学びて思わざれば・・
私なぞ、かなりの晩生と言うべきだろうか。
物心ついたのは、大学に入ってかなり経った頃じゃないかと思う。
それまでは、詰込教育と言うベルトコンベアの上にいた。
唯ひたすら記憶すれば評価の対象になった。
音楽などチンプンカンプンだったけど、
音符も頭の部分を暗記してたからそれすら通信簿の評価は5だった。
ミミラシドシラ・・などと暗記して、それに何の価値も無かろうに、それを極意と心得ていた。
教育は、その人間の可能性を見つけて広げることに意味がある。
だから、私の経験した詰込教育の大半は無駄に終わったと言える。
激烈な進学競争故の詰込だったのかも知れないが、只の篩の役割でしかなかった。
明治以降のこの国の教育は、おしなべて官制で進められてきた。
この点、江戸期の寺子屋や○×塾とは天と地の差がある。
殊に戦後は教育委員会の指示どおりに、決められたことを従順教えてきた。
はたして「教育とは詰込也」と悟ったのは私だけではなかったろう。
肝心の教師だって大半は決められたことを教えるのに終始した。
そして、考えることこそ大切なことだなんて誰も示唆すらしなかった。
新島譲ではないが、教育は本来私学が適しているのかも知れない。
その生徒の適性にあった学校で、その個性を伸ばす教育がベターだからだ。
しかし、行政は旧態然としてお仕着せの公立学校に税金を使っている。
税金支出は一人当たり公立が89万円に対して、私立には35万円に過ぎない。
前の政権が目玉政策として「高校授業料無料化」を進めた。
どういう理念かは知らないが、「教育は官」と始めから決め付けていたようだ。
静岡県の小学6年の国語力が全国最下位と評価されて問題になっているが、
これとて、その辺の思想に問題がありはしないか。
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コメント
私学にも色々あります。
学力の低い者を受け入れないで、良き大学への進学率が売りの経営で、成り立つ私学。
名前がブランドでも有るから成績や人物を親を選べる学校。
学力の低い学生も経営の為には受け入れて、学力の高い学生を別の場所で教育し進学校を看板にして生徒を集める学校。
学力の低い学生も集めて、立派な社会人育成する事を、実現しているのが看板の学校・・。
学力が高いと言われる学生を集める公立校の生徒が立派な社会人になるかと言うとそうでもない。
でも学力が高いと就職率は良い。仕事の効率は、良いかもしれない。
少子化対策で始められた助成金だと思うけれど、公立私立に関係なく高校に通う学生に支払われる事が正しいと思う。
公立だろうと私学が抱える経営の苦労を味わうのが、正しい競争であって、そこには、良き教育チャンスが与える側にも受ける側にも育つと言える。
詰め込み教育で、良い成績を上げた生徒が教師に成り。
生涯学校しか通っていない、人間が出来あがる。
そして国は、そんな職場に助成をする構図は、決して良いと思えないですね。
投稿: ひろ | 2013年11月 6日 (水) 20時25分