風姿の分目
過ごし易い季節になって、あちこちで○×まつりや大会が開かれている。
昨日は私の町でも「コミニティ文化まつり」が開かれた。
地域で文化活動をしているグループの発表会と言ってもよい。
合唱や踊り、太鼓や三味線、二胡や吟詠、体操や吹奏楽、はたまた絵画や手芸etcだ。
文化活動には違いないが、それ自体が生き甲斐やコミニティに繋がっている。
ローカルな人の輪をつなぐ媒体なんだ。
文化とは、それが日常化して初めて文化たり得るもので、プロはその頂点に過ぎない。
ともあれ、昨日の文化まつりで感動した演目が三つあった。
一つは、子供グループの組曲合唱で、「どうせ地球なんて・・」と、
私達の環境汚染と価値観について歌で訴えかけていた。
歌に感じ易い私は、すっかり歌の力に魅了されてしまった。
二つ目の演目は、詩吟「書懐」を舞った若い女性の剣舞である。
動きに一分の無駄も無く、力強いその動きを息を呑んで見詰めていた。
プロもこれ程の舞は出来なかろう、と思うほどの圧巻だったんだから。
三つ目は、中学生の吹奏楽「風姿花伝」である。
風姿花伝は世阿弥の秘伝書だが、あの「秘すれば花なり」で知られる。
正しくは、「秘すれば花、秘せねば花なるべからずとなり、この分目〔わけめ〕を知ること、
肝要の花なり」とあるのだが、なんとも難しい人生訓になっている。
風姿とは風体〔ふうてい〕のことであり、こいつは歳によっても色々と変わっていく。
要するに、若い頃はひたすら先達を真似て精進し、
やがて何時かは花〔人々の望み〕を知り、それに応えよということだろうか。
ともあれ、そのやや難しい吹奏楽を聴きながら、風姿花伝を思ったのである。
何をって・・・・それは、人生ってのは「分け目」を見極めることかなってことさ。
歳と共に人それぞれの風体になっていくけれど、
それは秘め〔蓄積し〕た中身の反映であって、一朝にして変えることは出来ない。
文化活動だって、まさに蓄積であって、人生の表現の一部なんだ。
さすれば、私の蓄積してきたものは??ってね。
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