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2013年9月17日 (火)

老を敬す

この時期、敬老の行事があちこちで開催されている。

先日私の地区でも、自治会が中心になって「敬老祭」が開催された。

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冒頭に祝辞を求められ、「老いと時間」について話をさせて頂いた。

貝原益軒は養生訓の中で「老いては 若き時より 月日の早きこと 十倍」と書いている。

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確かにそうだろうが、その理由を噛締めてみたい。

それは生活が単調になって、印象に残る事も少なくなるからじゃないか。

老いたからと言って遠慮することは無い。

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何にでも関心を持って、意欲的に行動するのが若さを保つ秘訣だと思う。

そんな訳で、私はマラソンを続けているんだが・・・。

無理はいけないけれど、出来る範囲で生き生きと活動して長生きしてほしい。

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まあ、概略そんな意味のことをお話した。

実は、今年88歳を迎えた私の母もその会場の中の一人であった。

めげない人で、今でも草取りやら花作りetcと何時も仕事を探している。

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勿論、朝晩のウォーキングも欠かさず、今日は何分だったと気にしている。

TVのニュースを見ているし、新聞2紙も目を通すし、日記も欠かさない。

そんな気丈な毎日を判で押したように過ごしている。

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まあ私は、そんな母親の気性を多分に受け継いでいるのだろう。

今、どういう形で米寿を祝うべきか思案中だ。

どちらが先かは別にしても、何時かは天国への旅立ちを見送らねばならないのである。

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生ある時にこそ、僅かばかりの宴であっても大切だと思うのだ。

「渭城の朝雨 軽塵をうるおし 

 客舎青青 柳色新らたなり

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 君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒 

 西のかた 陽関を出づれば 故人無からん」〔王維〕 

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コメント

 時代を憂うは、何時の時代も同じなのか?
維新の時、西洋かぶれの教育が蔓延し憂いた維新の残党が、教育勅語を作ったと言われる。
 明治天皇の名の元に元田 永孚が元となり現在で言う、文科省大臣が作った。
 現代文で読むと正に日本人の常識的言葉だ。
 いつからか、悪とされた。修身とて同じに戦後消えた。
 アメリカが取り上げた大切な日本人の財産だと思う。
 私の姪は、ニュージーランドにお嫁に行ったが、日本女性は、世界的に人気らしい。
 何なら家の嫁でもくれてやろう。
 人気だと喜ぶバカな日本人。
 江戸や明治時代も昭和に入っても日本人は、家畜同然の有色人種とよばれて来た事を知れ。
 日本人の教育は、戦後自虐的教育と変化した。
 物事には、趣旨目的がある様に、国の制定維持にも目的趣旨があり道筋外れてはならない。
 敬老の日の制定にも始まりが有った。
調べたら以下の様だ。
『 兵庫県多可郡野間谷村(後の八千代町を経て現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長(のち兵庫県議会議員)と山本明助役が1947年(昭和22年)に提唱した「としよりの日」が始まりである。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていた。これが1950年(昭和25年)からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がった。その後「としより」という表現は良くないということで1964年(昭和39年)に「老人の日」と改称され、翌年に野間谷村からの政府への繰り返しの働きかけもあり、国民の祝日「敬老の日」に制定された。
』とある。
 目的趣旨がはっきりしないが、敬う気持ちからだ。
敬う年よりが、居なく敬う次世代も居ないなら面倒臭いなら止めたら良い。
 でもそれは、違う。敬老と目的が必要で、敬老される人格も必要だ。
今の敬老者にその資格があるか? 自分も老と成る訳だから自分にも問いたい。

グローバル化している経済の根源は、会社や国の金儲けでしかない。
修身の基礎を作った福沢諭吉の修身論は、福沢諭吉がアメリカの経済学者の論文を参考としたモラル文らしい。
 今のアメリカ経済にモラルが有るのか疑問。
国家間の条約に置いても経済中心で、昔から破られて来た。
条約は、モラル目的趣旨で造られてはいない。
国家経済の為に作られて来た。そして破られて来た。

今後、有るかも知れない日中戦争に日米安保条約は、アメリカ経済を、考えたら絶対に守られない条約に過ぎないと思える。
 アメリカ国債を一番持つ中国とのアメリカ経済と日本とのアメリカ経済と天秤に掛けたら中国経済の方が重い。
 あるかも知れない日中戦争後に、日露戦争の時の様に、『まあまあ・・・終わりにしませんか・・』と仲裁に入るシナリオが有力らしい。


 今日の兄貴の『老を敬す』のお題からそれてしまったが、薄れゆく敬老心を全うすべき、国民の私達が、国民の祝日に働く自分達が、情けないと思う。
 だって老が、老を労ってたら趣旨が違う。

投稿: ひろ | 2013年9月17日 (火) 21時03分

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