思っている。Dscf8562_2

その委員会に、

今回から加わったボランティアの一人に箱根駅伝を3年連続走った方がいる。

彼の往年の雄姿を想像しつつ、50歳半ばの彼の今日を思う私がいた。

ひとには誰にだって夢を貪り食う様な若い頃がある。Dscf8563_2

そして、その余勢を活かしつつ今日がある。

人はこの人生の舞台をそうやって生きていき、やがて終焉を迎える。

その連想で、私の同級生で先に逝った何人かを思い出していた。Dscf8560_2

思えば、良い奴ばっかりが先に死んでいく。

秋は、殊更にものを思わしめる。

さりながら思っているばかりではなく、この15日は丹後100k マラソンを走る。

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何とか、時の流れに追付きたいと思っているのだ。

ともあれ、一葉散るごとに秋の到来を思う今日この頃である。

少壮幾ばくの時ぞ 老ゆるを 如何せん(武帝)

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2013年9月11日 (水)

五月蠅

この夏は、嘘の様に蚊や蠅が少なくって随分楽をした。

折からの熱暑と干ばつで水溜りが出来ないし、出来ても直ぐに消えてしまった。

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それで奴らも繁殖できなかったんだろう。

一昔前まで、日本人は蠅と蚊には苦労しっぱなしだった。

子供の頃、座敷で昼寝しているとあの蠅が誠にうるさかった。

追っても追ってもたかって来るし、手を擦る足を擦るで、おちおち昼寝も出来なかった。Dscf8424

蚊には蚊帳を釣って対処したんだが、蚊帳の穴から侵入した蚊を追って

夜中の一騒動が必要だったりして・・・・。

ともあれ私達には、ハエ取り紙を吊るしたり、蠅叩き、蚊取り線香くらいが防衛策だった。

蚊や蠅は湧き出てくるものだって、はなから考えていた。Dscf8423

実は溝や肥溜め、防火用水などで大量に培養していたのである。

余談だが、シベリアには水溜りが無数にあって、蚊も黒い塊に見えるほどいる。

抑留された日本人の中には、シベリアの蚊に殺された人だっている。

その発生源を放っておいて、一生懸命蠅を追い蚊を叩いていたんだ。Dscf8420

この駆除に一石を投じたのは、日本に進駐してきた占領軍だった。

その特効薬がDDTで、私達は頭から散布されたし、

村の若衆がリアカーに大型の噴霧器を積んで回ってきて、

一戸ずつ天井裏までDDTを散布していった。Dscf8417

それから家では雨戸を建てこめて、半日は家に出入り出来なかった。

この散布で暫くは楽になったが、10日もすれば元の木阿弥である。

水溜りや肥溜めは幾らもあるし、そいつは放っておかれたからである。

ともあれ、そのDDTは劇薬として今では製造すら禁止されている。Dscf8416

今日、網戸のお陰で五月蠅い奴らに苦しめられなくなった。

ところで、五月蠅と書いてウルサイと最初に読ませたのは夏目漱石らしい。

夏の夜、あの暴走族のバイク音も五月蠅いよね~。

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2013年9月10日 (火)

巡り合い

人と人の出会いと人生ってことを思っている。

あの明治維新を主導したのは薩摩の西郷隆盛と大久保利通だった。

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そして、彼らは正に隣近所に住む若者(にせ)だった。

否それどころか、舎弟の西郷従道、川路利良なども餓鬼の頃からの仲間だ。

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その若者仲間が、時代の風に乗ってあの明治維新とこの国の基礎を作ってしまったのだ。

勿論、大隈重信や江藤新平だって幕末の人との出会いが彼らの生涯を決めた。

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大時代的に言うとそうなるのだが、まったくの平民である私達だって同じことだ。

巡り合った餓鬼、学校の先生、同窓生、職場の先輩や同僚、はたまた叔父や叔母。

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何時何処でどんなタイミングでそのキーマンと会えたのかどうか。

男女の仲はもっと繊細で、メンタルの機微にも関わっている。

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ともあれ、この世は明治の彼らがそうであったように、真似るべき先輩の有無が肝心だ。

学生の頃だって色々な人間と付き合いながら、学ぶべき友人を探している。

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職場ではさらに顕著で、どんな先輩や上司の真似が出来るかで職場の未来が決まる。

勿論真似るべき人は、時と共に変わっていくかも知れないが、真似ることは大切さ。

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若いころ、先輩の読んでいる本を全部購読することにした。

喋り方、物の考え方、文章の形etcを真似ることから出発した記憶がある。

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或いは、ものの考え方に関しては圧倒的に司馬遼太郎に影響されたかな。

つらつら考えてみても、私は要所要所で素晴らしい人達と出会ってきた。

走ることだって、ある日山の中である男と出会わなかったら、今日の世界は無かった。

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自分の身を置くところに、必ずキーになる人物が登場する。

ボランティアの世界、自治会の役員、○×協議会等の委員、

Wカップや静岡国体で出会った人々、みい~んな私の人生になっている。

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しかも、その出会いは決してたまたまじゃないんだ。

しかるべくして、そこに身を置いている自分がそこにいる。

何気ないことだけど、実はそれが運命の前髪なんじゃないかと思う。

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2013年9月 9日 (月)

過去をかじって

葡萄の収穫も最終盤である。

一房だけ残しておいたサマーブラックが、昨夜狸に食べられていた。

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それはともかく、やれやれの思いと寂しさが入り混じった昨今である。

折りしも、苗木屋から葡萄の新しいカタログが届いた。

当然ながら、今年も新品種が登場している。

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私が葡萄の栽培を始めてもう既に20年近くになる。

最初の頃はどんな品種が向いているのか試行錯誤で、随分無駄な更新を繰り返した。

それに、栽培だって本に書いて無いことが多すぎて、

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潅水の失敗で折角実った葡萄を腐らせ続けてきた。

その原因を品種が悪いと決め付けて、より爆ぜない品種をと求めてきた。

しかし、肝心なのは栽培技術と品種特性のバランスだと分かったのはつい最近のことだ。

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今年は空梅雨で推移して、その後は雨のほとんど無い日が続いた。

かつてなら慌てて潅水に精を出すところだが、7月以降一切の潅水を止めてしまった。

ハウス栽培で2ヶ月も水無しなら枯れてしまうだろうと言うのが常識だが、

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今年は葡萄にグッと忍〔私は我慢〕んでもらった。

お陰で実った葡萄のほとんどが裂果することなく、無事収穫となった。

もとより乾燥に強い葡萄だが、根っこが地中深く入って水を探してくるんだろう。

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9品種のうち全滅してしまったのは紅バラードと言う品種だ。

昨年は裂果で全滅させたが、今年は房を大きくし過ぎて成熟できなかったのだ。

失敗に失敗を繰り返しつつ、やっと私のブドウ栽培が軌道に乗ってきた感じだ。

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ところで、人間は40才位までは未来を貪り食って生きるようだ。

何だって出来る・・・・ってね。

ところが、それを越えると過去をかじって生きるものらしい。

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最近各種の同窓会のようなものの誘いが多くなった。

今更過去をかじって何とすると思うのだが、否しかしそれも人生であろう。

葡萄ならば植え替えでやり直しは効くが、人生のやり直しは無い。

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いわんや還暦過ぎに於いてをやである。

しこうして、今年も又新しい品種を植えてみようと思っている。

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2013年9月 8日 (日)

東京には、過去や昔、そして以前すらも無くなったと言われる。

ほんのつい最近まで、巨大スーパーやコンビニなんてのも無かったから、

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物流の多くを人手が担っていた。

そんな物売りの「金魚ォー、金魚ッ」とか「竹やァー、竿竹」などの声、

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更には「トオフー・トオフー」のラッパの音や風鈴売りの音なんかが下町の風情だった。

かつての小説の多くが、そんな下町の情緒を舞台にして描かれていた。

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若い人達が近世の文学に馴染めないのは、古き良き庶民の生活を知らないからだろう。

さてもその世界最先端の都市東京に、半世紀ぶりにオリンピックがやってくる。

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あの南春夫の歌ったオリンピックの頃には、まだ江戸の音と情緒が残っていた。

あのオリンピックから半世紀、東京もこの国も激変したのである。

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物売りの音は、橋を渡る列車の轟音、救急車や街宣車の金属音に変った。

何とも殺風景な都市に変ってしまったのだが・・・・・、

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湯島天神や上野界隈には、まだまだ町に庶民の息遣いが残っている。

今度のオリンピックを契機に、情緒ある未来都市に是非とも変って欲しいと思っている。

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ともあれ今年の天候は、極端にダックラで干天と豪雨が際立っている。

コンクリートで固められた都市では、雨が降れば一気に水が溢れるが、

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東京の地下には大きな空洞が設けてあって、人の呼吸の様に水を吐き出している。

これも一つの未来へのヒントなんだろうか。

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話は飛ぶが、私の走っている小笠山は大きな水甕である。

30万年程前、大井川の三角州が隆起して、標高264mの山になった。

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当然ながら山は川の礫で出来ているから、降った水は速やかに地下に貯まる。

それが麓からコンコンと湧き出すのだが、正に地下ダムである。

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その小笠山がこの2か月、晴天続きでカラカラに乾燥していた。

樹木も草も息絶え絶えでやっと生きている感じだった。

それが昨日今日と久方ぶりの雨に恵まれたのだ。

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私もこの山で、随分久方ぶりに沢水の音を聞いた。

やはり、川には水音が相応しい。

これで山の小動物たちもホッとしているのではないか。

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2013年9月 7日 (土)

Late sumar cicada

暑い暑いと言い暮らしたこの夏も、ようやく終息の兆しが見えてきた。

そして、晩夏の蝉ツクツクボウシが急くように鳴いている。

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このツクツクボウシは、例年なら盆過ぎから鳴きはじめる。

それでこの蝉の声を聴くと、何時もソワソワとし始めるのが常だ。

その原因は子供の頃に遡る。

学校のドリルもやらずに遊び暮らして、盆のお客が帰るとこの蝉が鳴き出す。

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さぁ~て、夏休みの宿題をどうする・・・オンシー・ドオスル・ツク・ツクと聞こえてくる。

夏休みも残り十日足らずになってから、7月の天気を調べたりして・・・

暑くて気怠くって、「宿題が無けりゃ、夏休みって最高」なんて思ってた。

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その刷り込みが強烈で、今日でも晩夏の蝉のイメージになっている。

それはともあれ、一部の子供達の様子がおかしくなっている。

群れて深夜徘徊やら万引きやら、飲酒に喫煙・・・・・

その仲間に女の子も半分混ざっている。

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親の無関心・・と言うよりも、愛情欠落で既に家族崩壊している。

家庭もバラバラ、地域もバラバラで救いようのない状態が生まれているんだ。

本当は子供達は愛情に植えているから、悪の仲間であれ群れるんだ。

この夏休みを終えて、彼らは更に学校から遠くなっていく。

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青少年の健全育成と言ったって、その親の教育をする手立てもない。

離婚やら再婚やら失業やら、その親自身自分が生きるのに精一杯なんだ。

今日の悪餓鬼は、ラインで繋がっていて、目に見えない糸で縛られている。

夜中の何時だろうが、その糸に引っ張られていく。

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ラインの着信音をどう受け止めているんだろうか?

今私達は、地域の力で何とか打開できないかと相談を始めている。

しかしながら、現実は彼らをじっと見守るしか手は無いのだ。

晩夏の蝉は、ホシイー・ホシイー・ツク・ツク 子供を救えと鳴いている。

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2013年9月 6日 (金)

くそ真面目に

何故か私は、昔からくそ真面目だと思われてきた。

実際に冗談も言えない〔真面目な顔で冗談が受けない〕し、悪ふざけも苦手だ。

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その分、人間としての幅が狭くって魅力に欠けるのかも知れない。

ディズニーのミッキーを観ながら、そんなことを考えたんだ。

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ほら、ディズニー映画のミッキーマウスは、しょっちゅう悪戯をしているじゃない。

そのイタズラやイジワルが独特の魅力だったんじゃないかな。

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そもそも、ちょつとした悪戯は誰にだって魅力的なものだ。

マジメ一本槍で来た私にだって、多分に山っ気はある。

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ただ年齢に見合った悪戯が見つからないだけだ。

一方、子供やミッキーの悪戯なら、どんな悪さだって絵になっちまう。

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もしも・・・大の大人が玄関のチャイムを鳴らして逃げて行ったら、

そりゃもう悪戯じゃ済まない。Dscf8449

立派な犯罪・・・・否「ありゃ、呆けたか!」と訝しがられるのが落ちか。

そう、悪戯ってのは中々難しいんだ。Dscf8448

ともあれ、ミッキーである。

既に大スターだから、悪戯はすっかり忘れて観衆に笑顔?を振りまいている。Dscf8444

可愛いだけのミッキーは、何だか少し違うような気がするが・・・。

ところで今日は黒の日〔9月6日〕である。Dscf8427

黒星とか白黒つけるなんて忌まれるクロだが、タキシードは黒だし、

礼服だってみんな黒が一般的だ。Dscf8534

黒の衣装が引き立つ女ってのも惚れ惚れするね~。

食べ物だって黒毛和牛に黒豚、黒ゴマ・黒酢・黒大豆・・・・・などが体に良いって珍重されている。Dscf8535

それで今夜は、クリクリと膨らんで茹でた黒豆を肴に一杯戴くことにする。

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2013年9月 5日 (木)

子供に還って

あ~、子供に還りたい!

ディズニーに出掛けての改めての感想である。

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実はTDLが出来たての頃に、少しばかり覗いたことはあるのだ。

その時は、トンデモナイ物が出来たけどパスポートとかやたら金をとるし…と、

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ビッグサンダーマウンテンを見ることも無く、早々に引き揚げた。

それから30年、改めてディズニー・シーを訪れてそう思ったのだ。

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人々は、何やらハーバーを取り囲んでひしめき合っている。

聞けば、海上ショーがあって何やら水を掛けられるんだとか・・・??

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・・・ってことは、水を掛けられたくって万の人が待っているんだ。

いやはや、何て馬鹿な所に来たものだと感じた。

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やがて縫ぐるみを乗せた幾つかの大きな船が現れて、音とダンス、

そして本当に強烈な放水だ。

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これって、真冬にもやるんかな???

いやいや、水を浴びるってのも結構楽しいし、それに軽快な臍だしダンサーが良いね。

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しばし見とれていたらショーは終わって、群衆は動き出していた。

何処へ行けば良いのか、ともかく全体を把握しなけりゃ判断もつかない。

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と言う訳で、あっちをうろうろ、こっちをうろうろ、何処も長蛇の行列である。

疲れ果てて、70分待ちの列に並ぶことにした。

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誰もが愚痴ひとつ言わず、この時間を楽しげに待っている。

否、暑さに参って眠っている子供も何人か・・・・

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それでもこの暑さの中を立ち続けるんだから日本人は辛抱強い。

これはあれだね、大阪万博からの伝統なんだ。

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あの時も長い長い行列をして「月の石」を観たっけ。

とにかく日本人は好奇心がおおせいだ。

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それにTDLは若者仕様で作られていて、年寄りには向かないな。

そういゃあ~、広い園内を見渡しても還暦過ぎは数えるほどしか見なかった。

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それにコースター乗り場なんぞに、年配者と心臓の弱い人は御遠慮くださいとか・・

私はその両方なんだが、好奇心の方が勝っていた。

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長い行列の挙句、山の中を急降下するあのスプラッシュ・・何とかに乗ったんだ。

いゃあ、心臓が一瞬止まったね・・・・その後動いたから良かったけど・・。

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見渡したら若者ばかりで、コースターにしがみついてたジジィは私だけだった。

そんなこんなで遊び疲れて、気が付いたら日も暮れて20時を過ぎていた。

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あ~、どうしたら子供に還れるんだろうか?

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2013年9月 4日 (水)

人生のスパイス

東京には、随分行きましたねェ~。

そしてその度に、

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仕事が終わると「何かあるんじゃないか」とあちこちほっつき歩いたんだ。

東京ってとこは、何か無限の可能性を感じさせるところだった。

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だけど、結局は歩き疲れただけだったな~。

それでも、平板な毎日〔職場と家だけ〕の生活には結構な刺激になっていた。

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東京は、非日常の塊だったからだ。

だから、東京出張は楽しみだったさ。

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ほんの平凡な料理だって、少しのスパイスで気の利いた味になる。

人生も同じで、普段と異なった景色や特異な意見、異なった匂いや色、

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人々の犇めく様や都市の構造などに触れることで、毎日が生き生きとしてくる。

東京には、その歴史も含めてそんなスパイスがふんだんに在った。

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20代の頃は銀座の朝日新聞ビルの地下で、

エロチックなショーミュージックを見るのが定番だった。

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今は朝日本社も引越してしまったが、東京だからこそ見られたショーだった。

食べ物だって何か上手いものがありそうだが、ついぞありつく事は無かった。

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と言うか、何時ぞやは八重洲口地下のラーメン屋でゴキブリを食べさせられた。

食べ終わって汁を飲もうとしたら、6~7匹の小さなゴキブリが浮いていた。

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もう食っちまった後で・・・、店に「コレ」っていうと顔色を変えて、

「アッ、料金は良いです」って言われて、それで黙って帰ってきた。

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あれは、「オンドレあ~、こんなもん食わせやがって・・」と凄むべきだったろうが・・、

そんな元気も無かった。

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まあ~ゴキブリだって、スパイスだったと思やぁ栄養??になるだろう。

ところで、うちのカミサンは東京で食物学を修めた才媛???である。

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若気の至りで、不器量だけんど料理はさぞかし上手かろうと思ったのが間違いだった。

現実は毎日、スパイスの利かない火星人の昼飯みたいなものを食べさせられている。

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かてて加えて、中国で言うところの妻管厳〔チ・クァン・ヤン〕なのである。

こりゃ、ゴキブリ以上の詐欺だね。

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ともあれ東京には、人の心を高揚させる何かが在るようだ。

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2013年9月 3日 (火)

ディズニーの不思議

舞浜にTDLが出来てもう30年になる。

この夏、その30周年と言うこともあって、より一層多くの人々が押しかけた。

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バブルの頃にリゾート法なんてのが出来たこともあって、

全国各地にテーマパークなるものが雨後の竹の子のように作られた。

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そして、バブル崩壊と共にその多くは苦戦を強いられて、その数も激減しちゃつた。

しかるにTDLは依然として気を吐いている。

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一体何が人々を引き付けてきたんだろうか?

TVアニメでしっかりと馴染みになったマウスに出会うことが出来るからだろうか。

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しかしキャラクターの魅力なら・・・・キティーだってあるだろう。

非日常の世界なら、他のテーマパークだってあるだろうに・・。

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そう言えば、劇団四季のキャッツが初演から30年目に入っている。

あれは疑人化した「猫」の世界だが、人の心に訴えることで永らえてきた。

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一方の「ネズミ」は、無心であることが魅力なんじゃないか。

猫ほど小利口じゃないし、本当は弱い動物さ。

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そのネズミがこんなにも愛らしく振る舞う世界はここだけだからね。

もちろんTDLの秘密は、新たにこの世に登場してくる子供をターゲットにしたことだろう。

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子供は無垢だから、彼らに飽かれるってことはない。

その子供に親どもが引っ張られてくるって寸法さ。

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それに、昔の子供も・・・たかが縫ぐるみに「キャー」と大喜びしている。

もう一つディズニーの魅力は、サービスのプロが純生で演出するってことかな。

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更にオマケは、ここに来ると難しいことを考えなくって済むってことだろう。

だって、誰一人難しい顔をしたヤツはいなかったぜ。

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遊ぶって事にも色々とあって、ここでは人が無心になれるんだろうな。

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2013年9月 2日 (月)

隅田川今昔

大東京を自分の足で走ってみると、隅田川の存在の意外な大きさが見えてくる。

やはり東京は、江戸300年の歴史がベースだ。

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かつて家康が城を築いた頃には、隅田川は江戸の東の防衛線だった。

だから橋を架けることが許されず、向島との行き来は渡し舟だったと言う。

そしてその船は、竹屋の渡しや今戸の渡しなど、幾つもの風情を育んできた。

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明治の初めころまで、ギーコギーコと櫓をこぐ音と共にその時代は続いてきたのだ。

近世になってからは花火やレガッタなどで、この川は注目をあびる。

勿論、流れる水は清らかに澄んでいたのである。

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しかし今、幾分きれいになったとは言え、黒くにごった水に変わりは無い。

河口で水遊びは出来ても、顔を浸けてはいけないとされている様だ。

レインボウブリッジから河口を臨むと、幾つもの島に高層ビルがひしめいて見える。

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そうしてその隅田川をまたいで、

高速やら新幹線やら大きな橋が幾つも恐竜の様にのた打ち回っている。

その下の川面には水上バスが走り、水上バイクが轟音を立てて走っていく。

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そして今、浅草の向こう岸には634mのスカイツリーがそそり立っている。

こちら側の浅草には、言わずと知れた金龍山浅草寺があって、

西暦628年(仏教が伝搬して間もなく)に寺の傍らの川で網にかかった観音さん

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〔一寸八分の黄金の聖観音??〕が祭られている。

とは言え、この千何百年もの間、この観音様を目にした人は誰もいない。

5月の三社祭は、この観音様を祭って神輿を担ぐ。

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どうやら、仏とは信ずるものにして、探索すべきにあらずらしい。

ともあれ、今では言問橋を始めとした無数の架橋や地下鉄などが走り、

川を意識しなくても動き回れるようになっている。

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この国は、東京への一極集中によって高度経済成長を成し遂げた。

そして隅田川は、大きくその集積の犠牲になってきたのである。

テムズ川やライン川は、果たしてこれ程の犠牲を払ってきただろうか。

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隅田川ほど、変貌してしまった都市の川は世界に類例が無いのではないか。

昨日の熱暑でも、隅田川の橋の上では幾分涼しい風が渡ってくる。

屋形船が浮き、江戸期の隅田川は今より遥かに豊かな川だったのだろう。

そう、金の観音様が網にかかるくらい神々しい川だったのさ。

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2013年9月 1日 (日)

ヒートアイランド

・・・とは、こう言うことだったのかという今日一日の印象である。

台風の影響かどうか、今日の東京はこの夏最後(?)の酷暑の一日になった。

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今日は都内の「いいとこ」を巡るマラニックである。

朝9:00、品川駅の港南口には全国各地から75名の数寄者が集まった。

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この交番前の朝の時点で、既に30度は越えていただろう。

しかし私達はめげずに、レインボーブリッジを目指して走り始める。

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遠くから眺めるとあの流線型の美しいこの橋を渡るのは初めてのことだが、

橋の中からの遠望はともかく、網で囲まれていて鳥かごの中の様な気分である。

それでも橋を渡る海風に少しの涼を感じながらお台場に向かう。Dscf8491

お台場の海浜には水遊びの家族もいて、その昔は美しい浜辺だったのだろう。

ともあれその突端には、自由の女神の巨大な半身像が立っている。

その像を折り返して、今度は勝鬨橋を目指して都心方向に向かう。Dscf8493

この辺からが熱風に煽られる苦しい旅になった。

途中築地のあたりで、たまらずにコンビニに飛び込んで氷を買って首に巻いたり、

岩手物産館に飛び込んで30分余りも涼ませてもらった。Dscf8501

しかし前に進む他なく、銀座四丁目をめざしてビルの間を抜けていく。

東京駅を通り過ぎて、皇居を一周する予定だったが、

気温は35度を上回っていて、堪らずに御苑を回って誤魔化すことにした。Dscf8503

この辺りでY江さんが吐き気と眩暈を訴えてリタイア、

付き添いの2名を残して、私達は上野を目指して東進する。

このコースはビルの日陰が多くって、幾分凌げる行程になった。Dscf8508

それでもお茶の水を過ぎ、湯島天神では参拝者の手洗いを頭からかぶっていた。

それでも足りなくって、天神下の茶店に飛び込んでカキ氷を食べ少しばかりの休息である。

ここを過ぎると、間もなく不忍池が見えてくる。

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上野公園の西郷隆盛もさすがに暑そうだ。

その上野駅を左に見て、ひたすら浅草を目指す。

やっとのことスカイツリーが見えてきて、雷門に到着。

そこから更に隅田川縁を遡ってスカイツリー直下のおしなり橋が今日のゴールだ。

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約30km、大東京の名所を走りきってしまった。

東京には何度も来ていてあちこち見知っていたが、

何時もはモグラの様に地下鉄から頭を出すばかりだった。

東京を自分の足で線で結んでみて、成るほどとその位置関係がよぉ~く分かった。

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ゴールは15時13分、墨田区総合体育館に移動しての懇親会となって、

かなり、かなり沢山のビールを戴いてしまった。

と言うわけで、この時間の帰宅となった次第である。

でも、暑かったけど楽しい一日だったのは言うまでもない。

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