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2013年10月31日 (木)

じいじ

たとえ80歳になろうが、「おじいさん」と呼ばれて嬉しかろうはずがない。

しかるに、やっと熟年の入口の私が「ジイジ」と呼ばれる。

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孫だけは仕方ないと許していたのだが、今では女房すらジイジで平然としている。

至極怪しからんが、残念ながら今では修正のしようがない。

ところで今日はハロウインとかで、駄菓子が売れているんだとか。

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『菓子をくれないと悪戯しちゃう」とか何とか、魔女がどうのと言われてもチンプンカンプン。

魔女なら家にも一人いるが、何だか少々悪乗りの気配がする。

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この離れ小島の住民は、大陸の文化を受け入れることで成り立ってきた。

オリジナルよりも輸入して如何に熟すかが、日本人の真骨頂だったと言ってよい。

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そういう意味で新しいもの、目新しいものに目がない民族だ。

良く言えば先取の気性、悪く言えば猿真似かな。

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明治以降、その大陸が中国から欧米に変わった。

然して、クリスマスに始まってバレンタインだのホワイトデーだの、

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それでこの十月はハロウィンのバカ騒ぎだ。

幼稚園や学校でも取り上げているらしいが、果たして何の教育効果があるのやら??

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そんなことより長幼の序でも教えた方がと思うのだが、「古いでしょ」と一蹴されてしまう。

なにも、珍しけりゃ良いってもんでもあるまいに。

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かつて「読書百篇 意自ずから通ず」などと教えられた。

あれは中国の古典を学ぶ時の姿勢を言ったもので、「意味を感じろ」ということだ。

数千年の歴史を経てきた言葉には、含蓄以上の真髄が露出している。

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その言葉の本当の意味を感じ取ってこそ自分のものになる。

残念ながら、今日の教育は上辺だけのようだ。

何故年配者を尊重すべきかなんて、理屈じゃ分からないと思うのだ。

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小うるさいジイジになりたかないが、こりゃ大切なことなんだもし。

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2013年10月30日 (水)

セカセカと

思えば、私は朝から晩まで始終動き回っている。

焦燥感に駆られてる訳でもないが、どうもジッとしていることが出来なくなった。

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朝は日が出るのを待って、農作業を始めるのが毎日だし・・・、

その朝飯前の一仕事が実に気持ちが良い。

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余談だが、大昔の中国の役所は朝日が昇るとともに始まったという。

それで「朝廷」と言う言葉が生まれたんだそうだ。

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その朝廷の仕事はともかく、朝一番に体を動かすってのは爽快だ。

そして少し得をした気分で朝飯を戴く。

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それから街頭に立って「おはよう!」と大声を出し、一日の本番が始まる。

仕事やら会議やら、それが無けりゃ山に出かけて走っている。

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そうだな~、ジッとしているのはこのブログを書く時間ぐらいだろうか。

ベットに入ると、先ずは明日の行動予定を準えている・・って具合だ。

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私事は兎も角、人間は本来たえず動き回るように出来ているらしい。

獲物を求めて動き回った大昔はもとより、寝ていたって必ずしもジッとしてる訳じゃない。

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人間は、動かないでいると病みつきになる。

あのエコノミー症候群なんてのは、じっとしていることで起こるだよね。

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それに何もしないでいると、気分だってふさいでくるだろう。

怪我で入院したりすると、悪くなかった臓器まで支障をきたしたりする。

それは、動き回ってストレスを発散できなくなるからだ。

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お陰と退職後のこのセカセカで、風邪すらもひくことが無くなった。

と言う訳で、ピンピンコロリとその日まで走り続けたいと思っている。

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2013年10月29日 (火)

より良く少しでも

やっと秋らしくなったと思ったら、もう歳末商戦が始まったと言う。

そのキャッチフレーズが「、ちょっと良い物を」なんだそうだ。

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輸入品であれ何であれ、安けりゃよかろうの風潮からの離陸なら、これを歓迎したい。

少しでも良くなればって思いが、私達の生活環境を変えてきた。

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それが無くなりゃ、デフレのままに世の中は後退し続けていく。

贅沢なんてする必要はないが、リーズナブルな前進は社会の活力だ。

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ところでこのところ、毎日の様に自治会の会議が続いている。

一昨日は「多文化共生」の研修会だった。

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人口17万の私の町だが、かなり減ったとは言え6,000人余の外国人が住んでいる。

彼らのほとんどは、この国に永住を決意した人達だ。

言葉の不自由はあるとしても、彼らをコミュニティーの一員として迎え入れる。Dscf9140

それは至極当然の事だろう。

しかし我々の島国根性は、世界の常識とはかけ離れた所にある。

多くの国々で、様々な人種が多様な文化を共有して暮らしている。

言うならば、宇宙船地球号なんだが・・・この国ではそんな意識は少ない。Dscf9141

そして今日の会議は、地域防犯活動情報交換会から始まった。

私の町では31の地区でそれぞれに安心安全会議が設立されていて、

それなりの防犯活動に取り組んでいる。Dscf9142

そんなもの警察の仕事だろうって声もあるが、私達の取り組みは犯罪を防ぐことだ。

警察は犯罪を摘発しても、未然に防ぐことはやっちゃくれない。

地域のみんなが少し意識を高めるだけで、不審者や空き巣、コソ泥から地域を守れる。Dscf9143

それに青少年にとっても、そりゃ大切な不良化防止環境になっている。

少しでも良かれと思って知恵を絞っているんだけど、どうだろうか?

「ボランティアが何でそこまでやるの」なんて声も聞こえてくる。Dscf9144

だけど「どうでもいいさ・・・」ってなったら、地域は荒廃していく。

少しでも良い方向に力を合わせなくっちゃね。

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2013年10月28日 (月)

自己愛

私達が生きていけるのは、ひとえに自己愛の故らしい。

何だか利己的な感じがして「う~ん」って感じだが、確かにそうだと思う。

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とことん突き詰めていったら、結局は自分が可愛いんだしね。

それに自分自身を愛することが出来なくては、人を愛することも出来ないし・・・、

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多分それ無しでは、生き物は生きられないことになるかも知れない。

自己愛は自尊心とか自惚れなんてことに繋がっていくし、

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日々の喜怒哀楽だって、自分の体温や脈拍がベースになっている。

だっから、人から無視されたり、悪口言われたりすると面白くないんだよな。

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そもそも人間は、自惚れと欲、そして僻みの塊だしね。

ともかくも、大抵の人の人生目標は自己実現だろうと思う。

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その自己実現のために色々とチャレンジするんだ。

これ皆、自己愛の故と言える。

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ところでこのブログは、今夜で2,739日目の書き込みである。

いやさ、私は何故ブログを毎日書いているのかって考えているんだ。

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書いたからって原稿料が入る訳でも無し、殊更褒めて頂ける訳でもない。

むしろ、F某のような偏屈に中傷や悪戯を書き込まれかねない。

それに備忘録や単なる記録でもない。

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では、何故書くのか?

それは多分、自己表現の一つだからだ。

「俺は、ここでこうやって生きてるぞっ」ってね。

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取りも直さず、煎じ詰めれば自己愛そのものなんだろう。

ともあれ、その日その日を大切に書き続けようと思っている。

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モチベーションが途切れた時は、それは自己愛喪失の時だろうな~。

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2013年10月27日 (日)

一夜漬け

いやさ、浅漬けの事ではない。

学生の頃、試験勉強をしなきゃと思いつつダラダラと日が過ぎてしまう。

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それで遂に前日の夜になって、夜を徹してやったあの一夜漬けである。

終わるのは大抵夜中過ぎで、翌日は朦朧とした頭で試験を受けることが多かった。

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「日頃から勉強してれば俺だって…」と思わないことも無かったが、

一夜漬けは私の勉強法の常であった。

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しかし、この一夜漬けが意外と功を奏したと言うか、

試験を終われば瞬時にして消えてしまう記憶だが、試験までは頭に残っていた。

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お陰で学校で教えられたことは、ほとんど覚えてはいない。

しかしながら、一夜漬けと言う方法だけは私に残された。

大事な会議の前の事前準備なども、すべからくこの便利な方法でこなしてきた。

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とは言っても、頭の中では数日前からあれこれと思案していたりするんだが、

多分、この癖は一生治らないのだろう。

それはさておき、今時の学生に感心している。

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学校で研究授業があって、時々その様子を覗かせていただく。

私の頃よりレベルが高いのは仕方ないが、先生が簡単に宿題を出す。

「これは家でやっておいて下さい。宿題にしておきます。」といった調子だ。

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しかも生徒達は「先日宿題にしておいた所・・ハイAさん」と指名されると、

たちどころに答えるのだ。

勿論、教師は「学校で教えるのは勉強のきっかけだ」と考えているのである。

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しかし率直な感想なんだが、「怠惰な俺にゃ、生徒は出来ないぜっ」ってことだ。

その怠惰な男の言い訳だが、一夜漬けにも良い所があるってことだ。

大抵の事は忘れてしまうけど、極僅かな肝心なところ(エッセンス)は記憶してるってこと。

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とどつまり、何でもかんでも覚えてなきゃならないってことは、意外と少ないのさ。

そう言やぁ~、ほんのり薄味の一夜漬けが美味い季節になった。

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2013年10月26日 (土)

とある街道の文化展

無芸徒食の私などには只の目の毒なんだが、毎年ここを訪れてしまう。

遠州横須賀街道ちっちゃな文化展である。

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鄙びた町並みと民家を利用して70余のそれぞれの個展が開催されている。

台風27号が心配されたけど、午後には雨も止んで街道には人波が出来ていた。

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人々は、気に入った展示や珍しさにひかれて、幾つかの個展を覗いて回る。

それにしても芸達者がこれ程も集まると、無芸が恥ずかしくなる。

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芸と言うものはどう育まれるのか、多分子供の頃からの育つ環境なのかしら?

だとすれば、私などはそうした「無駄」とは無縁な環境で育って、

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音楽にしても、絵画・陶芸も・・・・まったく苦手のままで通してしまった。

ふと元医院の建物を覗くと、素晴らしい油絵が診察室も含め所狭しと掛っている。

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中央の椅子に老人が座っていて、「はい、説明します」と言う。

聞けば、この医院の元院長で88歳、すべて自分が書いたものだと言う。

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只々感心する他ないのだが、どうも人には自己表現欲というものがあるらしい。

…いや、それは自分の技を知ってもらいたいと言う欲望なのか?Dscf9079

人は何かで自分の存在を表現したいと思っている。

それが工芸品のような押し花や彫刻、絵画、表現しようのない細工、Dscf9111

はたまたオブジェetcなのだろうか。

それらの全てを写真で紹介できないのが残念だか、Dscf9086

確かに彼らには私に無い素晴らしい技を持っている。

私の知り合いの一人は、ここの文化展に毎年マクラメ造形を展示している。Dscf9121

紐を使って何事かを表現するのだが、当然ながら抽象で私の様なボンクラには??だ。

何時も彼女に感想を求められるのだが、何と表現すべきか・・・・正直戸惑ってしまう。Dscf9117

この文化展は、古民家を活かしながら表現する所に特徴がある。

だから、その住居に上手くフィットしていれば、それだけで品がある。

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この点、オブジェなり造形は、どこにどういう風に置くかで

そのイメージはまるで異なってしまう。

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そういう意味では、もっと明るくって広い所に飾るべき作品も多かった。

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ともあれ、文化ってのは誰でも楽しめる身近なものなんだな。

兎に角この催しは、ちっちゃな町の大きな文化展なのだ。

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2013年10月25日 (金)

世慣れ

毎朝、小学校に通う娘を送ってくる母親がいる。

ブラジル系のグラマーな女性で、日本語は片言である。

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その母親が娘にキッスした後、「チャオー」と言って娘を見送っていた。

その娘は母の頬ずりを受けると、「チャオー」と手を振って集団の後を追って行った。

普段の私なら会釈してやり過ごすところだけど、今朝はそのチャオーが気になった。

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それで「チャオーって、イタリア語でしょ?」と話しかけていた。

彼女は応えて曰く「私、お爺さん・・お婆さん、イタリア人・・・」と。

「あ~、それでチャオなんだね。」と私も納得したのだが・・・・・・。

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それはさておき、帰宅して妙なことに気づいたのである。

それは「俺も、随分世慣れたな~」ってことだ。

振り返って見れば、私にはかなり気負った自意識があって、

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洋品店なんかでも店員に声を掛けられるのを嫌ったり、

異業種交流会などでも時間の経つのが遅くて閉口するのが普通だった。

赤の他人と気安く雑談するなんてのは苦手中の苦手でね。

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況や、苦手な英語で外国人に話しかけるなんてする筈も無かった。

だけども、近ごろじゃ誰彼と無く話し掛けるし、構えるって事がなくなった。

実は「世慣れ」るって事には、諦観とか居直りの要素を多分に含むんだそうだ。

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「今更、気張って何になる?」とか、「どおってこと、あるもんか~」っていう虚無感だ。

悟りとか無力感もあるが、言うならば一種の老化現象に違いない。

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「あの人も、丸くなってきたよね~」ってことで、確かに今更カッコウつけてもしょうがない。

まあ~、かつてピーンと張り詰めていた心の螺子が少しだけ緩んだのだろうか。

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それで、年齢相応の若年寄としての役回りが出来るんなら、それで結構だと思う。

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2013年10月24日 (木)

若き老年

また一つ馬齢を重ねようとしている。

誕生日を迎えるのは結構だが、改めて自分の年齢に驚くのは少々閉口する。

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確かに、目は老眼になってメガネを手放せなくなった。

コンビニ弁当に入っている調味料の子袋の切れ目すら分からなくなった。

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不自由なのは、本や新聞がメガネなしでは読めなくなったことだ。

それに髪の毛がだんだん薄くなって、亡くなった親父に似てきている。

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そうさな~、物忘れも都合の悪いことから忘れるようになった。

しかし、まあこれは致し方のないことで、歳相応ではないかと思っている。

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ただ、本人には馬齢に見合った老いの自覚は全くない。

足腰も含めて、自分が老いたと思ったことがないのだ。

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これは異常なのかどうか?

もっとも、毎日忙しく走り回っていて、そいつを感じないだけなのかも知れない。

忙しくって言っても、それは自分の裁量で動き回ってるんであって、Dscf8987

かつての仕事に追いかけられる忙しさとは全く違う。

自分の時間を自由に忙しく使っているだけのことだ。

それに、何か問題があってもあんまり深刻に考えなくなった。Dscf8986

「なぁ~にこれしきの事、何とかなるさ」とかなり楽観的に過ごす様にもなった。

そう・・・・定年前後から、私は新しい人生を生きているようなのだ。

緊張しきって人に会うなんてことも無くなって、出会いは全て人生の栄養になった。Dscf8985

様々な試みは、それぞれ達成感を満たしてくれるし、

昔の様に口角泡を飛ばして議論するなんてことも絶えてなくなった。

果たしてそれを老化と言うんなら、こりゃ歓迎すべき老化だ。

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ともかく、瑞々しい老年を目指したいと思う昨今なのである。

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2013年10月23日 (水)

朝の始まり

小学一年の孫娘の朝は、睡魔と格闘してそれは大変です。

やはり幼い子供にとっては、眠りは何よりの欲望なんだろうな。

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だけど熟年の域に入ってからの私の朝は、待ちかねるものになった。

殊に葡萄が成長を始める春先からは、夜明けを待ちあぐねてそろり動き始める。

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葡萄の世話をするのだが、それにも増して春の日差しは底抜けに明るくって、

潅水の水が朝日で光り輝く様の、その生き返るような気分が好きだ。

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反面、次第に朝の遅くなるこの晩秋は、朝の存在感がやや希薄になる。

何故って、作物の世話も少なくなるが、明るくなって直ぐに街頭に立たなきゃならない。

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当然ながら、秋から冬にかけて子供達の朝はかなり慌しい。

今しがたまで寝ていた子が、欠伸をしながら集団登校の群れの中にいる。

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その登校を見届けて、私は朝の仕事に取り掛かる。

この時期は、ホウレンソウの種蒔とレタスや白菜の植え付け、

それに玉葱の植え床づくりなどである。Dscf9033

大抵はこれらの作業を出勤前にこなす事にしている。

ちなみに今朝は、レタスの植床をつくり定植、スナックエンドウの播種で汗をかいた。

ともあれ、日が暮れ夜になる。やがてその夜が白み陽が登る・・・・

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そんな当たり前の繰り返しが、自分の足を前へ前へと踏み出させてくれる。

「朝が来た!・・サアー・・・」ってね。

前の日まで逡巡してたとしても、朝日が「何とかなるさ!!」って背中を押してくれる。

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振り返ってみれば、私にも随分色々な朝があった。

徹夜同然で迎えた監査の日、思い悩んで眠れなかった朝etc

人生の勝負の日など、朝の来るのが怖かった時だってもあった。

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でも朝は約束したように必ずやって来て、又新しい一日が始まる。

そうやって朝陽は、何時も私にエネルギーを充填してくれた。

夕陽よりも、やはり朝日が好きだ。

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2013年10月22日 (火)

身の程

一人の人間が、一生のうちに出来ることってどれ程なのか。

いやさ、「俺はあれをやりました」って言ったところで、虚言にしか聞こえない。

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つまり、一生のうちに出来ることなんてたいして多くは無いってことだろう。

例えば、私一個の人間で考えている。

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平均的な日本の農家の長男として生まれた。

戦後の貧しさの中で、親と生活感覚を共有しながら育った。

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生きる為に必死で動き回ってきた。

この国の経済発展とともに、その一家にも小康が訪れる。

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農業も多角化し、子供達はそれぞれに独立していく。

私も組織の中で、これこそが生き甲斐とばかりに仕事に我を忘れてのめり込んだ。

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やがて、あれ程働き続けた父も、平均寿命近くで御代の国へと旅立った。

残された男も、色々とやったのだが何時の間にか定年を迎える。

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男は自由を得て、目下出来ることはすべてやろうと奮闘している。

しかし、何時の日にか黄昏は闇夜へと変るだろう。

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百五十億年前のビッグバンによって、この宇宙が誕生したのだという。

以来カオスは素粒子から原子を生み出し、地球の誕生へと進む。

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やがて生命が生まれ、人類らしきものが・・・・

そうして今、この狭い地球に私達人間がひしめき合って生活している。

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経済や戦争、いざこざや仲違い、災害や環境破壊、マクロに見りゃみんな茶番劇だ。

この地球上の生き物は、一体何処に向かおうとしているんだろうか。

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ともあれ、この流れに逆らって生きることはムリだ。

流れとともに、精一杯の身の程を考えるだけだ。

流されながらも、何処に向かうべきかってね。

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2013年10月21日 (月)

言葉と人

このブログ書き始めて、もう 2,730余日になる。

この間、ブログの書き様がどう変化したのか確認したことは無い。Dscf8973

ただモノローグそのままに、出来る限り己の地を出そうとしてきた事は確かだ。

もっとも、毎日毎日書いていれば地を出さずに書くことなんて出来やしない。

それで今夜は、私の使う言葉について考えている。Dscf8955

聖書に「初めに 言ありき」とあるように、言葉は人だと思っている。

おぎゃーと生まれた赤ちゃんが、言葉を覚え、

次第にその言葉を道具に自分の意思を伝えられるようになる。Dscf8898

まさに猿から人類への進化を体現するのだが、

その進化は、その人の様々な体験と共に生きている限り続くんだ。

私の学生の頃からの日記は、言葉も稚拙でとっても青臭いものだった。Dscf8896

そんな若さを後生大事にすることは無いので、数年前に全て焼き捨てた。

勿論今だって十分青臭いのは承知の上だが、老来少しは益しになってきている筈だ。

当然ながら、言葉や語り口を聞いていれば、その人の「人となり」が分かってしまう。Dscf8908

だから利口な人は、無口を通し自分の書いたものを公になんてしない。

私の様なおっちょこちょいだけが、恥ずかしげもなくその裸体を晒すのだ。

ともあれ、書くためには自分流の好奇心があればよい。Dscf8701

その契機は言葉だったり、出来事だったり、はたまた驚きだったりする。

そいつを人に伝えるには文章が必要だが、

文章を組み立てるってことは考えるってことに繋がっている。

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稀に演説の上手な人がいる。

これは慣れもあるんだろうが、聴衆の反応を梃子にしゃべるのは大変さ。

この点文章は、筆の勢いはともかく、基本的には工作と同じで組み立てていく。

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要は何を伝えたいかだが、これが鮮明なら筆は早い。

その文章にも品格があって、やはり品のある人はそれなりの文章を書く。

とどのつまり、文章は人格の露出なのである。

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もっとも、私の場合は貧格の露出なんだが・・・・。

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2013年10月20日 (日)

日本縦断走り旅

強い風と冷たい雨の中を、一人また一人と箱根の峠を越えてくる。

気温は10度、横殴りの雨の中を彼らは今箱根八里を走っている。

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彼らは去る9月20日、北海道の宗谷岬を午前6時毅然として出発した人達だ。

雨の日も風の日も、あの台風にもメゲズに、もう30日間走り続けて、

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そうして、今日はこの雨の中の箱根越えなのだ。

霧で芦ノ湖も、昨日降雪のあった富士山も残念ながら見えない。

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しかし彼らは、江戸時代の旅人が辿った街道を忠実に辿りつつ、ここまで登ってきた。

何かしなければと思い立って、私達は箱根の県境に彼らを迎えたのだ。

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「日本列島縦断 ようこそ静岡県へ」との墨書とともに。

しかし風のためにテント設営さえ儘ならず、公園のトイレの裏の風下にエイドを作った。

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アツアツのトン汁とお粥、それに梨と羊羹を準備して待つこと1時間半。

10時近くなって、雨の中を真っ黒に日焼けした12名のチャレンジャーがやってきた。

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ここまで既に1600kを走ってきた不屈な奴らの体だ。

みい~んな弾むように元気で、髭も伸び放題だが静かな気迫が伝わってくる。

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何人かの知己もいて、その一人一人を思わず抱きしめていた。

しかしすぐに、エイドでの休息もそこそこに箱根の坂を下っていく。

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坂を下れば三島宿、そして今日は富士吉原までの59kを走らねばならない。

彼らの背中は、洋々としてたんたんと山中城跡の脇を抜け石畳を下って行った。

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静岡は日本のほぼ真ん中。

彼らは鹿児島県佐田岬までの3,146kを走り続ける。

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佐田岬へのゴールの予定は11月17日だから・・・・・・・・・まだ随分先だ。

彼らが走り始めた北海道は、もう既に雪である。

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淡々と毎日を走り続けている。

でも、「もう、特別の事をしているって感じがない」と言う。

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朝起きて、6時から走り始める毎日の30日間だった。

列島を半分走って、もうそれがごく普通のことになっている。

やがてその記憶は、走馬灯の如く蘇る日が来るだろう。

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いやさ私達だって、毎日毎日の生活を懸命に走っているだろう。

それと、形は違うけど同じなのさ。

彼らは今、人生を走っているんだ。

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10月22日、11:30頃から、彼らは袋井のど真ん中茶屋を通過する筈だ。

仲間が大勢出て、列島のど真ん中通過を祝うことにしている。

みなさん!! 彼らの冒険を感じてみませんか。

人生は、きっと走り旅なんだよ。

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2013年10月19日 (土)

童心

毎朝、邪心や利害と関係のない子供達と接している。

今日は運動会で、彼らは何時もより随分元気である。

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「頑張れよ~、後で応援に行くからな~」と言うと、

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「マジ~、叔父さんの顔見たら手を振るから・・!!」などと言って登校していく。

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多くの父兄や来賓を迎えて、今日は校長さんも緊張気味である。

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子供達はと言うと天真爛漫、精一杯羽ばたいている。

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私達の頃と違って、今では学年横断で赤白黄色、緑に青とチーム対抗戦になっている。

お互いのチームのエール交換があって、

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競技前の体操が始まるのだが、ラジオ体操と思いきや…

それが今時のカラの様なお尻ふりふりのダンスなのである。

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テンポが速くてとてものことついていけないが、子供達はしっかりと踊っている。

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雨予報のため、競技はハイテンポで進んで行く。

その進行のほとんどを児童が自主的にやっていく。

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みい~んな真剣だし、走りっこだって一生懸命だ。

応援してる父兄だって、童心に帰って同じ気持ちさ。

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見物しながら、童心って良いな~ってつくづく思った。

良く考えると、人の好感度は童心の残し具合なんだってね。

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「あの人は、良い人だな~」って人は、きっと多量の童心を残している。

素直で謙虚だし、人の言葉を真っ直ぐ聞くことが出来る。

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そして約束を違えたり、意地の悪いコメントを書くなんてことも無い。

私は、毎朝そんな童心の塊と接している。

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そうして、どうやら彼らから随分多くの感性を受け取っているんだな~と思う。

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2013年10月18日 (金)

がむしゃらに・・

子供の頃、母親に「道草しちゃ駄目だよ!」って言われて育った。

戦後間もない頃の家は、米を作ってやっとのこと生活していた。

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そんな両親の背中を見ながら育った。

親も子も、生き延びるためにがむしゃらじゃなかったか。

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その後の時代は、戦後復興と経済成長にまっしぐらになる。

俄然私だってがむしゃらで、人生の道草なんて思いもよらなかった。

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だけど今、例えば浪人とか留年なんてのも考えようで、

まったく無駄って訳じゃなかろうと思ったりする。

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例えば「あなたの人生の目的は何?」って問われて、どう答えます?

子孫繁栄とか社会的成功etc・・・・・・・・いろいろと答えようは有るかも知れない。

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だけど、それは人生の目標ではあっても、本当に人生の目的なのかどうか。

突き詰めていくと、私達も葦やぺんぺん草と同じように、

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生物として生まれたから生きているだけなのかも知れないでしょ。

ずぅ~っとがむしゃらに生きてきて、定年を機に母の教えを破るようになった。

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つまり、あっちこっちと道草ばかりするようになったんだ。

生物の染色体や汗腺なんかも、何故かグルグルと螺旋状になっている。

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クソ真面目に真っ直ぐ生きるよりも、螺旋の様に寄り道人生の方が豊かなのかも知れない。

それに逆境に強いって言うか、ボキッて簡単にゃ折れそうもないじゃない。

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生物としちゃ私達も葦やぺんぺん草と同じだけど、

何故か人間は、同じ種でも育ち方で別物になる。

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折角生きるんだから、色んなことに挑戦した方がベターってことかな。

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2013年10月17日 (木)

お天道さんは見てござる

いみじくも、大泥棒石川五右衛門の言葉そのままに、

「石川や 浜の真砂は尽きるとも 夜に盗人の種は 尽きまじ・・」である。

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ロシアでスリグループを目の当たりにしたことがあるが、

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この国だって振り込め詐欺やら、万引き・あきす狙い・置き引きなどは日常茶飯だ。

車の中のゴミを「誰も見てなきゃ」窓の外へぼいっと投げ捨てる。

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それと同じ感覚で、誰も見てなきゃ「これ、戴いとくわ!!」なんて・・・ありません?

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ついつい出来心って、そんなもんでね。

いい大人が、細やかな万引きで一生を棒に振ったりもする。

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そんな人間の出来ごころをヘッジしてきたのが、宗教の教えだった。

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悪いことをすれば地獄に落ちる。

誰も見てなくったって、お天道様は見てござる。・・・ってことだね。

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だけど今、この国じゃ宗教なんて有って無きがごとしだ。

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誰も見てなきゃ、やりたい放題になりかねない。

私も毎朝、防犯の防止に交通安全のタスキで街頭に立っている。

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地域安全推進員や自治会の安全・安心会議のメンバーなど、多くの人達が防犯に一役かっている。

誰かが見てるぜって・・・環境を創ることで、犯罪をどれ程抑止していることか。Dscf8970

しかし、多くの市民は「そりゃ警察だろっ」って、醒めた目で暮らしている。

しかしどうだろう、かつての警察国家ソ連ならいざ知らず、そりゃ無理だって。Dscf8971

私たち一人一人が、防犯にも関わっていく時代が来ているんだ。

今日は「地域安全のつどい」ってのがあって、防犯活動頑張ろうねって会だ。

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私の町だって、毎日何百人もの人が防犯パトロールしている。

この時代、お天道様は私達ボランティアなのさ。

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2013年10月16日 (水)

何時かは死ぬんだし

60の坂を越え、なおかつその半ばを越えようとしている。

長寿時代とは言え「何が起きても不思議ではない」年代に入っているのだろう。

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とは言っても、私にとって死は他人事としてしか存在しない。

仮にそう言うことがあるとしても、そりゃ自分以外の人のことだと思っている。

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そんな折、ごく身近な身内が肺癌だと言う。

時折「直るってことの無い病気だから・・」とか

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「何時まで生きるか分からんしね・・・・」と、さらりと言う。

そのことで深く関ることも憚られて、どうも気楽な会話ができなくなってしまった。

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癌で死んだヤツは身内に一人もいないから、何か特別な引き金があったのかと思う。

更に先日、未だ若い強健なランナーがリンパ腫だと知らされた。

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あんなに健康な男が何故なのかとショックを受けた。

「嫌われ者、世にはばかる」と言うが、我が身にだって何時か終わりがあるだろう。

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しかし、それも生あるものの宿命なのだ。

人は何時かは死ななきゃ成らない。

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その原因が病気なのか事故なのか、はたまた寿命なのかの違いだけである。

つまり人間は死ぬまで生きるんであって、それまでの間を精一杯生きりゃ良いんだ。

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人は何故生きるかと言うと、自分なりの目標を成し遂げるためだ。

その目指すものは、些細な事だって人の為になりゃベターだ。

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それが「俺ゃ、やることはやったぜ。」って言えりゃ、思い残すことも無かろう。

そう・・・、人生はピンピンコロリがよろしい。

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最近「物忘れ」がやや多くなったが、死ぬ前から余分なことを考える必要は無い。

死ぬまで私は私なのだと、あくまでも強気なのである。

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と言う訳で、今日もあちこち走り回っている。

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2013年10月15日 (火)

祭狂い

田舎では、この10月は祭りの盛期である。

一昨日の浜名湖沿岸でも、あちこちから太鼓や笛の音が聞こえていた。

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私の85k地点のエイドにもポケモンを大きくあしらった屋台がやってきて、

その屋台の後ろに5人程の少女が乗って、奇声を上げていた。

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何処でも男より女の方が威勢の良いご時世なのだ。

私は、実はあのワイワイやる祭りは好きではない。

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先日は2人の孫に引きずられて屋台に付き合う羽目になったのだが、

何故、祭りに人々が熱狂するのかが分からない。

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元々田舎の祭りは、その年の豊作(米)を祈念するものだった。

春先から散々苦労してきた稲穂が黄色く色好き始め、もうすぐ忙しい収穫期を迎える。

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その僅かな農閑期に、お互いに苦労を慰労しながら共に豊作を願うのが祭りだった。

ところが、今じゃそんな農事は何の関係もなくなりつつある。

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否、神社での催事だけは五穀豊穣を神前に捧げてはいるが・・・・。

それに、近代農法では既に9月までに収穫を終えてしまっている。

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ともあれ、ソリャ ソリャなどとひょっとこの様な格好で騒ぐ人達の非日常性に感心する。

中には、この日の為に一年があるなどと仰る人すらある。

田舎が押し並べて貧しかった頃、祭りはただで酒の飲める唯一の日だった。

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それに芋の煮っ転がしなどだが、ご馳走も頂けた。

祭の嫌いな私ですら、あの甘酒を飲むのが楽しみだった。

だけど飽食の今日、そんなものは見向きもされなくなった。

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そして祭は、無礼講で騒ぐ若者の催しへと変質したのだ。

常にゃ声も出さない人が、大声ではしゃいでいる。

だからなのかどうか、近頃じゃ屋台の引手にも困る時代が来ようとしている。

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祭を、改めて老若男女皆で楽しむものにしなきゃいかんな~と思う。

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2013年10月14日 (月)

湖畔の朝

空気が澄んで、空と区別のつかないような、平らな湖面が広がっている。

この湖面を左に眺めながら、縁取るように走るのが浜名湖100kウルトラマラニックだ。

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昨日の大会を終え、今朝は走路に設置したコース案内表示を外していく。

路面に貼った矢印、電柱や壁面に設置した方向ガイド、目印の蛍光テープ、

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この100kの間に、ランナーが間違わないようにと何百か所か設置した。

それを一つ一つ、目落としの無いように辿っていく。

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それでも一昨日の設置時に比べれば、手早く進んで行く。

湖畔には、今朝も多くの人達がハゼ釣りを楽しんでいる。

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村々では、昨日の祭典の後片付けに若い人達が出張っていた。

何れも祭りの後なのだ。

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目線を山側に移せば、早生ミカンは既に色着いて収穫期を迎え、

ススキやパンパスの白い穂の向こうに、オレンジ色の蜜柑畑が連なっている。

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湖畔に住む人々には、ごく当たり前の様に湖は広がっているのだろう。

400年近く前の地震で今切れ口が陥没し、海水が流れ込んで

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遠淡海と呼ばれた湖が希水湖になった。

早朝のホテルからは、眼下に今切れ口が見える。

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干潮で随分広い干潟になっているのだが、そこにも釣り人が見える。

今切れの上には巨大なアーチ橋が渡されていて、

その上を東西へと車が高速で行き交っている。Dscf8948

東に向かう車はひたすら東へ、西へも一心不乱に向かって走っている。

その目的にひたすら向かう車を遠望している第三者がここにいる。

そんな何だか間抜けた気持ちなのである。

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そう、祭りを終えた後の太鼓のような、少しの虚しさをやるせなく思っている。

ここに集まった人々も、もうすぐ新たな目的に向かってひた走りだすのだ。

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2013年10月13日 (日)

浜名湖の一日

いよいよ浜名湖一周100kウルトラマラニックの当日である。

午前4時、目覚めると同室のスタッフは既に出払っていた。Dscf8918

受付は午前3時からだったな~と思いつつ、慌てて後を追いかける。

外では暗い中で、既にスタートの準備が進んでいた。

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Å達さんと私は、エイド支援が今日の仕事である。

25㍑入り水lタンク12個やテーブルは昨日のうちに車に満載してある。

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この水タンクやテーブル、氷などを各エイドに配達しつつ、

そのエイドの準備状況を確認し不足を補うのである。

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コースには、13ヶ所にエイドステーションを設けている。

とは言っても、100kは余りにも長い距離だ。

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本来は2.5k毎に給水ポイントを設けたいのだが、

手作りの大会ではこれが限界である。

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それでも全体のスタッフは84名が分担してレースをサポートしているのだ。

もう暗いうちから、各エイドのスタッフが勢揃いして和気藹藹と準備を進めていた。Dscf8929

このマラニックの最大の特徴は、ランナーを私達ランナーがサポートしていることだ。

ライナーにはエイドでこそ、ホッと英気を養って欲しい。Dscf8933

それにゃ、やはり笑顔さね。

それに栗おにぎりや鰻結び、メロンや葡萄、ソーメンやプリン・手作りケーキDscf8931

更には冷奴やトン汁、手作りゼリーや温かなスープ、お粥も準備している。

そんな豊富な食材で、それぞれのエイドにこれまた個性があるんだ。

これもA達プランナーの企画したランナーに楽しんでいただく工夫である。Dscf8937

この大会の制限時間は16時間だから、後半のエイドほど開設時間が長くなっていく。

その長時間、皆さんにゃ頑張って頂かないといけない。

私は全体を一巡してから取って返して、

空白区間の長い85kに臨時エイドを開設することにした。Dscf8938

行ってみると、実はここに既に小さなエイドが出来ていた。

仲間の一人U野さんのご主人と近所の人達がエイドを作って下さっていたんだ。

私も合流し、午後1時から6時45分まで、ここでランナーの皆さんを迎えた。Dscf8939

いつもの私の立場とは逆だからランナーの心が良く見える。

80キロを過ぎれば体力はほぼ使い尽くして、この辺からは精神力が頼りである。

その完走したいと言うその気持ちがよお~く分かるのだ。Dscf8940

それにしても、みんな人為的に設定された制限時間を守るべく走っている。

人間ってのは、そういう意味じゃ不思議な生き物だ。Dscf8941

あの千葉県のタフマンさんは、今回も悪代官の衣装で100kを走ってしまった。

只でさえ暑いのに・・・・簡単にできることじゃない。Dscf8942

ともかく事故もなく、参加者の皆さん全員に浜名湖を楽しんでいただけた。

それぞれのエイドの皆さん、一日お疲れ様でした。

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そして、ありがとう。

今回の大会も、好評裏に終えられたようです。

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2013年10月12日 (土)

浜名湖の秋

いよいよ明日は、第2回浜名湖100kウルトラマラニックである。

それで今朝は早朝から手分けでの準備詐欺用が始まった。

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まず私はM塚さんと0~50kmまでのコース表示である。

距離表示に加え、コースの矢印の掲出ばかりか、コースを間違えやすいところはすべからく、リボンやガムテープでの路上表示をしながら進めていく。

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百余ケ所の表示を終えたのは、結局午後2時までの作業になってしまった。

スタート地点の開春楼に戻って、各エイド地点向けの資材の積み込みである。

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給水用の大量の水、エイドテーブルやテントなど大変な量になる。

それに明朝は氷の配達やらと作業は続く。

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ともあれ、レースを支えるってのは100kを走るよりも大変かもしれない。

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夕方ちかくなって受付はラッシュ状態になっていた。

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でもスタッフのみい~んな、嬉々として動き回っている。

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そして18時からは、明日の完走を誓い合うウエルカムパーティーである。

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めかしこんだ??珍スタッフの司会で楽しく進んでいく。

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老練なジャズ演奏に続いてタップダンスが始まる。

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それがまた、このタップが勇壮でいやがうえにも、ランナーなら足が疼いてくる。

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タップと言うものは、これ程激しく、そしてリズミカルなものなのかと思う。

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彼らの表情だって、みんな頑張ってって感じでしょ。

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2013年10月11日 (金)

男の顔

「女は顔でしょ」などと言うが、どっこい男こそが顔だと思う。

若い時は気ままに生きた生意気な顔でも、そりゃ若いからって許容される。

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だけど熟年期に入ったら、男は自分の顔に責任を持たざるを得ない。

何故って、女性は美人か否かだけど、

男の顔にゃ、それまで生きてきた過程が刻まれていくからさ。

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技術者は技術者の顔に、研究者は研究者の、商人は商人なりの顔になる。

そこに表れる目の動きや皺、身のこなしや物言いは、まさに過去の蓄積そのものさ。

雌伏何年の世界を顔で表現しているといっても良いだろう。

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狡い男は狡い顔に、温厚な暮らしは福よかな顔を、怒りっぽい奴は怒り顔にってね。

その面下げて死ぬまで世間を歩くんだから、責任以上のものがある。

いやいや遺影にだって、その影は色濃く出てしまう。

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葬儀や盆まいりに伺って、「あ~、この人の一生はこんなだったのか」と思ったりする。

そういう意味じゃ、男ってのは辛いもんさね。

「それじゃ、お前の顔はどうなんだ?」ってことだが・・・・・。

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何故か、自分で自分の顔だけはどうにも好きになれない。

床屋で鏡に面と向かわせられると、目のやりどころに閉口してしまうのだ。

よくあるように7/3に構えてみたり、目を細めて渋く見せようとしても駄目さ。

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どうやったって、浮付いて生きてきた男の顔にしか見えない。

これで良いのかと、すこぶる反省しきりなのだが、

やはりこの顔は家族にすら好意的に評価されていないのだ。

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ならば広い世間で、誰か「素敵な顔よ♡! !」と言ってくれる人が現れれば良いのだが、

今のところこれも期待薄である。

もう少し年輪を重ねて、皺一本一本に色気を出したいと思うのだが、はて如何?

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兎も角、最近「あ~、良いな~」と感じる何人かの年配者にお会いした。

人間は、伊達に歳をとってる訳じゃないって。

やっぱり、長年の生き方が髪の毛一本にまで現れている。

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もっとも、私も随分薄くなっちゃって……。

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2013年10月10日 (木)

巨大芋

地元の保育園から頼まれて、ボランティアでサツマイモと落花生を育てている。

彼らは波状的にやって来て、それぞれの収穫を楽しむのだが、

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当然ながら栽培の一部始終を知ることはできない。

分かるのは芋は地中で大きくなるとか、ピーナツは枝にぶら下がってるなんてことかな。

今年は暑かったし、それに雨がほとんど降らなかった。

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その気候の故に、今年の芋は巨大でスタイルも悪い。

中には、お化けのように大きなのが土の中から出てくる。

我が農園だけかと思ったら、あちこちで同様なのだそうだ。

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もともと暑いのが好きなサツマイモであって、どうもスクスクと成長しすぎたようだ。

今日も30度を少し超えたが、

この残暑のお陰で、既に10月半ばなのにオクラの収穫が高水準で続いている。

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ともあれ子供たちの収穫は、今日が最後である。

子供達は芋掘りの後、最後に残った落花生の収穫をして帰っていった。

畑は大勢で掘り返して踏みつけていくから、畝は無くなってまっ平らになった。

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そいつをせっせと耕して畝を復元させ、今度は白菜を植えていく。

玉葱の苗も育てていて、その畝もそろそろ整えておかなきゃならない。

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それに今年は、レタスも大量に栽培してやろうと準備している。

このところ毎朝晩は、このために鍬一本でたっぷりと汗をかくのである。

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お陰でこの秋も、のんびりしている暇はありそうに無い。

それもまた楽しである。

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今夜は、子供達が少し残していった落花生を茹でて晩酌としようか。

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2013年10月 9日 (水)

しっぺいの挑戦

全国一を目指すゆるきゃらグランプリが、もっか佳境にあるようだ。

昨日から順位の発表が無くなったが、一昨日までは「しっぺい」は7位に着けていた。

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断トツの一位は、政令市浜松の家康君である。

そして勿論「しっぺい」とは、磐田市のゆるきゃらだ。

由来は見付天神社に伝わるしっぺい太郎伝説である。

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その昔、この宿場には年に一度、屋根に白羽の矢が刺さる慣わしがあった。

そして屋根に矢の立ったその家では、娘を櫃に収めて神前に献上しなければならなかった。

宿場の人々は、その日の来るのをビクビク恐れながら生活していた。

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その年も一軒の家に矢が刺さり、家族は悲嘆にくれていた。

その話を、駒ヶ根からやってきた旅の僧が聞いて哀れみ、

伴っていた霊犬を娘の代わりに櫃に入れようと言う。

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蜘蛛の糸にもすがる思いで、太郎が櫃に収まることになり、

不安におののきながらも、櫃が神前に収められた。

すると夜半、狒狒が現れて「娘」を食べようと櫃を開ける。

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すると、やおらしっぺい太郎が飛び掛って、格闘の末その狒狒を退治してしまうのだ。

太郎も傷ついてやがて死んでしまったのだが、宿場は太郎に救われたのだ。

ゆらい宿場の人々は、見付天神のやな姫社にしっぺい太郎を祭ってきた。Dscf8837

霊犬伝説は各地に残されているようだが、おおよそそんな伝説である。

広域合併から7年、改めて人口17万のこの市を一つにしようとユルキャラが創られた。

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そこに浮上したのが、この遠州一帯に伝わるとしっぺい太郎伝説である。

少しばかりダサいかもしれないが、随分と愛嬌がある。Dscf8838

来月8日までが投票期限のようだが、是非とも一日一票を・・・!!

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2013年10月 8日 (火)

秋の日のあれこれ

今年の山の秋は、体長4cmものスズメバチに悩まされている。

何故かウバメガシの樹液を餌場にしていて、私達が走る度に見張りが飛び立つ。

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これを追い払ったりしようものなら、群れが襲ってくる習性だ。

だからサッとスピードを速めて通り過ぎたり、迂回したりと苦労している。

それでも既に仲間が二人刺されて痛い目にあっているんだ。

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それで今日は、単騎意を決して奴らに挑むことにした。

スズメバチ用のスプレーを持って、山に向かったのである。

恐る恐る近づいて、あの強力なスプレーを噴射する。

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だがその瞬間、奴らは一斉に飛び立って仲間を呼ぶ。

脱兎のごとく下がって、又そっと近づいて噴射攻撃を繰り返したのだ。

一匹もいなくなって、意気揚々とコースを走って折り返してくると、

一匹もいないはずが、何と1時間前より多くいるではないか。

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彼らのマンション(巣)から応援部隊が駆け付けたのだ。

私も再度、何波かの攻撃を仕掛けてそのすべてを撃退した。

30疋程は死んでもらったのだが、奴らの補給部隊は一体どれほどいるのか????

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ともあれ、午前の最大の仕事になった。

午後からは、防災対策の意見交換に刈谷市自治連合会の皆さんが訪れた。

私達の防災アクションプログラムが関心の的であった。

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そして実に熱心な意見交換になって、終わったのは夕方である。

さらに夜は、私の地区の社協主催の福祉講演会である。

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福祉は、最澄の云うところの忘己利他なんだろうか。

これはこれで、どう福祉を定着させるのか、難しいことなのだ。

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とどのつまりは、人々の心に巣食ったミーイズムを駆除することだ。

しかしこれは、スズメバチの退治より難しいことだ。

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2013年10月 7日 (月)

知足安分

庭の金木犀が咲き始めている。

だが何故か、あの独特の香りが少ないのは気のせいだろうか・・。

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人は誰だって精一杯生きている・・・と思っている。

勿論私もその一人だが、その懸命は幾つかの条件下で、

制約のある、越えられない枠の中でのことだ。

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つまり人生というものも、その置かれた環境の中で育まれる。

どんな時代に何処で生まれ、どんな環境下で育ち、どんな人と巡りあったかが、

それが自分の人生の前提条件なんだろう。

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私も戦後の混乱期に生まれ、経済成長と共に生きられたから今日がある。

これが戦前に生まれていたら、農家の長男として間違いなく農業者として生きたろう。

いやいや、中学の頃までは親父のあとを継ぐものだと考えていた。

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当然ながら交際の範囲も限られたろうし、まったく違った一生を送った筈だ。

それが大学進学と言う時代の風が吹き始めて、大学ぐらいは・・・となる。

その学生時代に、例の「減反政策」が始まるのだ。

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選択的拡大を目指してきたはずの農業が押並べて生産過剰を迎えたのだ。

一方経済は猛烈な勢いで走り始め、人手は幾らあっても足りない時代に突入。

俄然私も、そんな時代の風に流されて世の中に出た訳だ。

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勤め人の世界なんて何も知らず、お手本すら近回りには無かった。

ともあれ、無垢のまま身一つで組織の中に身を投じたと言える。

色々とあったけど、結果的にはその組織に育てられたといって良い。

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人生には選択は幾つもあるけれど、可能な限り精一杯走って来たと思っている。

そしてシニアの仲間入りをし、今度は無理なく出来ることをやれば良くなった。

一昨日、数年内に「サハラ砂漠250kに挑戦しよう」と誘いがあった。

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そうなんだ、あれもこれも、あそこにも・・・・遣りたいことは幾らでもある。

出来る環境がある限り、挑戦を続けよう。

しかしそろそろ、知足安分〔足るを知り 己が分に安んじる〕ことも必要なんだな。

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2013年10月 6日 (日)

戦国夢街道

ムーハウスで目覚めると、既に皆さんは朝食の支度やら掃除に働いていた。

どうも明け方になって眠ってしまったらしい。

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ともかくマツタケご飯の残りに、鯛の兜汁を美味しくいただいて、

戦国夢街道を走りに出かけたのである。

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この森町の山間地域は、その昔武田と徳川の勢力圏の境で、

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山また山の土地ながら、尖閣同様、その寸土の領有を巡って相争ったところだ。

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土地に命を懸けるのが武士とは言え、こんな道なきような所で鬩ぎ合っていたのだ。

誰が名付けたのか、街道とは名ばかりの分岐の続く山道だ。Dscf8825

あちこちの塚などを見て回ると、徳川方の戦死者を祭るものが多い。

近くに犬居という山城があって、この城を徳川が攻めたらしいのだが、Dscf8827

どうもこの辺では徳川の旗色が悪かったらしい。

あちこち迷いながらのジョグだったけど、Dscf8828

途中で子カモシカの兄弟に遭遇することもできた。

山里とてこの時期は祭礼の季節である。Dscf8829

その山間に白髭神社があって、村人が神事を終えなおらいを始めようととしていた。

昔ながらの装束をして神事に臨んで゜いる人々。Dscf8831

これが数百年前の戦国であっても、多分同じ景色だったんじゃなかろうか。

それにしても白髭とは、一体どんな氏神なのか。Dscf8832

民家だって山間にポツリポツリで、車とて入れないそれぞれ大変な所に住んでいる。

私達の足音を聞きつけて、遠くで激しく犬が吠えていた。Dscf8833

まだまだ日差しは強く、本格的な秋は今しばらく先だろう。

山裾の一軒の軒を借り、朝作ってきたお結びを頂いた。

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この戦国街道にもかつては観光バスが連なったんだとか・・・・。

山里の昼下がりは、実に静かであった。

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2013年10月 5日 (土)

追憶の日

五月の連休に日本最南端そして最西端を訪れた。

エメラルド色のパラダイスの日々であったが、

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今日は旅をご一緒した皆さんとの同走会である。

会場は森町三倉と言う山奥のムーハウスと称す山荘。

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夕方山荘に着くと、皆さんは午後からのトレイル走を終えて帰ってきたところだった。

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夕食は専任料理長のI藤さんの手料理で、大きな鯛の姿造りにマツタケご飯etc。

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囲炉裏端でたっぷり時間をかけて焼いた鮎などである。

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お腹も膨れほろ酔い加減になると、今度は波照間と与那国の映像上映である。

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何時の間に撮影したのか素晴らしいDVD30分物が二本も!!

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美しいBGMの流れるK地ディレクターの労作である。

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今春を振り返りつつ、私達は随分素晴らしい旅をしたものだと、改めて感心してしまった。

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実は、今日は朝から私の父の7回忌の法要があったんだ。

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それでこの法要を終えて、前期の同走会に合流させてもらったのである。

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ともあれ父が逝ってほぼ7年になるのだが、随分昔の事であるような、

或いはつい昨日のことであるような不思議な思いである。

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人は死ねば過去の人になって、次第にその記憶も薄くなっていく。

仏壇に飾られているのは、まだ父の63歳の時の写真である。

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議会の長をしていた頃か、如何にも若々しく張り切って見える。

私は既にその写真を追い越してしまっているのだ。

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そうして、何時も自分の脈拍や体温でしか考えられない自分を意識している。

時は過ぎ去ったその瞬間から、全てを過去の出来事にしてしまう。

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ともあれ、この法事に合わせ、米寿を迎えた母の祝いをさせてもらった。

矍鑠として、気を張って生きているし、

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私の農作業も随分と助けてもらっている。

介護老人を抱える家庭が激増する折、まったくこの母には感謝しきりである。

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2013年10月 4日 (金)

旧弊人

まだまだ暑い日はあるが、秋の日射しは心地良い。

畦のススキが穂を伸ばし、殊更の秋を主張している。

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それに空気が少しずつ澄んで、遠くの富士がうっすらと見えるようになった。

そんな季節の移ろいの中で、私も日々我を忘れて生きている平均人だと思っていた。

しかし、そんなにも無自覚に生きているつもりは無かったのに、

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ジリジリとその平均人すらも危うくなりつつあるようだ。

実は、私はいまだに旧式のガラケイで、それで十分と思っていた。

昨日電話中に音が鳴り出して、電池切れを起こしてしまった。

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毎日充電をたっぷりしていたのに、蓄電池の寿命が尽きたのだ。

DOCOMOショップで電池は交換してもらったのだが、「電話機が寿命ですね」と言う。

言われて店内を見渡せば、カラフルなスマホがズラリと並んでいる。

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しかし私の使う機能といやぁ、電話にメールのみ。

「こんなに、幾つもいらんわ~」と思いつつ、玄関に視線が行った。

瞬間「オャッ」と注視すると、確かに旧知の人物である。

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声を掛けようとして、俄かに踏みとどまってしまった。

それは「エッ、何時の間にこんなに老けちゃったの・・」と感じたからだ。

確か彼とは一つ違いでしかないのだ。

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「それにしても・・・暫く会わないうちに・・・人はどんどん変わっていく」と逡巡するまま、

とうとう声を掛けることなく終わってしまったのだ。

そりゃ誰だって、時代の変化と言う風雪に晒されてりゃ、それなりに歳をとる。

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しかして、私だけは歳をとらないと信じている方が可笑しい。

そうは思いながらも、余命幾ばくもないガラケイを握り締めて店を後にした。

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2013年10月 3日 (木)

鞠躬如

今日も山を走った。

もう十数年も走っている山だから、すべからく知悉している。

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だが気が付いて、ふっと振り返ったりした折に違った景色を見つけることがある。

時に向かいの山が近く見えたり、ウバメガシの枝越しの道が無性にやさしかったり、

木立の向こうに希望が見えたり、はたまた獰猛なスズメバチに驚いたりもする。

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つまり、その時々の心の有り様で少しずつ景色だって違ってくるんだ。

人の世の景色は、もっともっと大きく変わる。

気の小さな少年は、餓鬼どもにイジメられ何時も小さくなって過ごしていた。

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母親からは、敷居を一歩外に出れば7人の敵がいると教えられた。

少年は、何時の間にかへりくだることを処世にするようになった。

中学の3年になって、統一テストの成績が学校の玄関に張り出された。

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400人余の生徒のうち頭の50人の名が掲示されたのだが、少年の名はその先頭近くにあった。

その前日まで威張りくさっていた餓鬼どもが、どうした訳か俄かに小さくなっていた。

三つ子の魂百までもで、少年は長じてもへりくだることを習いとしてきた。

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就職して大きな組織の一員になったのだが、

先輩も同輩も、とてつもなく優れて見えた。

かてて加えて、その組織のトップや部長の前では、緊張のあまり十分な発言すら出来なんだ。

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幼きよりの習い性に加えて、組織の権威と言う奴にはへりくだるしかなかったのだ。

男は、そうやって鞠躬如(きつきゅうじょ)として必要以上にへりくだって処世してきた。

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やがて男は、その組織の権威の一角に加わるのだが、性分は変えようもなかった。

間違っても権威を傘に威張るなんてことは絶えて無かった。

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退職して組織の力は無くなっても、この点男にとっては何も変わらなかった。

男は時に傲慢な人に会うと、可哀そうな人だと思う。

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そうして、この捨てがたい性を、これで良かったのだと思っている。

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2013年10月 2日 (水)

常若

やり直しの利く落葉果樹は良いな~と、葡萄を見ながら思うことがある。

私の葡萄たちは今、今年一年の仕事をし終えて、

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来春の芽立ちに向けてひたすら力を貯めているところだ。

あと2ヶ月もすれば、ハラハラと落葉して枝ばかりになってしまう。

そして春には新芽を伸ばして、その新枝に果実を稔らせるのだ。

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毎年、その新芽を見ながら「今年こそは」と期待に胸を膨らませる。

私達にだって四季折々はあるのだが、それは人生の変遷の中では彩りに過ぎない。

そして残念ながら、葡萄のようなやり直しが出来ないのである。

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その分、子孫繁栄などと後代に期待を掛けたりするのだが、

これはこれで思うに任すなんてことは無いのである。

川の流れだって、雨水を集めて川となり、流転しつつ海に向かって流れ下っていく。

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やがて海水に交じり合って、言うならば海は川の終末なんだ。

そんな人の一生を、「儚い」と思うか、「だから」と思うのか人それぞれだが、

若々しさへの願望は普遍のものだろう。

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さてこそ今夜は、二十年に一度の伊勢神宮内宮における遷御の儀だ。

今夜八時、ご神体がまっさらの正殿へと移り、新しい営みが始まるのである。

千三百年も前から絶えることなく営々と続いてきたこの式年遷宮は、

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まさに私達の蘇生への願望そのものではないのか。

その真髄は常しえの若さなのだ。

更に、神の原点回帰=若返りは春ではなくて、力を蓄えるこの秋だということも。

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「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、

かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

生まれ死ぬる人 いづかたより来たりて、いづかたへか去る。・・・・」〔方丈記〕

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さても、人を若返らすにゃ、新たな目的しかあんめぇ~。

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2013年10月 1日 (火)

鈍根劣器

人の評価と言うものは、自分ではまったく分からないものだ。

振り返れば、ずう~っとオドオドしながら生きてきたような気がする。

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時に才気煥発の英才と同席したりすると、とてものこと早く逃げたいと考えた。

瞬時のウエットなんて真似したくっても所詮無理だ。

職場のリクリエーションで野球の対抗試合があったりすると、身の置き所に困った。

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補欠でベンチに入ったとしても、ドキドキとして、出場すりゃエラーばっかり。

懇親会があったとしても、歌の一つ特技の一つも披露する才とて無い。

そうした場面の後は、何時も一人で落ち込んでいた。

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何とも冴えない見掛けが、人格の全体と思われるのが怖かった。

そして「何で俺は、こんなに能が無いんだろう」って悩んだ。

人は皆、俺と同じ様に悩むんだろうか・・・・とも思った。

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回りの人みんなが、自信満々で生きているように思えてね。

つまり、人にどう思われるかって、何時も気にしていたんだろうな。

それで「人がどう思おうが、良いじゃねえか!」と考えるようになったのは最近のことだ。

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悩んで生きても一生、呑気に生きても一生だしね。

鈍才は鈍才なりに出来ることだってあるだろう。

それをやりゃ良いのさ。

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「それ」は、人生の目的を見定めるってことだ。

誰の為に、何の為に、何故・・・・を透かして見てみることだ。

誰かが言っていた「生きるってことは、目的を持つことだ。目的を意識することでもある。

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だが人は、意外にもその自分の目的に気付いていない。

そして、その目的が無くなって初めて胸に食い入るのだ。」ってね。

鈍根劣器だって、シコシコ目的に向かってりゃ、きっと何処かに辿り着く。

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人生は、それで良いのだと思い始めている。

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