« 常若 | トップページ | 旧弊人 »

2013年10月 3日 (木)

鞠躬如

今日も山を走った。

もう十数年も走っている山だから、すべからく知悉している。

Dscf8771

だが気が付いて、ふっと振り返ったりした折に違った景色を見つけることがある。

時に向かいの山が近く見えたり、ウバメガシの枝越しの道が無性にやさしかったり、

木立の向こうに希望が見えたり、はたまた獰猛なスズメバチに驚いたりもする。

Dscf8772

つまり、その時々の心の有り様で少しずつ景色だって違ってくるんだ。

人の世の景色は、もっともっと大きく変わる。

気の小さな少年は、餓鬼どもにイジメられ何時も小さくなって過ごしていた。

Dscf8773

母親からは、敷居を一歩外に出れば7人の敵がいると教えられた。

少年は、何時の間にかへりくだることを処世にするようになった。

中学の3年になって、統一テストの成績が学校の玄関に張り出された。

Dscf8775

400人余の生徒のうち頭の50人の名が掲示されたのだが、少年の名はその先頭近くにあった。

その前日まで威張りくさっていた餓鬼どもが、どうした訳か俄かに小さくなっていた。

三つ子の魂百までもで、少年は長じてもへりくだることを習いとしてきた。

Dscf8776

就職して大きな組織の一員になったのだが、

先輩も同輩も、とてつもなく優れて見えた。

かてて加えて、その組織のトップや部長の前では、緊張のあまり十分な発言すら出来なんだ。

Dscf8777

幼きよりの習い性に加えて、組織の権威と言う奴にはへりくだるしかなかったのだ。

男は、そうやって鞠躬如(きつきゅうじょ)として必要以上にへりくだって処世してきた。

Dscf8778

やがて男は、その組織の権威の一角に加わるのだが、性分は変えようもなかった。

間違っても権威を傘に威張るなんてことは絶えて無かった。

Dscf8779

退職して組織の力は無くなっても、この点男にとっては何も変わらなかった。

男は時に傲慢な人に会うと、可哀そうな人だと思う。

Dscf8780

そうして、この捨てがたい性を、これで良かったのだと思っている。

|

« 常若 | トップページ | 旧弊人 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 鞠躬如:

« 常若 | トップページ | 旧弊人 »