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2013年11月30日 (土)

RCの忘年会

11月の末、その週末に私たちRCの忘年会が開かれる。

もう恒例になって、かれこれ20年にもなるだろうか。

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かつては掛川からこの御前崎の突先まで、60km余を走ってきて参加した。

流石に最近では車で来る人が多くなったが、今日も3名が走ってきた。

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例年のごとく、宴会前の一時を同じ部屋に集まって四方山話である。

誰が買ってきたのか、つまみは饅頭である。

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この御前崎の民宿は、魚料理が得意で、金目ダイのほかひらめなどなど・・・

毎年、次から次へと出てきてとてものこと完食は出来ない。

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まあ~、それ以上に笑い声が続いて、まさに一年の憂さを晴らすには持って来いである。

良い連中が集まっているというか、何しろ一緒に汗をかいている仲間だからね。

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思えば不思議な集まりで、職業も生活環境も皆違う。

違うからこそ、話題もより広がりを持つ。

いろんなコミュニティーがあるけれど、私にとって掛け替えの無い集まりだ。

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今、その宴会の真っ盛りなのだ。

私も、ブログなんて書くのを止めて本格参加しようぞ!!

では、今夜はこれにて失礼。

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2013年11月29日 (金)

夢を育む

夢は、人を創る。

憧れであれ希望であれ、心に期すところが有れば、人はそこに向かって歩き始める。

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だから、子供達に夢を持たせることほど大切なことはない。

しかるに、今日の教育が子供達の心に何ほどの夢を育んでいるだろうか。

それに、学校が夢を育てるに足る楽しい所なのかどうか。

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この9月に、米国の高等学校に1年間留学しだO嬢から校長あてに便りがあった。

ロータリークラブの支援による交換留学だが、

彼女の最大の驚きは、学校教育の中味の大きな違いだった。

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日本の「板書」をベースにした詰込暗記教育が、彼の地では皆無だと言うこと。

この代り、一つのテーマに対してそれぞれの考えが徹底して求められること。

授業は、討論の連続であり、生徒一人一人を考えさせることに重点を置く。

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ともあれO嬢は、慣用句が連発される英会話に戸惑いながらも頑張っている様子だ。

実は今日は、市議会の代表質問の傍聴に出向いた。

そのやり取りの中にも、教育問題は大きなウエイトを占めている。

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学力テスト問題やら朝読書、電子黒板などの教育資材、

はたまたキャリア教育や子供憲章の制定などである。

しかしまあ、市長や教育長に教育革命を求めるのは自ずと無理がある。

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教育は正にこの国の仕組みそのものであって、職業教育を含めて、

選別ではなく人を育てることに立脚した教育の仕組みづくりには、

巨大なエネルギーが要る。

例えば今日文科省が示した「学力テストの結果公表」を可とする変更だって、

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悪戯にテストの結果だけを競う教育になってしまうかも知れない。

でも一つだけ言えることは、学業成績はともかく、

一人一人の子供の心に夢を育むことが最も大切だと言うことだ。

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2013年11月28日 (木)

ささやかなマス

人生は、極論するならマスターベーション〔自慰行為〕の連続じゃなかろうか。

私の育てている野菜たちを眺めながら、何故かそう思ってしまった。

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この時期の葡萄は休眠を前に一面の紅葉を始めているが、

畑にはホウレンソウに始まって、レタス、人参、ダイコン、ブロッコリー、キャベツ、

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はたまたプチベール、ニンニク、玉葱などが育っている。

種を播くという行為が爽快極まりないと言う訳ではないが、

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それが芽を出し一人前の野菜に育っていく過程は愉悦そのものだ。

取りも直さず、ぐいぐいと育って収穫直前ともなれば、

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その成長した姿を眺めるだけで、えも言われぬ充実感を味わえる。

これは、私だけのささやかなマスターベーションだな~ってね。

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そして、「俺のマラソンだって、同じかぁ~」って思ったんだ。

いやいや、マラソンの方が成果物が見えない分、もっとマスの要素が高かろう。

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ハアハアと息を切らせて、結構苦しい思いをするんだが、

健康のためなどと言いながら、結局のところ走りたいから走っている。

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そして、あのゴールを駆け抜ける達成感は、まさにマスそのものじゃなかろうか。

それに、このブログを書いているんだってその類だ。Dscf9415

そんなこんな思いを巡らせて見ると、人生難しく考えることも無いってことになる。

たとえ四苦八苦しようがノホホンで生きようが、Dscf9411

俺が生きたかどうかってことにそれ程の意味がある訳じゃない。

ささやかな意味があるとすれば、何をやり何が出来たかってことだけだ。Dscf9406

野菜を育てて何の意味があるなんて考えないことだな。

とどのつまり、撃ちてし止まんが人生なのかもしれない。Dscf9402

「命乃在天〔命はすなわち天に在り〕」ってね。

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2013年11月27日 (水)

年齢八掛け

明治維新は、若い志士達の力で成し遂げられたと言われる。

確かに獅子奮迅の働きをした高杉晋作の死んだのは26歳だった。

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旗頭の西郷隆盛だって、維新の年には40才に過ぎなかったが、

既にその頃から彼は「翁」などと呼ばれていた。

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坂本竜馬が殺されたのは、確か32歳の誕生日だったか。

今日の感覚からすりゃ、押並べて異常に若過ぎる感覚だ。

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だけど当時の武士の家督相続も40歳くらいが目安だったらしいから、

2~30代は今日の壮年の位置づけだったんだろう。

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その明治以降、平均年齢も社会的年齢もどんどん伸びてきた。

私が子供の頃にはサラリーマンの定年が50歳だった。

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それが何時の間にやら60歳になって、やがてもっと伸びようとしている。

実は、マラソン大会のエントリーの際年齢を記載することになっている。

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その書き込みをするにあたって、何時も「俺ゃ、そんな歳か」と戸惑ってしまう。

体力年齢も社会的年齢もずれてるんじゃなかろうかとの思いである。

一昔前まで、高齢者がマラソンを走るなんてことは信じられなかった。

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富士吉田市の富士登山競争だって、つい最近まで参加資格は50才未満だった。

だけど今じゃ60代以上のランナーは幾らもいる。

先日のジュビロMじゃ70代の方が10kを40分で走って優勝してしまった。

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やはり年齢じゃないな~!!

と言うよりも、この30年ほどで社会的寿命が10歳ほど伸びたんだ。

つまり戸籍年齢に0.8を掛けた年齢が実年齢と言うことになる。

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そんな訳で、私などまだ50才を少し出たばっかりなんだ。

最近のもやもやも、この八掛けでしっくりくる。

何も俺だけが若いんじゃなくって、誰もが八掛けの年齢で生きているんだ。

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得心である。

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2013年11月26日 (火)

華而不実

特定機密保護法案が佳境を迎えている。

と言うよりも、一部野党と世論の恣意的な宣伝がそうさせていると言える。

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その反対の論点は、国民の知る権利が脅かされ、

強いては戦前の治安維持法に繋がるという。

だけど、この論理にはいかにも飛躍がある。

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それに第一、知る権利とは言うけれど、

国民すべからく国家防衛の最高機密まで知る必要があるのかどうか。

もちろん機密の範囲の拡大解釈は困るが、

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国の安全保障には、秘匿が必要な情報だってあって当然だろう。

それを丸裸に晒しておいて喜ぶのは、近隣の関係国だろう。

しかも、その情報も一定の期間を経過すれば公表されるんであって、

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秘匿内容の評価は後の時代にきっちりとされる筈だ。

もっとも前政権時代には、

尖閣に侵入した漁船を写した海上保安庁の映像を根拠なく秘匿した。

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そして義憤の末漏洩させた保安庁職員を首にしたのは、当時の政府と世論ではなかったか。

あの三年前の反省の上に立っての、今回の反対なんだろうか?

それにしては、あの事件に関しての前政権の総括などまるで無かったが・・。

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それにあの時、「国民の知る権利」なんて世論は騒いだっけ?

マスコミにとって情報こそが商売の種とは言え、少しばかり偏った報道が続いている。

それはマスコミにも「秘匿されるべき情報何か」が分かっていないからなのかも知れない。Dscf9325

何だか今回の議論には、華而不実〔華にして実ならず〕の感がある。

言うなら、かみさんが亭主の行動一部始終を公表しろと騒いでるようなもんかな~??

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2013年11月25日 (月)

各人頭上 一個天

今日は一日会議に終始した。

「民主主義」と言うのは、結構気苦労のいるもので、

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それぞれの言い分を十二分に聞いて、尚且つ結論を出していかなければならない。

短気な私など、ついつい結論を急いでしまうんだが…・

一言いわんと気が済まんと言うことかどうか・・・兎に角纏めるのは難しい。

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表題の「各人頭上 一個天」は中国の古いことわざである。

「他人は他人、人はそれぞれの天運を持って生きている」程の意味だろうか。

ともあれ、今日は午前9時から午後の5時までたっぷりと座っていたのである。

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昨日のマラソンの動と今日の静である。

馴れっこになっているマラソン大会とは言え、それぞれの緊張感はある。

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沿道には知人縁者が絶え間なく応援してくれるし、息を抜く暇も無かった。

とは言え足は思うように動かないし、寄る年波すら思う羽目にもなった。

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それに大会ごとに何事かの発見があるし、お会いできる人も多くなった。

昨日もこの大会でしか会わない人に何人も出会うことが出来た。

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まあ~、それも頭上一個の天であろうか。

話しは変わるが、「各人頭上 一個天」と思い付いたのは、

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中国が俄かに設定した防空識別圏からの連想だ。

文化大革命なんてトンデモナイ悲劇以前は、それでも中国人は結構大らかだったと思う。

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それが親を密告し友人を売るような時代があった。

その嵐が過ぎて、程々の経済発展で大人の礼節を知るのかと思っていた。

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しかし近年の中国は、およそ大人の振舞とは違う行動を続けている。

国内統治のために、他国との間にそれ程多くの係争が必要なのかどうか。

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それぞれの天は良いとしても、それが他国と競合してたんじゃ話しにならんぜよ。

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2013年11月24日 (日)

ジュビロMのおもてなし

応援の甲斐なくF2降格が決まったジュビロの話ではない。

今日開催されたジュビロ磐田メモリアルマラソンの事である。

実はこの大会、昨年のマラソンランキングで東京マラソンに次ぐ全国第9位だった。

勿論今年は、参加者も1万人強で東京マラソンを追い越そうと市一丸となっている。

それは「おもてなし」と20万人の笑顔がテーマだ。

さてこそ今日は、空っ風も吹かず絶好のマラソン日和になった。

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それで朝早くから、ジュビロスタジアムの周りは人の波である。

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子供達のパフォーマンスの後の開会式を終えて、私もスタートラインに立った。

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10kの表彰式でプレゼンターなので、出来るだけ早く帰ってこなきゃならない。

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気は急くのだが、申告タイムを間違えたがゼッケンが3000番台で最後尾に並ぶ。

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そこから写真を撮りながらの追走である。

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今回は、「おもてなし」の様子を写そうと考えたのである。

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先ずは、各高等学校の吹奏楽部の応援演奏が目立つ。

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次に、市内の幼稚園は全て応援に出たのではと思われるほど沿道に続いていた。

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仮装ランナーコンクールがあって、まにまに奇抜なコスチュームも目立つ。

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そんな中に「あまちゃん」の2人がハーフを走って、大賞に選ばれた。

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実はこの二人、なんと私の知り合いなのである。

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仮装と言えば、ユルキャラグランブリで10位以内が決まったシッペイが目立った。

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南御厨地区では、女性グループがしっぺいダンスを踊っていた。

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ともあれ、前半は写真を撮りながらも快調に飛ばしたんだけど、

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15k過ぎからガクッとスピードが落ちてしまった。

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私の地元とあって、あちこちから声援が飛ぶんだけどちっともスピードが出ない。

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と言う訳で、ゴールは1時間50分であった。

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年代別で65位だから、ま~ぁ良しとするしかないか!

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ジュビロMのおもてなしは、子供達の組織的な力だな。

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2013年11月23日 (土)

城址

人間は、40歳頃までは未来を貪り食って生き、

それ以後は過去を齧って生きるなどと言われる。

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それ程かどうかはともかく、人はたえず挫折と妥協と忍耐の日常を過ごしている。

それで歳と共に「いっそ、どうせ、せめて・・・」なんて言葉に慣れ親しむようになる。

そうした馬齢の故かどうか、城址に立っても昔と思うことが違ってきた。

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小笠山の南西の縁(はずれ=すか)に横須賀城址がある。

城主は目まぐるしく変わったが、幕末には西尾氏の居城だった。

戦国末期に武田勝頼方の高天神城と対峙する戦略拠点としてDscf9108

家康が大須賀康高に築かせた城である。

石垣が川原石で築かれている珍らしい城だ。

小さいながら往時は、東西を行きかう旅人や船舶を睥睨していた城である。Dscf9107

掘割や城郭は決して大きなものではない。

だけど一つの勢力が割拠し、いざと言う時にはそれなりの威力を発揮したのだろう。

男はその朽ちた城址に立つと、何故か不思議な感懐にとらわれる。Dscf9106

単に当時の権力の拠点に過ぎないのだが、その何百年かのドラマに引き込まれるのだ。

この城と関わって生涯を過ごした人々の思いの中にである。

どの様な男が城主で、如何なる生涯を送ったのかも知らない。Dscf9105

しかし、世が世ならこの城が出世の登竜門になったかも知れない。

この城の西側に弁財天川という小川が流れている。

弁財天とはインドの大河インダス川の化身、弁天様の別称である。Dscf9104

その名の通り今でこそ小川だけど、かつて江戸初期には浅羽(瀬)を覆って流れる大河だったのだ。

城は、その河口に迫り出した尾根に建っていた。

どんな男たちがこの城を巡って進退したのか記録は乏しい。Dscf9103

だけど城址には、そんな人々の細やかな野心の残照がある。

因みに、登竜門とは黄河の上流にある竜門と言う所のことだ。

黄河も際立って、既に山西省と陜西省の間の急流になっている。Dscf9102

そして鯉がこの急流を登りきれば竜になると言う伝説が登竜門の由来だ。

節句の鯉のぼりは、見事登竜門を越えて欲しいと言う親心なんだな。

さてこそ、何もない城址だがもの思わせる場所だ。

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2013年11月22日 (金)

なりたい自分

今日は小学校の学校協議会である。

先ずは、学校給食を委員全員で戴いた。

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学校給食で真っ先に思い出すのは、あの独特の匂いのする脱脂粉乳だろうか。

当時アメリカで家畜の餌だったらしいが、それでも我々は美味しくいただいた。

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それに鯨の肉も時々食べられたかな。

昔はさておき、今日の給食事情は様変わりである。

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給食センターで一括作られたものが配膳された状態で学校に届く。

その量も学年によって調整されていて、児童は原則として残食禁止である。

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最も神経が使われるのは、アレルギー対策で個別の代用食が配られる。

アレルギーったって色々と有るんだが、そいつを細かく対応するようになっている。

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ともあれ、246円だがけっして不味くはない。

それはともかく、全国学力調査の結果国語力最下位の静岡県である。

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テスト馴れを含めどう学力を高めるかと、目下大きな問題になっている。

その学力もさることながら、私には別の数字が気になった。

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学習状況調査の徳育に、「自分には、良いところがありますか。」との設問がある。

これにイエスと答えた児童が全国では34,5%に対して、当校は18.8%に過ぎないのだ。

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教育の重点目標に「なりたい自分を目指す」ことが掲げられているんだが、

子供達一人一人に「目指すべき自分」が明確になっているとは思えない。

かてて加えて「良い所が無い」ってんだから、救いがないんじゃないか?

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やはり人は、悪い所を指摘するよりも良い所を褒めて伸ばすほうが良い。

それに一人一人に「自分の良い所」を見つけ出させる様な教育が必要だ。

それはどんなことだって良い。

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優しい子は優しさを、笑顔の良い子はその笑顔を、姿勢の良い子はその立居を、

元気な子はその元気を、挨拶の・・・っと言った具合だ。

子供達の学校での姿を見ながら、つくづくそんなことを考えていた。

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2013年11月21日 (木)

人と絆

人生に目的なんて無いし、そんな事を考えてもばかばかしい。

第一宇宙の誕生だって、特別な意図があったとは到底考えられない。

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そのビッグバンから派生したのが我々生物なんだからね。

只、人生に意味があるとすれば、その志だろうと思うな。

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殊更特別な志って訳じゃないけど、自分の美意識に反しない生き様を目指すことさ!

齢70近くなって、そんなことを思うようになった。

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・・・ってな訳で、あれこれ右往左往毎日走り回ってるって次第だ。

ともあれ、この世は人と人との関りで出来ている。

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だが、この人と人の関わりが年々薄くなってきたのが近世じゃなかろうか。

私達は開闢以来、お互いに助け合うことで生き延びてきた。

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一人では田を拓くことも水を引くことも出来なかったからだ。

そして家族は、貧しさの中での生活を支え喜びを作り出してきた。

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むしろ人々はその厳しさの中に、喜びや矜持を見出してきたのだろう。

だから村も家も、その絆で必然的に結束できていた。

しかし、物が豊かになるに従ってその結び付きは次第に希薄になっくる。Dscf9378

やがて我侭勝手放題に生きられる時代が来て、家族すらがバラバラになった。

とどのつまり、自分が何処に所属してるのかさえ曖昧になったんだ。

家族も地域も職場でも、人がバラバラになった珍しい時代の出現だ。Dscf9344

鬱病の多発やらやたらに切れるなどと、

不安定な精神状態を生み出しているのはこの絆喪失の故ではなかろうか。

東日本の震災以降、何故か俄かに注目された「絆」だけど、

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この国の人々が戦後失った最も大きなものが、この「絆」ではないか。

そしてこれからの長寿高齢化社会は、人と人の絆無しには成り立たない社会だ。

いやさ大した事じゃなくって、ちょっとした声掛けとか買い物の手伝いとかね。

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皆が老いて90歳位まで生きるけど、

行政が面倒見るなんて事はどんどん難しくなるからな。

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2013年11月20日 (水)

亦復一楽

耳順を過ぎ古希に近づくと言うのに、さっぱりそれらしくなっていない。

一方で、生来のものぐさが高じて身の回りの整理がさっぱり出来なくなった。

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それで、少しばかり身軽にならにゃと思い立った次第だ。

書斎から無駄な物を一切なくす、洋服などもゴソッと減らして身軽になる。

シンプルになって現在を大切にしたいというコンセプトである。

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田能村竹田の言葉に「亦復一楽〔またまたいちらく〕」というのがある。

何事にも「そうか、そうか、これも一つ楽しんでやろう。」との処世を感じさせる言葉だ。

田能村は江戸末期の人で、人生の日々を明るくする極意に長けた画家だったらしい。

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私も歳と共に自然にそうなるものと考えていたが、どうも勝手が違う。

実際は、カミサンの愚痴やら孫どもの躾け、経済やら災害やら、

世に憂き事の種は尽きないのが現実だ。

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とてものこと、亦復一楽などとノー天気なことを言ってられない。

処世のことは、整理整頓と同じ様な訳にはいかないものだ。

さはさりながら、亦復一楽と人生を楽しむってのも捨てがたい。

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そうそう「富在知足〔富は足ることを知るに在り〕なんて言葉があった。

物欲にしても幸不幸にしても、その人の主観が大きく関係する。

たとえ不幸なことだとしても、その中に何がしかの意義や価値を見出せれば、

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それを別な角度で楽しめるのかもしれない。

プライドだの、人様がどう思うだのなんてどうだって良いんだ。

出来れば一つ一つの出来事を一つのドラマのように楽しんでみよう。

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そんな積み重ねが、人を軟らかく変えていくのかも知れない。

それに、あれだね。

「正しいことを言う時には、限りなく控えめに」言うよう心がけることだな。

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人生は、何時まで経っても手習いの連続だ。

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2013年11月19日 (火)

全会一致

戦後民主主義の悪弊を思っている。

私達日本人は、軍政下の開放感から「民主」なるものを無条件で受け入れた。

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それで、本当は自立と責任が前提なのに、「何だって自由」「儲けて何が悪い」

「俺の勝手」などがまかり通る「民主主義」の時代が到来したんだ。

それで国の「防衛」なんてことでも、「そりゃ、俺は関係ない」と過ごしている。

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自ずと「利己・勝手放題主義」の行き着き先は、孤独な社会でしかない。

とは言いながら、日本の社会は押並べて全会一致型になっている。

集落の会合から企業の役員会、そして諸々の審議会etだって少数の反対意見を押し切ることは稀だ。

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むしろ、その強硬な少数意見がまかり通ってしまう。

我侭な「大きな声」に振り回されるのである。

或いは逆に、多数に抗して反対意見を言うことができないって事も多い。

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どちらにしても、本来の民主主義とはかなりの乖離がある。

ところで、ユダヤ人には「全員一致は、無効」と言うルールがあるらしい。

何を決めるにしても全会一致は無効で、始めからやり直さなければならない。

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第一、全会一致なんてのは誰一人真剣に考えちゃいないということだ。

大抵が無責任か付和雷同だろう。

とどのつまり、この国の国民性は体勢翼賛の頃と変わっちゃいないといえる。

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話は変わるが、先日名古屋港を訪れて初めて知ったことがある。

今日の巨大な港湾からは信じられないが、名古屋港の歴史は高々100年と少しでしかない。

伊勢湾は水深1m程度の遠浅が続いていて、とてものこと港なんかにゃならなかった。

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それを海洋交易こそが発展の元と見定めて、港開発が始まる。

伊勢湾の浅瀬を大型のグラブバケットで少しずつ掘削していくのだ。

今日の広大な名古屋港からは想像もつかないが、港はそうやって少しずつ拡張されたのだ。

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もちろん反対も多かったろうが、信念を以て港湾開発を推し進めた人達がいた。

誰も、全会一致なんてことを考えてはいなかったろう。

やがて港は、今日の大都市と一大工業を育むに至る

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而して、今日の産業都市名古屋が生まれたのである。

やはり、先見の明ある仁者は違う。

克己復礼〔己に克ちて 礼に復るを仁となす〕だなぁ。

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2013年11月18日 (月)

冒険への誘い

極あたりまえの平凡な毎日を送っている故かどうか、冒険には心がときめく。

宇宙ステーションの若田さんやエベレスト登頂の80歳三浦さんは別格としても、

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今やその気になれば様々な冒険が出来る時代になっている。

でも人間にとって冒険とは、人類の歴史そのものなんだ。

アフリカから長い長い旅に出た類人猿の冒険もさることながら、

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生まれてからこの方、初めての御使いの子供の様に、

大なり小なりの冒険を繰り返してきたはずだ。

そんな若い頃に比べると、近頃では冒険らしい冒険が少なくなった。

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子供の頃ワクワクした冒険に、南極観測隊があった。

砕氷船ふじや宗谷の動きが逐一ラジオから流れて、ハラハラわくわくしたものである。

氷に閉じ込められて助けたり助けられたり、当時の国際情勢も色々と影響した。

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そりを引く犬たちを止む無く残して撤退した観測隊もあった。

ところが翌年の観測隊が昭和基地に着くと、

タロー、ジローの二頭が奇跡的に生きていて日本中に感動の渦が広がったこともある。

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その砕氷船富士が名古屋港に係留されていて、博物館としてその記憶を保存している。

俯瞰すれば、こんなに小さな舟だったのかと思うような規模だ。

今でこそ南極は私達だってその気になれば行ける所になったが、当時は未知の大陸だった。

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そうそう、昨日日本縦断走り旅の一行が鹿児島大隅半島の佐多岬にゴールした。

この59日間、北海道の宗谷から雨の日も風の日も一日5~60kmを走り続けてきた。

たかだか3,146kmに過ぎないが、されどこれは人生の一大壮挙である。

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走り切る為の諸々の準備万端を整え、気丈に59日間モチベーションを保ち得たのだ。

彼らの冒険に、衷心よりの敬意と力の限りの拍手を送りたい。

冒険とは、そこに向かって一歩踏み出すかどうかなのだ。

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人生は毎日冒険と言いながら、躊躇することの何と多いことか。

彼らは、諸々の困難を乗り越えて、この日本縦断を成し遂げたんだ。

ところで、3年後にサハラ砂漠250kを走ろうと誘われている。

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どれ程のリスクが伴うものやら分からないが、これに挑戦しようと言う気になっている。

さてこそ、首尾の程をご覧あれ!!

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2013年11月17日 (日)

自分の種を播く

毎年十月の半ばから、ホウレンソウの種を播き続けてきた。

10数年前、農業生産が如何に採算に合わないかを自分で実証するために始めたことだ。

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だけどそれ〔育つ〕が面白くって、ホウレンソウを育てるのが年中行事になった。

勿論採算は度外視である。

ホウレンソウの種を播くと、何の不思議も無くホウレンソウが生えてくる。

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同様にダイコンは大根、ニンジンは人参になっていく。

至極当たり前だけど、科学はこれをDNAの成せる業だと説明している。

このアカザ科の植物は、そのDNAの指令どおりホウレンソウとして生きるのだ。

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翻って、私達人間はどうだろうか?

当然ながら、与えられたDNAの指図のままに生きているはずではある。

だが人間は母親の体の中で十月余を過ごすとは言え、

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言葉を始め生活能力全般を生まれてから学ばなきゃならない。

その学び方如何で、実は自分の人生は大きく変わってしまうんだ。

頑張れる人や怠惰な人、ずるい人や明晰な人、

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はたまた明るい人や暗い人などと表面だって人それぞれになる。

私達がホウレンソウと同様に均一にならないのは、

その置かれた環境の違いもあるけれど、

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異なった人生を歩くようになるもっと大きな要素は、

自分の中に種を播くか播かないかの違いなのだと思う。

実は人はそれぞれの畑を内に持っていて、

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その畑が荒れ果てて、雑草が生い茂っている人もいる。

もちろん、良く耕していて整然と作物を育てている人もいるのだ。

そして人生の稔りは、自分の畑に播いた種から生まれるんだ。

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ホウレンソウも人間もDNAの支配下にあるけれど、

何故か人間は生まれてからの行動如何で別物になる。

自分と言う畑に今年は何を育てるのか、何時も考えていたいと思う。

続きを読む "自分の種を播く"

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2013年11月16日 (土)

S34の思い出

レイテ島の台風30号の被害は、どうやら死者5,000人超になりそうだ。

この台風で思いだすのが、昭和34年9月26日夜の伊勢湾台風だ。

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929HPと言う前代未聞の台風が、紀伊半島から能登方向に高速て横断して行った。

最大風速49m、この時満潮を迎えていた伊勢湾には海水が吹き寄せられ、

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高潮は5mにも達して名古屋市域を襲った。

当時の名古屋港には幾つもの貯木場があり、この巨大な丸太が凶器となって市街地を襲ったのだ。

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結果堤防はあちこちで決壊し、名古屋市の半分が3週間余にわたって水没した。

そして、死者5000人余の大被害を残したのである。

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この時、私は12歳だった。

大きな台風が来ると言うんで、親父を手伝って戸板を釘で打ち付けたり準備をした。

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夜半、猛烈な風になって瓦が音を立てて飛び、玄関の戸が弓形になった。

その戸を家族が必死で内側から押さえていた。

その時親父が「逃げよう」と言いだした。このままじゃ家が飛ばされると言う。Dscf9374

それで槇囲い隅の柏の木の下に逃げ、家族五人が抱き合って暫く過ごした。

記憶はそこまでしか残ってないが、翌朝の惨状はおぼろげに覚えている。

実は今日、自治会長研修会で名古屋市港防災センターを訪れたのである。Dscf9375

このセンターでは幾つかの疑似体験が出来るのだが、

この伊勢湾台風の再現が最もエキサイティングで、S34を思いだしたと言う次第だ。

あの雨戸の鳴る音からして、不気味な予兆を感じさせた。Dscf9376

台風にしろ津波にしろ、自然の猛威の前では人の力など取るに足りない。

しかし、私達は座してその災害を甘んじる訳にはいかない。Dscf9380

あの伊勢湾台風の教訓は、むしろ今日の災害に強い名古屋を作り出したのだ。

補強に次ぐ補強の防潮堤だって、今度の4連動に対しても備えようとしている。Dscf9368

果たして私達のところは、補強しようにもその資金のめどすら立っていない。

市は当面、防潮堤建設の呼び水に5億円の基金を集めることを決めたばかりだ。Dscf9377

まだまだ先は長いが、一歩ずつでも前進させる他ない。

伊勢湾台風は、私達が学ぶべき重な教訓を残している。

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2013年11月15日 (金)

山の喋り

一昔前の水道の無かった時代には共同井戸があって、

そこでワイワイと他愛の無い世間話で盛り上がる井戸端会議があった。

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何の益もない雑談でしかないんだが、そのお喋りが主婦達の気晴らしになっていた。

その井戸端会議に相当するのが、私の毎週の山での雑談である。

練習コースを2時間半程で走り終えて、汗を拭きながらの談笑である。

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それが時には2時間近くにもなって、正に井戸端会議なのである。

年齢も職業も違う仲間同士、話題は多岐に渡るし、時に大いに勉強にもなる。

「それじゃ、又来週」って解散する頃には、一週間の憂さはすっかり消えているって次第だ。

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そうさ、人生に無駄な時間なんて無いんだ。

だから、家に帰って聞かされる山の神の愚痴も、快く聞き流すことが出来る。

考えてみりゃ、お喋りがしたくって山に通っているって面もあるな~。

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ところで、昔の人は「物言わぬは腹ふくるる」と言って、その鬱屈を心配した。

人は喋ることによって、何となく心の安心を得ているんだろうな。

だけど今じゃ、その喋る機会がどんどん無くなっている。

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先ずは高齢者の一人住まいが増えて、放っておきゃ一週間だろうが話す相手が無い。

そんな独居老人が増えている。

それに主婦だって、個人商店の時代は買い物も「○×さんの奥さん・・・」から始まるが、

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それがスーパーじゃどうしようも取り付く縞もない。

交通機関だって機械が相手で、一切の会話無しで出かけられる。

だから夫が単身赴任なんて人は、俄然話し相手はTVなんてことになる。

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一日中何も言わずに過ごすのは楽なようで、結構メンタル的にはダメージがある。

始終他人の悪口を吹聴して歩く癖の知人がいる。

仕事を辞めてからこの癖が一層酷くなって、思うに寂しいんだろうな~と同情している。

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やはり人は、人と人の会話があって人なんだな~。

それで近ごろは、お喋りの出来ない憂さをメールでと言うことらしい。

しかし、メールでのお喋りにゃ偏りがある。

メカの進歩でどんどん「便利」になるんだが、その分人は孤独になっていく。

鬱が増えるのは、どうやら喋りが減ったことにも一因があるような気がする。

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2013年11月14日 (木)

人生いろいろ

島倉さんと言う人は、芸人ずれしないと言うか、最後まで清純を感じさせた。

それに彼女の苦悩の様々も含めて、生き方が透けて見えていたのではないか。

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彼女の歌に、自分の人生を重ねていた人も多いのだと思う。

確かに100人いれば100の人生がある。

苦労に苦労を重ねる人もありゃ、のほほんで一生暮らす人だっている。

殊に戦後の個人主義は、独身貴族やら利己主義者などと、

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可哀そうな人生を幾つも作り出してしまった。

人それぞれだから、他人があれこれ言う必要もないが、結果が全てだ。

好き勝手に生きた独身者が亡くなって葬儀に参列したことがある。

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職場関係はいざ知らず参列する親族すら無く、哀しむ人とてもなく、

彼は静かに死んでいった。

彼は四十九日も過ぎないうちに忘れられ、話題にすら上らなくなった。

それも一生だが、やはり人生は苦労を共にすることが必要だ。

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どのみち私達が生きること自体に、それほど重要な意味がある訳じゃない。

意味があるのは、誰と誰が共に何を共感して生きたかなんじゃないか。

当然ながら、煩わしいことも悲しいことも嬉しいこともある。

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そしてその苦労は、自分の人生の物語にとって極めて重要なものになる。

翻って、勝手放題の利己主義者には得られるものも少ないと言うことだろう。

それぞれの人生は、日々実験の連続なんであって、私達は日々迷いながら歩いている。

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そんな実験を避けて通るだけでは、人生の面白味は激減する。

良いじゃないか、苦労は買ってでもすりゃ!!!

個人が大切だと言っても、所詮人は一人じゃ生きては行けないんだ。

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2013年11月13日 (水)

未知生 いずくんぞ知死

冷たい北風が、俄かに年の瀬を感じさせる。

フッと気が付けば、今年も残すところ一ヵ月と少しになっている。

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年賀状やら何やらと、今年の締めくくりを考えねばならない。

政変のお陰で、今年は少しだけハラハラが減ったようだ。

それでも、何だかアベノミクスの先行きを気遣いながらの一年だったろうか。

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色々と難題はあっても、少しでもこの国が良い方向に向かって欲しいと願う毎日だ。

それはともかく、私自身この一年何が出来たのかしらと思い始めている。

確実に余命は減っているはずだが、己が命の燃焼は十分か否か?

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いろいろと手掛けたようで、何も出来なかったような気もする。

日程の消化に追われて、悪戯に日々を費やしたのではないか。

人には自ずと寿命がある。

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人生なんて儚いもので、投げた石の放物線の様なもの。

弧を描いてアッと言う間に地に落ちてしまう。

その刹那に何が出来るかが人の一生だ。

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人は皆、懸命に生きているつもりだ。

だけど、未だに人生なんて少しも分かっちゃいない。

知命をとうに過ぎたのに試行錯誤の連続なんだ。

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今年も残り少なくなって、改めてそんなことを思っている。

今年には翌年があるけれど、人生には来世は有り得ない。

やっておくとすれば、今しかないのだ。

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しかし、「死」なんて意識するのは、まだチッと早すぎるか?

「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」

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2013年11月12日 (火)

目標が景色を変える

北風が吹き始めて、この数日俄かに寒くなった。

私の葡萄も山のモミジも慌てて落葉の支度を始めたようだ。

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「深まる」という言葉は、この秋の深まりが一番しっくりとくる。

冬を目指して山も里も、これから刻一刻とその景色を変えていく。

ところで私達だって、目指すものがはっきりすると途端に目の前の景色が変わり始める。

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目標への意識が、自分の行動を少しずつ変えるからだ。

例えば、どこそこへ旅行するって決めただけだって、

彼の地に関連した本を読んだり、旅行社に出かけたりとあれこれ準備を始める。Dscf9179

頭の中だって、あそこであれを見て○×を食べてってなことを考える。

その目標のスケールが大きければ、なお一層その変化は顕著だろう。

例えばエベレストに登頂しよう、自転車で世界一周などと決めれば、Dscf9177

その為の基礎体力や資金づくりをコツコツとやるようになる。

私が100kマラソンを走ろうと決めた時は、月間走行距離を伸ばしただけじゃなく、

通勤電車でも座らない、何階でもエレベーターは乗らないなどと、随分生活を変えた。Dscf9178

結局、2年の準備の末に初完走をしたんだけど、その時の感激は殊更だった。

本を書こうと考えた時も同様で、出版まで1年近くを要した。

人には、自ずとそれぞれの能力に差がある。Dscf9165

頭の良い人やそれなりの人、体の頑強な人や虚弱な人、富裕な人や・・・・などだ。

同じ目標を持ったとしても、当然ながら達成までの道のりは違ってくる。

秀才なら1週間でクリアーすることを、私ならあるいは1年を要するかもしれない。Dscf9163

だけどその1年の努力と景色の変化は、たった1週間では経験できないことだ。

同じ事を実現するにしても、やはり苦労したらそれなりのことがある。

私の100kだって、散々積み上げたことによって、息の長いスポーツ人生に巡り合った。Dscf9162

結果として何よりも、随分健康な体になったのが嬉しい。

もし強健な人だったなら、何らの事前準備も無く100k走ってしまうかもしれない。

そしてその結果「なあ~んだ」って、一度きりで終わってしまったりする。Dscf9319

仮にかなり難しい目標だって、先ずはそこに向かって歩みを始めることだ。

歩き始めれば、自分の目の前の景色が少しずつ変わってくる。

とどのつまり私達は、目標を持つことで自分の世界を変えることができるんだ。

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2013年11月11日 (月)

人生気晴らし?

「自分で自分を楽しませるのが、人生の基本」と言ったのは誰だったか。

確かに、自分を楽しませる方法を幾つも持っている人は素晴らしかろう。

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「そもそも人間は何故生きる?」などと考えるまでも無く、

明らかに私達は「気晴らし」無くしては生きられないのではないか。

誰だって、様々な不安と一緒に生きている。

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例えは゛大げさに言えば、エンプティーな人生への頼りなさ、或いは死への恐れ、

はたまたこの世界そのものへの畏怖や不安などに囲まれている。

下世話には、仕事や子供の行く末、かみさんとの関係、或いは家計への不安だったりする。

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そんな不安と寝ても醒めても同居なんてできない。

出来れば気を紛らわせたいと考えるのは自然なことだろう。

否考えなくったって、自ずと体がそいつを求めるようになる。

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酒や博打に溺れるってのも、その延長線上にある。

それで私が始終走り回っているんだって、或いはその「気晴らし」なのかも知れない。

実は、今朝突然そんなことを思った。

88才の母親がそそくさと前のグランドに出かけていく、その後ろ姿を見てである。

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その広場では既に十数人がグランドゴルフの支度をしていた。

週に一度は、このグランドゴルフがあって、わいわい喋りながら半日は遊んでいる。

人生のひと時を、そうやって楽しく過ごすんなら誠に結構なことだろう。

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翻って私自身のことになる。

山を走り、各地のマラソン大会に出かけていく。

ホウレンソウやレタス、各種の葡萄などを愛でている。

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毎朝街頭に立って「おはよう!」と大声を出している。

はたまた、毎晩このブログを書くのだって・・・・・、

とどのつまりは気晴らしなのかもしれないと考えたんだ。

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そんなこんなに夢中になってりゃ、鬱になる暇もないしね。

ともあれ、大いに自分を楽しませようと改めて思った次第なのだ。

気晴らしであれ何であれ、懸命に生きることが肝心さ。

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2013年11月10日 (日)

36年は徒労か?

東海地震が間近に迫っているとされて、既に36年が経過した。

この間、県下の各自治会に自主防災会が組織され、

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防災用具の備蓄やら防災訓練が繰り返されてきた。

しかし「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」のが人間の常である。

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何時の間にか防災会は名簿だけになり、訓練もマンネリ化する。

そこに起こったのが11年の3.11だった。

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その余りの脅威に息を飲んだのが殆どの人々だったろう。

それで改めて、自主防災会なるものに一縷の期待が集まるようになった。

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私達自治会連合会も、この自主防の機能を生き返らせることを念頭に動き出している。

そんな折、今日は菊川で「自主防災活動推進大会」があった。

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先ずは会場に掲示されていた数枚の写真に目を奪われた。

昭和19年の東南海地震の写真で、戦時下と言うことで被害の実態は秘密にされていた。

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写真は袋井磐田間の東海道線の脱線転覆、隣町での家屋倒壊の姿を映していた。

公には「小さな被害」とされていた震災だが・・・実態はかなり深刻なものだったようだ。

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ともあれ今日の大会では、京大防災研究センターの矢守克也教授の講演が注目された。

テーマは「日常生活の中に、防災意識をどう根付かせるか」と言うことだろうか。

日々の暮らしを極自然に防災仕様にしていたことで、

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全員無事だった岩手県野田村保育所の奇跡を取り上げていた。

あの3月11日、何時もなら昼寝の時間だが防災訓練のため園児を起こして準備中、

14:45、尋常ならない揺れが起こったのは正にその時だった。

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毎月の訓練通りに避難車(リアカー)3台に園児を乗せて、避難行動が始まる。

津波の去った後の二階建ての保育園は、可愛い便器を残して消え果ていた。

もう一つの事例は、高知県四万十町興津地区の取り組みであった。

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ここでは、もう何年も小学校の生徒達がハザードマップを作成してきた。

そしてこの小学生たちの実地の提言を、大人たちが確実に実現して生きている。

海岸にあった幼稚園と老人施設の高台への移転、避難タワーの設置、高台の避難所、

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避難路途中の橋の耐震補強etcである。

次々と改訂されてきた被害想定に、多くの人が「あきらめ」の気分や

「そんな地震来る訳ゃないだろ」と言う油断や慢心、

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そんなの俺の知ったことかと他人任せの防災対策など、課題は山積している。

だけど命は一人一人のものだし、防災の主役は一人一人のあなたなのだ。

いざと言う時があっても、この36年の蓄積を無駄にしてはなるまい。

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2013年11月 9日 (土)

ネット社会の子供達

今日の私達は、一昔前とはまるで違うネット社会に生きている。

世界中が繋がっていて、誰かが「お-い」と叫べは、それが世界中に響く社会だ。Dscf9294

アナログから抜け出せないでいる旧世代人にとっては、正に異次元の世界だ。

しかし子供達にとっては、そのネット社会そのものが生存環境だ。

幼くしてはゲーム機から始まって、高校1年では7割方スマホを使いこなしている。Dscf9302

殊にLINEの幾つものグループに所属して、異次元のコミュニティを渡り歩いている。

私などは「そんな面倒なこと・・・」と思うのだが、子供達にとっては真剣な世界だ。

地元中学校の悪グループが、このラインを駆使して組織を動かしている。Dscf9303

ボスが「集まれ」と一斉メールすれば、夜中であろうと連中は集合する。

着信を無視すりゃ、リンチにあうってな具合らしい。

ともあれ今日は山を走ったのち、青少年健全育成大会に出掛けた。

そこで挨拶に立った市長が良い話をした。Dscf9304

彼はかつて某中学のPTA会長をしていたんだが、その中学が荒れに荒れていた。

悪三羽烏が学校全体を指揮命令するような事態になって、

地域全体が立ち上がって、やっと正常化したと言うことらしい。

その時の三羽烏の一人が彼の家の近くに家を新築したと言う。Dscf9296

その元悪は、彼に「何時ぞやは、誠にご迷惑をかけて・・・」とわびたそうだ。

彼は今、高校も出なかったのに、三十数歳で某社の社長として独り立ちしている。

今を懸命に生きる彼の姿に、人間の無限の可能性を感じたと言うのだ。

確かにそうで、勉強が出来りゃそれで世に出て大成するって訳でもない。Dscf9297

振り返って、私の中学時代の同級生400人のうち、

成績優秀だったトップ5人はほとんど行方知れずだ。

大分論点がずれたが、ネット社会に生きてはいてもキチッと挨拶できる子は大成する。

挨拶は、その子の精神的自立と密接にかかわっていると思う。Dscf9298

小学校の時挨拶出来ていた子が、中学で挨拶できなくなることがある。

それは、悪の仲間に引き込まれたからだ。

自分自身が苦しんでいる最中に、気持ちの良い挨拶が出来る訳がない。

今日の大会では「地球社会の一員として」と題して中学生の発表があったし、

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広島平和記念式典に参加した生徒の素晴らしい報告もあった。

ネット社会だからって、人間の本質は変わらないんだ。

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2013年11月 8日 (金)

心のエネルギー

どんな聖人君子だって、とどのつまりは損得で動いている。

自分の動きで、それがどれだけの身入りに繋がるか・・・大抵の人がそう考えている。

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それで、「得にならないなら止めとこう」となるんだ。

だけど功利的な損得勘定が蔓延すりゃ、この世はギスギスと闇になっていく。

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本来金なんて、一定の生活に必要なだけ有りゃ良いんだが、それがそう思わないのが常だ。

今日は、市社協のボランティアを考える懇談会に招かれた。

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何とかボランティアの輪を広げないと、高齢化社会の未来が開けないと言うのだ。

「ボランティアをやって何の得になる?」と考えたらもう終わりだ。

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だが、人が生きている以上「何の為に生きる?」かってことも大きなテーマだ。

人は生かされているんであって、「甲斐」があってこそ生きられる。

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「人の為に、自分に何ができるかっ」てことは、大変重要なことだ。

「私は、これを生き甲斐にしてますッ」って言う何かがあれば心は動く。

だから、ボランティアで自己実現できるような、ちょっとした仕組みを作ることが必要だ。

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そのインセンティブを創るのが「公」の役割だ。

社会を学ぼうと言う生徒・学生、人との関わりを楽しめる空間、ボラでの達成感、

そんな一つ一つの動機をちゃんと認めてやれば、心のエネルギーは動く。

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例えは「愛想と損得」を考えてみれば良い。

「レジや役所の窓口で笑顔を振りまいたって何の得もない」って考えるのかどうか。

得にならないからシラッと心のエネルギーをケチってたのが、かつてのソ連の社会だ。

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およそ面白くない共産主義??だったが、不愛想で得られたものは何もなかったろう。

私達は損得を基礎とする資本主義の社会で生きている。

しかし人は、損得だけで動くのではない。

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ちゃんとその人の奉仕を認めてやることが出来りゃ、心のエネルギーは動き出す。

「いくら儲かった?」なんて、ちゃっちい話さ。

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2013年11月 7日 (木)

奥ゆかし

私なぞは、「人間は謙虚でありたい」と思って生きてきた。

「驕ったら、それで人間の成長は無い。」そう思っている。

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そんな思考は母親の影響もあるが、中学時代の体験に根差している。

詳細は既に忘れてしまったが、クラスにえらく自慢をする子供がいた。

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「僕は勉強もこれだけ出来るんだ・・・」と胸をそらせている。

子供心に「ふぅ~ン、凄いんだ!」と思いつつ、それを人に言う神経がすごいと思った。

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やがて3年進学時になって、その子はどこかに視界から消えてしまった。

それで「やはり、人間驕ったら終わりやぁ~」と確信したのである。

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しかし最近、確かに驕りは駄目だが、それだけで良いかどうかと思うようになった。

人間、褒められれば誰だって幾つになっても嬉しい。

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ならば、褒められるような良い所を幾つも育てたら良かろう。

例えば、「あなたの長所を5つ上げなさい」と言われて即答できるだろうか。

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「欠点なら幾つだって有るけれど・・・・・」、と言う方が大半ではなかろうか。

私達は自己主張が苦手だが、それは保身と言うことと裏腹な関係にある。

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出る杭は打たれるんだから、出来れば人の間に紛れて目立たない方がベターだ。

それで、どうしても奥ゆかしくなっていく。

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自己主張なんてすりゃ、「あいつ、なんか野心があんじゃなかろか?」と勘ぐられるからね。

でもさ・・・、俺の良いとこはこれとこれだって自覚して、それを伸ばす生き方も良いよね。

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それに、反省ばっかりしてるよりも楽しいかも知れない。

今度の中学校運営協議会で、こいつを提案して見ようかと考えているんだ。

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「自分の良い所を、五つ書き出すこと」、こりゃ宿題にしても良いか!!。

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2013年11月 6日 (水)

学びて思わざれば・・

私なぞ、かなりの晩生と言うべきだろうか。

物心ついたのは、大学に入ってかなり経った頃じゃないかと思う。

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それまでは、詰込教育と言うベルトコンベアの上にいた。

唯ひたすら記憶すれば評価の対象になった。

音楽などチンプンカンプンだったけど、

音符も頭の部分を暗記してたからそれすら通信簿の評価は5だった。Dscf9253

ミミラシドシラ・・などと暗記して、それに何の価値も無かろうに、それを極意と心得ていた。

教育は、その人間の可能性を見つけて広げることに意味がある。

だから、私の経験した詰込教育の大半は無駄に終わったと言える。

激烈な進学競争故の詰込だったのかも知れないが、只の篩の役割でしかなかった。Dscf9254

明治以降のこの国の教育は、おしなべて官制で進められてきた。

この点、江戸期の寺子屋や○×塾とは天と地の差がある。 

殊に戦後は教育委員会の指示どおりに、決められたことを従順教えてきた。

その教員は、大部分が競争のない教育公務員であり続けてきた。Dscf9255

はたして「教育とは詰込也」と悟ったのは私だけではなかったろう。 

肝心の教師だって大半は決められたことを教えるのに終始した。

そして、考えることこそ大切なことだなんて誰も示唆すらしなかった。

教育は教師次第だけど、その公務員の教師には競争がない。Dscf9256

新島譲ではないが、教育は本来私学が適しているのかも知れない。

その生徒の適性にあった学校で、その個性を伸ばす教育がベターだからだ。

しかし、行政は旧態然としてお仕着せの公立学校に税金を使っている。

静岡県の高校生の1/3が私学に通っているが、Dscf9257

税金支出は一人当たり公立が89万円に対して、私立には35万円に過ぎない。

前の政権が目玉政策として「高校授業料無料化」を進めた。

どういう理念かは知らないが、「教育は官」と始めから決め付けていたようだ。

教育界にこそ、人を育てる熱意の競争が必要なのにだ。Dscf9258

静岡県の小学6年の国語力が全国最下位と評価されて問題になっているが、

これとて、その辺の思想に問題がありはしないか。

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2013年11月 5日 (火)

年齢感覚の針

人間は誰しも、時代に拘束されて生きざるを得ない。

その時代の空気の中で育ち考え行動する他ないからだ。Dscf9190

しかして、私は1947年の生まれである。

だから当然ながら、還暦をとうに過ぎてかなりの熟年と言わざるを得ない。Dscf9191

しかし、年齢の感覚が発達していないようで、その自覚に誠に乏しい。

さりながら、たまたまGHQ占領下の1947年に生まれ、一貫して戦後を生きてきた。

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日本国憲法の発布も1947年だし、労働争議の頻発する時代が続いていた。

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食糧難からようやく解放されたのが1960年頃だった。

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1970年頃からは、猛烈な勢いで経済成長が始まる。

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1970年に就職した時、初任給は33,150円だった。

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それが数年のうちに10万円を超えたんだから、目の回るような成長と言えるだろう。

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団塊の世代の先頭で、今では考えられない位の数の同級生と生存競争を続け、

その結果が今日の私なのだ。

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年齢感覚はさておき、改めて数えれば六十有余年という、

信じられない程の年月を生きたことになる。

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本人は、「未だ、そんなに人生をやってないよ!!」と言いたいのだが、冷厳たる事実だ。

先日のふれあいまつりで、一人のお婆ちゃんから声を掛けられた。

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「あの・・・、私覚えてる?  同級生なんだけど!!」と言う。

はてさて、こんな婆さんと同級である訳ゃないと思いつつ・・・・・・、

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記憶の片鱗を辿ると、少し似た女性がいたような気もするのだ。

それにしても、生まれてからこの方、

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どんな生き方をしてきたのかによっても歳の取り方は違うだろう。

そして私は、生まれてこの方何を考え何をしてきたのか。

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そしてもっと大事なことは、これから何をするかってことかな。

1947年は遥かな昔だけど、時には来し方を振り返ることにも意義がある。

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2013年11月 4日 (月)

トレランの魅力

山の中を走るトレールランニングがブームになっている。

数多くのマラソン大会に参加してきたけど、ロードを走る大会とはまるで違う。

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林間のそま道を一列になって、山の空気を一杯吸って疾駆していく。

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土の道は足に優しいし、山の木や草、小鳥のさえずりを味わいながら、

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何時の間にか競うことを忘れて、走ることをこよなく楽しんでいる。

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人間は本来、野や山を奔放に駆けるようにできているんだと思う。

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昨日の小笠山トレラン、湖西連峰トレイル、京都東山36峰、八ヶ岳野辺山etc、

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私の走る大会もトレイルが次第に多くなりつつある。

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非日常的な野や山を走ってみたいと言う気持ちが高まるからだ。

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或いは、これは登山者の山に登ってみようと言う気持ちと同じかも知れない。

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登山と同様にトレイルもみんなその土地の味わいが違う。

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例えば京都東山は歴史の古道だし、小笠山は礫の山ならではの地形だ。

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かつての大菩薩峠登山競争も思い出深い大会だった。

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山の中を走るんだから応援者がいる訳でもないが、

時折開ける眺望に息をのんだり、上り詰めて下りに移る安堵感も魅力の一つだ。

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それに静かな山の中では、人と人がより仲良くなれるような気がする。

道を間違えまいと助け合ったり、怪我などすれば助け合う他ないしね。

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昨日の小笠山でも、疲れて座り込んでしまったランナーを、

スイーパーの一人がおんぶして走ったんだそうだ。

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大自然の中では、昔から人は皆助け合って生きてきたんだ。

トレランでも、そんな片鱗が現れるのかも知れないな。

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ともあれ、トレランは四季折々の「気分」を味わうことが出来る。

我々が走り続けている小笠山丘陵はその典型さ。

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2013年11月 3日 (日)

小笠山の秋

今日は、小笠山トレイルの一日である。

とは言え、私は朝から複雑で、起き抜けに山頂のエイド設営。

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取って返して、今度は「ふれあいまつり」の開会の準備に加わった。

それが終わったのが9時少し前、車を飛ばしてトレイルのスタート地点へ。

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もう80名近くの皆さんがスタンバイしていた。

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エコパ前のスタートの皆さんを見送って、再びふるさとまつりの会場へ。

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会場は既に多くの皆さんでごった返していた。

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ともあれ滞留1時間で小笠山山頂に駈け付けたのである。

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既に先頭部分のランナーがカレーを食べていた。

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私は、今回はここからトレイルに参戦である。

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小笠山は標高264mの丘陵だけど、結構激しい起伏が続く。

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普段平地ばかり走っている方にとっては、相当に大変なコースだ。

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コースの距離は27kだけど、体感距離はフルマラソン程度は有る筈だ。

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と言う訳で、トップと最後尾では3時間程度の開きが出たろうか。

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ともあれ4名の若い皆さんと共に快調に走ることが出来た。

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途中の小笠山神社、

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そして六枚屏風では流石に驚きの声が上がっていた。

数万年の自然の営みが作り上げた奇観がそこにはあった。

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小笠山は30万年程前に大井川の造った扇状地が隆起してできたと言われている。

だから全山河原の石だし、隆起した北側は絶壁になっている。

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今日は色々とあったけど、気持ちよく走れただけで幸せである。

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コースの最後の所では、うっちゃんの親戚の皆さんがエイドを設けて下さって、

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今年も大変ご馳走になってしまいました。

ゴールは16:00、お風呂に入って皆さんで何時もの打ち上げも又楽しである。

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2013年11月 2日 (土)

イベントの秋

この秋は、運動会や祭りの他にも実に行事が多い。

昨夜は、この地域の年に一度の市政懇談会であった。

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100人余の地区代表者と市長以下関係部局長との懇談である。

今年はかなりの数の女性にも参加して頂いて、盛大に開催することが出来た。

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とは言え、大勢の中で常日頃からの自分の思いを表現するのは難しい。

「この地域の活力を如何に生み出すか・・・」と問うても、簡単な話ではない。

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地道に「利己で生きる人々」の心を開いてもらう努力が必要なのだ。

ところで明日はこの地域の「ふれあいまつり」である。

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障害のある方々を含め老若男女が気楽に交流しようと言う福祉大会だ。

それで朝から、その準備に追われたのである。

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関係の多くの団体の出展、各種展示、ふれあいステージ、ミニSL、

スタンプラリー、持ち投げなどを繰り広げる。

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と言う訳で、実行委員の一人として設営に汗をかいたのである。

もちろん、みんなボランティアである。

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戦後の日本には、米国の個人主義が節度のないまま拡散された。

自由の名のもとに「家」を破壊し、「世間様」の目さえ気にしなくなった。

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倫理観のない個人主義は単なる利己主義でしかない。

残念ながら、民主主義とはその利己主義だとの錯覚が蔓延したのである。

人間は一人じゃ生きられない。当然ながら相互依存関係の中にある。

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しかし、時としてそのことが忘れられてしまう。

殊に「福祉」などといわれると、「俺にゃ関係ない」となる。

既に、この17万の市ですら高齢化率は24%になろうとしている。

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助け合う他生きられない時代が来ている様なのだ。

早くそのことに気が付かなければならないのだが・・・・・。

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2013年11月 1日 (金)

ゴミ泥棒

子供の頃、落ちている電線の切れ端なんぞを集めたことがある。

金属が貴重な時代で、売れば小遣いになるってんで・・・そんな時代があった。

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しかし今、「時代は繰り返す」と言われる通り、

数年前から金属ゴミの価値が高まり、盗まれるような時代になった。

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いやいやゴミばかりでなく、マンホールの蓋や資材置き場からも。

我が家のハウスには温湯パイプが張り巡らせてあった。

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使っていないその鋼鉄パイプを譲ってくれないかと業者が来たのは3年ほど前だ。

曖昧な返事をしているうちに、業者はその全てを切り取ってトラック数台で持ち去った。

もちろん、菓子折り一つ置いていかなかった。

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今、自治会のごみ収集場では異常な光景が広がっている。

ゴミ出しするのを待っていて、産廃業者が金属だけを競って持ち去る。

市の回収車がやってくる頃には、金目のものは一切なくなっているのが常だ。

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リサイクルは結構なことだが、市に入る収入はその分が確実に減ってしまった。

都合の悪いゴミだけを税金で処分していることになる。

具合の悪いことに、ゴミ〔捨てたもの〕の所有権の問題もあって、

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これまではその不法収集を処罰できなかった。

そこで「家庭廃棄物持ち去り行為」を禁止する条例を作ることになったのである。

昨日はその審議会があって、罰金20万円の抑止力等を巡って議論が交わされたのである。

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もとより異論は無いのだが、「時代の産物」というものを改めて考えさせられた。

物の価値ってのは、当然ながら時代によって変わる。

殊に有限の石化エネルギーなどは、これからその最たる物になるはずだ。

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中部電力の値上げ申請も原発の再稼動が前提と言う。

はてさて、廃プラだって再生すりゃ油になる。

今のうちから、溜めておこうかしらん???

 

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